三、名前
与えられた服は、メイド服だった。
ロングスカートの、ゴシックなやつだ。ただ、僕の体には少し大きい。袖とスカートを折って、なんとか背丈に合わせても体周りはダボダボだった。
「ガキに合うサイズだと言ったのだがな。しばらくそれで我慢しろ」
「はい。僕は構いません」
まぁ、服を着せてもらえただけ良かった。シアさんには嫌われているっぽいから。
とにかく、こんな感じで過ごすことになるのだろう。
でも、おそらくは命が保障された。それだけで僕にとっては御の字だ。
彼に貞操を奪われる心配も、今はなさそうだし。
「おい。一応、城の者どもに顔見せをしておく。食堂に行くぞ」
食事の準備が出来たのだからそうだろう、と一瞬思った。だけど、あえて食堂にと言ったのは、本来彼は、皆と別の所で食べるのだろう。
そして、連れられたのは大きな長テーブルがいくつも並ぶ、大食堂だった。イカツイ男性が多い。お酒も飲めるのか、大変騒がしい。
別室を繋いだような少し離れた場所では、メイド服を着た女性達が静かに食事している。
僕は、そのどちらからも見える真ん中に手を引かれ、そして大声で紹介された。
「聞け! 今日からコレの面倒を見る! 間違って殺すんじゃないぞ!」
その強い声は、特に叫んでいる感じではないのに良く通る。
半分別室のような女性達の、端の人さえ一瞬でこちらを見た。その人と何気に目が合うと、眉をひそめて睨まれてしまったけれど……。
思いきり拒絶されている。
それは、男性達はもっと顕著だった。
「さっきのくせぇガキじゃねーか! 臭いは取れたのかぁ?」
「人間のガキなんか、俺達は面倒見ませんぜ!」
「あ~臭ぇ臭ぇ! 食欲無くなっちまうよ!」
「じゃあ俺が食ってやる!」
「おいてめぇ! 俺のを勝手に食うんじゃねぇ!」
……途中からは、彼ら同士で揉めながらも仲良さそうに? お酒と食事と喧騒に、夢中になっていた。
僕のことなんて、それっきり見向きもしなかった。
「ま、これで殺されたりはせんだろう。部屋に行くぞ」
お城の中も転移で移動するのが普通なのか、それとも、僕の足に合わせるのが面倒なのか。彼はまた、僕の手を引いて霧の中に入った。
**
彼の部屋は、さすが国王なだけあって広々としている。
三つの部屋が、リビング、書斎、寝室という順に連なっていた。写真でしか見たことがないような、高級ホテルのスイートルームのようだ。お洒落で、絢爛な装飾もあるのにうるさくない。
そのリビングのテーブルには、豪華な食事が並んで湯気を立てている。
「ちっ。あいつめ、今日は本当に機嫌が悪いな。一気に置いていきやがった」
……察するに、フレンチのコース料理のように一品ずつ、順に運ばれてくるのが通常なのだろう。
それにしても、見るからに美味しそうだ。
たぶんだけど、ポタージュスープ、何か分からないけれど彩り豊かなオードブル、そして、程良い焼き色のステーキに甘辛ソースが絡んだ照り。そこで目が止まってしまった。
僕もあれを食べてみたい。イメージ通りに甘辛の味かは分からないけれど、見ただけで美味しさを感じるのに、お肉の油とソースが混じった匂いがたまらない。それが鼻をくすぐるせいで、おなかが鳴った。
「貴様の分は……用意されていないな」
「そ、そんな……」
ちょっとした絶望だ。
空腹だったのを自覚させられるくらいに美味しそうなものを、この目の前にして食べられないなんて。そんなことなら、さっきの食堂で何か貰えば良かった。
……人間の僕に貰えたら、だけど。
「ちっ。そんなひもじい顔をするな。分けてやる。くそっ」
「へ? ……あ、ありがとうございます!」
悪態をついてるから、全部食べたかったか、分けるのが面倒なのだろう。
それはそうと、この人の名前を知らない。僕の名前も……何と名乗ればいいだろう。
こういうのって、どうしようかと思った瞬間に聞かれたりするんだけど――。
「それで貴様。ずっと名乗らんつもりか? 名は何という」
(あぁぁぁぁぁ……。やっぱりフラグだった)
彼は、足りないお皿を棚から取り出し、思いのほか器用に、それぞれの料理を取り分けてくれている。その苛立ちついでなのか、少しイライラしながら僕に名前を聞いてきたのだった。
だけど、結局名前を知れたのは、シアさんただ一人だった。だから、どんな音の響きが違和感のないものなのか、ほとんど分からない。
元の名前を名乗るのは、色々と説明が長くなるし……。
(――あれ?)
僕の名前を、思い出せない!
そんなことがあるだろうか?
元の世界のことを丸ごと忘れているならともかく、名前の方を忘れるなんて。
「聞いているのか? 答えろ」
「は、はい。あの……」
「はっきりせんやつめ。メシは無しだな」
「すっ、すみません! その、名前が……分からないんです」
嘘ではない。なのに、自分が一番、釈然としない。
「はぁぁ? 分からんだと? 記憶が飛んだとでも言うのか」
もしかすると、あの天使がチートを与えてくれた拍子に、記憶の一部を消してしまったとか。
こんな状況に追い込むような天使だし、そういうミスをしていてもおかしくは……ないか。
「ごめんなさい」
さすがに、自分の名前を忘れているのが気持ち悪い。
「ちっ。シケた面をするな。名が無いなら何か付けてやろう」
もう取り分け終わったようで、席に着くよう促された。丁寧にイスまで引いてくれた。まるで、子どもか妹にするような雰囲気で。
「……怪しいとか、何か疑ったりしないんですか?」
僕が彼なら、無難に殺しておくかもしれない。
「異世界というやつから来たのだろう? それがどうした」
「えっ?」
「隠せているとでも思っていたのか? それこそ間抜けの阿呆よ」
「……じゃあ、なんで。僕を……殺さず側に置いてくれるんですか?」
「貴様のようなガキを、平気で殺すような男に見えるか」
そう言われて、ハッとなった。
尊大な態度に勘違いをしていたのだ。僕は、この人をちゃんと見ていない。
「……優しい人に、見えます」
この半日だけでも、何だかんだと僕のために色々としてくれている。
今だって、量は多くない料理を、僕のために分け与えてくれた。
「優しい、か。我は、王ぞ? その意味も分からんようなガキなら、保護してやるのが当然だろう」
ここがどんな世界か、まだ想像もつかないけれど。
彼の事は、信用しても良いはずだと思った。
「ありがとうございます。あの……僕のことを、よろしくお願いします」
深々と頭を下げて、せめてもの心を示した。ぜんぜん足りないだろうけど。
「……貴様、チョロいと言われたりせんか」
「え?」
(あれ? 変なこと言った?)
「そんなザマでは、外に出たらすぐに騙されてしまうぞ」
「えぇっ?」
「まぁいい。もうメシを食って寝ろ。そうだ、貴様の名前は……ルスティでいいだろう」
「ルスティ……。可愛い響きですね」
「ハッハハハハ! 可愛いか、そうか、気に入ったか」
「は、はい。ありがとうございます」
何か、変な意味でもあるんだろうか。少し……いや、普通にバカにされた感じはある。
だけど、それでもいいか、と思えた。
――ルスティ。
なんだか、こそばゆい。体もそうだけど、本当に女の子になってしまったのだと、改めて実感する響きの名前だ。
そんなことを噛みしめながら、僕は、彼に分けてもらった料理に舌鼓を打って味わった。