71話・幕間「とあるメイドの一日」
「はぁ……」
窓から差し込む、サンサンとした日光。
雲ひとつなく晴れ渡る空。
少し開いた窓の隙間から、爽やかな風が部屋を吹き抜け、優しく頬を撫でる。
「結局、お嬢様は帰ってきても一所にはおられないのですね……」
エングラム家の邸宅、その食卓で箒片手に部屋を掃除しているメイドのレコンは、普段と変わらぬ無表情のまま大きなため息をつき、ボヤいていた。
レコンは、フェリシアが部屋で休んでいるはずの扉へ視線を向けた。
「折角の奥様との時間、大切にしてもらいたいものですが……」
彼女はそう呟くと、首元で真っ直ぐに切りそろえた自身の黒髪──その毛先を指先で弄った。
彼女としては密かにお嬢様とお揃いにしたいのだが、その髪質のせいでどうしてもふんわりと丸みを帯びてしまうのが、今の彼女の小さな悩みだった。
「ボヤいてばかりいないで、手を動かしなさい」
その様子を見ていた、老執事が彼女を窘めた。
窓から吹き込む風が、後ろに流した白髪を揺らす。 口元を囲うように整えられた白い髭は微動だにせず、その表情には長年仕えた執事らしい落ち着きがあった。
「あぁ、ゴルディスさん……」
振り返り老執事を見る彼女の目は、実に物憂げだった。
悲哀の色を帯びていると言っても良い。
「だってね、なんの用事かは知りませんけど、朝には出て、夜遅く帰ってくる。今日はいつもより早く出掛けてしまいましたし……
これじゃあ奥様も寂しいというものではありませんか」
大きな身振り手振りでそう答えるレコン。
頭に乗ったメイドカチューシャが、動きに合わせ大きく揺れる。
「学院に起こる幽霊騒動。どうやらお嬢様はその調査をしておいでのようで……」
ゴルディスはレコンにそう説明した。
「ああ、幽霊だろうとなんだろと、実体が伴っていれば私が早々に斬り払って見せるのに……」
レコンは天を仰ぎ見て、大袈裟に言って見せた。
「実体無きモノなので幽霊というのでは?」
慣れた様子でゴルディスがツッコミを入れる。
「それに物騒な物言いはおよしなさい。ソレはとうの昔に捨てたモノでしょう」
ゴルディスはレコンの方を見やり、目付きを険しくして諌めた。
「あぁ、失礼しました。十年にも及ぶ身に染み付いたものは、中々抜けきらないものです」
彼女は俯き、妙に芝居がかった顔をし、机に手を付いて、よよよとしなだれていた。
その時、ガチャリと扉の開く音がする。
扉を開け、大きなあくびをひとつ、ボサボサの頭を搔いて現れたのはウェリティアだった。
「これはこれはウェリティア様。おそようございます」
先程までの体勢とは打って変わり、レコンは背筋を伸ばしシャッキリと立っていた。
「あー、おはようございます……」
眠たげな眼を擦り、ウェリティアは二人へと朝の挨拶を済ませた。
「朝食は如何なさいますか? 直ぐに準備出来ますが──」
と、ゴルディス。
「ええっと、この後準備したらすぐに出るので……ありがとうございます」
礼を言うとウェリティアは、洗面台へと消えていった。
「こちらの御客人もお忙しいようで……」
ほどなくして、レコンとゴルディスが再び務めに戻る頃には、ウェリティアは足早にエングラム邸を後にしていた。
ウェリティアが外出したと同時に、部屋からフェリシアが顔を出す。
「あら、みんなもう出てしまったのね」
そんな彼女の表情は少し寂しげだった。
「奥様、物足りないようでしたら、私が一芸など披露して見せますが?」
レコンはフェリシアにそう告げる。
その姿勢は、腰を浅く曲げ、横に伸ばした両手をワキワキと動かしている。
真顔で。
「ふふっ、相変わらずの見せたがりね」
「奥様とお嬢様の前だけです」
笑って返すフェリシアに、レコンは至極真面目に答える。
「まぁ、折角、魔術学院を卒業したのですから、何年経っても自慢したいのでしょう」
ゴルディスが苦笑いをしながらレコンを見やった。
「フッ、照れますね」
照れた様子など微塵もない、鉄面皮のような表情でレコンは告げる。
「なんにしても……危ないことはせず、怪我なく帰ってきて欲しいわ」
フェリシアは伏せ目がちにそう呟いた。
「お化けの調査だけであれば危険は無いかと」
ゴルディスは椅子を引き、フェリシアを誘導する。
椅子へと腰を落ち着けたフェリシアに、レコンが紅茶をテーブルへと置いた。
紅茶の香しい香りがフェリシアの鼻を擽った。
ゴルディスとレコンは一歩引き、壁際へと立ちいつものように主を見やる。
「ただのお化け調査……であればですが」
ゴルディスは隣に立つレコンにだけ聞こえるように、限りなく小さな声で呟いた。
それは息が漏れたと見紛うほど小さな声で、ほとんど口を動かしただけだった。
レコンは何も言わず、ただ主を見つめていた。
朝が過ぎ、太陽が真上に差し掛かる頃、キッチンからは軽快な音が響いていた。
トントントン、とリズミカルに奏でる包丁の音。
ドアを開け、レコンがキッチンへと入る。
「あっ……奥様、そのような事は私がしますので」
レコンの声に気付いたフェリシアは、包丁をまな板に置き振り返る。
「連日アリーシアスとお友達に夕食を振舞っていたでしょう? そのおかげかしら、自分でも驚くくらい動けるのよ。それに調子が良いから、動くのが楽しいくらいなの」
「この量……奥様一人の食事ではないですよね?」
