第五十三話「力がある、故に」
港から街へと続く主要道。
荷揚げされた物資を、馬車で運ぶための広く整備された道。
そこに居合わせたアルバンシアの騎士たちが、戸惑いの表情を浮かべ左右へと別れていく。
先程起こったざわめきは、いつしか静寂へと変わり、誰もが口をつぐんでいた。
その中央を、一人の男が歩いている。
背後には帝国兵が従う。
護衛のはずの兵たちは、ただ静かに付き従うのみ。
男の歩みを守るというより、遅れぬよう追うかのように。
その男こそ、皇帝。
帝国の頂点に立つ男。
先程、撤退したかに見えた帝国兵。
それは皇帝を迎えるための動きだったのか。
皇帝は、堂々と歩みを進める。
その姿に、ためらいはない。
まるで、この街が己の領域であるかのように。
……今、目の前のこの男を取れば、戦争は終わる。
剣の腕に覚えがある者。
魔術に長ける者。
その場にいた、アルバンシアの騎士の誰もが、そう頭に過ぎる。
しかし、飛び出そうにも足が動かない。
魔術を構築しようにも、口が動かない。
それは恐怖からくるものでは決してなかった。
可能性が、見えなかった。
やがて、皇帝は広場へと姿を現した。
広場にいた者たちのざわめきが、今度は困惑へと変わった。
撤退したはずの帝国軍。
終わったはずの緊張。
──なぜ、ここにいる。
理解が追いつかないまま、視線だけが皇帝へと集まる。
その中心で、シエナは息を呑んだ。
「……はじめまして……皇帝」
驚きを押し殺しながら、絞り出すように告げる。
シエナの声は、広場の中央でわずかに響く。
皇帝との距離は、およそ二十メートル。
人が一瞬で詰められる距離ではない。
シエナは皇帝を、ジッと見つめた。
恐らくは齢五十を越えているであろう。
しかし、なお衰えぬ筋骨。
華美な黄金の鎧の上から真紅のマントを羽織り、くすんだ長い金髪が肩へとかかる。
ただ立つだけで、揺るがぬと分かる。
口ひげの奥で、男は静かに笑っている。
広場の中心に立つのはシエナのはずだった。
だが、空間の中心は、明らかにあちらにある。
「オレよりデケェな……しかも派手……」
ブツブツと呟いているリオルドに、ジルベルトが無言でケリを入れた。
不満そうにしながらもリオルドはとりあえず黙る。
「見事であった。よくぞ港街を制したな、アルバンシアの姫」
意外だった。
皇帝の口から発された言葉は、称賛。
姫の思考が、わずかに止まる。
その刹那、背後で衣擦れの音がした。
執政官ダイレルが、半歩だけ前へ出ようとする。
──私が応対いたしましょうか。
声にはならない意志。
シエナは、視線だけをわずかに動かす。
不要です。
その一瞥で、ダイレルは動きを止めた。
将軍バーグレイは、微動だにせず、ただ腕を組み、皇帝を見据えている。
シエナ姫は、ゆっくりと息を吐いた。
戸惑いを、胸の奥へ押し込める。
今ここに立っているのは、一人の少女ではない。
アルバンシアの姫だ。
「……そのお言葉を伝えるために、はるばる我が国の港──エルバルト港まで?」
“我が国”と告げた瞬間、騎士たちの背筋が、わずかに伸びる。
「であれば、御足労いただき感謝いたします、皇帝陛下」
シエナ姫は礼は尽くす。
だが、立場は譲らない。
皇帝は、ほんのわずかに口角を上げた。
「フフ……持って回った言い方がしたいわけでもあるまい」
その声音に、胸の奥が熱を帯びる。
誰が仕掛けた戦だと思っているの。
私の国を血で染めたのは、どこの軍よ。
賞賛ですって?
