第三十六話「正道を知りてこそ」
ひとまず工房を後にし、それぞれが目的の場所へ向かう。
博士は、この街には置いてなかった大型クリスタルムについて、市長のもとを訪ねる予定だ。
レイディルは、その博士と並んで通りを歩いていた。
「市長に会えば、クリスタルムって何とかなるんですか?」
街に無いものをどう相談するつもりなのか、レイディルには疑問だった。
「相談といってもね、製造に使う機械の使用許可をもらいに行くだけさ。
機械が使えなければ……まぁ、諦めるしかないけど」
博士は気楽そうに笑い、手をひらひらと振った。
「しかし、いいのかい? アリーシアス君について行ってあげなくて。
後で拗ねるかもしれないよ?」
博士は急に話題を変え、目だけをレイディルに向けて問う。
口元には、どこかからかうような笑みが浮かんでいた。
アリーシアスはマリーと共に、手を借りるため詰所へ向かっている。
「そんなことで拗ねます?」
「わかんないよ? あの年頃の子は難しいんだからさー」
その言葉に、レイディルは今日のアリーシアスの様子を思い浮かべた。
今日は少し博士に対して当たりが強かったことを思い出し、一人頷く。
「たしかに……博士が言うと、なんか説得力ありますね」
「……だろう?」
博士もどこか気まずそうに答えた。
「ところで、レイディル君はなんでこっちに?」
博士の向かう先──街で一番大きな館は、かつて帝国軍の司令部として占拠されていた。
その建物は今、再び市長ノーラの手に戻り、本来の役所としての機能を徐々に取り戻しつつある。
「はい、役所というか、レイラさんに用事が」
そろそろ昼食の時間も終わる頃だ。
レイラと市長の打ち合わせも、すでに終了しているはず。
彼女が「昼には終わる」と言っていたことを思い出す。
「大隊長殿に用事かい? そりゃまた珍しい」
一日の終わりにはレイラも宿へ戻ってくる。
それなのに、わざわざ会いに行くというのだ。
自分のいないあいだに何か思うところでもあったのだろう──博士はそう推測した。
そうこうしているうちに、二人は役所前へとたどり着いた。
午後の日差しを受け、館の白壁が眩しく光っている。
二人が足を止めたそのとき、館の扉がゆっくりと開いた。
中から姿を現したのは、レイラだった。
「あ、レイディルさん……それに、クラウス……博士も」
先に反応したのはレイラの方だった。
「やあ、大隊長殿。僕もようやく街にたどり着きましてね。市長は中に?」
「お、お疲れ様です。
えっと、はい……ノーラさんは、市長公室にいらっしゃいます」
博士はそれを聞くと、軽く会釈した。
「挨拶が手短で申し訳ない。
僕は市長のところへ行ってくるよ」
そう言って、館へと入っていった。
残されたのは、レイラとレイディルの二人。
「……? レイディルさんは、行かないんですか?」
「いえ、オレはレイラさんに用があって」
「わ、私に……ですか?」
予想外の言葉に、レイラは思わず目を瞬かせた。
レイディルは少し目線を泳がせていた。
話題をどう切り出すか、迷っているようだ。
「あー……忙しいレイラさんにお願いするのは、大変心苦しいんですが……」
「は、はぁ……」
言い淀むレイディルに、レイラは気の抜けた返事を返した。
「……実はですね、剣の特訓をつけてもらおうと思いまして。
特訓じゃなくていいんです。コツとか、訓練方法とか……いや──なんか、美味しい部分だけ聞くのはズルいような気もするな……」
レイディルはそう言うと勝手に悩み出した。
相手は騎士大隊長、ひと仕事を終えたとはいえ忙しい身だろう。
ましてや剣の達人に、積み上げた努力の『近道』だけ聞こうというのも厚かましい気がする。
「いきなりすぎるか……まずは弟子入りからすべきでは……」
そんな細かいことを考え始めてしまい、ひとりで思考のドツボにはまり込んでいく。
「えぇっと……と、とりあえず落ち着きましょう!」
レイラは両手を前に出し制止するかのようなポーズを取り、一人悩み出したレイディルを落ち着かせる。
「あぁ、ごめんなさい……」
「ここではなんなので……どこかでお話、しましょう」
レイラはそう言い、二人は少し場所を移した。
街の中央に位置する公園は、すっかり岩壁を取り除かれ元の緑の生い茂る姿へと戻っていた。
アリーシアスの頑張りによるものだろう、そう思うとなんとなく感慨深い。
その片隅の木陰に二人は移動する。
「さ、さっきのレイディルさんの言ったこと──
強くなる近道や、やり方があれば、迷わず、手段を問わず実行すべきだと……思います」
レイラは先程の言葉を思い出し、諭すようにレイディルに答える。
「それがズルなら……世の剣術は全部ズル、ですよ」
師弟があり、剣を研ぎ澄ますため脈々と研鑽し、伝え、教える。
それは継承というものだ。
コツがあるなら取り入れるべきで、それはズルではない──とレイラは答えた。
「だからといって……弟子入りからはじめなくても、大丈夫です……」
言いながら、レイラは小さく息をついた。
レイディルの様子をうかがうように視線を向け、少し間を置いてから口を開く。
「ところで……なぜ今になって?」
レイラの疑問にレイディルは説明しはじめた。
まずレイラの戦い方を見て感嘆したこと。
すぐに相談しなかったのはレイラが多忙であったためだと言うこと。
そしてグレナウでのアーヴィングとの決闘のことを伝えた。
