四十九話「境界の突破」
氷に覆われた山道の一角、帝国の防衛は明らかに綻び始めていた。
中型ギガスの残骸が凍った地面に散らばっている。
戦場に残るのは、もはや一体の中型ギガスと魔術師のみだった。
(試して、みるか……)
レイディルは思い切って、門へ歩みを進め、徐々に加速しはじめる。
ヴァルストルムを凍結させるべく、魔術師達が実行言語を紡ぎだす。
だがヴァルストルムは止まらない。
再び氷の礫がヴァルストルムを襲う。
ヴァルストルムは加速を続けながら、左手の斧を仕舞い、その腕を大きく振りかぶった。
氷を噛む足裏が斜面を削り、巨体の質量と速度が前方へと集約されていく。
礫が接近するや否や、腰を捻り、全力で左腕を前へと突き出した。
脇腹から解き放たれた力が、肩を通り、拳へと収束する。
引き絞られた左腕の反動と、前進する機体の運動量が重なり、その一撃に凄まじい速度を与えた。
結果、猛烈な衝撃波が礫を散らす。
いや、数多放たれた内の数発は、跳ね返されたかのように魔術師へと向かった。
予想外の出来事に、避ける間もなく、何人かの魔術師が自軍の魔術に巻き込まれ、凍りついた。
斧による凍結の防御と利用、そして先程見せた衝撃波。
ごく単純な物理によって、魔術が覆された。
その光景は、門で妨害を続けていた魔術師たちに、否応なく現実を突きつけた。
魔術師たちに動揺が走るのを遠目からでも見て取れた。
ヴァルストルムはなおも地を蹴り、門へと距離を詰めていた。
その時だった。
その背後で、重なり合う足音が一斉に鳴った。
大地を踏みしめる、進軍音。
それは、単独のものではない。
──味方だ。
ヴァルストルムの脚が、氷を削りながら減速した。
その巨体が、門を二百メートル先に捉えたまま、静止する。
エリオスを先頭に、大隊がヴァルストルムへと近づいてくる。
その足元では、氷がすでに溶かされていた。
やがてエリオスは、ヴァルストルムの直近へとたどり着く。
「どうやら、キミが門を攻めてくれていた影響で、凍結を維持する余裕が無くなったようですね。
こちらは、その分、氷を溶かすのに大きな労力を必要としませんでした」
「ありがたいことです」と、エリオスは続け、前方の凍結路に火の魔術──《ブレイズ・サージ》を放つ。
猛烈な熱波が氷を溶かしながら、二百メートル先の門を守る中型のギガスへと浴びせられた。
《ブレイズ・サージ》の余波が地表を舐め、
氷の溶けた地面が、ちり、ちり、と乾いた音を立てた。
だが、中型ギガスは動かない。
その全身を覆う防護障壁が、熱を弾いていた。
(やっぱり削らなきゃ魔術は決定打にならないか)
レイディルは前方を見つめた。
熱波が過ぎ去った地面は、白く乾ききり、
氷の下に押し潰されていた草は、色を失って伏している。
「しかし、これで歩きやすくはなりましたね」
エリオスはヴァルストルムを見上げニッと笑ってみせた。
そして、手を振りあげ合図を出す。
後方に控えていた騎士達が鬨の声を上げる。
その光景を前に、門に残っていた魔術師たちの動きが止まった。
凍結魔術による妨害は、もはや焼け石に水だった。加えて、大隊が合流してしまった。
誰かが下がり始めると、それに続く者が現れた。
「ムッ、恐らくは門は捨て、砦に合流するつもりですね」
エリオスが冷静に流れを読む。
だが、撤退の只中、魔力の奔流が膨れ上がる。
門前の地面が、軋んだ。
土と岩が引き剥がされるように持ち上がり、
砕け、噛み合い、形を成していく。
中型ギガスが、二体。
大地を材料に、無理矢理に創り出された。
『エリオスさん、ヴァルストルムから少し離れて下さい。一気に門を破壊します』
門から人の気配が離れたことを察知すると、レイディルは、すかさずヴァルストルムの背中に懸架されていた弓を取り出した。
弦が、静かに引き絞られる。
三体のギガスと、門。
過不足のない出力でいい。
射出。
それでも弓と矢は大きな音を立て、目標へと飛来する。
矢は最前列のギガスを貫き、
その衝撃で、残る二体を吹き飛ばした。
なおも失われぬ威力が、爆音とともに鋼鉄の門を粉砕する。
「うわぁ、これは凄い……」
エリオスが手をひさしにして、粉砕された門を見る。
「……実は私は、ヴァルストルムに誰が乗るかには興味がなかったんですが」
