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第三十七話「陽は昇り、脚は沈んだ」

 翌早朝。

 まだ陽の登りきらないカーネスの街は、ひんやりと静まり返っている。

 広場の前の芝生には、夜露を含んだ空気がそっと漂う。



「うーん、やっぱり……詰め込みすぎなのか?」


 レイディルは肩を回しながら、自分の予定を思い返していた。


 アリーシアスに「アホ」と突っ込まれたことが気になり一晩中考えていたのだ。

 本日からは『朝の運動』に『剣術の訓練』が新たに追加される。



「とはいえ、やると決めた以上、やるしかないか」


 レイディルが軽く息を吐いたその時──

 芝を踏む小さな足音が近づいてくる。





「おはようございます……レイディルさん」


 振り返ると、レイラが凛とした姿で立っていた。

 以前見た運動しやすい格好で、手には二振りの木剣。

 夜明けの薄明かりに照らされたその横顔は、どこか引き締まって見える。



「おはようございます。今日から……よろしくお願いします」


 レイディルは頭を下げた。


「運動のついで、ということで……気軽にいきましょう」



 新しい一日の始まりとともに、二人の訓練も幕を開けるのだった。








 太陽が地平線から顔を出しカーネスを照らす。

 街には朝餉の匂いが広がりはじめる頃。

 防壁の足元を、二つの影が駆け抜けていた。


 レイラとレイディルだ。



 走り出してから二時間ほど、レイラは頬をほんのり赤らめ、額にうっすら汗を浮かべている。

 まだ息は乱れていない。


 一方のレイディルはというと、両膝に手をつき、今にも崩れ落ちそうだった。



「ふぅ……すっかり朝食の時間ですね」


 レイラは肩にかけたタオルで汗をぬぐいながら、辺りに漂う香ばしい匂いをスンスンと嗅ぐ。


「……ハァッ……ゼェ……ッ……」


 レイディルは返事をしようと口を開くが、声にならない。

喉から漏れたのは、かすれた息だけだった。



 まずは基礎体力から。


 体力がつけばヴァルストルムの無茶な機動にも耐えられるようになるし、生身での戦闘にも役立つ。

 レイラの提案に、なるほどとレイディルは素直に頷いた。──頷いてしまった。


(思ったより……ヤバいぞ……これ……!)



 ことの発端は朝の相談だった。



――――



『どうしましょう……どの程度がいいのかな……』


『じゃあレイラさんが普段走ってる量で行きましょう!』


 ジョギングの距離に悩むレイラへ、軽いノリでそう返した自分を、いまレイディルは全力で殴りたい。

 その『普段』という基準が、人間の域をとっくに超えているなど、そのときは知るよしもなかった。



――――



 すでに街を何周走ったか、レイディルにはもう数える気力すらない。

 それでも、これがレイラの『普段』らしい。


「あと少しです……がんばりましょう……!」


 今にも倒れそうなレイディルを見てもなお、彼女は頑張ろうと言ってくる。


 その顔は屈託の無い満面の素敵な笑顔だ。


 そんな顔を見ようものならば、さすがに無理という訳にもいかなかった。


 (オレにも意地がある……!)


 自分から言った手前、諦めたくなかった。

 レイディルは己を奮起させ身体を起こす。


「あと少し……あと街を半周です!」



(よし、あと半周……半周だ! ……半周ってなんだ!?)


