ノンアルとレスカ
「何時何分地球が何回回った日……、とかって言うじゃん。あれって誰か正解出せるのかな」
君が突然言い出す事はいつも突拍子も無く、僕はいつも困惑してしまうんだ。
「だってさ、地球が回り始めた日なんてわかんない訳でしょ。何回回ったかなんて誰にもわかんないじゃん」
君はそう言うといつもの笑顔を見せてくれたよね。
少し早い夏の日に、僕らは二人で出掛けた。
それも君が突然言い出したんだったね。
「ねえ、何処か行こうよ」
僕が何処か行きたいところがあるのかって訊いたら、
「西、西が良い」
って君が北を指差して言ったんだ。
確かに僕の部屋は変な作りで方角はわかりにくいけど、西日の差し込む窓があるからね。
結局最後まで訂正もせずに西に向かう事に決めたね。
当たり前の様に助手席に乗り込んだ君は、
「こんな少し早い夏の日って名前あるのかな……」
ってニコニコしながら言ってたね。
何て言うんだろうね。
ってシートベルトをしながら僕が言うと、
「じゃあ、アーリーサマータイムってどうかな」
って凄い発見の様な表情をして言ってたね。
確かに意味は伝わるけど、ネーミングとしては少し長くないかな。
だけど、そのネーミングが気に入った君は何度も何度もそれを口にしていたよね。
いつの間にか二人ともそう呼ぶ様になってたけど。
高速に乗って西へ向かうとサービスエリアの度に、
「何か見ようよ」
と僕の腕を引っ張って、休憩したよね。
美味しかったね、途中で食べたから揚げとかソフトクリームとか。
「コロッケ最高」
って言いながら君は三つも食べたんだったね。
おかげで昼食は食べられなかったんだけど。
美味しそうな海鮮丼を諦めたモンね。
「あの船止まってるよね」
と君が沖の船を指差す。
動いてると思うよって僕が言うと、
「じゃあ賭ける……」
って君は悪戯っぽく笑ってたね。
何を賭けるのかって僕が訊くと、
「何でも言う事聞くよ」
って君が言ったんだったね。
何でもって言われたらさ、僕だってほら色々と考えるでしょ。
男なんだから……。
「エッチな事は無しね」
って君は真剣な眼差して言うんだ。
その瞬間、船が動いてるかどうかなんてどうでも良くなった僕が居た。
結局船は動いてたけど、あの賭けはどうなったんだっけ。
テレビドラマみたいにサンダルを脱いで、波打ち際で君がはしゃいでるのを僕は砂浜に座ってじっと見てた。
「桂木もおいでよ。冷たくて気持ちいいよ」
って言ってたけど、結局足が砂だらけになって後悔してたよね。
でも、僕は砂浜で少女の様にはしゃぐ君をすごく愛おしく思えたのを覚えてるよ。
海辺の喫茶店で見たシーグラスの鏤められた青いグラスが欲しいって駄々っ子みたいに言うから、大きさの違う青いグラスを二つ買ったよね。
でも車の中で、
「私が大きい方ね」
と何度も言ったよね。
普通は男の方が大きいグラスじゃないのって言ったら、
「そんなの誰が決めたのよ」
って少し怒ってたよね。
別に僕が大きいグラスが欲しい訳じゃなかったから譲ったけど、二人ともその青いグラスにアイスコーヒーを注いで飲む事をイメージしていたんだよね。
窓から差し込む西日にキラキラ輝くグラス越しの光りが綺麗だなって僕は思ってたんだ。
あの日、サービスエリアに犬が居たんだったね。
「私、犬、大好きだし」
って言いながら、その犬に追いかけられてたよね。
キャッキャッって声を上げながら逃げる君を僕はずっと見てたけど、犬の方は君の事を好きみたいだったけど、君は本当は犬の事、苦手なんだね。
「この曲って誰の曲……」
君は車で流していた曲を興味無さそうにしていたのに、知っている曲があったのか、そう訊いたよね。
僕の好きな古いジャズに何て興味ないのが当たり前なのに、あの日、初めてビリー・ホリデイの事を僕に聞いたんだったね。
少し彼女の事を説明したけど、ちゃんと聞いてくれてたかはわからない。
僕はそれでも良いんだ。
君が僕との時間を共有したいと思ってくれているのなら……。
