第10章 米大陸進出
第10章 米大陸進出
1.
第一艦隊はカリフォルニア攻略,第二艦隊はロサンジェルス攻略のため東進して
いたが、比較的艦隊速度の早い第一艦隊が数時間先にサンフランシスコを攻略できそうで
あった。
太平洋艦隊を壊滅させた後、旗艦大和で間近に迫ったパナマ攻略の作戦会議が行われて
いた。
この会議には超空間通信で麻生と山本も参加していた。
「パナマには陸戦隊を阿蘇型重巡と伊400型潜に分乗させて差し向けましょう。
阿蘇型の重巡は足が速いですから、陸戦隊を乗せてマゼラン海峡まわりで接近すれば
両大洋からの両面作戦が可能です。
まず、潜行して近づき、誘導ロケット弾で航空基地,軍事施設を攻撃します。
艦載機は上空支援をし、上陸部隊を援護します。 阿蘇型重巡でパナマとリモン湾に
強行突入して陸戦隊を上陸させます。
パナマ,ロサンジェルス,サンディエゴ,サンフランシスコは同時作戦とします。」
「なるほど、しかしタイミング良くできるかな?」
「艦隊行動をとらない阿蘇型重巡は全速87ノットを維持したまま数十日の航行が
可能です。 ひょっとすると阿蘇型重巡の方が早くつくかもしれません。」
「しかし補給はどうする? 糧秣の補給は必要だぞ。」
「その辺はご心配なく。 特別の輸送方法を用意しています。」
「よし、それでいこう」
4隻の阿蘇型重巡と2隻の伊400型潜に陸戦隊を分乗させ、87ノットの全速を
出して2隻の阿蘇型重巡がマゼラン海峡を目指し、残りの2隻と伊400型潜2隻が
パナマをめざした。
この間、探査衛星の情報により米英の哨戒機には出会わない様にしていた。 阿蘇型
重巡や伊400型潜に乗った陸戦隊は搭乗員の少なさに驚き、さらにその速度に目を
見張ったものであった。
本来は無人で運用するために作られていたが、この作戦のために陸戦隊のおもりとして
数体のアンドロイドを付けていた。
また、弾薬用の転送装置を備えていたので、糧秣もこの転送装置を使い輸送できたので
あった。
2隻の潜水艦は夜にまぎれてパナマ市の外れに浮上、陸戦隊を上陸させてた。
上陸した陸戦隊はミラ・フローレンス閘門に接近し、奇襲作戦開始の連絡を待った。
作戦は12月24日朝4時に開始された。 リモン湾,パナマ湾近くに潜水していた
阿蘇型重巡は浮上すると同時に、誘導ロケット弾を航空基地,要塞砲,軍事施設に
発射しながら湾を目指した。
リモン湾に突入した阿蘇型重巡2隻は周りにいる敵艦に対し主砲を水平に構え
撃ちまくっていた。
埠頭に接舷するや陸戦隊が躍り出た。 陸戦隊はガツン閘門を目指した。
港湾にいる敵の艦艇は数隻の駆逐艦だけであった。 陸戦隊の上陸が終わったころ、
湾内で反撃できる船の姿は無かった。
一方、パナマ市の港湾に突入した阿蘇型重巡2隻も周りにいる敵艦を打ちまくり
ながら埠頭に急行、接舷し陸戦隊が上陸した。
上陸した陸戦隊は車を奪い閘門を目指した。
航空基地の兵舎,司令部にも誘導ロケット弾の雨が降ってきて敵の防衛部隊は壊滅的
打撃を受けていた。 滑走路上の敵機もことごとく破壊された。
同時に3つの閘門に陸戦隊が雪崩れ込んだ。 守備隊も果敢に応戦をしたが、もともと
少ない守備隊の上、司令部とは連絡がとれず、上空援護もない為すぐに制圧された。
1時間後には3つの閘門は占領されいた。 米軍はまさかのまさかであった。
西海岸の攻略の可能性は検討していたが、ハワイから8000kmも離れているパナマを
攻略されるとは考えもしていなかったのである。
すぐにパナマ占領の報告がホワイトハウスにもたらされた。 ルーズベルトが慌てる
のも無理はなかった。 西海岸に物資を輸送する場合、陸上輸送もあるが輸送量は船舶の
比ではなかった。
西海岸への物資輸送だけではなく、太平洋,豪州への援助物資の輸送も大幅に遅れる事を
意味していた。 更に、大きくマゼラン海峡を迂回するコースをとれば、余分な燃料を
消費するのみならず、Uボートからの攻撃を受ける確立が高くなるのである。
特にフィリピンに立てこもるマッカーサーは深刻であった。
連日の爆撃に加え、潜水艦による海上輸送の妨害で武器・弾薬が欠乏していて、日本軍の
フィリピン攻略があった場合、持ちこたえる事ができそうもなかった。
2.