よくも言えたものね。
一瞬、本気でそう言い返してやろうかと考える。
だが、それを吐き出した瞬間、この場はただの口喧嘩に落ちる。
半拍。
王より託された決断を、私情で曇らせるわけにはいかない。
自分はアルバンシアの姫という自覚を胸に、シエナは怒りを、冷静に噛み砕いて飲み込んだ。
「では、皇帝陛下」
声は、澄んでいた。
「我が国アルバンシアは、此度の戦いにて全領土を取り戻しました」
宣言、そして事実の確定。
「我が軍には優れた騎士が、勇猛なる英雄が──そして、決して折れぬ鋼鉄の騎士がおります。
これ以上の侵攻は、皇帝陛下にとって……得るものの少ない選択かと。」
脅しではない。
損得の提示。
だが、見えぬ圧は確実に交錯していた。
皇帝の視線が、ゆっくりと姫の背後へ流れる。
そこには膝を付き、静かに佇む機械の騎士がいる。
「……ふむ、ヴァルストルムと言ったか」
灰銀の巨躯を、興味深げに見上げる。
「見事だ。あれが港を奪還した力か」
声には偽りがない。
「鋼にしては、よく出来ている」
その言葉を、姫は逃さなかった。
皇帝が価値を認めた瞬間。
そこに、針を差し込む。
「我が国が独自に開発した機動騎士です」
嘘だ。
だが、国民はそれを信じている。
「量産も視野に入れております。
今後、我が国へ侵攻することは──以前よりも、得策ではなくなりましょう」
皇帝の目が、ほんのわずかに細まる。
次の瞬間。
視線がヴァルストルムの胸部へと流れる。
「……異国の風は、ときに面白い贈り物を運ぶ」
皇帝はそれだけを告げた。
だが姫はその一言で悟る。
この男は、メタフローの存在を察している。
皇帝は再び姫へ視線を戻す。
「さて。賞賛はした。戦力も見た」
僅かに言葉を溜めた。
「だが、戦は辞めぬ」
淡々としていた声、そこには怒りも執着もない。
ただの事実と言わんばかりの音。
「……なぜです」
姫はすかさず問いただした。
感情ではない。
純粋な疑問。
「そこまでして、領土が必要なのですか。
このように遠く離れた地まで」
確かにアルバンシアは緑が溢れる豊かな土地だ。
鉱脈もある。技術もある。
だが帝国からは程遠い。
国土が広がり過ぎると、統治し続けることが難しくなる。
皇帝は、空を見上げる。
「領土は結果に過ぎん」
静かに告げる。
「究極を言えば、必要ではない」
広場がざわめく。
姫の眉が、わずかに寄る。
「ならば……」
姫は視線を逸らさない。
皇帝はゆるやかに視線を戻した。
「可能性の話だ」
「可能性?」
怪訝そうに、シエナは片眉を上げる。
「出来ると分かっていることを、試さぬ理由が私にはない」
その言葉に、アルバンシアの面々が息を詰める。
意味を測りかねる沈黙。
やがて、ジルベルトが堪えきれず口を開いた。
「……ハァ? なにそれ。アンタ、世界征服できるからやってるって言ってんの?」
軽い口調とは裏腹に、声には鋭い怒気が宿る。
皇帝は視線だけを彼女へ向けた。
「力がある。故にだ」
それだけだった。
弁解も誇示もない。
ただ、揺るぎない事実を述べるように。
「皇帝、それはあまりに──」
シエナが口を開くが、皇帝は構わずが続けた。
「悪だろうな」
低く、重い声が重なった。
言葉を奪うように。
皇帝は姫を真っ直ぐ見据える。
「だが、それがどうした」
広場がどよめく。
「善悪など、私はそこには興味はない」
揺るぎのない声。
わずかに視線がヴァルストルムへ流れる。
「お前たちは強者だ。帝国を否定するならば抗え」
断言。
「停戦も降伏も認めぬ。強者にその道は不要だ」
そして静かに告げる。
「抗い、可能性を掴み取ってみせよ」
場を沈黙が支配した。
この男には、何を言っても無駄だろう。
揺るぎなき己を持ち、それを疑いもしない。
