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第9章 南方方面占領作戦

第9章 南方方面占領作戦


1.



 12月8日午前0時、軍令部にハワイ攻撃開始の一報が入った頃、台湾から

九六式陸攻,一式陸攻合わせて60機がマニラ湾キャビテ軍港や航空基地に爆撃を

敢行した。

 九六式陸攻の60kg爆弾は小さいとはいえ駆逐艦や軽巡そして潜水艦等、停泊中の

米アジア艦隊は大打撃をくった。 空襲により、魚雷倉庫も誘爆したため、潜水艦基地と

しての機能が無くなった上、特にこの海域で行動中であった潜水艦が一同に集まって、

停泊中だったため潜水艦は全滅し、この海域での潜水艦の脅威はなくなった。

 フィリピンへの攻撃は潜水艦基地となっているキャビテ軍港の破壊と敵潜水艦の壊滅

及び、敵航空勢力の駆逐であり、占領を目的としたものではなかった。


 米軍飛行場も壊滅してしまい制空権を失った米アジア艦隊司令官ハート大将はキャビテ

軍港が日本の空襲圏内にある事を認識し、大慌てでダーウィンに向け撤退した。 

ハートは水上機母艦や巡洋艦をダーウィンに退避させていたので大型艦の被害は

なかった。

しかし、連日の空襲をかわしながら撤退したので大量の武器・弾薬を残したままとなり、

後に弾薬不足で悩むことになるのである。

 このタイミングで敢行した爆撃は他にもシンガポール,香港の航空基地にも行われた。 

この日、未帰還機は九六式陸攻4機,一式陸攻1機であった。


 香港も一式陸攻65機の爆撃の後、関東軍の半数が大陸奥地から上海まで撤退しており、

この部隊による奇襲が同時に行われた。 

10日間の激戦の後、香港を制圧した関東軍は齒獲した輸送船で捕虜と共に上海に

引き上げた。 

上海に到着すると捕虜をそのままフィリピンのリンガエン湾に送還した。

香港には陸軍の航空隊と整備員が残るのみであった。


 フィリピンに対する戦略は、海上輸送を分断し孤立化させる事だった。 

アジア艦隊がいなくなったので、フィリピンには通商破壊の為の潜水艦が10隻以上

張り付いていた。



2.