でも、その後、
「眠くなる曲は危ないよ」
君はそう言うと、流行の曲に直ぐに変えたよね。
それで良かったんだけどね。
「桂木ってさ、私と居て楽しい……」
突然そう訊かれた時は僕も驚いたんだけど、楽しく無ければ一緒に居ないよって答えた僕に、君は、
「だって趣味も違うし、話も合わないでしょ。私はお肉が好きで、桂木はお魚が好きで……。パンが好きな私、ご飯が好きな桂木、ビールが好きな私、ウイスキーが好きな桂木」
確かに、好きなモノも違うし、生きて来た環境も違う。
それでも僕は一緒に居たい。
そう答えたよね。
それにも君は、
「ふぅん……。じゃあ一緒に居て良いんだ」
そう言ったよね。
それに僕は確か答えなかったね。
答えを持ち合わせてなかったんだ。
ごめんね。
「しかし、暑いね。私が運転しようか」
その日いくつ目かのソフトクリームを食べながら君が言う。
僕は、大丈夫だよと言って断ると、
「私の運転が怖いの」
と手に持ったソフトクリームを無理矢理僕に渡して運転席に乗り込む。
特に君の運転が怖い訳では無かった。
ただ、この旅を楽しんでもらおうと思っただけで、深い意味は無かったんだ。
そんな事さえ不快にさせてしまったんだね。
ごめんね。
「シートベルトしてね……」
君はそう言いながらエンジンを掛ける。
少しエンジンを切っただけで車の室内は暑くなる。
じっとしてても汗が滲む。
暑くないかいって訊いた僕に、
「暑いに決まってるじゃん」
って笑ってた。
「これ持ってて」
とカーディガンを脱いで僕に渡した。
僕はそのカーディガンを後部座席に置いて、エアコンを少し強めた。
「カーナビはもう少しで着くって言ってるけど、本当に着くの」
僕は、カーナビを信じようとだけ返したけど、実は僕も不安だったんだ。
知らない街って本当に土地勘がない分、どうしてもカーナビに頼るしかないんだよね。
早く目的地に到着したい様な、もっとこの旅の途中を楽しみたい様なそんなどっちつかずの想いが、不確かな返事をしてしまった気になった。
君に渡されたソフトクリームがダラダラと溶けて、手がベトベトになってしまった。
「何やってんのよ、桂木、早く食べてよ」
とそれを見て笑いながら君は言う。
僕は必死に溶け始めたソフトクリームを食べたけど、既に僕の手はベタベタになってしまった。
ベタベタの手を気にしながら僕は車を下りて、トイレに急いだ。
とにかく手を洗わなければと思って。
手を洗って僕が出てくると、君は車のキーを指先でクルクル回しながら笑ってたね。
「何で溶けるまで食べないかなぁ……」
桃のソフトクリームは君が楽しみにしていたモノの一つだったでしょ。
食べちゃいけないのかと思ってたんだって伝えると、
「ああ……。私が食べたかったって言うより、桃好きの桂木に食べさせたかったんだよ」
と君は笑ってたね。
そうか、僕に食べさせたかったんだね。
目的地の一つに設定した場所はお酒も楽しめる所。
車の運転をするからどうせ飲めないんだけど、此処でお昼ご飯を食べようと決めてたんだったよね。
君はステーキのコースで、僕はお寿司のコース。
そして君はノンアルコールビールを頼み、僕はレモンスカッシュを頼んだ。
「お肉、お肉」
と燥ぐ君と、冷たい水で喉を潤す僕。
ソフトクリームを食べると喉が渇くね。
何て言うと、
「ああ、ごめんね。無理矢理食べさせた感じになって」
と君は言う。
謝って欲しいなんて微塵も思ってなかったんだけど。
ごめんね。
しばらくすると飲み物が運ばれて来た。
そしてウエイターは当たり前の様に僕の前にノンアルコールビールとグラス。
そして君の前にレモンスカッシュを置いて行ったんだよね。
それに何故か二人で笑いながら飲み物を交換したよね。
「何でいつも私の前にソフトドリンクが来るんだろうね……」
君はそう言うけど、一般的には男がビールを飲んで、女性はソフトドリンクって思われているんだろうねって言うと、
「そんな事無いのにね……」