アルバンシアの誰もが皇帝を睨んでいる。
まともとは言えぬ道理を掲げ、暴論を平然と吐く男を。
その視線を一身に受けながら、皇帝は口角を上げた。
怒りでも嘲りでもない。
確かめる者の顔だった。
そして沈黙を破るように、告げる。
「良い気迫を持った兵だ。見に来た甲斐があった」
ざわめきが走る。
ドゥルム砦から続く反攻。
各地で積み上げられた勝利。
その流れを追い、アーヴィングと合流し、ここまで足を運んだ。
港奪還は終着ではない。
この国に芽吹いた“抗う力”が本物かどうか。
量り、そして賞するため、自ら姿を現した。
皇帝が満足気に瞳を閉じた。
その瞬間、空気が裂けた。
姫と皇帝のあいだを隔てていた間合いが、消える。
踏み込んだのは一人。
リオルド・アルドヴァレア。
人が一瞬で詰められる間合いではない。
だが、戦場には理屈を踏み越える者がいる。
帝国兵も、アルバンシアの騎士も、誰も、動けなかった。
皇帝が瞳を閉じ、場の緊張が緩んだように見えた、そのわずかな隙に。
刃が閃く。
皇帝を断つ──
だが、その軌道に、突如として影が割り込んだ。
鋼と鋼が激突する。
ロデリック・ダンテルだ。
リオルドの剣を、真正面から受け止めた衝撃が、彼の身体を容赦なく弾き飛ばした。
背後の帝国兵を巻き込みながら、数人まとめて地に叩きつけられる。
石畳に打ち付けられた鈍い音が、遅れて響いた。
振り切った姿勢のまま、リオルドが止まる。
確かな手応えはあった。
だが、斬ったのは皇帝ではない。
「チッ! 邪魔が入ったか……」
最早、二の刃を振るう意味は無しと判断し、リオルドは剣を下げた。
皇帝より、数間離れた場所。
ロデリックは数名の部下と共に、抱き起こされる。
その右手には粉々に砕けた剣。
リオルドの一撃を真正面から受けた代償だった。
「ロデリック様!」
真っ先に駆け寄ったのはクルトだった。
その顔には焦燥が滲む。
「ご無事ですか……!」
「……問題ない」
血の滲む口元を拭いながら、ロデリックは自らの足で立つ。
砕けた剣を捨てるでもなく、ただ握ったまま。
彼はよろめきながらも、皇帝へと向き直る。
「……謹慎の命を、破りました。申し訳、ありません……陛下」
本来ならば出撃すら許されていない身。
それでも、主を守るために動いた。
皇帝は一瞥をくれる。
「些末なことだ。構わん。よくやった」
短い言葉だったが、それで十分だった。
忠を尽くした者に与えられる、揺るぎない承認。
ロデリックの背筋が、静かに伸びる。
そして皇帝は視線をリオルドへ向ける。
「リオルド・アルドヴァレア。見事な一撃であった。ロデリックの横槍がなければ、この命に届いていたやもしれんな」
楽しげに笑う。
そこに嘲笑はない。
嘲りもない。
ただ純粋な賞賛のみがあった。
やがて皇帝の視線が、リオルドから外れる。
一人の武を評した瞳が、今度は国そのものを見渡した。
広場に立つ騎士たち。
奪い返された港。
抗い続けた戦の軌跡。
そのすべてを量るように、ゆるやかに。
「港を奪還した功、見事であった。ゆえに褒美を与える」
静かな宣告。
「我が力の一端だ」
皇帝は静かに右腕を高々と振り上げた。
「見事、超えてみせよ」
外套が翻る。
踵を返し、悠然と歩き出す。
帝国兵たちも皇帝の後へと続く。
「アルバンシアよ──生きてまた会えることを楽しみにしているぞ」
祝福のようでいて、選別の言葉。
それだけを残し、皇帝は広場を後にした。
何をしたのか、何が起こるのか。
誰もが成り行きを見守るよう、その場から動けずにいた。
その背が数歩進んだ、その時。
海が脈打つように揺れる。
波が不自然に、ざわめき立つ。
風は吹いていない。
それでも、蒼がうねる。
やがて、海は揺れるのを止め、穏やかさを取り戻した。
