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ニ、人間のニオイ


 彼のお城には、『濃い霧』を通って連れられた。

 他のどのような表現のしようもなく、彼が出した霧の塊の中に、手を引かれて入るとお城の中だったのだ。


「陛下。お帰りなさいませ」


 とても大きなお城のようで、エントランスらしいこの空間を見てそう思った。

 高級ホテルの、吹き抜けにしてあるそれと似た雰囲気と重厚さだ。

 そして、声を掛けてきたのは、メイド姿の綺麗な女性。彼女も灰色の瞳と髪をしているけど、肌は白い。


「扉からお入りくださいませ陛下。転移魔法を感知して駆けつけるのは大変ですので」

「それでは扉が開くのを待たねばならんだろうが」

「お待ちください」

「ちっ。お前は小言が多い」


 陛下。と呼ばれたという事は、彼は国王だろうか。

 それなら、尊大な話し方にも合点がいく。けれど、国王が一人で外に出るものだろうか。

 いやもしかすると、ここは平和な世界なのかもしれない。

(……そんなわけないか。殺す殺すと殺気を向けて来る人が国王なら、かなり殺伐としている世界に違いない)


「おい小娘。とにかく風呂に入れてもらえ。シア、こいつを風呂に入れて綺麗にしろ。臭い」

 僕はそんなに臭いだろうか。気になって自分の匂いを嗅いでみたけれど、不潔な臭さはない気がする。


「……陛下、ソレは魔力循環の下手な人間特有の、腐敗した魔力の臭さです。洗っても落ちませんよ」

 シアと呼ばれたメイドさんは、僕を見下ろす目が汚らわしいゴミを見ているようで、そして態度も冷たくて、怖い。


「分かっている。一時的にでも匂いを消せと言っているんだ。そして魔力循環を教えろ」

「無理です。お食事にうるさいどなたかのせいで、私は今すぐにでも厨房に戻りたいのです。それとも、お食事の時間が大幅に遅れても構いませんか?」

「……腹は減っている」

「でしたらソレのお世話は、連れてこられた陛下がなさってください。それでは失礼します」

「待て、他に誰かおらんのか――。くそ。消えやがった」


 この人たちは、転移するのは普通のことらしい。

 やっぱり、魔法は確実にある。僕もチートで使えると思うんだけど、教えてくれるだろうか。


「小娘。あっちに行けば誰かが風呂の場所を教えてくれるだろう。一人で行け」

「えっ……。いや、あの――」


 無理むり無理ムリ!

 メイドさんの、あの冷たく見下す目。あれは絶対に、このお城に人間を入れるなんて最悪、という念が込められていた。

 それが普通の感覚なら、他の人もきっと怖いに違いない!


