第八話「グレナウ奪還戦(前編)」
クラウス博士は崖の上から、手にした単眼鏡を慎重に動かし、街全体を見渡していた。
街の中を行き来する巨大な影が博士の視界に映り込むたび、その動きを追っていた。
「ふむふむ、街には中型のギガスが四体……小型も見えづらいけど結構いるね。
住人への威圧と外部への警戒のためかな。」
単眼鏡を下ろしたクラウス博士はどうする?といった表情で三人を見た。
しばらく沈黙した後、マリーが口を開く。
「こちらにはヴァルストルムがあるし、相手もまだこっちの情報を持っていない。
なら、敵の指揮官を捕らえる電撃作戦が有効かも」
腕を組み軽く彼我の戦力を計算し提案した。
「しかし、懸念もあります」
アリーシアスの視線は街を見つめる。
「もし捕虜がいた場合や街の人が人質に取られていたら……下手な奇襲は彼らにとって致命的になりかねません」
彼女の声には冷静さと重みがあり、状況を慎重に考える様子が明確に伝わった。
「うーん、そうね……」
マリーは顎に手を当て、アリーシアスの懸念を解消すべく、思考した。
「いっそ纏めて帝国兵の足止めを出来ればいいんだけどね」
少し間を置き博士が言う。
その言葉を聞き、マリーが胸の前で手を打った。
「それだったら、こういうのはどうかしら?」
マリーが微笑しながら三人に視線を送る。
「これはまた……無茶な作戦を思いつくもんだねぇ」
マリーの発案にクラウス博士は驚いた。
「どう出来そう?」
「オレの方は……可能です。
情報を取捨選択しつつ、人体に影響が出ないようにするため一瞬ですけど」
マリーの問いかけにレイディルは思案しつつ答えた。
失敗すれば反動で自分も危うい。
「シアちゃんの方は大丈夫?」
アリーシアスにも確認を取る。
彼女は少し考えた後、静かに頷いた。
「私の氷魔術は範囲に秀でてますので、一区画くらいなら可能でしょう。
ただ、街全体はさすがに広すぎて無理ですね……」
「じゃあ──」
マリーが代替案を出そうとするよりも早く、アリーシアスが答える。
「超長距離での魔術行使を提案します」
彼女の表情にはわずかな緊張が見えた。
「郊外の牧場や畑には監視はいないようだ。
街の入口から中心まで六キロほどだから、機動馬車をフル加速すれば十分もかからず射程範囲に入れる。
ただ、射線が確保できる位置への移動は必要だね」
人質がどこにいるか分からない以上、どれほど時間がかかるか念頭に置いておく必要がある
十分……奇襲には充分な猶予がある。
「おそらく帝国側の魔術師の魔術とか矢とか飛んでくると思うけど、それは私が防ぐとして──」
帝国の魔術はアルバンシアに比べれば練度が低く、威力や精度の面でも見劣りする。
マリーは自分の防御術なら、標準的な攻撃ならば防ぎ切れると確信していた。
「強力な魔術なら、機動馬車の速度で魔術の発動前に射程外へ離脱することも可能だよ」
と、続けて博士は頼もしげに三人に告げる。
「あとは連絡手段ね」
マリーが思案しながら呟く。
「あぁ、それだったらヴァルストルムに丁度いい機能が……」
レイディルがそう言うと、マリーは満足そうに笑った。
これで、策は揃った。
「こっちはいつでも出られますよ」
準備を終えたレイディルがヴァルストルムを起動し待機していた。
「おっと、待った。
荷台にある収納箱を開けて、中を持っていってくれないかい?」
博士は思い出したように言った。
言われた通り蓋を開けると、人には大きすぎるが、ヴァルストルムにとっては片手サイズの鋼鉄の剣が入っていた。
「急ごしらえだから簡素な物だけど、その分頑丈に作ってあるし、しばらくは持つと思う。
