四、(2日目)訓練
この世界にきて、最初の夜は彼――陛下のベッドで一緒に眠った。
キングサイズを超えるような大きなベッドで、僕が居ても全く邪魔にならないからと。でも本当は、それが理由ではないことくらい、さすがに分かっていた。
「仰せつかっておりませんでしたので」
翌朝、陛下がシアさんに文句を言った時に、返されたこの言葉に全てが詰まっていた。
僕のことを気に入らない理由を、いつか聞けると良いなぁと思う。いや、聞くのも怖いんだけども。
ただ、この日からは侍女寮に部屋を与えてもらうことになった。
無言で案内してくれるシアさんに、僕も無言で付いていく形で。だって、怖くて話しかけるなんて出来ないよ。
彼女は視線とアゴを使って、「こっち」だとか、「この部屋」という風に示してくるのだから。
とにかく、入ってみると、狭いけどベッドはあるし簡素な机もイスもある。明かりはランタンがひとつ。でも、着ける火がなさそうだ。まぁ、夜は暗くなったら寝なさいということだろう。
ただ、このまま仕事も与えられるのだと思っていたけど、そこは違った。
シアさんがドアをノックするので振り向くと、彼女は面倒くさそうにクイッとアゴを横に振り、「ついて来なさい」のジェスチャーをした。
正直に言うと、出会ってすぐの陛下に「殺すぞ」と脅された時よりも、今の方が心臓がギュッとなって辛い上に、怖い。
急いで駆け寄ると、足早に廊下を戻り、何度か曲がった末に扉を出ると、だだっ広い広場に着いた。木がお城に沿うようにいくらか植えてあるだけの、何もない場所。
そしてそこには、陛下が退屈そうに立っていた。
「連れて来ました」
シアさんは素っ気なく陛下に告げると、僕には視線ひとつ向けずに去って行く。
それを見届けてから、僕は初めて、息を殺していたのだと気付いた。僕にとっては小走りだったけれど、それだけではない疲労感というか、ハァハァと呼吸を整える必要があったのだ。
「えらく嫌われているな。何かしたのか」
それは、僕が聞きたいよ。
ダボダボのメイド服をなるべく綺麗になるように正しながら、曖昧な返事をするしかない。
「わ、わかりません……」
「まぁいい、貴様の訓練をする。その魔力を扱えねば、仕事ひとつ任せられんからな」
掃除くらいなら普通に出来るのでは、と思ったけれど、それは違った。
彼らは、掃除も料理も、明かりを付けるのにも魔法を使うのだ。
それは心が躍る反面、僕の不器用さに自分だけではなくて、彼にも辟易されるという厳しい現実に直面してしまった。
どれだけ練習しても、言われたように魔力を制御できない。
「ええい! そうではない! 何もかも破壊するしか出来んのか貴様は!」
彼らは例えば、落ち葉を掃くのには風を操る。箒を使う人は居るけれど、それは単に集中しやすいかどうかだけで、実際に箒で掃くわけではない。魔力で起こした風を器用に操って、落ち葉やゴミを一か所に集めていくのだ。
そして、集めたものはその場で燃やす。きちんと制御した火で、それだけを灰にする。他に燃え移るようなことにはならない。
皆、その程度は子どものうちから出来るようになるのだとか。
「貴様……加減というものを知らんのか」
「す、すみません」
知らないわけじゃない。出来ないのだ。
風を起こせば、小さな竜巻のように木そのものを巻き上げてしまう。火を使えば、爆発するか火柱が立つ。
それらを全て、陛下が打ち消して事なきを得ている状況だった。
「もっと集中しろと言っている。魔力が全身を循環しているのは感じるのだろう?」
「は、はい。しているつもりで、循環も感じているんですが……」
僕は、魔力はあってもダメダメなんだというのが、日に日に刻まれるようで泣きそうになっていた。元の僕は、こんなことで泣かないはずだったけど、どうだったか……。
とにかく自分の不甲斐なさが悔しくて、せっかくのチート魔力を扱えなくて、もどかしさでいっぱいだった。
落ち込んでいても仕方が無い。練習あるのみだ。だけど、やると陛下に迷惑がかかってしまう。それも落ち込む理由だ。一人では練習さえ出来ない。
「おねーちゃん、なにしてるのー?」
後ろから呼びかけられて、振り向くと小さな女の子が小走りに向かって来ていた。
淡い黄色の可愛いドレスがよく似合っている。明るい笑顔をふりまく、無邪気で可憐な女の子。この子の髪と目も灰色だ。
「ミリー。こんなところに来るんじゃない。ラティアはどうした」
陛下が、少し面倒臭そうに言う。でも、ミリーと呼ばれたその子は気にも留めずに明るく答えた。
「ママはねー、あっちー!」
指差した方向から、きらびやかな赤いドレス姿の、そして同じく灰色の髪をした美女が優雅に、滑るようにこちらに来ていた。
歩く時の、地面から受ける振動や体の揺れが、一切無い。
それが、幽鬼のような不気味さではなくて、美しく見えるのは洗練された動きだからだろう。
元の世界でも、洋画の女優がその動きをしていたのを見たことがある。その人も、とても美しい所作の人だった。
「ガルラハ。この子がウワサの女の子ね?」
(あっ! 陛下の名前だ!)
