彼女の帰りを待つだけの日々
重複投稿しています。作者名はもち雪のままです。
人の一生は呆気なく終わる。
妻は夜、夕食の買い忘れの品物を買ってくると言って出て行き、次にあったのは病院のベッドの上だった。
冷たくなった彼女は、何度呼んでも目を覚ます事はなく、もう二度と笑ってくれる事はないだろう。そんな自分勝手な絶望感に俺は囚われていた。彼女の死は俺には受け入れがたいもので、そこからつながる彼女の短い一生の悲しみに、共感する事へはすぐに道はつながってくれなかったのだ。
そして俺は病院の暗い地下の廊下の椅子に座り、霊安室の中の泣き声を聞く事になった。
「ひどい顔」彼女の声を勝手に俺の脳が作り出すが、それは俺の耳を通って聞いた声ではないとわかってはいた。
俺は立ち上がり、彼女の両親の居る霊安室へとふたたび入って行った。
「こんな時にも、君は智子のそばにいてやれないのか?」
穏やかな智子の父親が、声を荒げるのを初めて聞いた。
「お父さん、やめて努さん当たっても、智子が悲しむだけでしょう?」
「だが……」
そう言ったきり、義父は彼女のそばで黙って立ち、俺を見ない様にして、妻との別れを済ましている。それは彼女が本当に、消えてしまう事のように思えて見ていられなかった。
「本当にすみませんでした」俺はそれしか思い浮かぶ言葉がなく、それによって罵られても、それがつとめであるかのように錯覚していた。
俺が買い物について行けば、今は違うものになっていたかもしれない。悔やみきれない後悔が、俺の胸に降り積もる。
★
「やはり来ると思っていました」その駅には彼がいた。
「あっ、はい」
俺たちは彼の言う友引の駅にいた。それに至るまでには、まず前提を説明する事が必要のようだ。
★
旅立ってしまった彼女は、いつの間にか俺のまわりから消えてしまっていた。
理由は俺が若いから、再婚を考える時に……。そんな俺とおよそ関係ないだろう事を理由に、彼女の実家や墓へと彼女の大切な思い出も、俺の手の届かない場所へと行ってしまった。
それから数か月過ぎた今となっては、俺が彼女自身にこだわり過ぎたせいだとわかる。
けれど遺品や遺骨が戻って来たとて、彼女ではない。
しかし俺はもの言わない彼女といて、現実を徐々に受け入れるべきだった。何故、こんなに大事なことを間違えてしまったのか……。
それでもあの日から俺は相も変わらず、わずかに残った彼女の思い出の品を、彼女の使う日用品として置いている。いつか来る奇跡、彼女が「ただいまー」と帰ってくる明日を、待つ日々を送ってしまっていた。
そんなある日、週に2~3回ある同僚の酒の誘いを断り駅のホームに座りまっていると「この駅の路線の乗り換えは、複雑で困ります。この駅に行きたいのですが、こっちのホームの次の電車に乗れば着けるでしょうか?」
そう老人は買ったばかりだろう、新しい地図を出して俺に見せて来た。白髪で、スーツを着こなした年老いた紳士。彼は都会近くの、山の登山口へ続く駅を指さしている
「行けますよ。問題ありません」
「良かった。こう言っては何ですがなんですが、貴方の顔色は大変悪い。まるで、大切な人を亡くされたばかりの様だ。でも、他人に親切にする余裕がおありなら、私の思い過ごしの様でしたね」
俺は彼の言葉に胸を刺され、答えられないでいと、彼は再び俺の顔を覗きみる。
そして彼の顔は白くなり、「すみません。余計な事を言ったようです」と、俺の方を見ずに言った。俺は今だ、そんなに酷い表情をしているのか……。
それからは俺たちは、前を見つめて座っていた。彼の乗るはずの電車が止まっても、彼は動くことはなかった。
「あの……」そう問いかけようとした時、「きさらぎ駅」って知っていますか?
駅にいる人々の約半分が集まっているこの時、彼の声はとてもクリアーに聞こえる。乗客の話し声も電車の音も、スピーカーから流れる声より彼の声が明確に俺の耳に届く。
「噂には……」
「あるはずのない見知らぬ駅へたどり着き、なんとか家に帰りつく。私の若い頃、ここいら周辺でも流行った事があります。そんな話が……、しかしそれはどちらかと言うと、あの頃流行っていた乗ってしまうと、死者の国へ行ってしまう、死んでしまう系の話としてしられていました」
俺はただ前のみを見て、そんな話をする彼の話が気になった。そういった時、死んだ知り合いが、その電車なり、バスなりに乗っているのが一般的だったからだ。
だから席を立てずにいた。
「その駅は、友引駅と言って、さも新たに別の誰かを死者の国へと連れていく話に出てくるような名前ですが……。死んだ親しい人々に会えるらしいのです。しかしあの頃はわかっていたのはそこだけ、人の噂としては私の記憶に残っただけでも頑張った方です。しかし最近の『きさらぎ駅』の話と合体して孫の小学校では、月に1回の4日、つまり明日の夜9時に山に一番近付く電車に乗り込めば、どこか謎の駅にたどりつけるらしいのです」
「再び会える……」
俺は喜びよりも、怖さよりも海の砂を開いた手ですくいあげる映像が脳裏に浮かんだ
二人に住んだ家で,いくら待っていても彼女は現れず、彼女の携帯にかけた電話に彼女が出ることもなく。しばらくすれば知らない誰かが出て、彼女の存在を打ち壊してしまうだろう。
今回の失敗が、彼女の姿をより曖昧にするのが怖かった。
「わかります。貴方の気持ちが……。けれど、何故、やれる事をすべてしなかったのか? きっとそう思う。そう思えてならないのです。もしも明日、貴女がそう思ったのなら、実行するのにはある程度の距離が必要です。夜の8時55分登山道の駅から乗っても駄目なのです。余裕をみて30分は乗ると考えると、この駅から8時24分発の電車に乗る事が最善であると思います。では、ごきげんよう」
彼はかぶっていたアルペンハットを手に持ち、そう言うとちょうど来た次の登山口へ向かう電車に乗り込み、彼は行ってしまった。
続く
見ていただきありがとうございます。
また、どこかで。