24日、まだ完全に夜が明け切らない5時にサンフランシスコ占領作戦が開始された。
第一波攻撃隊312機はサンフランシスコに雪崩れ込んだ。 あっという間に航空基地は
叩き伏せられ、制空権は完全に第一艦隊のものとなった。
港湾の要塞砲も九九式急降下爆撃機の猛攻で1発も撃たずに沈黙していた。
対空陣地に向かった部隊には若干の被害が出たが、奇襲が完全に成功していたのですぐに
対空陣地も沈黙してしまった。
戦艦部隊は港湾の諸施設を砲撃した。 特に金剛等の14インチの主砲の艦砲射撃で
敵陣地は反撃すらできずに壊滅していた。
二手に分かれた上陸用舟艇はサンフランシスコ市を挟み込むような形で海岸に到着、
第18師団が市外の要所を制圧していった。
米国側は太平洋側は海岸線が2000kmもあるので兵力を集中できず、戦車部隊も
すぐに出動できる部隊がなかった。
さらに、パナマ,ロサンジェルス,サンディエゴも同時に攻撃されていては反撃すら
ままならなかったのである。
ようやくサンディエゴからF4Fワイルドキャット 24機,SBDドーントレス
13機,TBDデバステーター 10機,P-38ライトニング 18機,P-40
ウォーホーク 9機がサンフランシスコに駆けつけてきた時には既に橋頭堡が確保された
後だった。
もし、サンディエゴから飛び立った支援機の内、誰かが遙か彼方の海上を見れば、
猛スピードで突進してくる戦艦大和,武蔵を確認できたかもしれなかった。
が、経験不足のパイロットが編隊も組まず慌ててサンフランシスコを目指したため、誰も
恐るべき18インチ砲を備えた大和,武蔵の艦影を確認出来なかったのである。
サンフランシスコの第一艦隊は予めレーダーで敵機の位置が判っていたので、零戦
36機が艦隊の前方に展開し待ち伏せをしていた。 零戦の搭乗員は待ちに待った空戦が
できると勇んで敵機に襲いかかった。
敵パイロットは経験が少なく、無謀にも零戦に格闘戦を挑んできた。
選りすぐりのパイロットと零戦の性能の前にはP-40ウォーホークとて敵ではなかった。
この頃の米軍にはまだ零戦についての情報が無いため、零戦を侮っていたのだった。
敵戦闘機の数が多かった為、数機のSBDドーントレス,TBDデバステーターが
零戦をかいくぐってきた。
しかし、艦隊にたどり着く前に零式対空弾の一斉砲撃のため全滅してしまった。
昼になってM3戦車20台がやってきたが、75ミリ90式砲戦車で敵戦車を釘付けに
しておいて、側面から近づいた歩兵の携帯ロケット砲で沈黙してしまった。
この携帯ロケット砲はロケット弾であるので反動が無く歩兵が持ち運べる物であった。
さらに、炸薬部は成形炸薬となっており、命中するとノイマン効果で戦車の装甲に小さな
穴を穿ち、高熱のガスで内部の人間のみを殺傷できる恐るべき兵器であった。
3.