レコンは下拵えされた食材を見やる。
「あら、気付かれちゃった。
ええ、あなたたちの分もあるわよ」
フェリシアはサプライズがバレた少女のように、照れ笑いをする。
「でしたら──」
レコンはその無表情に、真剣さを乗せフェリシアを真っ直ぐ見据えた。
それは覚悟を伴った顔だ。
「人参は抜いてください」
その言葉にフェリシアはキョトンとした顔をし、やがて表情を崩した。
「ふふふっ、わかったわ。あなたの分には入れないようにするわね」
笑いを堪えた顔で返すフェリシア。
「……黙って混ぜ入れても、私の鋭敏な味覚センサーには引っかかるので、そこはお忘れなきよう……」
またしても予想外の言葉にフェリシアは、堪らず吹き出した。
人参を摩り下ろして、ひっそりと混ぜ込んでしまえばわからないだろうと考えていた矢先のことである。
「では、私はその間、洗濯をして参ります」
そう言いレコンは、キッチンを後にした。
彼女が完全に居なくなったこと、ドアがしっかりと閉まっていることを確認するとフェリシアは人参を塩もみし始めた。
塩でもむことで水分を出し、独特の匂いを和らげるためだ。
しばらく、もみもみしていると背後から視線を感じ、フェリシアはそーっと振り返る。
いつ戻ってきたのか、ドアの隙間から覗き込むレコンが見えた。
その顔はやはり無表情であったが「入れようとしているの知ってますよ」と言いたげに、瞳が訴えていた。
フェリシアはその執念深さに、気圧され人参を入れることを諦めた。
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夕刻。
空に茜色が差し、雲が煌びやかな朱に燃える時刻。
街を象徴する教会もまた、夕日に照らされいた。
「ここのところ毎日いらっしゃいますね?」
学院から帰宅し、修道服に身を包んだノエルが、教会へ訪れていた老執事へと背後から声をかける。
老執事は振り返り、穏やかに応じた。
「えぇ、何分、うちのお嬢様が夜遅くまで活動していますので……なんでもお化けを調べるとかで、何事もないようお祈りを」
「それはそれは──ええっと、良い心がけです」
ノエルは教会のシスターらしく振る舞う。
普段、カトレアが参拝者へ掛けている言葉を真似してみた。
そして老人の言葉の内容に引っかかりを覚え反芻する。
「お化け……調べる……」
ノエルは聞き覚えのある言葉に、口に指を添え、上目遣いで思考する。
「あっ! もしかしてアリーシアスさんのことですか!?」
途端ノエルは声を大にして名前を告げた。
知人のことなのでテンションが上がったようだった。
「ノエルー、夕餉出来た」
ゴルディスとノエルが話していると、教会の脇の扉からルナがひょっこりと顔を出す。
ノエルはゴルディスに断りを入れ、彼女の元へと向かった。
「ルナちゃんにしては早いね!」
「ん、マリーさんが手伝ってくれたから」
(もしかして手伝ったというより、全部マリーさんがやったのでは……?)
恐らくは、いつまでも作り終えないルナを見かねて、マリーが代わりに作ったのだろう。と、ノエルは予想した。
「……ルナちゃんの当番減らしてもらおうね」
「私は出来る」
ノエルの言葉に根拠の無い自信を持ってルナは答えた。
そんな二人を微笑ましく見るゴルディス。
そろそろ戻ろうかと考えた矢先、背後から声がかかった。
「ゴルディスさんともあろうお方が、サボりですか?」
ゴルディスが慌てて振り向くと、そこには両手に買い物袋を下げたレコンが静かに立っていた。
「むぅ……あなたの気配に気付かないとは、私も耄碌しましたか……」
ゴルディスはバツが悪そうにそう答える。
「お歳ですね」
レコンは表情を変えずにそう告げた。
ただ、それは彼女なりの茶化しであることはゴルディスには分かっていた。
レコンはシスター見習いの二人に目をやると、おもむろにツカツカと近づいた。
「そこの青い髪のお嬢さん」
と、声をかける。
ルナとレコン、互いに視線が合い、見つめ合うような形になった。
しばし、押し黙る二人。
するとレコンが買い物袋を持ったまま手を上にあげた。
そしてルナもまた……
「イエーイ」
そう言い両手でハイタッチをする。
「なんだか分からないけど、意気投合した……のかな?」
理解せぬままノエルが呟いた。、
「何か似た空気を感じたのでしょう……」
ゴルディスがノエルに近づき答える。
すると、レコンはノエルへと音もなく静かに体の向きを変えた。
唐突に振り向かれたためノエルは三歩下がり、警戒をした。
「この娘は、集中力はあるから、何かをする時は集中力を活かす方法を考えてあげると良いと思います」
「は、はぁ……」
レコンのその言葉にノエルは呆気にとられていた。
そのメイドの後ろではルナが、うんうんと頷いていた。
「……さて、それでは帰りますよ。そろそろお嬢様が一度夕食に戻って来られる時間です」
そう言うとゴルディスは、ノエルとルナ二人に軽い会釈をし、教会を後にした。
レコンは表情を変えぬまま、ルナへ親指をグッと立てると、消えるように去っていった。
沈みゆく太陽が、夕暮れの街を照らす。
街路には様々な人で溢れかえる。
帰宅する者。
これから外食に向かう者。
大切な人を迎えに向かう者。
誰もがそれぞれの場所で、大切な誰かの帰りを待っていた。