 レイディルはその言葉を聞き、思わず膝が笑い、崩れ落ちそうになった。









「お疲れ様です……無事走りきれましたね……!」


 一通り走り終え、また中央の広場へと戻ってきた二人。

 すがすがしい表情のレイラとは対照的に、レイディルは芝生に大の字のまま沈黙していた。



「時間はかかっちゃいましたが……まさかレイディルさんが走り切れるとは思いませんでした……!」


 返す言葉はない。レイディルはただ、ぐったりとした腕を小さく持ち上げ、

 『聞こえてる』という意思だけを示した。



「えー、それでは……剣の稽古をはじめたいんですけど……」


 レイラは木剣を取り出して待つ。しかしレイディルは、ピクリとも起き上がる気配がない。


「…………」


「……次回からは、走る量、調節しますね」


 レイラはそっと木剣を下げ、小さく苦笑した。







 朝の運動が終わり、レイラは報告書作成のためと言いパンを咥え、慌ただしく宿を走り去って行った。

 その足取りは軽く、運動の疲労など全くないかのようだった。



 レイディルは宿のとなりの空き地でプルプルと震える足に力を込め、なんとか立っている。

 気を抜けば地面にへたり込みそうなほど、膝が笑っている。



「集中力乱れてますよー」


 傍らで本に視線を落としながらアリーシアスが、ぶっきらぼうに言い放つ。


「朝から無茶な運動すればそうなるのは当然です。

量を増やせばいいってものでもないですよ」


「……レイラさんにもそう言われた……」


 初日は提言したレイディルの顔を立て、普段の運動を一緒にしたという。

 それでも速度は大分落としていたらしいが。



「はい、手に魔力を集中、あと五分維持」


 今は朝食を取り終え日課の魔術訓練だ。

 今日は特別にアリーシアスが指導してくれている。


 とはいえレイディルは胃が朝食をほとんど受け付けなかったが……


「ムムム……」


「何がムムムですか、ちゃんと集中してください。魔力揺らいでますよ」


「そうは言っても……」


 手に集中すれば足の力が抜け、足に集中すれば手の魔力が抜ける。

 疲れきった身体での魔術訓練はいつもよりも難度が高かった。



「そもそもですね、一晩中街を走り回れるような人ですよ? 普通の体力してるわけないじゃないですか」


「……いや……うん、失念してた」


 しかし、身体がこんな状態だ。

 今日は休み、体調をしっかりと戻してから魔術の訓練をした方が効率的ではないか。

 そんな考えがレイディルの脳裏にふとよぎる。



「戦場では、力は常に下り坂です。疲労や怪我などで思うように魔術が組めない状況は多々あると思います。

不調の中で最低限を維持する──いい機会なんで訓練しときましょう」


 そんなレイディルの思考を見透かしたようにアリーシアスは言った。


 戦いの場では常に消耗を強いられる──たとえ万全であろうとも、削られ、落ちていく。

 確かに、と思ったレイディルは、出来るだけ集中を保とうとした。








 建物の影は短くなり、街の木々の葉一枚一枚が光を浴びてきらめきはじめるそんな時刻。

 お昼時にはまだ少し時間がある。

 レイディルは魔術訓練を終えると、大工房へ向かう準備を始めた。



「えぇ……そんなに疲れていてもまだ解析進めるんですか?」


「早いこと知れることは知っとかないといけないしな。可能な限りは進めたい」


「うーん……」


 レイディルの言葉にアリーシアスは唸る。


(……このまま一人で行かせるのはマズイかな)


 先程の魔術の訓練時に集中力を欠いた状態を何度も見た。

 ただ魔力を一箇所に集中するだけや防御魔術ならば問題は無いが、制御を誤れば危険な解析魔術(アナライズ)を今の状態で使わせるには些か不安であった。


 もっとも使い慣れているレイディル自身もそのことは重々承知だろう。


 だが……


(この人、すぐ無茶しちゃうからなぁ……)


 読んでいた本をパタンと閉じ、アリーシアスは口を開いた。



「それじゃあ今日はわたしもついて行きますよ。

……念の為です、念の為」


 その声色は少し強い。



(オレが倒れないように、か)