素手よりマシだと思うよ」
博士はにこやかにウインクした。
「ありがとうございます。それじゃあ出ます!」
三人とも気をつけて、と言うとヴァルストルムは崖を大きく跳躍し、街へ疾走した。
土埃をたてながら走る影を発見した監視台の上の兵は、目を見開いた。
「な、なんだあれは!?」
見たこともない人型の巨人が迫る。
異質な威圧感が辺りの空気を震わせる。
すぐさま警鐘を鳴らすが、その瞬間、ヴァルストルムが高く跳び上がった。
影が太陽を遮るほどの高さだ。
そして次の瞬間、一直線に急降下し、徘徊していた中型ギガスの頭部を突き刺した。
──巨人だ。
ギガスとはまるで異なる、異質な騎士がそこに立っていた。
街にいた帝国兵達は驚きのあまり一瞬固まった。
「まずは一体」
レイディルは冷静に素早く敵を見極める。
小型ギガスが次々と押し寄せるが、ヴァルストルムの剣が唸りを上げ、それらを粉砕していく。
(小型は出来るだけ倒しておかないとな)
頭の中で作戦を再確認する。
その間に、別の中型ギガスが一体、こちらへと迫る。
レイディルはギガスの横へ回り込もうとしたが、街並みが邪魔をする。
建物の角に脚を取られ、一部を崩してしまう。
「街中じゃあ火砲は使えないし、動きも取りづらいな……」
無闇矢鱈に暴れ建物を壊すわけにもいかない。
そう思考している間にも、ギガスが巨腕を振り上げる。
レイディルはとっさに後方へ跳躍し、間一髪で回避。
反撃の刃を突き立て、体勢を崩したギガス目掛けて、拳を振り下ろし破壊する。
「二体目っ……」
今、徘徊している中型は残り二体。
更に増援が出る可能性もある。
(そろそろか)
できるだけ小型ギガスを引きつけ、一挙にまとめて葬る。
生身の帝国兵は苛烈な戦いに巻き込まれぬよう、離れていることしか出来なかった。
街に突入してから五分ほど、短い時間だが、敵の指揮官が動くには十分な時間だった。
「そこまでだ!」
大きな声が街の中心部にある広場から聞こえた。
「こちらには人質がある。
そしてアルバンシアの捕虜もな!
貴様が何者か知らんが、人命を無駄にしたくなければ動くな!」
巨人の出現に慌てふためく部下たちを他所に、一人で堂々と現れた。
粗野な鎧を身に纏い、腕を組んだまま傲然とこちらを見上げていた。
口元には嘲るような笑みを浮かべ、勝者の顔をしている。
「巨人……か。
だが、それがどうした?
何者か知らんが、俺の合図一つで人質はすぐにでも殺せるのだぞ?」
その言葉に、周囲の空気がピンと張り詰めた。
男の顔に浮かぶ余裕は崩れない。
むしろ、ヴァルストルムを前にしてさえ、自分の優位性に確信を持ち続けている様子だ。
レイディルはその姿に少し感心した。
実にキモの座った男だ。
だが、敵指揮官の表情に浮かぶ自信の裏には、ある大きな誤解があった。
「人質の位置などわかるまい」という無意識の油断が、その余裕を作り上げていた。
レイディルはおもむろに解析魔術を地面に放つ。
以前、地形を把握したように。
できるだけ短く、素早く。
人の身体に影響が出ないように。
放たれた魔力は波打つように広範囲に広がる。
魔力に反応してか、ギガスが一瞬動きを止めた。
しかし、敵の指揮官は放たれた魔力に気付かず、依然として笑っている。
その顔は、これから起こる事態への予兆をまったく感じていない。
『街の西! 一番大きい建物だ!
時計塔の中!!』
ヴァルストルムの拡声機能を通じて、レイディルの声が街全体に鋭く響き渡った。
レイディルの解析魔術によって人が密集していた位置を特定したのだ。
密集しているということはそこに人質や捕虜が捕らえられているという事──