 シンガポールに停泊中の英東洋艦隊旗艦プリンス・オブ・ウェールス率いる部隊は

6日に発見された日本の大輸送船団の南下の一報を受け、コロンボの東洋艦隊と合流

すべく出航しようとしていた。

 ここにも一式陸攻,九六式陸攻合わせて90機の爆撃隊が襲いかかって来た。 

爆撃隊がシンガポールに到着したときは港から10キロ程度離れていた。


 爆撃隊はプリンス・オブ・ウェールスを攻撃せず、シンガポールの防御施設と航空

基地の爆撃を行った。


 プリンス・オブ・ウェールスの艦橋にいた英東洋艦隊司令長官サー・トム・

フィリップス中将は爆撃機が来ないので安堵したとたん、隣に並んで航行していた駆逐艦

から左舷艦底に大穴がいくつもあき、機関室も浸水したため航行不能との連絡が届いた。


 「どう言うことだ。 機雷に接雷した形跡など見受けなかったが・・・。」


 そのうち駆逐艦は徐々に傾き始めてきて、ついには沈没してしまった。

この時点でフィリップスは敵の攻撃かもしれないと思うようになった。


 フィリップスは信じられない面もちであったが、突然 残りの駆逐艦3隻に轟音と共に

巨大な水柱が立ち上がった。


 フィリップスの頭は空白化していた。 それもそのはず、航跡もなくたった1発で

駆逐艦を撃沈されたのだ。 その水柱は今まで見たこともないほど巨大で、3隻の

駆逐艦は数メートルも空中に飛び上がったのだ。

いくらプリンス・オブ・ウェールスが不沈戦艦と異名をとっていても、手ひどい

ダメージを受けることはすぐに理解できた。 


 やがて敵将から無線が入った。 麻生が通信ブイを使って通信を行ったのであった。


 「フィリップス提督、我々の雷撃の威力は十分おわかりになったと思います。

駆逐艦を伴わないあなた方に勝ち目はありません。 降伏して下さい。

5分後に降伏旗が上がらなければ我々は再度攻撃します。」


 通信はそこで切れた。


 「機関全速! 敵潜を振り切れ!」


 通常、潜水航行している潜水艦の速度は数ノットである。 29ノットの高速で航行

すれば潜水艦からの攻撃可能範囲から脱出できるのである。

が、普通の潜水艦であればそれも可能であったが、今、プリンス・オブ・ウェールスと

レパルスを狙っている潜水艦はその様な常識が通用しなかった。


 見張りが叫んだ。


 「左舷9時の方向に潜望鏡発見! 本艦と併走しています!」


 「なに!」


 「右舷3時の方向にも潜望鏡発見!」


 フィリップスは信じられなかった。 窓に走って行き、双眼鏡で除くと確かに潜望鏡が

見えた。 しかも、その潜望鏡は徐々に速度を上げやがてプリンス・オブ・ウェールスを

追い抜いたのだ。


 「あの潜望鏡を砲撃しろ!」


 フィリップスが叫ぶや、主砲が火を噴いた。 潜望鏡の付近は砲弾の雨があげる水柱で

潜望鏡が確認できないほどであった。 しかし、潜望鏡はその攻撃をあざ笑うかのように

速度を上げ、砲弾の雨を振り切っていたのだ。


 フィリップスは我が目を疑った。 いくら何でも29ノットを出している戦艦を易々と

追い抜いたのだ。 その様な潜水艦は聞いたことがなかった。


 プリンス・オブ・ウェールスの前方に来た潜望鏡のすぐ後方から数本の先端の尖った

筒が火を噴きながら水中から飛び出した。 フィリップスはすぐに敵の攻撃と直感した。

誘導ロケット弾は空中で10個の子弾に分裂し、プリンス・オブ・ウェールスとレパルス

の対空火器に襲いかかった。


 この攻撃で、プリンス・オブ・ウェールスとレパルスは主砲しか使えなくなっていた。 

悲惨なのは対空機銃や高角砲にいた兵員である。 60kgしか炸薬がないとはいえ、

彼らを殺傷するには十分であった。


 再び、麻生はフィリップスに無線で連絡した。


 「フィリップス提督。 我が潜水艦隊の性能はごらんのとうりです。 私はこれ以上の

戦闘による戦死傷者を出したくありません。 降伏して下さい。」


 しばらくの間 フィリップスは考えていたが、砲撃で撃沈できず、しかも攻撃力,

速度共に我が方よりも優れており、それが2隻もいては逃げられないと観念した。 


 「わかった。 降伏しよう。」


 すぐに降伏旗がマストに掲げられた。 しばらくして、海上を疾走してくる2隻の

輸送船ががあった。 それぞれにはこの時のために戦艦を繰艦する要員が乗っていた。 

プリンス・オブ・ウェールスとレパルスの乗組員はみな輸送船に移され、日本兵が

替わりに繰艦して第四艦隊と合流すべくサイゴンを目指した。


 英駆逐艦を葬り去ったのは伊400型潜水艦の海蛇号,海馬号であった。 

 最初の1隻はハルゼーの第8任務部隊の時と同じだったが、今回はスクリューを狙わず

艦底を電磁砲で打ち抜いたのであった。 

麻生は海中から電磁砲を使って艦底を攻撃した場合、どのぐらいの効果があるのか

確認するために行ったのであった。

残りの駆逐艦には魚雷の性能テストを兼ねて行われた。


 大輸送船団は4つに別れ、それぞれシンガポール,ジャワ,ボルネオ,スマトラに

向かった。 

各船団には阿蘇型従順の日高,御獄,雲仙,箱根が防空にあたっていた。 

この方面には第4艦隊がいたが、4つの船団を同時に護衛することが出来ない上、

コロンボの英東洋艦隊を牽制する為、出撃を見合わせていた。


 この船団を迎撃しようと米英豪の残りの航空機部隊が襲いかかったが、艦載機 電竜の

長距離対空ロケット弾や対空ロケット弾で敵機は船団の姿も、電竜の姿も見ることもなく

全滅した。 

この時点で米英豪の航空兵力は大打撃を被って、日本の上陸部隊を阻止する力が残って

いなかった。


 シンガポールには12月9日に直接 輸送船団が来た。 かねてから連絡を取っていた

仏印のゲリラ組織,蘭印のゲリラ組織も独立の為に一斉蜂起した。


 シンガポールに輸送船団を護衛してきたのは阿蘇型重巡のうち日高であった。 

シンガポールの港には強力な砲をもつ陣地が築かれており、『東洋のジブラルタル』と

呼ばれていた。 

だが、日高は電磁砲で敵陣地を攻撃し、敵の砲門は砲身や基底部を蒸発させられて

使い物にならなくなった。

そこへ、誘導ロケット弾、12インチ主砲の艦砲射撃が加わり僅か1時間で敵陣地は

沈黙してしまっていた。

 後は輸送船が港に雪崩れ込み陸軍の部隊が上陸、シンガポールを制圧するのに1日しか

かからなかった。 日本軍はシンガポール制圧に際し、ペナン島を無視したので、

米英軍はペナン島に脱出した。

 