「――一緒が……いいです」

 僕は精一杯、媚びるように上目遣いをしてみた。

 容姿は申し分ないはずだから、少しくらい効果があるはず。


「……その小汚いワンピースごと洗ってやる。いや、捨てた方が早いか」


 彼もやっぱり、メイドさんと変わらないらしい。

 僕の首根っこを鷲掴みにすると、そのまま引きずるように歩き出した。

 このまま身を任せたら、間違いなく首の骨が折れる。

 否応なしに、頭を下げさせられた状態で彼の歩幅を追いかけ、小走りでついて行くしかない。


「あっ、あの! 自分で歩くので、首を持つのは許してください!」

 ここでは僕に、人権なんてものは存在しないのだ。

 それをあえて示すかのような、乱暴な扱い。


「おや、陛下! なんですその臭いモノは! そんなモノお城に持って来ないでくださいよ!」

 少し離れた所から、男の人の大きな声が届いた。


「お前でもいい。コレに魔力循環を――」

「あっと! 仕事が忙しいので失礼します!」

「くそっ! どいつもこいつも……」


 その短い会話が終わると、また同じ状態で彼は歩き出した。

 苛立ちが、彼の手から首へと伝わってくる。このまま折られるのではないかと思うくらい、徐々に力が込められていく。


「く、くるしいです!」

「うるさい」


 聞く耳を持ってくれない。

 僕は途端に、悔しくて悲しくて、泣きそうになってしまった。

 いや、涙はもう零れてきている。サラリーマンの時、いくら辛い思いをしたと言っても、こういう暴力までは無かった。

 まだマシな方だったのかと、比べるべきではない事を比べてしまう。

 こんな扱いのまま、これから過ごしていかなくてはならないのだと想像すると、恐怖と絶望で涙が止まらない。


 どうなってしまうんだろう。何をされるんだろう。

 痛いことは嫌だ。

 性的な酷いことも、絶対に嫌だ。

 彼に引きずられ歩きながら、そんな不安を膨らませていくなかでも、何人かに声を掛けられた。


「またそんな臭いモノを! ソレは特に臭いですね」

「陛下。そんなガキどうするんです」

「私たちは面倒なんて見ないですからね!」


 よほど臭いらしい。僕は。そして分かってはいたけれど、歓迎されていない。

 というか、どこかの国の国王だなんて思わなかった。盗賊なんかよりは断然良かったと思うけれど。

 それでも、この状況が好ましくないのは、身をもって感じている。


「着いたぞ。入れ」

 そう言うや否や、彼は僕を放り投げた。


「キャッ!」

 咄嗟に出た声は、およそ僕が発したことのない、可愛らしい悲鳴だった。


 首の鷲掴みから投げられたことと、自分じゃないような悲鳴が飛び出たことと、二重にショックだった。そして当然ながら、湯水にドボンと沈んだ。

 熱くはない。けれど、思いのほか深くて、放り投げられて天地が分からなくて、果たして沈んでいるのか浮き始めているのか。


 ちらりと見えた感じでは随分と広い浴場で、温泉の池か何かを加工したものに思えた。そのくらいに広くて、そして投げ込まれた場所が深い。

 下手にもがくと余計に酸素を失ってしまうと思って、僕は十数秒、温水の中で力を抜いた。

(浮かんでくれ……浮かんでくれ……!)


 もしくは、彼が拾い上げてくれないだろうか。

 いや、淡い期待はしないでおこう。でも、溺れ死ぬのは苦しいから嫌だなぁ……。


「おい。泳げないならそう言え」

 またもや首根っこを掴まれ、けれど僕は、引き上げてもらえた。


「……しぬかと、おもいました」

 さっきからの涙は、まだ流れているままだ。

 でも、滴り落ちる水のお陰で、泣いているのは分からないだろう。


「泣いているのか。何を泣くことがある」

「なんで……」

「目を真っ赤にして、泣きっ面をしていれば泣いているのだろうが」

「うぅぅぅ」

「ええい。言葉を話せ。……いや、ともかく洗ってしまおう。湯に浸かってなお臭いとは、鼻が曲がりそうだ」


 惨めだ。

 こんなに惨めな思いはしたことがない。

 だけど、温水から引き揚げてくれた時に、ホッとしてしまった自分が居る。

 彼が勝手に殺しかけて、勝手に救い上げただけなのに。胸がキュンとしてしまったのが、余計に惨めでならない。


「ちっ。汚い服が邪魔だ!」


 確かに薄汚れていたかもしれないけど、着ている服を破かれてひん剥かれるのは、何か尊厳みたいなものが奪われている。そう感じる。

 ……全部、この体のせいだ。

 子どもで、女の子で、弱くてちっぽけ過ぎる存在なせいで、僕のアイデンティティが崩れそうになっている。


 全裸にされ、ざぶざぶと物を洗うように温水に沈められては、持ち上げられる。

 これを何度か繰り返した後に、やっと足のつく所に降ろされた。

 膝上まで温水に浸かり、すっぽんぽんで体を晒した状態だ。子どもの体とはいえ、恥ずかしくてたまらない。


「あの……あとは、自分で……」


 そんな僕の言葉など、彼は無視だった。

 彼自身は服を着たままで、びしょ濡れ状態で僕をねめつける。

 だけど、僕の全身をくまなく、さっきまでとは雲泥の差で丁寧に、肌を撫で洗ってくれている。

(今度は、優しい……)


 尊厳を踏みにじられていても、体を丁寧に洗ってくれているのを肌で感じると、心の底に何かが芽生えてくるような気がする。感謝のような、情のような。意味が分からない。

 本当に、自分が分からない。

 理解出来ない生き物になってしまった。


「やっと、なんとか誤魔化せるくらいにはなったな」


 もはや人形のように、そうなったつもりで突っ立っていたら、いつの間にか終わっていた。

 フローラルな香りに自分が包まれているのを感じると、少し落ち着いた。

 気分も、さっきより随分といい。

 工程に問題はあったと思うけれど、彼の優しさは感じた。


「あの。ありがとう……ございます」

「礼はいい。それより、魔力循環を教えるからよく聞け」


 この、すっぽんぽんのままで?

