第14章 脅威のドイツ兵器
第14章 脅威のドイツ兵器
1.
8月、ドイツはほとんどの爆撃機をウラル方面に差し向け、英国への攻撃はV1,
V2で行っていた。
大量の爆撃機を投入し、ウラル要塞を連日の如く爆撃し抵抗力を奪い突破口を作ったので
ある。
ついにウラル山脈を突破したドイツ軍は怒濤のごとく東に進撃した。
ソ連の防衛線は至る所で破れ、脱出を計ったスターリンは護衛の将校の裏切りで後ろから
射殺された。
油田と穀倉地帯を手に入れたヒトラーはソ連の敗残兵を追撃し、更にその矛先を
アジアに向けようとしていた。
蒋介石はスターリンが死んだという情報を受け取るや、直ちにアメリカに援軍を
要請した。
ルーズベルトは要請を受けてマッカーサー元帥を派遣した。 また、東条は中華民国と
満州国の同盟を締結させ、武器の提供を行った。
米大陸から撤収した重爆,陸攻は満州国に提供され、シベリア鉄道を空爆し鉄道輸送を
出来なくしていた。
アフリカ戦線では数次に渡る第一艦隊の米陸軍輸送作戦が行われ、体勢を立て直した
パットン将軍にロンメルは徐々に追いつめられていっていた。
Uボートもこれを阻止する為に出撃してきたが撃沈されるだけで戦果が上がら
なかった。
米国に派遣されていた零戦,震電は米国のF4Fワイルドキャット,P-38
ライトニング,P-40ウォーホークに替わってアフリカ戦線に転戦し、ドイツ空軍を
圧倒していた。
特に震電に搭載されている40ミリ機関砲は戦車の薄い上部装甲などを紙の様に突き
破り、ロンメルに大被害を与えており、「空飛ぶ対空砲」と呼ばれるようになっていた。
また、ドイツ機甲師団の対空兵器に対応するため、対空誘導ロケット弾の替わりに対地
誘導ロケット弾が震電に取り付けられていて、震電は戦車キラーの名前を欲しいままに
していた。
グリーンランドに飛行基地を作ったアメリカは、数少ないB-17フォートレスを
グリーンランド経由で英国に輸送していた。
八八艦隊はバミューダから英国のスカパフローを母港にし、第一艦隊はバミューダを
母港にしていた。 八八艦隊への補給は、米国内で物資を調達し、駆逐艦で護衛された
輸送船団がその任に当たっており、補給物資の欠乏はなかった。
それもこれも、Uボートが壊滅的打撃を受け、大西洋からほとんど姿を消したからで
あった。
八八艦隊率いる草鹿中将は何とかヨーロッパに部隊を上陸させようとしていたが、
さすがにドイツの防御は厚かった。 零戦にとってMe109は敵ではなかったが、
数が多い為被害も少なくなかった。
パイロットは米,英の救出努力により航空機の損耗に比べ、半数以下で済んでいた。
もし、零戦が史実と同じ性能であったならMe109と互角の戦いとなり、被害は
相当なものになっていたであろう。
チャーチルはアフリカ戦線と英本土防衛で活躍する零戦と震電を見て、
「我が大英帝国の空軍には少なくとも零戦の3個中隊,震電の2個中隊は必要である。」
と演説し、更なる零戦と震電の増援を東条に仰いだ。
イギリスのスピットファイアはMe109と互角の勝負しかできないため、苦もなく
Me109を叩き落とす零戦は英空軍にとって羨望と期待の目で見られていた。
チャーチルの要請にも関わらず、東条は零戦の製造を止め、震電改の量産に
かかっていた。
既に生産終了している零戦と震電を次々にアフリカ戦線,英本土防衛に配属させていた。
また、日本や機動部隊に既に配属されている零戦と震電は震電改に交換され、交換された
機体はアフリカ戦線,英本土防衛に転戦していた。
一方、ドイツでは零戦を上回る戦闘機の開発を痛感しておりジェット戦闘機
Me262の開発を急がせていた。
史実ではヒトラーはMe262を爆撃機に改造するように命令したのだが、優秀な
戦闘機の必要性から、爆撃機ではなく戦闘機として開発するように命じたのだった。
喜んだのはMe262に入れ込んでいた航空大臣のゲーリング元帥と開発陣である。
さっそく震電キラーとしての必要な機能の研究に入った。
2.