 それは麻生が東条に兵糧責めにする様に要請していたからであった。 

したがってシンガポールから脱出してきた大量の敗残兵がペナン島に集まっていた。

 ペナン島周囲には潜水艦が潜み、輸送船を襲撃して補給物資が届かなくなって

きており、英東洋艦隊はペナン島に残る将兵の救出作戦を立てざるを得なくなっていた。

 

 ジャワには10日に輸送船団が到着し、上陸した。 ここには敵航空基地があったが、

前日の輸送船団攻撃に失敗し、航空機が不足していた。 そこに誘導ロケット弾を

叩き込まれ、航空機は全機破壊されてしまい、航空基地は真っ先に占領されてしまった。 

翌日にはシンガポール経由で零戦が到着し、制空権を完全に奪っていた。

 ジャワの占領には10日あまり要した。 その間ダーウィンから航空攻撃があったが、

待機していた零戦により全機たたき落とされていた。


 ボルネオの上陸は8日であったが、もともと米英はここを重要視していなかったため

無血占領であった。


 南方方面の電撃的な占領作戦は図にあたり、開戦前に陸軍が予定していた油田地帯の

確保,精錬工場,備蓄基地,航空基地,軍港が12月中に占領できた。 

占領した各国には軍政を布告せず、太平洋地域の戦闘における不干渉と中立、そして

正規の形での貿易の確約を要求した。 

その見返りとして、植民地の独立の承認と援助を行う事を約束した。


 東条は次々と占領した国の独立を宣言、独立国はアジア方面の戦争の中立と不干渉を

宣言させた。 

当然、ヨーロッパ各国と米国は認めなかった。 中国と朝鮮,ソ連は回答がなかった。



3.