 彼はたぶん、せっかちなのだろう。


「いいか、ここだ、ここ。ここから力が昇っていくのを意識しろ」

 そう言って、僕の頭のてっぺんを指先で、とんとんとつついた。

 少し強くて、痛い。

「しかし面倒だな……。いいか、我が無理矢理循環させてやる。耐えろ」


 今、無理矢理と言わなかっただろうか。

 そう思った瞬間、内臓の奥底から、ヘドロが蠢くような気色悪さが胃の上までこみ上げてきた。

 でも、苦しくてうめくことさえ出来ない。


「ここだ。ここに意識を集中させろ」


 さっきと変わらず、頭のてっぺんを指先で小突かれる。

 痛い。

 痛いけれど、ヘドロが腹の底に戻ったかと思うと、今度は背中を突き破るような感触と共に首まで、そして頭へと駆け上がってきた!

 頭が、割れる――。

 気持ち悪さと、頭が中から破裂するかのような、死の予感。


「ここだと言っているだろう!」

 頭のてっぺんに、穴が開いた。

 いや、きっと彼が、指で貫いたのだ。


「し……ぬ……」

 間違いない。頭の上へと、中身が全部噴き出している。

 脳が、いや、内臓も全部だろうか。

 ドロドロとした重い何かが、頭から全部、噴いて飛び出していった。


(あぁ……。転生とか、するもんじゃないなぁ……)

 わけもわからずに、尊厳を破壊されて死ぬのは、本当に惨めでつらい。


「ふん。さすがは我だな。腐敗した魔力を全て放出させたぞ。感謝しろ小娘」

「…………ぇ?」


 思いのほか軽くなった手で、頭を触ってみた。

「開いてない」

 ここだと思った場所にも、どこにも穴は無かった。


「何を呆けたことを言っている」


 体が軽い。

 頭も、割と……というか、随分とスッキリしている。

 心も軽い。されたことは、ショッキングではあったけれど。尊厳がどうのとか惨めだとか、そういうのはどこかに行ってしまった。


「小娘。感謝の言葉はまだか」

「あっ。あの……。ありがとうございます」


 体の中に……そして外側にも、何か流れを感じる。


「それが本来あるべき魔力の状態だ。その感覚、忘れるなよ?」


 今なら、魔法が使える気がする。すぐに試してみたい。

 絶対に使えるという、謎の確信がある!