8月14日にブレスト上陸作戦支援のため、八八艦隊がスカパフローを出撃した。
この作戦には第一艦隊と阿蘇型重巡2隻も参加していた。
航空機を発進させ、零戦の数にものを言わせ、ブレスト上空の制空権を奪取した。
艦砲射撃のため戦艦,重巡の船隊がブレストの海岸に近づいた時、多数の高熱源体が
急速接近してくるのをレーダーで探知した。
飛来してくるのは10インチ(25.4センチ)列車砲弾であった。
砲弾は小さいものの、長大な砲身のおかげでかなりの後方から砲撃ができるのであった。
全ての対空火器が弾幕を張ったが、列車砲弾を全て迎撃できず、集中防御方式を
とっている八八艦隊と第一艦隊に大きな被害が出た。
無事だったのは完全装甲をしていた戦艦大和,戦艦武蔵,重巡阿蘇,重巡六甲だけで
あった。
戦艦といえど装甲のない艦首や艦尾に砲弾が命中すると被害は甚大なのである。
だが、八八艦隊も第一艦隊も黙ってはやられていなかった。
直ちに弾道を逆算し、誘導ロケット弾,主砲で応戦したが、不意をつかれたので反撃
できる船は少なかった。
小沢中将はまだ投弾していない艦爆,艦攻に列車砲の位置を知らせて空から
攻撃しようとしたが、列車砲近辺には対空車両がひしめいており、猛烈な弾幕で
近づくことすら困難であった。
それでも数台の列車砲を破壊したが、爆撃部隊の被害が大きかった。
この状況を見て、草鹿中将,小沢中将は撤退を決意した。 全艦撤退行動中に大音響と
共に重巡阿蘇が被弾した。
阿蘇の第2砲塔の天蓋に大穴が空き、そこから炎が吹き上げていた。
自動消火装置が働いてはいたがなかなか鎮火する様には見えなかった。
大和と同じ46センチ装甲を大和以上の3重にしてある阿蘇が、ただの1発で
大破したのである。
小沢中将は青ざめて撤退行動を急がせた。
この状況は地下工場にいる麻生もモニタ画面で見ていた。
直ちに敵兵器を予測した所、22インチ(55.88センチ)列車砲弾という結果が
はじき出され、阿蘇の被弾から予想弾道コースが割り出された。
その時、阿蘇の後方に水柱がいくつも上がった。 阿蘇の被弾から数秒しか経っていない
ことから22インチ列車砲は数門あると推測された。
阿蘇への至近弾は対空電磁砲で迎撃したため、追加の損害は無かった。
幸い、阿蘇は機関をやられていなかったので全速で離脱することが出来た。
この作戦の失敗で撃沈された船が1隻も無かったというのは奇跡と言うしか
無かったが、次の作戦行動が可能になるのはかなり時間がかかるのは間違いなかった。
更に、第一艦隊,八八艦隊に追い打ちをかけるようにV1号が飛来してきたが、
これは各艦の対空砲で迎撃ができ、被害は広がらなかった。
大被害を被った第一艦隊と八八艦隊はノーフォーク等のアメリカ大西洋岸の海軍工廠に
分散して修理される事となった。
一方、大破した阿蘇は地下工場で修理するため、マゼラン海峡を経由して太平洋に
戻っていった。
V1,V2は日本に来たワルター,テッヘル,フォン博士達がドイツが宣戦布告して
来る前に完成しており、設計図はドイツ本国に送られていた。
日本の卓越した電子部品技術がこのV1,V2の完成を早めてしまったのは皮肉な事で
あった。
しかも、史実よりも命中精度が向上し、発射時のトラブルが1パーセント未満にまでに
なっており、命中精度は97%と完成度は格段に向上していた。
アメリカ国民は大損害を被った八八艦隊の無惨な姿を見てドイツ憎しの感情が
爆発した。
元々八八艦隊は米太平洋艦隊そのものであり、たとえ日本軍が使っていたとはいえ、