と君は周囲の凍ったグラスにノンアルコールビールを注いで飲んてたね。
「ああ……、美味い」
って言った君の言葉に僕は本当に美味しそうだと感じたよ。
そしてウエイターが料理を運んで来た。
君の前にお寿司、そして僕の前にステーキを置いたんだよね。
「すみません。私がお肉です」
と言った君を見て僕は笑ってしまったんだよね。
「何がおかしいの」
という君に僕とウエイターは顔を見合わせて微笑んだ。
それでノンアルコールビールとレモンスカッシュも逆だった事に気付き、ウエイターは何度も何度も頭を下げてたね。
「なんだろうね……。こういう先入観って言うのかな。さっきの男と女の話で言うと、私の方が男っぽいって事なのかな」
君はそう言いながらまたグラスにノンアルコールビールを注いでた。
僕は何も答えずに酸っぱいレモンスカッシュをストローで飲んだ。
「それも飲みたい……」
君はそう言って僕のレモンスカッシュを取り、飲んでたね。
「凄い酸っぱい……」
って一口飲むと直ぐに僕に返してたけど。
「桂木ってさ、食べ物で何が一番好きなの」
僕は少し考え込む。
何が好きなんだろうか……。
その時々で求めるモノは違う。
一番って言われても首を傾げてしまう。
「うーん。じゃあさ、最後の晩餐で食べたいモノは」
また難しい質問を投げかけて来る君。
多くの人が、母親が作った味噌汁なんて答える所なのだろうけど、僕はそんな選択肢は無かった。
じっと僕の目を見つめる君に、やっぱり桃かなって返した。
「桃か、料理じゃないかもしれないけど」
って君は笑ってた。
確かに桃は料理じゃないのかもしれないけど、最後に食べるモノってそんなモノかもしれないね。
君は何だよって僕が訊くと、
「私はお肉だね。死ぬ間際までお肉で口の中いっぱいにしたい」
って言ってたね。
君らしいって思ってしまった僕はクスクスと笑ってしまった。
僕は君にステーキを一つ貰って、君に海老のお寿司を渡した。
それでお互いの料理も味わえて満足した。
その後、ビール工場を軽く見学して、次の目的地の温泉へと向かった。
流石に此処まで暑いと温泉地に人は少ないかと思ったけど、結構人も居てびっくりだったね。
お昼ご飯が少し遅かった事もあって、夜の懐石料理はなかなか箸が進まなかったよね。
僕は得意でないビールでお腹がパンパンになってしまったし。
君は棒葉焼のお肉で再び盛り上がってたよね。
「お風呂入ろうよ」
と部屋の外に付いていた内風呂に君は一緒に入ろうと言う。
少し酔って横になっていた僕は先に入りなよって君に背を向ける。
「だーめ。一緒に入るの」
と無理矢理手を引かれ、浴衣を脱いで、二人でお風呂に入る。
一緒に入るのは初めてじゃないけど、いつもと違う環境で少し照れ臭かったんだよね。
「背中流してあげるよ」
って君が僕の後ろに立ち、背中を洗ってくれた。
「やっぱり男の人の背中って広いね……」
何て言いながらゴシゴシ擦ってくれたよね。
あの時も君の姿を鏡越しにじっと見てたんだ。
そんな君を愛おしく思う僕は、やっぱり男なんだなって思う。
湯あたり寸前までお風呂に入って冷房の効いた部屋で、二人で大の字になって涼んだ。
二人で大の字になれる広さの部屋なんてうちには無いから、凄く気持ちよかったね。
翌朝、部屋に備え付けられた電話が鳴り、それで二人は起きたんだったよね。
昨日の疲れを引き摺った僕と、元気いっぱいの君。
二人で朝食を食べに旅館の食堂に行って、テーブルに付いた。
「朝はお魚なんだね……」
と君は少し残念そうに言う。
「ご飯の量はどうされますか」
と旅館の女中さんに訊かれた君は、
「大盛で」
と即答したよね。
僕は普通を頼んだ。
しかし、持って来られた大盛のご飯はやっぱり僕の前に置かれ、君の前には普通のご飯が。
「旅館のご飯ってさ、大盛でも少ないでしょ」
と言いながら僕の前に置かれた大盛のご飯を君は持って行き、僕の前に普通盛ご飯を置いた。
「でも、やっぱり間違えられたね」
と言い君は笑ってたね。
旅館の朝御飯って超が付く和食で、僕は満足だった。