凪のように静かに。
張り詰めていた空気が、わずかに緩む。
「……何も起こらんな……しかし、力の一端とは──」
バーグレイ将軍が呟いた、その瞬間。
沖合の水面が、ぼこりと不自然に膨れた。
次いで、いくつも。
泡立つように、次々と。
蒼を割って、黒い影が突き上がる。
「ほ、報告! 海から、た、多数の小型ギガスが出現!」
海面を蹴り上げ、岩の巨体が次々と姿を現す。
「その数……ひゃ、百……!?」
街を目指すように、無数の岩の兵が歩を進める。
波間から這い上がる異形の群れ。
それは軍勢だった。
「バカな……これが一人の力だって……?」
グレオールが驚愕の声を上げる。いつもの軽口ではない。
「不味いな、こちらは相当消耗しているが……」
「四の五の言っている場合ではないでしょう。応戦するしかないわ」
将軍の言葉を断ち切るように、姫が告げる。
その声音は凛としている。
だが頬には、はっきりと冷や汗が伝っていた。
百。
消耗した兵で迎え撃つ数ではない。
「レイディル、聞こえていますか? ……ぴんちです」
アリーシアスが、沈黙を続けるヴァルストルムへ呼びかける。
わずかな間。
そして、機体の内から返る低い声。
『ああ……悪い。しんどくて黙ってた。けど、ちゃんと見てたぞ……』
その「悪い」が何を指すのか。
すぐに答えなかったことか。
それとも、皇帝を狙わなかったことか。
ともかく、その声にはまだ力があった。
その一言で、広場の空気が変わる。
「では──」
『皇帝製で……数が多いとはいえ、小型だ……なんとかなる……』
重い駆動音。
ヴァルストルムが、ゆっくりと立ち上がる。
石畳が軋む。
その巨体が完全に直立した瞬間、騎士たちの表情に光が戻った。
あの騎士ならば。
小型ギガスがいくらいようと、物の数ではない。
誰もが、そう信じた。
だが。
ウェリティアが、海を見た。
「なんか……波の動きが、おかしい……」
寄せては返すはずの潮が、引かない。
うねりが、止まらない。
低く、重い振動が、足元から伝わってくる。
「……待て、これはっ」
ダイレルの声が、かすれる。
次の瞬間。
海が、割れた。
轟音と共に水柱が天へと吹き上がり、蒼を引き裂く。
その奥から──
異形。
巨大な影が、ゆっくりと立ち上がる。
通常の大型ギガスであれば約四十メートル。
だが、それは六十を、優に超えていた。
港を見下ろすほどの巨躯。
異様に伸びた腕。
歪な装甲。
「なっ……」
誰もが、言葉を失う。
しかし。
その驚愕を嘲笑うかのように再び、海が裂ける。
水面が左右へと押し分けられ、もう一つ。
さらに、もう一つ。
現れた異形の影は──三体。
港を囲むように、そそり立つ。
小型百体は、ただの前座だった。
「冗談が……過ぎますね……」
普段は冷静なアリーシアスが、呆然と呟く。
視線は沖合から離れない。
「帝国の最高戦力の元帥サマだろうと、大型を複数同時に造るなんて……聞いたことがないわ」
ジルベルトは平静を装っている。
だが、その声はわずかに硬い。
「常識外れにも程があるね……」
呆れとも感嘆ともつかぬ博士の声。
海上では、三体の巨影がゆっくりと進路を定めている。
「今はまだ沖合だ」
将軍が低く告げる。
「だが確実にこちらへ向かっている。のんびり構えている時間はない!」
小型百体。
そして六十メートル級が三体。
対処を誤れば、港は一瞬で潰れる。
小型を止めねば街が荒らされる。
だが大型を止めねば、街そのものが消える。
同時に、だ。
それを同時に行わねばならない。
誰もが視線を海に向けたまま、息を呑む。
三体の巨影が、静かに、同時に一歩を踏み出す。
港町に、重い振動が伝わった。
退路はない。
だが。
広場には、まだ立つ者達がいる。




