第五話「誇りを抱いて」
砦に向かった時よりも速度を落とし、巨人は駆ける。
万が一、人を蹴飛ばさないよう街道を大きく逸れ。
それでも馬が全力で走るより遥かに早かった。
早朝、村を出て約三時間で砦に到着し、砦を出たのは正午を過ぎた辺りだ。
この速度なら休憩を挟みながらでも、夕食頃には王都に着くだろう。
「夕食……そういえば昨日の昼から、何も食べていないな」
馬車に乗っていた時に、食べていたパンが最後の食事だ。
食事と睡眠はきちんと取れ──そう言っていた執政官の言葉を、ふと思い出す。
先ほどの戦闘の影響だろうか、身体に疲労が溜まってきた。
もう少し進んでから昼休憩をとる事にしよう。
日はすっかり落ち、王都にも夜が訪れる。
他の場所と違うのは、活気を失っているとはいえ、王国最大の都市。
街は街灯の光に照らされ、一部の店は賑わっていた。
魔力を街灯に注ぐ結晶体は、街灯の明かりと共に微かに光を発し、仄かな輝きを帯び、幻想的な雰囲気がいっそう強くなる。
酒場では多くの人の声がした。
大半が酔いに任せた愚痴ではあるが。
レイディルは機械の巨人を、王都から東門を出た風車と畑のさらに先の平原に、ポツンと残った半壊した倉庫に隠してきた。
夜の帳が降り、あの場所なら誰の目にも留まることはないだろう。
距離を歩いたので、時刻はすっかり夕飯時を過ぎていた。
城に行き執政官に報告をしなければ……夕飯はその後だ。
あまり遅くなっては悪い。
しかし、この時間もまだいるだろうか?
(あの人ならいそうだけどな)
などと考えていると、いつの間にか城まで着いていた。
門番に挨拶をし、執務室に赴く。
「食事はちゃんと取れと言ったつもりだが?」
執政官の第一声がそれだった。
気を使ったつもりが、逆に裏目に出た。
「報告してから取るつもりでしたよ」
レイディルが少しムッとしてそう言う。
「そうか、そうだな。ところで巨人はどこに置いてきた?」
執政官はバツの悪そうに話題を切り替えた。
「郊外の今は使われていない倉庫、そこに隠してきましたよ。場所はご存知ですか?」
「ふむ、あそこならば人は滅多に近寄らないか。悪くない選択だ」
執政官は短く一息ついてから続けた。
「とりあえず報告はここまででいい。
今日はもう遅い。明日、改めて来るように。
それに、しっかり寝るようにな。寝坊しても構わんぞ」
執政官は軽く手を振って答えた、まるで追い払うような仕草だ。
レイディルはその言葉を受けて、既に人気の無くなった夜道を一人、静かに帰路に着いた。
家に着くと、あの執政官の言う通り、軽めだがちゃんと食事を取り、ベッドに潜り込んだ。
長い一日だった。いや昨日の昼から王都を離れていたから、一日半か?
急に色々ありすぎたな……と出来事を思い返しているといつの間にか眠ってしまった。
朝食をしっかりと取り、準備を整え朝早く城に赴く。
朝の爽やかな空気が、溜まった疲れと、眠気を少し和らげてくれるようだった。
城に着くとレイディルは、賑やかな声を耳にした。
普段なら静かな城内も、今日は何だか一層活気づいているようだ。
いや、違う。
これは活気ではなかった。
歳を召した老人の声だ。それともう一人──
「いけませんぞ、郊外へ出るなど!
万が一があればどうしますか!」
「あら、何故かしら爺や?
