第四十六話「霧の奥の一点」
幾度目かの、風の魔術による霧散らし。
突風が戦場を駆け抜け、白を引き裂く。
だが、それはほんの一瞬に過ぎない。
引き剥がされた霧は、すぐさま寄り集まり、再び視界を覆い隠した。
そのわずかな晴れ間を縫い、アルバンシア軍は反撃を試みる。数体のギガスを沈黙させることには成功した。
──それでも、状況が好転したとは言い難い。
「これを繰り返せばいずれはギガスを全て倒せる…か」
バーグレイ将軍が独り言のように呟く。
「理屈の上では──だが」
魔術の霧の中、魔力負荷──体が魔力に晒され続けることによる歪みは、常に付きまとっていた。いわゆる、ジリ貧と言うやつだ。
そして理屈通りに進む戦など、そう多くはない。
二号車の中でジルベルトが腕と背中を椅子に預け、顔を上げ天井を見つめながら、新しい棒付きの飴を口に放り込む。
「運転手ちゃん…え~と、ウェリティアちゃん、だっけ?」
体勢はそのまま、視線だけを運転席へと向ける。
「なんです? いま霧の中運転するのに結構神経使うんですけど」
邪魔をするなと言いたげな返事だった。
「しつも~ん、霧はどうやったら成立しなくなる? 科学的見解お願いね~」
「はぁ……? あぁ、風とか乾燥とか、気温の上昇……あとは雨が降ったら、ですかね」
「ふむ、こん中だと一番やりやすいのは……高温ってとこかしらね」
ジルベルトは二号車の窓を勢いよく空け放ち、声を大にして言った。
「グレオ! 魔術師に通達、火の術使用! 術はえぇっとブレイズ・サージ! 範囲限定、威力は要らない、場の温度が少し上がればそれでよし!」
唐突に声をかけられたグレオールは、自身の呼び名に戸惑いながらも、各所へ伝令を飛ばした。
各持ち場で次々と術が発動する。熱を含んだ空気が、むわりと重く騎士たちの肌にまとわりついた。術はその程度の温度変化をもたらした。
ブレイズ・サージの発動からほどなく。
これは効果があるのだろうか?
誰かがそう思った時、徐々に変化が訪れた。霧の白が、まるで熱に溶ける飴のように端から透け始めた。
輪郭がぼやけ、密度が薄くなり、そして──
「見えた! 敵の姿がはっきり見えるぞ!」
前方から誰かの叫び声が上がる。
霧はもはやただの白い靄ではなく、熱気で押し出されるように後退し、戦場の輪郭がくっきりと浮かび上がってきた。
気温が上がることで、空気の飽和水蒸気量が増す。結果、湿度は下がり、霧を構成していた水分は保てなくなる。
──霧は、蒸発していた。
そうして防御一辺倒だったアルバンシア軍は反撃を始めた。
グレオールが伝令を飛ばしながら、二号車に近づき、苦笑まじりにジルベルトに呟いた。
「いやはや変な呼び名は勘弁してくださいよ……でも起死回生の一手、助かりました」
そう礼を述べる。
だが声をかけられたジルベルトは真剣な顔をして辺りを見渡していた。
「術の範囲はおおよそ戦闘区域、うん、ちゃんと範囲を絞れてる上出来」
そう納得の声を出すも未だ表情は険しい。
「なんです? まだ何かあるんですか?」
「魔術を少しでも齧ってれば、察しはつくと思うんだけど……ほんとに分からない?」
「勿体ぶらないでください」
「ん~……作れたのは反撃の機会だけ、ってところかなぁ? ブレイズ・サージ展開してる分の魔力負荷はあるし、維持の消費だってしてるしね~」
そう言ってジルベルトは前方を睨む。
「何より、敵に焦りが見えない、かな?」
この位置から敵が見えているわけではないが、それでも帝国兵の部隊の動きに大した変化は見られない。何かあればすぐさま伝令が入るだろう。
それを加味しつつ、彼女は告げた。
「つまり、対処も折り込み済み──だと」
「どうかしらね?」
戦闘区域の視界は晴れた。しかし、依然としてタイムリミットは存在していた。
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山間、奥深く。
アルバンシア軍を一瞥できる高所。
そこには霧に紛れ木々に潜むように佇む一団がいた。
「報告。アルバンシア軍は霧を中和。現在小型ギガスと交戦を再開した模様」
保護色、緑のマントを羽織った兵隊が崖先に陣取る男に報告をする。
男は、他と同じ保護色の装備に身を包んでいた。だが肩口の縫い目だけが補強され、使い込まれた指揮紐が外套の内に隠れている。
フードを目深に被り、そこから覗かせる目を眼下へと降ろす。
腕組をしたまま、静かに顎を引いた。