「ちっ。何をしに来た。ラティア」
「ま~ぁ。まったく。いつもいつも姉を呼び捨てにするなんて」
(この人は、陛下の姉君なのか。なら、ミリーちゃんは姪っ子さんだ)
「ふん。俺の方が偉い」
「あらぁ~? 普段はごく潰し国王のクセに」
「くっ……。だからこうして働いているだろう!」
「い~っつもイライラしてるんだからぁ。困った子ねぇ」
「ガキ扱いするな。そして向こうへ行ってろ。ミリーが危ないぞ」
(やっぱり、どの世界も女の人の方が強いんだ……。偏見かもしれないけど)
「うふふ。ミリーがね、こちらのお姉さんと遊びたいんだって。いいでしょ?」
「ちっ! なら今日は終わりだルスティ。ミリーの相手をしてやれ」
「え? あ、はい」
二人の会話に聞き入っていると、急にお鉢が回ってきたのでびっくりしてしまった。
そのミリーちゃんを見ると、ラティアさんの赤いドレスの裾を掴みつつ、僕にニコニコと微笑みかけてくれていた。四歳とか、五歳くらいだろうか。
しかし幼くても、すでに美人さんの要素しかない。特にパッチリと大きな目は、自分が可愛いことを理解している目力を持っている。
「おねえちゃん、なにしてたのー?」
でも、話す言葉はやっぱり、まだ小さな子どものもので安心した。
「えっとね。お掃除の魔法を練習してたの。でも、ぜんぜん出来なくって。アハハ……」
なぜか、子どもにまで気を遣ってしまう。いや、陛下の姪っ子さんだし、それでいいのか。というか、小さな子と接する機会なんて無かったから、どうすればいいのか分からない。
「これがしたいの?」
ミリーちゃんはそう言うと、その辺の落ち葉を魔力でふわりと集めて、そして一瞬で火をつけて、灰にしてしまった。
「うわぁ……! 上手だねぇ!」
こんな小さな子でも出来るのか。という思いもあったけれど、純粋にその手際の良さに、心から感動した。
「えへへ~! これはねぇ、ふーふーするんだよっ!」
褒めたのを喜んでくれたのか、上機嫌で「ふーふー」とやらを教えようとしてくれている。
彼女は息を、「ふ~。ふ~~」と一生懸命に吹いている。マネをしてと、その小さなお口に可愛い指を差しながら。
「こ、こう? ふーっ。ふーっ」
それを真似するのは簡単だけど、何をしているのか意味が分からない。どこかで、子どもの遊びが突然始まったのかと思いながら、一緒にふーふーした。
「あら。息吹の魔法をしていないの?」
ラティアさんの、陛下への呆れた口ぶりを聞いて、僕は察した。
これ、魔力の加減を覚えるための基礎に違いないな、と。
「……教えたが?」
教わっていませんが……。
「アハハハハ! いやだぁこの子ったら! 基本過ぎて忘れてたのねぇ! フフフフフ!」
やっぱりそうだ。陛下はたぶん、もっと高度なことを基礎みたいに教えてくれていたのだ。
「おねえちゃん、マリョクをのせてやってみて! ほら、ふ~、って」
「ふー……。あ、できた……。で、出来た~! 出来ましたよ陛下!」
僕の作ったそよ風が、思い通りに落ち葉を運ぶ。
「やったね~、おねーちゃん。ねぇ、もう遊べる?」
この子は……賢い子だ。
何をどうすれば、自分の要求が通るかを理解している。その最適解の導き方も。
「う、うん。遊ぼう。何して遊ぶ?」
「えっとねー。たかいたかいしよー!」
高い高いか……この体で持ち上げられるかな。筋力には元々自信がないけど、この体ではさらに不安だ。
そんなことを思って躊躇していると、ミリーちゃんが言った。
「わたしからしてあげる~!」
(わたしから、とは?)
「ほ~ら、たかいたか~~~い!」
え――?
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
辺りの景色が急にパノラマになって、さっきまで居た場所がとても小さく、ミリーちゃんなんて豆粒のように見えている。
(これ……。落ちてる?)