 『念の為』さすがのレイディルもこの言葉の意図を理解する。



「さすがにそこまで無茶はしないつもりだけど……」


「……どうだか」


 レイディルの返しにアリーシアスは呆れ混じりの言葉をひとつ。



「それじゃあ私も一緒に行くわ」


 宿の扉を開き、爽やかな風と共にマリーの声が二人に届いた。



「そろそろ商店が再開するそうなの。

ついでに食材の買い足しもしたいし──」


 ついでに宿の主人にも必要な物を聞いてきた。

 と、マリーは付け加えた。


()()()は多いほうがいいでしょ?」


 頬に人差し指を添え、マリーは悪戯っぽい笑みを浮かべた。



 結局はいつものメンバーでヴァルストルムの元へ向かうことになった。







 ここに来るのは何度目だろうか。

 レイディルはそんなことを考えながら扉へ手をかけた。


 いつもより重い。

 足に力が入らず、踏ん張りが利かない。


 ぐっ、と力を込めたその時──

 マリーがそっと横から手を添える。


「はい、どうぞ」


 彼女の加勢で、扉は重い音を立て開いた。



 広々とした工房の奥ではクラウス博士が忙しなく動き続けていた。


 今は部品を組みたて、なにかを作っているようだ。

 設計図を見ずに、迷いなく手を動かしていく。



 博士がレイディル達に気づき、その手を一度止める。


「やぁ御三方、揃ってご出勤かい?」


 にこやかに冗談交じりで、声を工房の奥から飛ばした。




 三人は博士の元へと歩み寄り、互いに直近の予定や進捗を報告し合う。



「ほうほう、レイディル君は魔術と剣の特訓か。

あんまり無理はしちゃダメだよ」


 博士の言葉にアリーシアスとマリーはうんうんと頷いた。



「それで大型クリスタルムはどうですか?」


 レイディルはとりあえず話題をそらすべく、話を切り出す。


「工場の機械の使用許可を貰えたんで、さっき仕様書を預けてきたところだよ」


 仕様書という言葉が気になり、レイディルは聞き返した。



「普通のものとは違うんですか?」



 博士はニヤリと笑いながら、少し間を置いて言った。


「少しだけ、ね。

まあ出来上がりを楽しみにしててほしい」


 ずいぶんと勿体つけて言う博士だ。


 そして レイディルが博士の作っているものに目を落した瞬間、博士は、よくぞ気付いたと言いたげな目でレイディルを見返した。




「これはね、前に見せてくれたヴァルストルム君の設計図……あれを元に改良している衝撃吸収機構だよ。

完成にはまだ少しかかるかな?」


「ということは、機動馬車は前よりも更に安定した走りができる、と?」


 アリーシアスが聞く。


「ご明察! 上手くいけばアリーシアス君も大満足な仕上がりになるはずだよ」



 以前の走りも特に不満はなかったと思いつつ、アリーシアスが機動馬車の方に振り向くと、シュタちゃんとフォルちゃんの足周りが分解されていた。


「ああ、あの二騎も改良しようと思ってね。

少々申し訳ないけどバラさせてもらっているよ」


「大改造ですねぇ」


 マリーが頬に手を当てしみじみと言った。


「なにか……手伝うことはありますか?」


 さすがに一人では手が足りないだろう、そう思いレイディルが聞く。

 その後ろではアリーシアスとマリーが必死に首を横にブンブンと振っていた。


 博士は苦笑して答える。



「ははは、いや、今は必要ないかな……というより君は君のことを優先してやるといい」


 博士はしっかり察してくれたようだった。

 レイディルの後ろでアリーシアスが親指をグッと立て、僅かに口元を緩めた。



「そうですか、じゃあ必要になったら声をかけてくださいね」


 そう言いつつレイディルはヴァルストルムの方へ向かった。

 アリーシアスとマリーも後に続く。



「うーん、二人はお目付け役、といったところかな?」


 博士は誰に聞こえるでもなく小さく呟いた。




 機動馬車から少し離れた場所で、ヴァルストルムは片膝をついた姿勢のまま静かに待っている。


 その少し前方でレイディルは何をするでもなく、マジマジと機体を見上げている。



「解析、しないんですか?」


 アリーシアスが首を傾げ聞いてきた。



「この前博士がさ、職人さんが持ってきた部品をパッ見て、精度が出てないとすぐに見抜いたんだよ。あれが凄くって……解析ばっかじゃなくちゃんと『見る』ことも必要かなって思ってさ」


