一、(転生初日)天使さんはミスしたんだと思う
僕は気の弱いサラリーマンだった。
成績は並、というか人生もろもろ並。それ以下と言ってしまうと落ち込んでしまうからね、それは言わない。
まぁ、二十代半ばでまだ夢があったかというと、ずっと内気な性格で引っ込み思案で、前に出られないタイプだったから……宝くじに当たらない限りはどうにもならなかったと思う。
だけど、どうやら僕は、転生出来るらしい。
大陸を見下ろせるほど空。そこに浮かんだ僕の前には、スーツ姿の綺麗な金髪の女性が、同じく浮いている。
この頭上にはさらに、無数の星々が煌めきながら僕たちを照らしていて、まるで祝福しているようだ。
だけど、雲行きはあやしいものだった。
「え? 男じゃなくなるって、どういう事ですか?」
「次の人生には男性を選ぶ方が増えていまして。ストックが切れてしまったのです。あなたは女性としての人生を送って頂きます」
「いやいやいやいや! そんなの記憶がそのままでも、勝手が違い過ぎますよ!」
「チートはありますから。贅沢言わないでください」
ズルいほどの力、特殊な能力。魔法の力。それが与えられるという。
「くっ……。たしかに……魔法が使えるのは魅力的ですけど」
「ええ。魔法に長けているので、人生イージーモード! ですよ? それではいってらっしゃーい」
「え、あ、ちょっと! その、女として生きるアドバイスとか――」
**
そして気が付くと、どこぞの平原で倒れていた。
「……明るい」
太陽は丁度真上で、爽やかな風が気持ちいい。
背の低い草花が見渡す限りに広がっていて、穏やかそうな雰囲気の場所。
「あー。あー。……やっぱり気のせいじゃなくて、女の声だ。ほんとに女にされたのか」
耳慣れないこの声は、透き通るような綺麗な声質で、自分が発していると思えない。
思えないけれど、何気なく動かした手はか細くて色白で、そして小さい。こうなる前の僕の手とは、大人と子どもくらい違う。
「ていうか、ここどこ?」
いきなり放り出されたこの平原は、果たして見た感じの通りに安全なのだろうか。
この体について把握する前に、周囲の状況を知る方が先だろうかと、迷う。
迷いつつも、先に周りを確認した。
「……見渡す限りの平原。何もないし生き物の気配も多分……無い」
それにまさか、いきなり死ぬような所に放り出したりしないだろう。今はそういう配慮があると、信じるしかない。
ならば、とりあえず体のチェックを始めよう。
身長、筋力、運動神経。そして、魔法が使えるかどうか。
立ち上がった感じとしては、百四十センチくらい。手足は細いから、筋力は期待できない。
「子どもの体か……。それから……うん、もちろん付いてなかった」
ちょっと、ショックだ。
こう……あったものが無いというのは、何とも心もとない。
「そうだ。名前はどうしよう? 自称は……僕のままでいいか?」
私、と言うのは、どうにもサラリーマンに戻ったような気がして滅入ってしまう。社会人としての五年は、のんべんだらりと暮らしてきたつもりだけども、ストレスはかなり感じていたらしい。
あ、そうだ。名前は誰かに出会ってから考えよう。
ここは異世界だろうし、音の響きが異質過ぎると浮いてしまうから。
「さて……ものは試しだ……炎よ」
さすがに、叫んでしまうのは恥ずかしいので小声で言った。
ただし、出してみたい炎の大きさや熱というのは、しっかりとイメージしてある。たぶん、魔法の基本だからだ。
「……出ないな」
けっこう自信があった分、凹んだ。
マニュアルが欲しい。
最初から手探りは面倒この上ない。
「ステータス……コマンド……あと何だ? ウィンドウ」
せめてゲームのように、ステータス画面でも出て来いと思ったのだが、何も起きない。
「スゥゥゥ……。詰んだかな? ていうか、なんで一人ぼっちで、こんな平原に飛ばされたんだよ」
右も左も分からない上に、自分の顔も分からないし。
「魔法のチートはどうした。何も出来ないじゃないか」
元々、根気はそんなに無い方だ。自覚している。
適当に生きていければという、アテが外れてしまった。
「……おなか減った。疲れた。ていうかこの体、体力無さ過ぎんか……」
立っていられない気がして、気持ちよさそうな草の絨毯に寝転んだ。
太陽がまぶしい。
いや……これは、目が回っている?