君のお膳を見るとがんもどきが手付かずで残ってた。
食べないなら貰っていいかと僕が訊くと、君はそのがんもどきと漬物の乗った小鉢を僕のお膳に置いた。
僕はそれも食べた。
食後のコーヒーを戴きながら、
「今日は何処行こうか……」
と嬉しそうに話す君を見て、何故か幸せな気分になったんだ。
いつまでもこうして居たい。
そう思った。
宛てのない旅。
僕たちには凄い冒険だった。
何処に行っても良い。
時間も気にしない。
そんな旅をした事が無かった僕たちは、あっちに行ってみよう、こっちに寄ってみようって感じで旅を楽しんだ。
君と二人で、普段話さない話を沢山した。
勿論、君が無言になったなって思ったら寝てた事もあったけど、君の寝顔を横から見るのも僕には楽しかったよ。
結局僕たちは二人で運転しながら約六百キロ程の旅を楽しんで家路に付いた。
見慣れた風景が戻って来た頃、何故かぐったりと疲れている事に気付く。
君は何処かのサービスエリアで買ったお菓子を食べながら、音楽を聴いて身体を揺らしていたね。
これが僕と君の体力の違いなのかもしれない。
「晩御飯……。どうする……」
君が突然そう訊いた。
僕は実はお腹がそんなに空いていなかったけど、何が食べたいって訊いた。
「うーん。焼き鳥かな……」
そう言う君を見て僕は笑って、いつも行く焼き鳥屋の駐車場に車を入れる。
そして車を降りると腕を絡めて来る君に、お酒、飲んでも良いよと言うと嬉しそうに笑ってた。
いつも行く時間よりは少し遅い時間で、この時間に来ると空いているという発見をした。
慣れた店のテーブルに付くと、一層帰って来た気分になる。
僕はジンジャーエールを頼み、君は生ビールを頼んでたね。
そして店員はやっぱり僕の前にビール、そして君の前にジンジャーエールを置いて行った。
それをいつもの様に僕たちは交換して乾杯した。
「最近は乾杯の事を「KP」って言うんだよ」
と君は言ってビールを飲む。
KPか。
何でも略される時代なんだなって僕が言う。
「皮の塩焼きは「皮塩」でしょ」
それは昔から言ってたな。
「胸肉の塩焼きは「胸塩」でしょ」
それも前からそう。
僕がそう答えると君は笑ってた。
どうやら疲れからか、酔いが回っているようだった。
「ノンアルコールビールはノンアルでしょ。レモンスカッシュはレスカだし」
昨日の事を根に持っているのかと僕は少し考えながら、関西ではアイスコーヒーをレイコって言うらしいよと君に教えると、
「やだ。レイコ一つって女の子指名してるみたいじゃんか」
と笑っていた。
じゃあ「生中」ってどうなるんだよ。
生でチューするみたいに聞こえないか。
と僕。
「生じゃないチューって逆に何よ」
と君は大声で笑ってた。
焼き鳥を適当に食べて、君は三杯の生ビールを飲んで、部屋に戻った。
大丈夫だと思っていたんだけど、部屋に戻ると二人とも足を投げ出して、床に転がったね。
何をする気も起きずにしばらく眠ってたよね。
その年、君の言うアーリーサマータイムから夏中ずっと暑かったよね。
「暑いと倍疲れるよね……」
そう言いながら、君は冷蔵庫から缶ビールを出して美味しそうに飲んでたね。
僕には晩酌をする習慣がないから、それを見ながらリビングで仕事をしてた。
夏が過ぎるのは本当に早い。
けど、僕から去って行ったのは夏だけじゃなかったんだ。
一人になった部屋で、僕は何日も口を開かない日を送っている。
君が居なくなった部屋は広く、僕ももうすぐ冬が来るって実感も無かった。
キッチンに立ち、一人分の夕飯を作る。
それも最近になってようやく出来る様になった。
今日はサラダチキンを軽く炙ってサラダの上にのせる。
そして、君の好きだった牛肉を塩コショウで炒めてご飯にのせる。
それに即席のわかめスープ。
それだけ作り、食卓の上に並べた。
君が居る時に買っていた缶ビールを一本出してグラスに注ぐ。
君が居なくなってからも何故か買う習慣が付いてしまい、何故か今も買って晩酌をしている。