 12月18日、米内はダーウィンに立てこもる米アジア艦隊と豪艦隊とオランダ艦隊を

どうすればいいか麻生と相談していた。


 「そうですね。 海峡を封鎖できればいいのですがここは敵の制空権ですし、下手に

ダーウィンに爆撃を敢行しても、コースウォッチャーに見つけられて待ち伏せを

食らいますから知恵がいりますね。」


 「穴蔵に閉じこもった敵を引っぱり出すのが難しいのだよ。 ティモール攻略が

進まないのは敵艦隊がダーウィンに陣取ってにらみをきかしているからなんだ。」


 「それではバータン半島のマッカーサーを利用しましょう。」


 「というと?」


 「つまり、通常無線機を使い割と簡単な暗号でバータン半島に第4艦隊を向かわせて

艦砲射撃をさせる偽の命令を出すのです。 通常無線機は敵に傍受されていますし、

暗号が解読できれば疑わないでしょう。 

この偽情報を掴ませることで敵艦隊も出てくるでしょう。」


 「よし、その線で早速研究をしよう。」


 ダーウィンに集結した艦隊は次のような陣容であった。


米アジア艦隊 第5任務部隊

 重巡 ヒューストン

 水上機母艦 ラングレー

 軽巡 マーブルヘッド、ボイス

 駆逐艦7


オーストラリア海軍

 重巡 オーストラリア、キャンベラ

 軽巡 パース

 駆逐艦5


オランダ海軍

 軽巡 デ・ロイテル,ジャワ,トロンプ

 駆逐艦5


 元々南方方面の日本軍の輸送船団を粉砕するために終結した艦隊であった。


 早速、米内は暗号で偽情報を流した。 第4艦隊は出撃の用意を始め、これをスパイが

米国に連絡した。 米豪蘭連合艦隊はこの手にまんまとはまった。


 ダーウィンを出航した米豪蘭連合艦隊は、一路バータン半島を目指していた。

 しかし、そこに待ちかまえるのは伊400型潜水艦の海兎号,海亥号と伊176型

潜水艦の伊176,伊177,伊178,伊179,伊180,伊181,呂16型の

呂16,呂17,呂18,呂19の10隻の潜水艦であった。

 海軍は潜水艦の伊200型を量産していたが、これらの伊200型潜は英東洋艦隊

迎撃のためシンガポール方面に進出しており、割り当てられる潜水艦がないため、急遽、

通商破壊用の既存の潜水艦を差し向けたのであった。

敵艦の齒獲という案も出たが、齒獲して使えそうなのは重巡の3隻ぐらいであり、大半が

駆逐艦で構成されているので齒獲する手間と危険が大きすぎると言うことで、敵艦の

齒獲は考えられなかった。


 米豪蘭の連合艦隊がティモール東端を抜けようとしたとき、呂型潜4隻,伊型潜6隻

からの攻撃を受けることになった。 潜水艦船隊は水中でも通信可能な超長波通信で

敵艦対を包囲していた。

 伊型潜からの命令で伊型潜から各6本づつ、呂型潜から各4本づつの合計60本の

酸素魚雷が米豪蘭艦隊に放たれた。

 各艦は魚雷発射時の圧搾空気すら漏らさず発射した。 日本海軍の誇る酸素魚雷は

無航跡魚雷であるため、敵艦隊に悟られること無く海中を突進していた。 

恐るべき事に全ての魚雷は誘導魚雷となっていた。


 この攻撃で重巡ヒューストンは艦尾に被弾し、機関室に浸水したため航行不能に

なっていた。

他にも重巡1,軽巡2,駆逐艦1が大破、重巡オーストラリア、駆逐艦5が沈没して

いた。

 米豪蘭艦隊が潜水艦の索敵を開始ししようとした矢先、海亥号から13本の

100センチワルター魚雷が襲いかかった。 

しかも誘導魚雷であるため、外れることなく全弾命中した。 

それも魚雷1本づつ別々の敵艦を目標にしてであった。

 100センチワルター魚雷の炸薬量は3トンである。 この時代の船舶は戦艦といえど

命中魚雷の炸薬が延べ1.3トンで沈没すると言われていたので、この魚雷1本で

沈まない船舶はなかった。


 この時点で米豪蘭連合艦隊は壊滅し、この近辺で脅威となるのはセイロンに集結しつつ

ある英東洋艦隊のみとなった。 ティモール占領はその後4日で終了した。


 この米豪蘭連合艦隊の全滅は衝撃となってオーストラリア全土を駆けめぐった。

 オーストラリアは日本の潜水艦により、既に包囲されているという噂が飛び交った。 

特に、ダーウィンは潜水艦の通商破壊が行われた場合、真っ先に孤立してしまうので

深刻であった。

事実、ダーウィン近辺の海域に数隻の呂型潜が通商破壊作戦のため潜んでいた。

議会には対日講和を唱える議員も現れた。



4.



 12月19日、米豪蘭連合艦隊が壊滅した事を受けて、第4艦隊がペナン島に向けて

出撃した。

が、これはセイロンに集結した英東洋艦隊をおびき出すための罠であった。


 チャーチルは第4艦隊が向かうペナン島に逃れた敗残兵の救出と、孤立化する

ダーウィン救出の要請をオーストラリアから受けて東洋艦隊に出撃を命じた。 


この時点でセイロンの英東洋艦隊の陣営は次のような内容であった。


 戦艦  ウォースパイト,レゾリューション,ラミリーズ,ロイヤル・サブリン,

     リヴェンジ 

 空母  インドミダブル,フォーミダブル,ハーミーズ

 重巡  2

 軽巡  5

 駆逐艦 11


対する第4艦隊の陣営は


 指揮官:近藤信竹中将  旗艦:扶桑

 戦艦 扶桑,山城

 空母 龍驤(44),千歳(36),千代田(36) (搭載機数)