米艦隊独特の艦橋を持つ艦隊が打ちのめされた姿を見て、ドイツへの怒りが湧き起こった
のであった。
草鹿中将も被害を隠そうとはせず、アメリカの新聞記者に写真撮影すらさせていた。
米国民にとって自国の艦隊が打ちのめされた姿を見るのはこれが初めてであった。
このブレスト上陸作戦の失敗で唯一の救いは空母群を沖合に待機させていたため被害が
無く、直ぐにでも作戦行動が可能であった。
また、被害の無かった戦艦大和,武蔵も作戦行動が可能であった。
麻生は探査衛星を使い、列車砲の位置を確認しようとしていたが、撃破した10インチ
列車砲は見つけられたが22インチの列車砲はなかなか見つからなかった。
ヒトラーは第一艦隊,八八艦隊を退けた事を聞いて小躍りして喜んだ。
だが、撃沈出来た船がなかったので早速、更に大口径の列車砲を開発を急ぐように
指示した。
一方、麻生は大口径の列車砲の出現に、どの様に対処するか苦悩していた。
22インチの列車砲の量産により、イギリスに相当の被害が出るのは目に見えていた。
重巡阿蘇の修理は1週間もあれば復旧できるのだが、列車砲の対策をしなければ
同じ結果になることは明白だった。
また、史実に比べ早すぎるV1,V2の登場により、麻生の戦略は大きく見直す必要に
迫られていた。
3.
独海軍総司令官のリッペは艦隊再建に奔走していた。 フランスの軍艦を徴収した
だけでは足りずフランス商船を改造し、イタリアにも艦艇の派遣を要請していた。
しかし、地中海から大西洋に出るためにはジブラルタル海峡を通過しなければ
ならないが、この近辺には重巡を旗艦とした英艦隊と航空基地があり、イタリアからの
船の援軍は難しいものになっていた。
また、壊滅した大西洋艦隊の教訓を基に、空母グラーフェ・ツェペリンの建造再開、
商船を軽空母に改造する等の航空機動部隊の増強を計っていた。
リッペにとって頭が痛いのは艦載機であった。 空軍が艦載機とパイロットをなかなか
裂いてくれなかったからである。
空軍を指揮するゲーリングは空母が無い事を理由に航空機を割り当てられないと言って
拒否していた。
空軍は八八艦隊に大敗を喫した海軍を見下していた。
しかし、ヒトラーの命令は絶対である。
既に、空母が完成すれば艦載機を乗せることが出来るように部隊編成は終わっていた。
ゲーリングが心配していたのは、行ったことのない空母への離発着であった。
元々ドイツに空母は無く、グラーフェ・ツェペリンが初めての空母となるので、空母への
離発着の訓練もしたことが無かった。
ともかく、航空甲板と同じ設備を地上に作り離発着の練習をしていたが、なかなか上達は
しなかった。
イギリスとの航空戦は膠着状態になっていた。
前線に配備され始めたMe262は一撃離脱戦法で日本及びイギリスの航空部隊に痛打を
浴びせていた。
スピットファイアは対抗手段を持たず、いいように打ち落とさせていた。
最高速度を下回る零戦は対空誘導ロケット弾で応戦していたので、どちらも決定的な
打撃を与えられずにいた。
イギリス空軍はV1への対策として、V1の主翼にスピットファイアの主翼を
引っかけてバランスを崩し、V1の被害を少なくしていったが、V2に対しては対策が
無かった。
イギリスにとって幸運な事はV2はコスト高の為、あまり生産されていなかったので
V2の被害はまだ深刻にはなっていなかった。 V2を1発生産するコストでV1は
7発~8発は生産でき、生産日数も格段に差があった。
V1の発射台は探査衛星や偵察機から発見でき、発見された発射装置へは直ちに爆撃が