カチャカチャと食器が触れ合う音さえ聞こえてしまう程、静かになった部屋。
気を許すと年甲斐もなく涙が流れて来る。
そんなしょっぱいご飯を何度食べただろうか……。
え……。
僕はその言葉を上手く聞き取れず、聞き返した。
「進行性の胃癌です」
その医者は丁寧に聞き取りやすい様にゆっくりと言う。
君の通う病院の医師に呼び出された僕は、平日の昼間に一人病院へ行くと、説明を聞いた。
手術すれば治るんですよね……。
僕は絞り出す様に言う。
しかし医師はゆっくりと首を横に振る。
そんな……。
僕の声は音にはなっていなかったのかもしれない。
君と過ごした時間が僕の中を流れ出す。
そしてそれは巻き戻されているかの様にも思えた。
「もう、後、二か月……。若い人は進行も早いので……」
医師はそう言うと、モニタに映し出された君の胃の映像を指差した。
しかし、僕にはもう、そんな話は入って来なかった。
そして君は、医師が言う様にそれから二か月程で逝ってしまったんだ。
「今年は暑いからどんどん痩せてしまうよ」
君はそんな事を言いながらお風呂に入る前に下着姿で僕に言ってたね。
けど、それは病気のせいだったんだね。
もっと早くに僕が気付いてあげてたら良かった。
僕はそんな君を思い出して何度も泣いた。
テレビの横に申し訳程度に置いた君の遺影を見て、また涙が滲む。
「また行きたいね……。宛ての無い旅。楽しかったね」
君はそう言いながら僕に肩に顔を寄せていたね。
僕も返事をしながら、鼻の奥に流れ込む涙をすすってた。
夏の終わりに検査入院をすると君は言って着替えをバッグに詰めていた日、もう帰って来ないんだって僕にはわかっていた。
君を病院まで送って部屋に戻った後、僕は声を上げて泣いたんだ。
隣に聞こえないようにベッドの中に頭を突っ込んで、シーツがビショビショになるまで、一晩中泣いていた。
何度か君の着替えを持って病院に行くと、日に日に君が弱って行くのがわかった。
退院したらまた旅行行こうね。
そんな言葉を僕は何度も君に言ったけど、もうその時は君にも気休めの言葉だってバレていた気がする。
君の目から力がなくなり、僕の手を握る事さえ出来なくって、短い秋と共に君は逝ってしまった。
それから僕は、この部屋で、帰らぬ君を待っている。
そんな生活を送っていた。
「ありがとう……」
僕にそう言ってくれたのは、君のご両親だったよ。
両親に連絡しないで欲しいという君の言葉で、僕は君が亡くなるまで連絡をしなかった。
君の遺骨を引き取りに来られたご両親は、小さな骨壺を持って来て、君の遺骨を僕にも分けてくれた。
「君と居た時間があの子にとって一番幸せだった時間だと思うから……。もし君がまた誰かと一緒になる時はその骨を返してくれ」
君の親父さんはそう言って、君の殆ど粉になってしまった遺骨を僕に分けてくれたんだ。
だから今、僕の部屋には小さな骨壺と遺影がある。
君の親父さんと僕。
実は同い年だったんだね。
驚いたよ。
それでも親父さんは何も言わず、君の彼氏として僕を扱ってくれた。
僕はご両親の前でも年甲斐もなく声を上げて泣いた。
君と僕が良く注文したモノを間違えて出された話や、食べ物や音楽、映画の趣味もまったく合わない話なんかもしたよ。
ご両親は涙を拭きながら笑ってくれた。
「それでも一緒に居たいってあの子が思ったんだから。それ程に君の事が好きだったんでしょうね」
そう言われてすべて救われた気持ちになった。
神様は最後の間違いはしてくれなかった。
年齢的には君と僕、逝く順番は逆の筈だ。
それはいつもの様に間違えて欲しかった。
いつかのノンアルコールビールとレモンスカッシュの様に。
それなら、君にはまだまだ楽しい人生が待っていたかもしれない。
「君にはあの子の分まで生きてて欲しい」
君の親父さんが僕に言った最後の言葉はそれだった。
ある休日の朝、僕はノンアルとレスカを君と僕の前に置いた。
僕は「KP」と言いながらグラスを鳴らした。