エリオスは、砕けた門を見ながら小さく笑う。
「──考えを改めました。これなら、随分と楽が出来ますね」
エリオスはレイディルにそう言い、門へと部隊を前進させた。
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ヴァルストルムと共に大隊が門に到着するが、見事にもぬけの殻になっていた。
安全確保のため辺りを騎士たちが捜索する。
衝撃波で返した凍結魔術を浴びた兵も、どうやら連れて退避したようだ。
レイディルは上手くいったことに胸を撫で下ろす。
「さて、こちらはこのまま砦へ向け進軍しますが……キミは」
『どうやら向こう……レイラさん側にも門があるみたいです。オレはそれを』
「随分と過密スケジュールですね……」
エリオスは感心するような心配するような、どちらとも取れる声色で応える。
レイディルは西の山道へとヴァルストルムの顔を向ける。
操縦席の壁の景色を一部が拡大させた。
木々に覆われているが門が確認できた。
レイディルは一瞬思考をし、すぐさま覚悟を決める。
『そのことなんですが、全騎士に耳を塞ぐよう通達願えますか?』
レイディルの突然の願いに、エリオスは不思議そうな顔をしながら部下へと命じる。
「大隊長、一体なにがはじまるんでしょうか?」
「さあな、アレは未知だからなぁ……」
エリオスはそう言いつつも、期待を隠しきれない様子で笑っていた。
ヴァルストルムは門の端、崖際へとゆっくりと移動する。
『あー……テステス……』
レイディルは拡声機能を試すように数度呟く。
そして「ゴホン」と咳払いをし、声を一気に解き放った。
『西山道の門にいる帝国兵に告げる! 今からオレはそこを弓で射抜く! 死にたくなければ退避しろ!』
前方へと指向性を持たせた音声が、山間を駆け抜け轟いた。
耳を塞いでいたはずだが、さすがに音の余韻までは防ぎきれない。
エリオスたちの鼓膜が、わずかに軋んだ。
しばらく様子を窺っていたレイディルだったが、西の門に動きは見られなかった。
ヴァルストルムは弓を番え、一息に射ち放つ。
門から離れた岩峰が、放たれた矢によって跡形もなく消滅した。
一拍の沈黙。
西の門で、慌ただしく人影が動き出した。
『次は五分後に同じ一撃を門へ放つ。もう一度言う……死にたくなければ退避しろ!』
再びレイディルの警告が山に響いた。
「律儀ですね」
両手で耳を塞いだまま、エリオスがレイディルへと言葉を投げかけた。
『甘いのは分かってるんですが……これがオレのやり方です』
彼はそうキッパリと言い放つ。
「いえ。そちらもですが……警告の一撃の方も、ですね」
エリオスが何を言わんとしているのか、レイディルは少し考えた。
『あー……一応動物とかに影響の無いところを撃ちました、そういうの気にするヤツいるんで』
レイディルはアリーシアスを頭に思い浮かべる。
エリオスはその反応を見て、口角を上げていた。
エリオスとやり取りを交わしている間に、五分が瞬く間に過ぎた。
レイディルは確認のため操縦席の映像に目を凝らし、さらに念の為解析魔術を前方の西の門へと走らせた。
西門に人の反応は無し。残されたのは頑強な門と中型ギガスが二体のみである。
ヴァルストルムは弓を引き、一閃を持ってそれらを破壊した。
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進軍するレイラ大隊。
前方に門が見えた──その瞬間、中央道からの一射が門を跡形もなく粉砕した。
その光景を見たジルベルトが、腹を抱えて大笑いしていた。
「アッハハハ~。アイツムチャクチャするじゃん! そうよね、これくらいやってもらわないと!」
実に上機嫌だ。
「まっ、警告入れるのがアイツらしいわね~。あたしなら即撃つけど」
そんなジルベルトの手前で、アリーシアスが神妙な顔をしていた。
「あら、どうしたのアリーシアス?」
振り返り姫が彼女の顔を伺う。
「あっ、いえ、今何体のギガスを倒したのかなって……」
「それはレイディにしかわかんないね」
ウェリティアが即座に相槌を打ってきた。
「つまり、リーシアはこう言いたいわけでしょ。
『あっちもこっちも、全部あの人が処理してるけど……消耗、大丈夫?』って」