第一艦隊から分かれた大和と武蔵は近衛師団を乗船させた輸送船を引き連れ
サンディエゴに来たのは朝8時になっていた。
サンディエゴの敵機はサンフランシスコの支援のために出撃した後
だった為に、敵機に遭遇することなくサンディエゴ港まで来ることが出来たのであった。
大和,武蔵からは46センチの主砲のが火を噴きサンディエゴの防衛設備は壊滅的な
打撃を受けて組織的な反抗が出来る状態では無くなった。
そこを見計らって近衛師団が上陸し、航空基地,海軍軍事設備など次々と占領して
いった。
サンディエゴにある弾薬庫,燃料庫には膨大な量の弾薬と燃料が貯蔵されていた。
これらは運良く砲撃を受けなかったので齒獲品となった。
また、無血占領に近い航空基地にも100オクタンの航空燃料がドラム缶1万本もあり、
これも齒獲品となった。
サンフランシスコ占領2日後にはロサンジェルス経由で零戦74機,九九式艦爆
46機,九七式艦攻40機,震電20機が到着した。
また、増援の陸軍および戦車も続々と到着した。
サンディエゴ占領が一段落して戦艦大和,武蔵,空母信濃はマゼラン海峡経由で
バミューダに向かった。 大和級艦艇ではパナマ運河が狭すぎて通過できないからで
あった。
麻生は乗り気ではなかったが、不沈戦艦となった大和,武蔵はいつか大西洋に回航
させる必要があると思っていたので山本の意見を受け入れた。
4.
第二艦隊は夜の内に出来る限りロサンジェルスに肉迫すべく艦隊を急行させていた。
パナマ奇襲から2時間遅れで第二艦隊のロサンジェルス攻略が始まった。 第二艦隊は
この日のために艦載機を全て零戦にしていた。 まず、伊400型潜から子弾に分裂する
タイプの誘導ロケット弾が航空基地に対して発射された。 それが合図だった様に4隻の
戦艦から800kg炸薬の誘導ロケット弾が沿岸の要塞砲,潜水艦,対空陣地に向けて
発射された。
ロサンジェルスの航空基地はこの攻撃により出動可能なほとんどの航空機を失った。
戦艦,重巡はロサンジェルス湾に近くまで全速で進撃、橋頭堡を確保する地点に対して
艦砲射撃を行った。
第5師団が上陸した頃、近辺の航空基地から応援のF4Fワイルドキャット等が散発的に
やってきたが、上空支援の零戦の敵ではなかった。
石油基地,航空基地,港湾を半日で制圧し、第5師団は近辺の航空基地制圧にも
乗り出した。
幹線道路はパニックになり我がちに逃げようとする市民のため、米陸軍は駆けつける事が
できず、ロサンジェルス周辺はあっという間に占領されたのであった。
橋頭堡を確保した第二艦隊は戦車などの陸上兵器を次々と楊陸していった。
艦隊はそのまま湾外に待機、予想される敵機の襲撃に備えた。
夕方になりシアトル等を中継してP-38ライトニング 28機,
P-40ウォーホーク 16機がやってきたが、対空ロケット弾,零式対空弾,零戦の
前に敗退していったのである。
占領翌日には零戦180機,九九式艦爆98機,九七式艦攻98機がやってきた。
零戦は常時上空警戒に当たっていて制空権は完全に日本側の手に落ちていた。
やってきた航空機の中には震電も30機含まれていた。
この震電は高性能レーダーを内蔵していたので、もっぱら夜間戦闘機として運用される
予定であった。
シアトルの航空基地からは制空権奪取の為の航空機は発進されなかった。
伊400型潜の誘導ロケット弾が待機中の航空機に襲いかかり、発進できる機が
無くなったのであった。
さらに次の日には一式重爆40機が到着、その後も艦戦,艦爆,艦攻,司偵,陸攻,
重爆が次々と到着していた。
また、増援の部隊も到着し大陸内部まで侵攻する気配を見せていた。
一式重爆,一式陸攻は配置翌日にはシアトル等へ通じる鉄道,幹線道路の破壊、
軍需工場,海軍工廠の爆撃を敢行、連日の様に出撃していた。
初日の爆撃には護衛の零戦が迎撃に上がってきたP38 12機を蹴散らし爆撃機の
被害は対空砲で撃ち落とされた1機のみであった。
翌日からは迎撃に上がってくる敵機もなくなり、対空砲も前日の数次に渡る爆撃で沈黙