別に私一人と言うわけでも無いのに。
それに父が病床に伏せる今、私が代わりを務めるべきでしょう?」
背中まで伸びた金の美しい髪と、煌びやかなドレスを身にまとった女性……その端正な顔立ちは建国祭などで見覚えがある。
シエナ・ゼルテ・アルバンシア。
この国のお姫様だ。
お姫様が執事と言い合っている。
民衆の前に出る時は、お淑やかなイメージがあったが、目の前にいる姫には思ったよりお転婆な一面があるのかもしれない。
「貴方もそう思うでしょう、ダイレル」
話を振られては、流石のダイレル執政官も拒否はできなかった。
「確かに護衛の兵は連れていきますが……」
頬には冷や汗が流れる。
(早起きはするもんだな。執政官の面白い顔が見られた)
レイディルは苦笑した。
すると姫はこちらに気づいたらしく──
「まぁ! 貴方が機械の巨人を動かした整備士さんね!」
姫が長いスカートをはためかせ、走ってくる。
「聞いたわよ、あの大きくて硬いギガスをいとも簡単にやっつけたそうじゃない!」
レイディルの手を握り上下にブンブンと振り回した。
意外と力が強い。
レイディルは肩が抜けるかと思った。
「……随分と早かったな」
寝坊しても良いとは言われたが、流石に出来なかった。郊外に置いてきた巨人の事もある。
後ろ腰で手を組んだ執政官が近付く。
「姫、姫の勢いに彼が困っています。少しばかり、ご冷静に」
「私としたことが、これは迂闊。
失礼しました整備士さん」
執政官の声に姫はハッとし手を離す。
そしてシエナはお姫様らしい表情と雰囲気に変わった。
「来てくれたのなら都合が良い。今から郊外に行くところだ」
先に巨人の様子を見に行くつもりだったのだろう。
「もちろん、私も一緒にね」
と、姫が言う。同行すると決定したようだ。
離れた場所にいる執事が泣いている。
外に停めてあった豪勢な馬車に乗り、郊外へ出発する。
周りには馬に乗った護衛の騎士が数人。
キャビンには姫と執政官、そしてレイディルが乗っている。
(なんか場違いな気がするな……)
国の偉い二人と同乗するのは実に居心地が悪かった。
しかし、それを意にもかいさず姫はウキウキとしていた。
時折、姫から話を振られるが、実に他愛もない話だ。
執政官はずっと黙りこくっていた。
「ねぇ、整備士さん。わかる? この人ずっとこんな感じなのよ。
寡黙というか口数が少ないと言うか、面白みがないというか……つまらないのよね」
ここぞとばかりに言いたい放題だ。
ダイレルのこめかみがピクピクと震えているが、
レイディルは面白くて、放っておいた。
馬車に揺られしばらくすると、昨日巨人を隠した倉庫が見えてきた。
こちらからはしっかりと隠せているようで、レイディルは少し安心した。
馬車を降り、ダイレル執政官が巨人に乗るよう促す。
レイディルはその指示に従い、巨人の元へと向かう。
倉庫の影からゆっくりと巨人の姿が現れる。
その背丈は高く、目の前に立つだけで圧倒されるような存在感だ。
騎士たちは驚きの声を漏らし、姫は歓喜の表情を浮かべた。
「凄い! 見たことないわこんなの! どうやって動いているのかしら!」
興奮する姫を、なだめるかのように、ダイレル執政官が言う。
「姫落ち着いてください……予定より早いですが、まずは事を進めましょう。良いですね?」
姫に確認を取り執政官はレイディルに呼びかける。
「レイディル君、こっちへ!」
呼ばれた通り、シエナ姫とダイレル執政官の前へ、少し離れ巨人をしゃがませた。
ハッチを開き、レイディルが執政官に問う。
「それでこれからどうするんですか?」
彼の言葉に、執政官は少し間を置いて答えた。
「……急な話で悪いが、今よりこの巨人は、王国の守護者となる。
その力を持って、我が国の英雄となるのだ」
つまり、この巨人で帝国と戦えと言っているのだ。
「……個人的には、君を戦争になど巻き込みたくは無いのだがな」
ダイレル執政官はなにか思うところがあるのかいつもの態度ではなかった。
しかし砦の戦いは凌いだが、まだ劣勢だ。
手段は選べないのだろう。
姫がレイディルを見つめ、答えを待っている。
自分は確かにわざわざ戦いに行くような人間ではないとは思う。
(いつだったけかな、騎士になって皆を守りたいとか思っていたのは)
遠き日の幼い自分を思い出す。
「正直、ギガス以外と戦えるかはわかりません……」
圧倒的な巨人の力は容易く人を殺せるだろう。
彼にはその覚悟はまだ無い。
しかし、それは仕方の無い事だ、と執政官は思った。
「でも、巨人を動かせる責任はあると思います。英雄になるかどうかなんてわからないけど、守らなきゃいけないものはあります……」
一人の少女が頭によぎる。
その少女が、命を賭して守り抜いた村を思い出す。
戦火に泣く人が減るのならば、とレイディルは決断した。
「では、シエナ・ゼルテ・アルバンシアの名のもと、レイディル・フォードウェル殿。
我々はあなたの力に賭けましょう。
我が国のために尽力されんことを心より願います。
どうか、国家を救うため、その力と知恵を振るってください」
手を胸の前でしっかりと組み、ほんの一瞬だけその手を軽く握りしめる。
その指先に込められた力強い思いが、レイディルに伝わるように感じられた。
姫の目は真摯で、迷いを一切見せることなく、彼に向けられていた。
「さてと、形式上の任命式は終わりかしら?