「存外対処が早かったな。だが、このままでいい。我々の目的はこのまま相手を削ることだ」
戦いとは、決して倒すことばかりでは無い。
男はそう理解していた。言葉数は最小限。だが的確に指示を出す。
「このまま霧は出し続けろ」
自分たちは妨害部隊。派手な戦果はいらない。
しかし、この霧にいくつもの敵が嵌ってきた。
対処されても効果的である。そう、有用だという自負がある。
さらに自分たちは戦場から距離を取り、霧に紛れている。
敵の視界に映ることすらない。
周囲にはギガスを配置し、索敵への備えも整えてある。
仮に霧の発生源を断つため敵が部隊を分断したとしても──それは、さらなる消耗を選ぶだけの判断に過ぎない。
表情一つ変えず男は静かに戦況を見やった。
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ジルベルトは一時的に霧が晴れた戦場の断続的に響く衝撃音に耳を澄ませながら、低く言った。
「ん~……どう対処しても、魔術を使えばこちらが削られる。これ自体が目的かしらね、多分」
魔力負荷。戦線を維持する限り、確実に蓄積していく消耗。
グレオールが腕を組み、短く息を吐く。
「つまり──我々は即座に目の前の敵を殲滅するか、あるいは霧の根源を叩くしかない、ということですか……」
「部隊、分けてみる?」
ジルベルトの提案に、グレオールは首を振った。
「……それはまずい。敵が妨害を目的としているならば、索敵に出た部隊を各個に削られるだけです」
ブレイズ・サージの効果外──そこは霧の中だ。どこに敵がいるか分からない。分断は、向こうの思う壺だろう。
短い沈黙の後、シエナ姫が言葉を出す。
「だとすれば……頼れるのは、二つだけね。
一つはリオルドさん」
「いや~無理でしょ」
ジルベルトは即答した。
「アイツは別の目的を持って動いてる。ここで切れる札じゃないわ。姫もわかってるでしょ?」
その言葉を受けて、シエナ姫は苦笑し静かに頷いた。
続けて今度はアリーシアスが口を開く。
「……だとすれば、もう答えは決まっていますね」
全員の視線が、自然と──窓越しに立つ車外のグレオールへと集まる。
彼は何も言わず、ただ目を伏せた。
その時、アリーシアスがふっと視線を上げた。
「……合図、送ってみます。少し、意味は込み入りますけど」
シエナ姫がわずかに目を細める。
「気付いてくれるかしら?」
「霧の中ですし、確実ではありません。でも──」
少女は小さく息を吸い、空を見上げた。
「伝わる人には、伝わるはずです」
次の瞬間、アリーシアスの魔術が発動した。
火の魔術が、霧を裂き、空へと打ち上がる。
それは攻撃ではない。
アリーシアスが意味を託した、合図だった。
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ヴァルストルムは、一矢を放ったあと、高所を離れ、岩肌に沿って移動を開始していた。
例に漏れず辺りには霧が立ち込めている。
「まいったな……外は真っ白だ」
そうボヤキながらも操縦席のレイディルは、ヴァルストルムを止めることなく、慎重に山間を一歩、また一歩と進んでいた。
「山の天気は変わりやすいって言うけど、こんなになるもんなのか」
彼には、この霧が自然のものか、魔術によるものか、今の位置と状況では判断する材料を持ちえなかった。
「ともかく、気をつけないとな。崖から落ちたら目も当てられない」
深く立ち込める霧の中、彼は最小限の解析魔術を用いて進む。周囲の把握は短く端的に。足場さえわかればいい。
それも消耗を減らすための彼なりの策なのだ。
ふと、左斜め後方、霧の先に赤い一筋の線が走る。
「?」
レイディルは即座に機体を振り向かせ、訝しげにジッと白の向こう側を見た。
うっすらと見える赤い線は空に登り、やがて弾ける。
「魔術か……」
あの位置ならば現在、レイラ大隊が小型ギガスと帝国兵の混成部隊と戦っている場所だ。
流れ弾……なのだろうとレイディルは考えた。
(それにしては角度が……)
破裂音は遅れて届いた。爆発系の火の魔術。威力は抑えられ、霧を晴らすほどの熱量もない。それでも、空へと打ち上げられている。
霧に遮られながらも──どこかで、見た火花。
……記憶が、一気に繋がる。
以前、夜空を彩った、あの炎。
仕上げを知らせるための合図。
「……アリシアかレイラさんか」
わざわざ空へと合図を送るということは、なにかがあったということ。
(なんだ……援護が必要? 助けに行くか?)