「……炎」


 僕は、この広い浴場なら少しくらい大丈夫だろうと、横に炎をイメージした。

 体に感じている流れが、そっちに少し流れていった気配がある。


「バカヤロウが。むやみに撃つな」

 彼は、僕にゲンコツを落とした。

「いっっっっ!」


 痛すぎる。

 今度こそ、本当に頭に穴が開いたのではという痛み。

 けれど、彼がゲンコツした意味が分かった。


「あれを見ろ」

 巨大な四角い結界は、彼の魔法だろう。しかしその中に、僕がイメージした数十倍はある、大きな炎が轟々と燃え盛っていた。


「衝動で撃つな。ゴミが」

「す、すみません。ごめんなさい」


 魔法が使えたという喜びよりも、その恐ろしさの方が勝ってしまった。

 簡単に人を殺めてしまえるような、そういう力が備わってしまったらしい。そこまでの大きさにするつもりがなかったのに、制御出来ていないことが、なおさら恐怖でしかない。

 魔法に憧れていたのに、実際に目にすると、ドン引きしてしまったのだ。


「ちっ。ますます我の側に置くしかなくなったか……最悪だ」


 そしてなんとなく、状況が読めてしまった。

 僕の魔力が暴発しないように、お目付け役が彼になったのだろう。

 僕がそれだけ強い力を持っているのは、確かにチートなのだろうけど、何か違う。もっとスマートにかっこよく使いこなせるものだと、そう思っていたから。


「おい。小娘。我に手をかけさせる償いをしろ」

「えっ」


 唐突に彼から向けられた視線が、良くないものだと察した。

 こういうものって、どの世界でも共通なのだなぁと、呑気に考えている場合ではない。

 僕の貞操の危機だ。


「えっ……と」

 考えないと考えないと! このままだと、この小さい体に彼のアレがそうなってしまう。


「言うまでもないだろう。貴様も察しがついているはずだ」

「いや、あの。臭くてたまらないのでは?」

「腐敗した魔力は抜けた。もう臭くはないぞ」

(ああああああああああああああああああああああああ! 大ピンチ過ぎるぅぅぅぅぅ!)


「こ、こんなに小さな体に。こ、殺すつもりですか?」

「何の話だ」

「とぼけても無駄ですよ。ぼ……僕を犯して弄ぶつもり……ですよね。そんなのロリコンです!」


 今から、少女性愛者がどれだけ極悪非道かを説こうと息を吸ったところで、彼にまた、ゲンコツを落とされた。

「――いっっっっ!」

 痛い!

 声にならない激痛。絶対にたんこぶが出来ていると思う。これで二つ目だ。


「ガキに欲情するように見えたか? この我が。しかも、意味は分からんが不快な言葉を言ったな」

「うぐぅぅぅぅ。い、痛いじゃないですか!」

「話を聞け。殺すぞ。クソガキ」

「す、すみません」


 どうやら彼は、僕を犯すわけではないらしい。警戒し過ぎて先走ってしまった。


「貴様に出来ることなど大してなかろうが……だ。その声は良い。何か歌ってみせろ」

「歌? ですか?」


 確かに僕の、この体の声はとても綺麗だ。透き通った高音で、心地良く響く。

 でも、この世界の歌なんて知らない。元の世界の歌なら、いくつか覚えているけど寂しい歌ばかりだ。辛い時に、そういう歌が僕の心に沁みるから。


「何でもいい。少し歌ってみせろ」

「分かりました。でも、暗い歌ですけど……」


 僕の言葉に、彼が頷いたので数小節だけ歌ってみせた。

 戦士が傷付き倒れても、その物語は語られ紡がれていく――そういう歌詞の切ない歌。


「……良い。とても良い。まるで我ら魔族を、称えているような歌だ」


 魔族……。初めて、彼の、彼らの種族が分かった。

 人間を(さげす)んでいるから、別の種族なのは分かっていたけれど。

 それにしても、彼はもしかすると、寂しさや苦しみを秘めているのかもしれない。この暗くて切ない歌が沁みる人は、誰もが傷付いているから。


「お気に召して、良かったです」

「ああ。いいだろう。貴様の面倒をきちんと見てやる。その代わりに貴様は歌え。そして、一人前になったら旅をさせる。様々な歌を覚えて帰ってくるのだ。良いな」

「旅……ですか? 僕が逃げたらどうするんです?」


「逃げる? 貴様が? 一体どこに、逃げるというのだ……哀れで愚かな貴様に、受け入れられるような場所はないというのに」

 心の底から、哀れんだ声だ。


「まあ、良い。今日はメシを食って寝ろ。シア! 服を持って来い! ガキが着られるようなものだ!」

 彼が強い声を出すと、霧が生まれてさっきのメイドさんが現れた。


「陛下。私以外にも侍女はいますので、私ばかり呼ばないでください。あと、お食事の準備が整ってございます」

 それだけ言って、彼女はまた消えた。


「分かっている。――ちっ。生意気な女だ。貴様はマネるなよ? 生きていたければな」

「し、しないです」


 文句を返そうとして彼は、すぐさまシアさんが居なくなったせいで悪態をついた。それだけではなくて、僕にはとばっちりをくれた。

 というか、僕の服は……。


 ここから少し離れた浴場の入り口あたりに、何か服らしきものが見えた。

 いつの間にあんな遠くに置いたのか、仕事の出来る人なのは分かった。


「シアめ、あんな所に置いていきやがった。こいつに着せて行けというのだ。まったく」



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