こういう時は、目を閉じて眩暈が軽減するなら、閉じたままジッとしている方がいい。
残業続きで眩暈がした時に、よくやっていた対処だ。
軽度の眩暈なら、数十秒で治まるはず――。
「よう。人間の娘。こんな所でお昼寝か?」
「えっ?」
低くて重みのある声だった。
辺りには誰も居なかったはずなのに、いきなり声をかけられた。顔の真上からだ。
――すぐ側に、僕を見下ろす誰かが居る。
「強い魔力を感じたから来てみれば、こんな小娘しかいない。本当にお前一人か?」
まだ、眩暈が続いている。徐々に弱くなってきているけど、今目を開くと、またぶり返しそうだ。
「うん。僕一人だよ」
「ふむ……。じゃ、念のために殺しておくか」
「え、ちょ! まって待ってまって!」
眩暈など吹き飛んでしまった。勢いに任せて飛び起きて、声のした方を見るとそこには――。
「おい。動いていいなんて、言っていないぞ。死ぬか?」
「ごごごごごめんなさい! 殺さないで!」
浅黒い肌の、かなり背の高い男。この世界では普通なのか、だけど僕が見るには特徴的な、灰色の瞳と長い髪。目つきは鋭いが、かなりのイケメン。
それより何より、僕が注目すべきは彼の体つきだ。がっちりとした筋肉が、ゆったりとした黒い服の上からでも見て取れる。
絶対に勝てないし、足の長さだけ見ても逃げられそうにない。
「生かしておく理由があるか?」
(ああ、無理だ……)
僕は諦めた。何事も諦めが肝心だ。
でも、ただ殺されるよりも、可能性は探りたい。例えばこの容姿に!
(――自分の姿がどんなのかさえ、知らないままだけど)
それもまた、可能性があると信じたい。
「ほ、ほら。僕は可愛いでしょ? 可愛いのに殺すのは、勿体ないんじゃないかと……」
「は?」
(あ、ダメだったか――)
「ハッハハハハハハハハ!」
――いや、ウケている。これはもう一押しか。
「それにほら! ぼ、僕は殺しても、美味しくないですよ!」
「ははははは! もうよい。つまりは、我の愛玩物になりたいという事か」
「……え?」
(――あいがん、ぶつ?)
物扱いはヤバい。滅茶苦茶にされるやつだよ?
「いや、あのー……人権は確保して頂きたいというか」
「あぁ? 殺すぞ。人間風情が」
「ヒィィィィィ」
見下ろされている上に、人を殺すことに微塵の躊躇いもない冷酷な視線が、心に突き刺さる。
出した事のないこの妙な悲鳴は、勝手に口から漏れた。
「フッ。なかなか心地良い声をしている。せいぜい美しく鳴く事だ」
……これは、やっぱり詰んだのか。
生きるも地獄、死ぬも地獄。
いや、もしかすると初手で殺されていた方が、楽な死に方だったかもしれない。
「せめて……。せめて、鏡を見せてくれませんか」
自分の顔くらい、見てから死にたい。
せっかく楽しそうな異世界転生だと思ったのに、全然そんなことはなかった。
(あの金髪天使……落とす場所をミスったんだろうなぁ)
「鏡など持ち歩いとらんが、氷でもどうだ」
そう言って彼は、鏡面仕立ての大きな氷の板を出した。
(魔法だ! 絶対これは魔法だ! いいなぁ! ……使ってみたかったなぁ)
僕はその奇跡の賜物に感動して、自分の顔を見るという目的を忘れそうになった。
鏡面の氷に映るワンピース姿の女の子と、目が合うまでは。
「…………か……可愛い」
僕の動きにぴったりと、寸分違わずについてくるそれが、自分だと気付くまで――いや、脳が理解して心に落とし込まれるまで――少々時間が掛かった。
「貴様、いつまで自分に見惚れている。どれだけ自分が好きなんだ」
上から降って来る呆れ声には、殺気は込められていなかった。
そしてその声を聞いて初めて、さっきまでは確実に僕を殺そうとしていたのだと理解した。
「いや、あの。ごめんなさい」
なんだか急に、映っている姿を見て『こういう態度であるべき』という概念が、僕の心に刻み込まれた。
それは少し気弱で、大人しい雰囲気で、従順さを滲ませるような。そういう女の子だったのだと、ありもしない過去からの記憶が生まれた。
つまり、僕はそういう女の子として育ってきて、今は目の前の強者に、大人しく従ってしまうような子が、自分なのだという認識になった。
(――え? こわ……。なんで今、そう思ってしまったんだろう?)
少し垂れ目の、大きな目。従順さを物語るようなこの碧色の瞳が、一気にそういうつもりにさせたのだ。
ふわっとしたクセ毛の腰まである金髪で、色白の小さな顔の、整った目鼻立ちの女の子。年はやっぱり、十一か二。
大人になれば絶対、美人になる。しかも、ちょっと付け入り易そうな……もとい、守ってあげたくなるような。
実は妖精なのだ。と、言われたら信じてしまいそうだ。
「おい。もういいだろう」
僕があまりに自分を見つめているので、彼はまた呆れ声を落としてきた。そして氷は、跡形もなく砕け散った。
「あ。はい」
――自分自身に刷り込まれたモノを、払拭出来ていない。
こうも従順に返事をするような、そんな僕ではなかったのに。
「我の城に連れてやろう。その人間の匂いを、洗い落とさねば臭くて敵わんからな」
「え。臭いですか?」
「ああ。臭い。臭くて殺してしまいそうだ」
またさっきまでの、殺気が声に込められた。
彼の気分一つで、僕はいつでも殺されてしまう。
「あっ、ご、ごめんなさい。殺さないで……」
「だから連れていくと言っただろう。黙っていろ」
「は、はいっ」
そうして僕は、彼の城とやらに連れ去られた。