アリーシアスは誰に向けての言葉か、判断しあぐね、反応が遅れる。
「え、リーシアってわたしですか? なんで勝手にあだ名作ってるんです? やめてくださいよ」
「あれ? 違った?」
「心配事は合ってます。それとは関係なく勝手にあだ名作らないで欲しいです。そういうのはマリーさんだけで十分です!」
「……あー、あの豊満なおねえさんか……先に取られちゃったかー」
そんなやり取りを聞いていたジルベルトが、また大爆笑していた。
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「レイディル君、大丈夫ですか?」
エリオスがヴァルストルムの背後から声をかける。
「私が見ただけでも、かなりの連戦です。グレオールさんの言うことを気にしているなら、一度忘れた方がいい」
『オレは……』
そういうわけじゃない、レイディルがそう言いかけた言葉を、エリオスはピシャリと遮った。
「キミはちょっと気負いすぎじゃないかな? 中型ギガス以外は無視でいい。それくらいが今のキミには丁度いい」
エリオスは頭を掻きながら続ける。
「親切心から言ってるわけじゃないですよ。私が楽をしたいからです」
その声音に、冗談めいた軽さはあっても、命令の重さはなかった。
「もっと肩の力を抜くといい」
『そう……ですね』
レイディルは、数で攻められれば持たないのは自分だと、以前ウェリティアに説明したことを思い出す。
適材適所。レイラはそう言った。
(そうか、オレに必要なのは……)
レイディルは少し息を吐いた。
「戦場で重要なことの一つが『人に任せる覚悟』だと私は思います。それを頭の隅にでも置いといてください」
エリオスの言葉にレイディルはコクリと頷いた。
操縦席の中が見えるわけでもないが、エリオスは何かを察したように、クスッと笑った。
「では、砦のギガスは任せます」
レイディルはエリオスに向かって、軽くヴァルストルムの右手を上げ、山頂へと向かうため跳躍した。
「大隊長が、あんなこと言うの珍しいですよね」
部下の一人が、声を落として言った。
「そりゃそうだ。楽をしたいからね」
エリオスはヴァルストルムが飛び去った方角を見つめ、あっさりと答える。
「えー……俺たちじゃ、楽にならないってことですか?」
「いやいや。キミらのおかげで、随分と助かってるよ。ほんとに」
少し間を置いて、エリオスは続けた。
「ただまあ……トレルムの森での戦い、あっただろ? あの時は上手くやってた」
「……あぁー」
「見るに、今回はちょっと抱えすぎた、かな?
いっそ割り切ってくれた方が、多分良い動きをすると思う」
「それで楽になるなら、歓迎ですね」
おどけて言う部下の言葉に、エリオスはニッとりと笑って答えとした。
エリオス大隊も進軍を再開する。
山頂の砦を制圧するために。
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門を離脱した帝国兵士たちは、すでに砦へと集結していた。
混乱はない。報告も整理され、情報は共有されている。
砦の上層。
守備長は、門から戻った兵の一団を前に腕を組んでいた。
「件の巨人……どうだった?」
問われた兵は、一拍置いてから答える。
「デタラメな強さです……凍結魔術も上手くいなされました」
「本体には直撃していないと?」
「は、はい。」
兵はその時の状況を事細かく報告する。
守備長は、ゆっくりと頷いた。
「つまり、情報通り魔術そのものに耐性があるわけではない……本体に当たりさえすれば、効果はあるということか」
兵は、はっきりと首肯した。
守備長は視線を砦の外へ向ける。
十三の中型ギガス。そのどれもが頑強な鎧に身を包み、武器を携えている。
そしてそれを上回る数の小型ギガス。
陣形を組んだ兵士たちと、待機する魔術師。
砦に用意された数多の大砲。
迎え撃つための戦力は揃っていた。
数も、配置も、理屈の上では万全だ。
「来るなら来い……」
そう言って、守備長は構える。
その瞬間だった。
正面の空気が、歪んだ。
次の瞬間、嵐のような速度で、ヴァルストルムが迫り来る。
地形も、距離も、備えも、すべてを無視するかのように。
嵐が、砦へと突入する。