後は民へ演説ね」
あっけらかんという。
先程までの王族らしい雰囲気はどこへ行ったのか。
レイディルもダイレル執政官も口をポカンと開けていた。
そんな二人を他所に、姫は巨人に向き直り、
「それにしても、この巨人……」
シエナ姫は、逆光の中で目を細めた。
光を背に受け、巨人の影が地面に長く伸びる。
巨大なその存在は、静かに跪いていた。
「──まるで騎士のようね。」
彼女の言葉が、静かな風に乗って広がる。
レイディルは姫の横顔を見た。
その瞳は、ただ真っ直ぐに巨人を見つめていた。
太陽の光を受け、巨人の身体は静かに輝いているようだった。
「本当に大丈夫ですか? 急にこんなのが現れて、街の人たち驚かないですかね?」
不安げに巨人を動かし移動させる。
今から街へ巨人を連れて移動するところだ。
ただし街へ入る門は、来た東門ではなく、わざわざ南に周り込み正門から入る。
「折角の勝利の立役者だもの。威風堂々、
その姿を皆に見せてあげましょう」
姫は握りこぶしを作り、高々と振り上げた。
「凱旋よ!!」
姫の馬車を先頭に、街へ入る。
巨人の重量に石畳は耐えられるか心配だったが、思ったよりも巨人は軽いようだ。
街の人達の困惑と興味と驚きと、様々な目が巨人に注がれる。
あれはなんだ?なんと巨大な……ギガスってやつじゃないのか?
街には困惑の声が木霊する。
人々の混乱は当然だろう。
しかし、それも王族専用の馬車が先頭を往く事で、安心へと変えた。
馬車には姫が乗っておられる。周りには騎士達もいる。
だったらあの巨人は安全なのだろう、と。
驚くほどスムーズに混乱もなく城に到着した。
城に着くと巨人は、前庭で膝を落とした。
「さて、これからの予定だが、レイディル君が担当していた区画には、二人の整備士を充てることになっている。後ほど、引継ぎを頼む。」
執政官は手に持った紙をパラパラとめくり、スケジュールを確認する。
「あとはそうだな──」
言いかけたその瞬間、姫が紙をぶんどった。
姫は紙を見つつ、
「一週間後に演説を行うわ。
我が国に新しい希望が生まれたってね」
姫はにっこりと笑って続ける。
「お父様は具合が悪いから、演説するのはもちろん私よ!
でもお父様にも、顔見せくらいはしてもらうけどね」
執政官は何も言わず、ただ黙って見守っている。
どうやらいつもの事らしい。
「そうね、残りの予定は演説後かしら」
姫はスケジュールに不満げに言葉を続けた。
「……なにこれ、勿体ぶってるわね、このスケジュール……」
執政官の決めた予定に対して、姫は愚痴をこぼす。
執政官は一瞬考え、答える。
「勿体ぶってる訳ではありません、姫……
ただ、レイディル君には少し休養を与えたかっただけです。他にやることもございましょう。」
気を取り直し、執政官は続けた。
「まずはその間に引継ぎを終え、その後は少し休め。
姫の演説後には、巨人で帝国を討つ為の作戦に参加してもらう。
王都を出ることになる。身近な人物には、別れを済ませておけ」
執政官は姫と打ち合わせがあるといい、二人は城の奥へ消えた。
城を後にし、帰路に着く。
演説が終わり、作戦が開始されれば、戦いが待っている。
レイディルは夕暮れの道を歩きながら、今後の自分の役目について思いを巡らせていた。
本当に自分にやれるだろうか。
戦うことに自分は慣れていないのだ。
そう考えながら、赤い太陽がさす道を一人歩くのだった。