敢行され、V1の脅威は徐々に薄れていった。 反面、V2の脅威が浮かび上がって
きた。
超音速で落下してくるV2の破壊力は凄まじく、ロンドンは常にV2の脅威に
怯えていた。
この時点でヒトラーは空軍のV1よりも陸軍のV2の方が敵に迎撃されない事が判り、
V2の生産に力を入れて始めた。
ヒトラーは5000発のV2でロンドンを壊滅させる計画を立てていた。
このV2の破壊力と射程は日本海軍の戦艦に搭載されている分裂しないタイプの誘導
ロケット弾と同等であった。
同時に22インチ列車砲も量産がされており、V2発射と同時にロンドンに砲撃を加える
計画を思いついていた。
もっぱらV1はイギリスの目をV2や列車砲に向けさせない為の囮として使われ始めて
いた。 V2をある程度備蓄しておいて、一気に攻撃をしかける腹づもりであった。
ヒトラーのロケット兵器開発は止まることを知らず、ついにA9,A10を
組み合わせた2段式のロケット兵器の構想まで出来ていた。
もし、これが完成すればアメリカすら射程内に入り、文字道理の大陸間弾道弾となるので
あった。
4.
一方、スターリンを葬った東部戦線の独機甲師団はウラル山脈を越え、ソ連敗残兵を
殲滅し、シベリア鉄道を使い、ウランバートル近辺にまで迫っていた。
無論、中国,満州は黙っては見ておらず、日本や米国から提供された爆撃機で鉄橋,
線路,橋の破壊や兵頓基地の爆撃を行っており、独機甲師団の進撃速度は極端に
落ちていた。
更に、探査衛星から機甲師団の位置が判明した時点で、爆撃機が高高度から絨毯爆撃を
行って、機甲師団は痛打を受けていた。
特に、補給部隊に対しては重点的に爆撃を受け、壊滅の危機に瀕していた。
延びきった補給線は側面からの攻撃で断たれることが多い。
東部戦線の機甲師団はアフリカのロンメルと同じく補給に苦労する事になった。
更に、満州,中国の要請によりマッカーサー率いる米陸軍とワシントンから撤収した
関東軍が北京に進駐、北京からウランバートル目指して進撃を開始する様相を
呈したため、独機甲師団の進撃はウランバートルで停止したのであった。
米陸軍,関東軍の戦車の劣性は作戦参謀である辻政信中佐の頭痛の種であった。
それはまた、マッカーサーも同じであった。
大量の爆撃機による補給部隊と補給線の破壊により敵は攻めてくることが出来ないだけで
あった。
従って敵の持っている燃料,弾薬をいかに消耗させるかが作戦のポイントとなるので
あるが、強力な敵の攻撃をいかに被害少なく行わせるかが問題であった。
米陸軍の主力戦車はM3であり、独機甲師団のティーゲルに対抗できるM4戦車はまだ
量産体制に入っておらず、苦戦が予想された。
それは関東軍も同じで、ノモンハンで使った歩兵支援用戦車と75ミリ90式野砲を
搭載した砲戦車だけであった。
唯一、成形炸薬弾をつかった携帯ロケット砲が十分に配備されていたので、歩兵を
有効に使えばなんとか独機甲師団に対抗できる戦力だった。
ついに麻生は月面で時空爆弾を探査している全戦艦を戦線に投入することを決意した。
このまま戦争を長引かせればドイツが核兵器を開発してしまう。 そうなると無差別
核爆撃が行われる事はすぐに想像できた。 ドイツが核兵器を開発する前に徹底的に
叩いて戦争を終結させる。 その為に戦艦を投入させることにしたのだった。
さっそく戦艦を地下工場に帰投させ、主砲,副砲,高角砲,機銃などの武装追加を
開始した。
また、阿蘇以外の阿蘇型重巡も帰投させ、改装を始めた。