かなりの高さまで、ミリーちゃんの魔力で吹き上げられたらしい。浮遊感を時間差で理解したこの今、すでに落下感と、頬や体に当たる空気の層が死の危機を予感させている。
「うそでしょ……。受け止めてくれるよね」
そう信じるしかない。すでにかなりの加速度がついていて、どうにかしてもらわないと絶対に死ぬ。
「キャハハハハハ! おねーちゃーん! わたしもママにしてもらった~!」
そこに突然、無邪気に笑うミリーちゃんが同じく吹き上がってきた。そしてどうやったのか、僕の落下とピッタリ同じに落ちている。
「おねーちゃん! ふ~ふ~しないのー? おちちゃうよ~?」
一緒に落ちていたのはものの数秒で、ミリーの落下速度は軽減している。まるでパラシュートを開いたように。
まさかこれも、ふーふーで制御するのか。などと考えている場合ではない。
「ふ~! ふ~っ!」
(浮け! 浮け浮け浮いてくれぇぇぇぇ!)
「ふ~~~~っ!」
だけど間に合わない!
直後の――――真っ暗な世界。
(あぁ、死んだ。短い転生だった……)
最期のひと息の時がすでに、地面まであと十数メートルくらいしか無かったのだから。
でも、即死だったらしい。痛みは感じ無かった。
それだけが救いだ。
「キャハハハハ! おねーちゃんすごーーい! ギリギリすごーい!」
(……あれ。生きて、る?)
真っ暗だったのは、恐怖で目を固く閉じていたからだった。
声のする方に目を開いて見上げると、地面にミリーちゃんが居る。
僕は……浮いているらしい。
陛下の目線を、少し見下ろす形で。
――つまり、頭が下になっているのだ。落ちたてきたそのままに。
「……頭に血が上るぞ。ルスティ」
「…………はぃ」
と、陛下に生返事をしたものの、呆然としていて身動き出来ない。
「すごいじゃない、ルスティちゃん。ちょっと、ムリかな~って思ってたんだけどぉ」
「え……っと」
視線だけをラティアさんに向ける。
逆さまから見ても、綺麗な人だ。
「あなたの力よ? 一応、この一メートルくらいで私が、地面スレスレでガルラハが、力を展開していて助けるつもりだったんだけど。あなたが自分の力で、落下制御したのよ。今も浮いているでしょう?」
「……ハハハ」
乾いた笑いが漏れたあと、僕は地面に落ちた。
正確には、陛下が受け止めてくれた。
「気を抜くな。落ちるぞ」
無造作に受け止めた状態から、お姫様だっこに持ち替えてくれた。
「は……はい。あの、腰が抜けて……」
このまま、抱っこしておいて欲しいと無言で訴える。
立てそうにない。もう、浮ける気もしない。
「今日はこれまでだな。ミリー。人で遊ぶのはやめろと言っているだろう」
「ヤーだ! あそんでもらうのー!」
遊んでもらうという定義に、少し疑問を挟みたいところだ。
「ラティア。甘やかしすぎるなよ。手が付けられなくなる」
「だぁいじょうぶよぉ。ちゃんと、怒るところは怒っているものぉ」
「価値観の違いだな」
「それより、どうして『半端なウブ子ちゃん』なんて名前なの? この子」
「俺が付けた」
「あらぁ、ひどいわねぇ……。まぁでも、アリかもしれないわ。カワイイ気がする……」
(うわ。そんな意味だったのか)
でも、確かに言い得て妙で……反論できない気がする。
「フフ。ルスティちゃん、気を悪くしないでね。この子、気に入らなかったら殺しちゃうのよ? でもあなたには随分、目を掛けていると思うし……たぶん気に入ってるんだと思うのよねぇ」
「ちっ! 余計な事を言うなラティア。早く去れ」
「まぁこわい。しょうがないわねぇ。それじゃ、ミリーもまた今度ね~って。お姉さんにバイバイしなさい」
「ヤダ。もっとあそぶの!」
「ミリ~? また今度、ね?」
「……は、はい。ママ」
「お姉ちゃんにありがとうは?」
「お、おねえちゃん、ありがとう! バイバイ!」
この一連の流れに、ラティアさんの全てが詰まっているような気がした。
たぶん、この人がこの国で、一番逆らってはいけない人だ。
「う、うん、また今度ね」
僕もミリーちゃんも、ぎこちなく挨拶を交わした。
そして、二人は霧の中に消えた。帰りは転移を使うということは、僕と陛下を探していたのだろう。
そういえば、あの二人は僕を、嫌っていないらしい。王族ともなると、懐の深さが違うのだろうか。
「さて、面倒だが部屋に運んでやる。明日また出来なくなっていたら、これからもミリーと遊ばせるからな」
「そ、それは、ちょっと……」
――僕がヘマをした時のお仕置きの内容が、この日、決まってしまった。