「前列! 中型ギガスを──」
言葉は、最後まで届かなかった。
ヴァルストルムの進路上にいた中型ギガスが、真正面から貫き潰される。
走力を乗せ、伸び切った槍。
穂先が鎧を貫通した瞬間、装甲が歪み、骨格が砕け、巨体は抵抗する間もなく地面へ叩き伏せられた。
止まらない。
突撃の勢いを殺すことなく、槍が振るわれる。
二連の横薙ぎ。
ヴァルストルムを標的と見据え接近した二体目、三体目。
その中型ギガスの頭部と腰が、破壊され崩れ落ちた。
「……ッ」
魔術師たちが反射的に魔術を放った。
砦前方を走る、凍結の魔力。
だが、ヴァルストルムは足を止めない。
片手で槍を前方に構え、回転させる。
それだけで、飛来した凍結魔術はすべて打ち払われた。
「ギガス! す、数体で囲――」
命令が形になるより早く、ヴァルストルムは砦の外縁を縦横に駆け、
指定されるはずだった中型ギガスを叩き伏せていた。
次の瞬間。
ヴァルストルムは氷を纏った槍を一直線に投擲する。
鋭い穂先が奥にいた中型ギガス二体をまとめて串刺しにし、 砕け散った氷塊が散弾のように飛散、小型ギガスへと降り注いだ。
命令が、追いつかない。
守備長は、何が起きているのかを把握できなかった。
判断を下した時には、巨人はすでに次の標的を見定めている。
凍結魔術が飛び交う。
だが、到達する頃には――そこに、巨人の姿はない。
ヴァルストルムは砦を縦横無尽に駆け巡る。
魔術の速度を超え、人の目を置き去りにして。
「風だ! 風魔術に切り替えろ!」
凍結魔術を捨て、術式が切り替わる。
風魔術。
守備長は拘束を捨て、到達速度だけを追求した殺傷術を選択した。
無数の魔術師から放たれた風の刃が、空を踊る。 薄く、鋭く、重なり合いながら、標的を切り刻むためだけに編まれた殺意。
風の刃が走る。
空気が裂ける。
だが風魔術がヴァルストルムに届くことはなかった。
「ヤ、ヤツは風より速いと言うのか……!?」
悲鳴に近い叫びが上がる。
──た、対魔術……ですか?──
レイディルはレイラの言葉を思い出す。
──出来るだけ……簡単な……そう、ですね。
使っているのは人ですし……要は──
人の反応速度を超えれば良い|。
今は眼前に邪魔なものはいない。
凍結した道もなく、好きに回避運動ができる。
レイラが教えてくれた対魔術を活かすには絶好の場所だった。
次の瞬間には、もう結果だけが残っていた。
中型のギガスたちは、抵抗らしい抵抗もできないまま、次々と地に伏していく。
誰かが叫ぶ間もなく、誰かが理解する前に。
ヴァルストルムの姿は、そこに確実にある。
しかし捉えられなかった。
最後の一体の中型ギガスが崩れ落ちる。
残されたのは小型ギガスと魔術師、そして兵士。
それらをもって、この巨人を止めねばならない。
帝国兵の誰もが、そう覚悟を決めた。
しかし──
巨人ヴァルストルムは砦に背を向け、山道の奥へと走り去っていった。
後に残されたのは、暴風吹き荒れたかのような砦のみ。
まさに、嵐が通り過ぎた後だった。
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砦を通り過ぎると、ほどなくして打ち捨てられた小屋が見えた。
かつて、宿として使われていた小屋だ。
リオ山の中央道は比較的緩やかで、人の足でも一日で踏破できる。
それでも、かつてはここで足を止める者がいた。
道の脇に建つその小屋は、その名残のように、今は静かに朽ちている。
レイディルはヴァルストルムを止め、小屋に視線だけを向けた。
中に入るつもりはない。
同時に、自分の呼吸が浅くなっていることも、魔力の消耗も、無視できなかった。
まだ戦える。だが、今のまま進むのは悪手だ。
「休む覚悟ってやつ……かな?」
短く息を整え、彼は決断する。
目立たぬよう道を外れ、ヴァルストルムを森の中にしゃがませる。
生い茂った木々が、そこにある巨体を森の一部へと溶かしていく。
操縦席のシートに背中を預け、少しの間、目を瞑る。
眠りはしない。緊張感を保ったまま、身体を休める。
今は、進軍する味方のことも、とりあえず横に置いておくことにした。
それは逃げでも油断でもなく、戦場に戻るための、覚悟を伴った休息だった。