レイディルは少し思案する。
助けが必要なら、位置を示す合図になるはずだ。つまり、これは救援信号ではない。
事前の取り決めもなく、レイラがこんな合図を送ってくるとも思えない。
「だとすれば、アリシアだな」
重要なのは、彼女が“合図を送ってきた”という事実だった。
「アリシアといえば……なんだ──」
レイディルは顎に手を当てブツブツと独りごちる。
「アリシアといえば……ジト目……違う違う」
余計な情報が頭をよぎるが直ぐに振り払い思考を正す。
「彼女の特技は魔術……魔術……」
そう呟き、何かが彼の中に閃いた。
「あぁ、この霧は魔術……か?」
だが──本当にそうだろうか?
レイディルは一瞬だけ、己の推察を疑った。
魔術で霧を張り続ける──その意味を、レイディルは考えた。
「……いや、違う。霧は視界を奪うだけじゃない」
レイディルは、少し前に味わったあの感覚を思い出した。 無意識に左手に力を込める。──あの時の、じわりとしただるさ。
「魔力負荷にギガス……なるほど、嫌な組み合わせだ」
……自分の読みは、合っているはずだ。敵の狙いは消耗戦。
「つまり、これを何とかしろってことか! なんて回りくどい合図!」
彼は遠くのアリーシアスにツッコミを入れ、即座に気を入れ直した。
「……だったら、やることは一つか」
そう言い操縦桿を握り直す。
「魔力の消費を気にしてる場合じゃないな」
ここで躊躇えば、それだけアルバンシアが削られる。
そしてレイディルは魔力を全開にし、解析魔術を届きうる範囲全てに広げる準備に入る。
「必要な情報は人……いや、待てよ? 戦場にはかなりの人数がいる。それを少しの情報だとしても拾うのは危険だな……」
解析魔術は“情報”を脳に直接流し込む。
それを戦場規模の人数に向ければ、ほんの断片的な情報であっても、思考が押し潰されかねない。
ならばどうすればいいか。
ふと、大型ギガスに向けて解析を放った時のことを思い出す。魔力の本流にぶつかり、解析の魔力が押し流され、まともに像を結べなかったあの感覚。
「そうだな……」
霧が魔術であるなら、その中心には必ず──解析を拒むほどの魔力の奔流がある。
霧そのものは、すでに拡散した魔力が現象として残っているにすぎない。
だが、術式を維持し、霧を生み出し続けている“発生源”だけは違う。
そこでは魔力が渦を巻き、解析の魔力を弾き返すほどの流れを作っているはずだった
レイディルは解析魔術の出力を意図的に落とし、それを薄く、広く、霧の中へと流し込んだ。
見るのは“映る場所”ではない。
映らない場所──魔力が強すぎて、解析が弾かれる空白だ。
彼は解像度を捨て、分布だけを拾う。
「……ひとつ、ふたつ、みっつ……」
霧の中に、いくつもの空白地帯が浮かび上がる。
位置関係から見て、アルバンシア軍だろう。
何らかの術で霧に対抗している──その魔力が、解析を弾いている。
だが、それらとは別に、高所にひとつ。
異質な空白があった。
戦場全体を見渡せる位置。
そして霧が最も濃く、自然の魔力の流れとしては不自然な場所。
そこだけが、周囲とは“作られ方”が違う。
──霧を生んでいる中枢。
「……ここか」
レイディルはそう呟き、狙いを定めた。
瞬間、ヴァルストルムが跳ねる。
霧に沈んだ山肌を踏み抜き、巨体が一足飛びに宙を裂いた。
目指すのは、解析が弾かれた“空白”──霧の奥に隠された、ただ一点の異物。
風を裂く衝撃が、操縦席へと叩きつけられる。
だがレイディルは操縦桿を離さない。
(……まだだ。撃つのは──)
敵がそこにいると確信する、その瞬間まで。