 重巡 最上,三隈,鈴谷,熊野,天竜,竜田

 軽巡 北上,大井

 駆逐艦 23


 阿蘇型重巡2隻もこれに加わっていた。 齒獲したプリンス・オブ・ウェールスと

レパルスは対空火器の換装がまだ終わっていないため、参加していない。

戦力不足を補うため、山本と麻生は潜水艦を派遣していた。


 齒獲したプリンス・オブ・ウェールスとレパルスの新鋭戦艦が第四艦隊に配属され、

近藤中将は大喜びであった。 大改装の結果、扶桑,山城の戦力は向上したが、第四艦隊

だけで英東洋艦隊を迎え撃つには少し荷が重かったのである。 それが齒獲により、

ほぼ対等に戦える戦力になったのであった。

 だが、麻生は戦力向上をしたとは思っていなかった。 プリンス・オブ・ウェールスの

3基ある主砲の内、4連装の2基はよくトラブルを起こし、すぐに砲撃できなくなるのを

知っていたからであった。 まだレパルスの方が使えると思っていたのであるが、山本の

たっての頼みで齒獲したのであった。


 ペナン島近海には東洋艦隊出撃の連絡を受け、ペナン島を包囲していた呂型潜4隻に

加え、伊200型潜8隻と伊400型潜の海蛇号が急行していた。


 シンガポール奇襲の折りに捕虜となったフィリップス中将に替わり、ジェームス・F・

ソマーヴィル大将が東洋艦隊司令官になっていた。

 ソマーヴィルは当初、米豪蘭連合艦隊支援のため出航準備を急がせていたが、米豪蘭

連合艦隊が壊滅したので、急遽ペナン島の敗残兵救出に作戦変更された。 

セイロンを出発した東洋艦隊は一路ペナン島を目指していた。 

英国はラングーン,インパール,セイロンへの日本軍の侵攻があると判断していたの

だった。


 探査衛星から東洋艦隊出撃を確認した麻生は潜水艦隊を左右に展開、正面に第4艦隊を

配置するよう山本GF長官に要請、山本は潜水艦隊と第4艦隊に連絡し布陣を敷いて

待ちかまえていた。

 さすがに今回は豪州封鎖作戦中で、参加できる伊400型潜水艦が1隻しかいなかった

ため、齒獲戦術は採られなかった。


 ソマーヴィルは対航空機用の花火弾の事は知らなかった。 そのため、航空機をもって

敵空母を攻撃する作戦でいた。

 だが、百式司偵が東進中の東洋艦隊を遙か彼方から逆探知で発見していた。 

百式司偵は接触を保ったまま位置を第4艦隊に知らせていた。 

 シンガポールからは九六式陸攻56機が60kg爆弾,一式陸攻72機が40センチ

砲弾を改造した800kg鉄甲爆弾を抱えて飛び立った。 


 近藤中将は間合いを計りながら誘導ロケット弾の発射のタイミングを見計らっていた。 

百式司偵からの報告では敵空母の甲板に航空機が並んでいなかったのである。

百式司偵は英東洋艦隊につかず離れず偵察していた。 敵の艦隊護衛機が襲ってきたが

その時は補助推進装置をふかし、敵機を振り切って敵艦隊の情報を刻々と送って

いたのだった。


 程なく敵の哨戒機に発見され艦隊護衛機がたたき落とした。 百式司偵からは甲板に

上げられる敵機の数が報告されてきた。 敵機に発見されてから5分後に扶桑,山城から

誘導ロケット弾が8発づつ合計16発が敵空母に向けて発射された。 

 この噴進誘導弾は子弾に分かれないタイプで800kgの炸薬が詰まっていた。 

同時に阿蘇型重巡の雲仙,箱根からは子弾にわかれるタイプの誘導ロケット弾20発が

敵戦艦,重巡,軽巡,駆逐艦に向けて発射された。 

龍驤,千歳,千代田からは満を持した艦戦32機,艦爆36機,艦攻36機が発進した。


 扶桑,山城から発射された誘導ロケット弾はインドミダブル,フォーミダブルに6発

づつ、ハーミーズに4発命中した。 各空母には甲板に航空機を並べ発進準備をして

いたので堪らない。

次々と誘爆していき手が着けられない状態となった。 さらには、弾薬庫にまで火が回り

誘爆も時間の問題であった。 この時点で3隻の空母は沈没が確実となった。


 だが、ソマーヴィルは空母を心配している事態では無くなった。 

阿蘇型重巡から発射された誘導ロケット弾は子弾に分かれ正確に各艦の対空火器に命中

していった。

 リヴェンジは高角砲の弾薬が誘爆し大変な状態になっていた。 

誘導ロケット弾の子弾は60kgの炸薬しかないが、機銃や高角砲を沈黙させるには