していた。
この爆撃でB-17フォートレスを製造する工場や起工中の艦艇は使い物に
ならなくなり、シアトルの工業力は壊滅したと言って良かった。
アメリカは占領されたサンフランシスコ,ロサンジェルス,サンディエゴも含めると、
太平洋側の工業力と油田のほとんどを失ったといって良かった。
しかし、アメリカの工業力と造船所は東海岸に集中しているので、船舶に関しては
史実で50隻もの護衛空母を急造する造船所等を失ったに過ぎなかったが、主要な
航空機工場を失った事は今後の制空能力に大きな影響が出るのであった。
更に、近辺のウェンドオーバー,ゴワン,スーシティ等、カリフォルニアに近い
陸軍基地も激しい空爆により壊滅、中西部の鉄橋,架橋も爆撃され交通網も寸断された。
米軍はB-17フォートレス 8機で反撃に出たがいち早くレーダーで捕捉し上空に
待機していた零戦の待ち伏せを食らった。
この日、試験的に4機の零戦に搭載された2発の対空誘導ロケット弾が実践で
試験されて、零戦でもB-17フォートレスを楽に撃墜できることが確認された。
以前から対空ロケット弾はあったが、今一つ命中精度が悪く、もっぱら増加弾倉に
交換して機銃が主力で使われていたのであった。
以後、ロサンジェルスの工場で零戦に次々と対空誘導ロケット弾が装備されはじめた。
高須中将はロサンジェルス州知事に基地と郊外の幹線道路以外の地域に対しては将兵を
配置しないので、無防備都市宣言をする様に要請した。
また、米軍の空襲があるので灯火管制をしなければ米軍の爆弾が市民の頭上に降って
くると脅しをかけた。
ロサンジェルス州知事は市民の安全を考え、高須中将の言葉に従った。
5.
パナマ,サンフランシスコ,ロサンジェルス,サンディエゴの電撃的な占領は米国を
驚愕させた。 さらに、ロサンジェルスのラジオを通じて日本側の要求が放送された。
要求は
1.日中問題の不干渉
2.アジア諸国の独立の承認
3.在米日本資産凍結の解除と対日石油禁輸措置の廃止
であり、要求が受け入れられれば即座に全兵力を撤退させるというものであった。
ニューヨークタイムスは急遽、高須中将にインタビューを申し入れる事に成功し、1面
トップに次のような記事を掲載した。
「ルーズベルト大統領は第一次大戦後、ベルサイユ条約により締め付けられていた
ドイツに対し欧州諸国に更なる強行的な態度で望むように呼びかけ、応じない国には経済
制裁をもちらつかせた。
ドイツがこの締め付けを打破するには戦争しかない状況を作り出したのだ。
更に、欧州戦線に参加すべくドイツを刺激したが、前大戦で懲りていたドイツはその
誘いに乗らなかった。 そこで、三国同盟を結んだ我が帝国に目を付けた。
資源のほとんどを輸入に頼っている我が帝国を経済封鎖し、我々が戦争を仕掛ける以外に
道を残さなかったのだ。
なぜならば、我が国が米国に先に手を出せば欧州戦線へ参加する口実が出来るからだ。
そして例のハル・ノートを突きつけてきた。 資源,食料を輸入に頼っている我が
帝国はハル・ノートの内容は受け入れがたいものであり、大統領は我が帝国が宣戦布告を
する事を見越していたのだ。
この戦争は我が帝国とルーズベルト大統領との戦争であり、米国民には何ら関係のない
物である。
この事は我が軍も十分承知しているので、捕虜は武装解除後、速やかに解放しているし、
極力市民に被害を出さないような作戦を採っている。
我々が欲しいのは資源であり領土ではない。 従って占領は軍事施設及び軍需工場と
油田のみとし、工場には適正な価格で兵器の購入,修理を依頼し、石油も開戦前の価格で
購入をする。
米国民に我が軍に協力しろとは言わないが、今一度何のための戦争か考えてみて
欲しい。」
この記事は国土の一部を占領された市民の怒りを日本ではなくルーズベルトに向け
させる事になった。 米市民はハル・ノートが日本に対する最後通牒であったことを
理解し始めた。
ルーズベルトはこの発表は日本側の謀略であり、日本の要求を拒否、徹底抗戦を
呼びかけた。