 目線は機体へと注ぎながらレイディルは独り言のように呟いた。


 レイディルと同じように二人も機体の観察をはじめてみた。


 改めてヴァルストルムを見ると、直線で構成された装甲は力強さを、曲線で構成された部分はしなやかさを感じる。


 アリーシアスはぐるりと機体の周りを歩き、背中側に回った頃、ふと足元に目をとめた。



「この……踵にあるものは武器か何かですか?」


 彼女が踵と足裏を指差す。



「それは確か……ラディアント・ブラスターを撃つ時の固定用のスパイクだったかな?」


 凄まじい衝撃を伴った巨砲から機体を安定させるものだという。

 もっともレイディルも知ったのは最近なので使用はしたことが無いと付け加えた。 



「なんだ……武器じゃないんですね。

突き刺さりそうな形をしているのに」


 アリーシアスはつまらなげに呟いた。

 その声を聞き、レイディルとマリーは笑う。



「うん、しかし武器、か……なるほど、そういう視点はなかったな」


 解析だけでは気づかなかった、発想の転換。

 それもまた必要なことかもしれないとレイディルは思った。



「ふー、やれやれ」


 博士が首を傾け、自分の肩をトントンと叩きながらこちらへ歩いてくる。



「あら、作業は終わりですか?」


 その様子にマリーが気付き声をかける。



「休憩しようと思ってね。

座りっぱなしで作業してると身体が固まっちゃって……歳かな」


 博士は「やだねー」とボヤき答える。


 博士はレイディルの横に並び、同じようにヴァルストルムを見上げた。



「どうだい? なにかわかったかい?」


 博士がレイディルに投げかけた言葉は優しさを含んだような声色だった。

 それは若者を見守るような、そんな気持ちが込められているのだろうか。



「そうですね、改めて見ると……オレたちはヴァルストルムを騎士と言ってますけど、他に表現を持たないから……この世界にはないデザインですね」


「一体、どこから来たんだろうね、彼は」


 二人は感慨に浸りながら語る。



「いや、彼女か……どっちだろう」


 博士は笑いながら、そんなことを冗談めかして言っている。



「そういえば、背中のあれ……」


 レイディルが指さした場所、ヴァルストルムの背中には四角い二対の何が備え付けられている。


「あそこに何か、武器とか付けられそうですよ」


「気付いたようだね」


 博士は顎に手を当てニッと笑い続ける。


「どうやらあそこは武器を懸下出来るみたいだね」


 博士はレイディルが『見る』ことに関心を示しているようだった。



「さてさて、休憩がてらちょっとやりたいことやろうかな」


 そう言いながら博士はヴァルストルムに近づき、機体の脚部に足をかけた。


 周り終えたアリーシアスがレイディルの横へと着き、博士を見て唖然とした。



「なにをやってるんですか?」


「……さあ?」



 レイディルにも博士の意図は分からなかった。



「よいしょっと……良い子は真似しちゃダメだよ」


 やがて博士はヴァルストルムの肩の位置にまで登り詰める。



「なにするつもりなんですか!?」


 レイディルは少し大きな声を出し、博士に問いただした。



 博士はしっかりと足を固定できる位置に置き、レイディルの質問に答える。



「ちょっとした面白いことさ」


 それ以上は語らず、博士は腰から工具を一本抜き取った。

 機体の肩の上で金属が照明の光を弾く。


 博士のその背中がわずかに弾む。



 次の瞬間を待つしかできないレイディル達をよそに、博士はただ静かに、そして楽しそうに動き始めた──

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