十分であった。

 各艦の被害状況の報告が次々とソマーヴィルに届けられている中、大音響と共に

フォーミダブルの弾薬庫が爆発し、ゆっくりと沈んでいった。

 インドミダブルとハーミーズはまだ浮いていたが誘導ロケット弾の1発は機関室で

爆発しており、航行不能の状態であった。


 ソマーヴィルは歯ぎしりをして悔しがった。 あまりにも一方的にやられているので

あるから無理もない。 しかも、こちらは敵艦隊の位置すらまだ判っていないのだ。

ともかく、対空戦闘力を失ったために、コロンボに引き返そうと判断した。


 そこに九六式陸攻,一式陸攻が襲いかかってきた。 九六式陸攻は軽巡,駆逐艦を

ねらい、一式陸攻は戦艦,重巡,空母をねらって水平爆撃を敢行した。 

空母と違い被害の少ない戦艦等は必死の回避をしていた。  

 動けないインドミダブル,ハーミーズは次々に爆弾を浴び、ついに轟沈してしまった。 

足の速い軽巡,駆逐艦は命中弾が少なかったが、対空火器が使えないために低空から

60kg爆弾をばらまかれて数発の命中弾を浴びたのだった。

 戦艦にも高度3000メートルから800kg鉄鋼爆弾が投下された。 

この800kg鉄鋼爆弾は戦艦長門の40センチ砲弾を改造したものであった。

 さすがに命中率は悪かったがそれでも5隻の戦艦には1~3発の命中弾があった。

 爆弾は集中防御から外れた艦首,艦尾に命中し、装甲を突き破って艦底で爆発した為、

みるみる速度が落ちていった。 特にリヴェンジは傾き始めた。


 陸攻機が去ってすぐに第4艦隊の航空部隊が襲いかかった。 

上空支援はなく、対空砲は大破して使えない状態なので、零戦に至っては機銃掃射を

してくる有様であった。 

艦爆は高度を上げ、艦攻は敵艦の艦首方向に向きを変えた。 雷爆同時攻撃であった。

航空部隊の目標は戦艦以外の艦艇であった。 この攻撃で重巡2隻,軽巡5隻,駆逐艦

11隻が沈没した。 英東洋艦隊は息も絶え絶えの状態になっていた。


 ソマーヴィルは急いでコロンボに帰投するように命令した。 ソマーヴィルは敵艦載機

が対空戦力のない戦艦を狙ってこなかったのを見て、「やはり航空機では戦艦を沈める

ことはできなかった」と本国に打電した。


 しかし、艦載機が戦艦を残したのには訳があった。

英東洋艦隊の足下に潜む潜水艦隊の天敵である、駆逐艦,巡洋艦を先に片づけていたら

弾薬が足りなくなって戦艦を狙えなかったのである。

 そしてトドメとばかりに鶴翼の形に包囲していた伊型潜8隻,呂型潜4隻から合計

96本もの酸素魚雷の一斉攻撃が行われた。 誘導魚雷の上、敵艦は速度が落ちており、

外れる事はなかった。

 この一斉雷撃攻撃は生き残っていた4隻の戦艦に集中した。 

 数回に渡る航空機の攻撃のため、速度が落ちている上に左右後ろから飽和攻撃を浴び

ついに生き残っていた4隻の戦艦も沈没してしまった。 結局、伊400型潜の出番は

なかった。

 ここに英東洋艦隊は全滅した。 この作戦での航空機の損害は皆無であった。 

そして、伊200型潜水艦の初陣を勝利で飾ったのであった。


 潜水艦で戦艦を仕留めたのは、敵に航空機決戦の優位性を悟られないようにするためで

あった。 実際、各国の海軍は航空機で戦艦は沈められないという認識でいた。

彼らは、未だかつて航空機で戦艦を沈めた事実がないことをより所にしていたので

あるが、その認識が間違っていることは史実において真珠湾で米太平洋艦隊の戦艦群が

壊滅した事で証明されている。


 第4艦隊はそのまま西進し、東洋艦隊が引き連れていた輸送船を齒獲した。 

この輸送船を使い、ペナン島の敗残兵をセイロンまでピストン輸送するつもりであった。

人数が多いため、既に食糧難にあえいでいたペナン島の兵士は近藤中将のセイロンに

撤退する者には攻撃をしないという言葉で日本軍に降伏た。

 第4艦隊の護衛のもと、英輸送船団は数万人の敗残兵を救出するという目的は

達せられた。 

その後、ペナン島には百式司偵の部隊がおかれ、セイロン方面の索敵に当てられた。



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