「つ、つまり──その帝国のアーヴィングという人が、レイディルさんの剣を『素直』だと……」
ヴァルストルムを操縦していようと、剣筋に嘘はつけない。
自分の癖、自分の形それが出るのだ。
「オレの剣は、学校で習った基礎のままですからね……。単純すぎて、見抜かれたんだと思います」
当時の決闘では、小細工を交えながら攻撃したとはいえ、容易く予想されてしまった。
唯一アーヴィングを出し抜けたのは、肩に備わる30mm機関砲だけだった。
その話を聞きレイラは顎に手を当て「むむ……」と呟く。
「それに接近戦では光の大砲──ラディアント・ブラスターはそんなに簡単に撃たせてもらえないし、機関砲も 弾が残り少ないので多用は出来ない……」
だとすれば、剣を鍛え対抗するしかないと彼は言う。
「戦いを続ける限り、いずれ対峙するでしょう。
なので通じる手段を増やしたいんです」
そう言い切るレイディルであったが、とはいえ「今からやっても付け焼き刃で終わる可能性もある」という迷いもあるようだった。
レイディルの言葉にレイラは軽く首を振り、言葉を紡いだ。
「あの……不思議なんですけど──」
レイラは少し言い淀みながら続ける。
「なぜ剣……なんでしょう」
そう言われてレイディルは一瞬言われている意味を考える。
少しの間を置きやがてハッとした。
「たしかにヴァルストルムは元々剣を持っていたわけじゃない……」
所謂後付けである。
「だとすれば……別に剣にこだわる必要は無いと、思います。
えぇっと、つまり蹴りでも、なんでも出せば良いかと……」
言われて思い返してみれば、アーヴィングのギガスに対して放った手刀は、直撃こそしなかったが掠めることには成功した。
「剣が素直、という言葉はおそらく『基礎しかない』という意味ではないのでは……ないでしょうか」
では、どうすればいいのか、とレイディルはますます悩み出してしまった。
「も、もちろん、しっかりとした剣術を覚えるのは賛成です。
正道を知っていてこそ、邪道は生きるので」
型を知らずに崩すのと、理解した上で崩すのとではまるで違う。
前者はただの無手勝流だが、後者には意図と意味がある──レイラの言葉はそう言っている。
「なので……私もぜひ、レイディルさんに剣を教えたい、です」
しっかりとした剣術を覚えた彼がヴァルストルムをどう扱うのか、レイラは純粋に興味を抱いていた。
「ありがとうございます」
そう言うとレイディルは深々と頭を下げるのだった。
「ところで……スケジュールはどうなっていますか?」
レイラに聞かれ、レイディルは改めてこの街に滞在している時の一日の行動をまとめてみた。
レイラに聞かれ、レイディルは改めてこの街での一日の行動を思い返した。
「えー、最近時間がある時のスケジュールはそうですね……朝起きて早朝の運動、そしてガッツリと防御魔術の訓練ですね」
レイディルの言葉を、レイラは黙って聞いていた。
「それから街の片付けの手伝いをして、終わる頃にお昼になるので、午後からヴァルストルムの解析と製図──」
どれも一日の主軸になりそうな内容ばかりで、時間がいくつあっても足りなさそうだ。
「それと、街が解放されたばかりで人手も足りないので、そういう時は夕方にも整備の手伝いに顔を出したりしてます。
先日まで左手を怪我してたので、無理のない範囲で、ですけどね」
その言葉に、レイラの眉がわずかに動く。
「あとは夕方から夜にかけて、攻撃魔術のためのイメージトレーニングと、寝る前に魔力制御の訓練ですかね」
その中でも、解析と製図が一番時間と体力を食う──と、彼は笑いながら言った。
「私も忙しい方ですけど……レイディルさんも詰め込みすぎじゃ、ないですか……」
ここに剣術の特訓を追加するのかと、レイラも少し心配になっている。
「合間合間に、しっかりと食事は取ってますよ」
レイディルは、以前執政官に言われたことを思い出しながら告げた。
「いえ……そういうことではなく……」
レイラはふと、アリーシアスがボヤいていたことを思い出す。
レイディルは自分の体を鑑みない、と。
その時は横で聞いていただけだったが──なるほど、彼は自身に対して無茶を無茶と思っていない節がある、とレイラは思った。
やがてレイラは少し考え込み、そして小さくうなずいた。
「……そうですね……このスケジュールですと、早朝の運動を剣術に当てるのが良いと思います。
きっと……それが一番、無難です」
こうして朝の時間に剣術の訓練が加わり、明日から少しずつ始めることになった。
「軍に合流するまでの短い時間だけしかお相手できませんが……よろしくお願いします」
「いえ、こちらこそ」
二人は互いに軽く頭を下げあった。
その後、レイディルは昼食をとるため一度宿へ戻る。
レイラはまだ仕事があると言い、どこかへ行ってしまった。
宿の扉を開けると、アリーシアスとマリーがすでに戻っており、椅子に腰かけて一息ついていた。
「あ、レイディル。おかえりなさい」
アリーシアスが気付いて声をかける。
机の上には空になった食器がいくつか並んでおり、どうやら二人は先に昼食を済ませたようだ。
「ディル君、昼食まだでしょう? 今用意するわね」
マリーが気を利かせ、素早く厨房へ消える。
レイディルはマリーにお礼を言うと、アリーシアスの向かいの椅子に腰を下ろした。
「とりあえずこちらは、衛兵さんの中から加工用の水魔術を使える人員を確保できました。
あとは後日、魔術の使用法や出力調整などの指導ですね」
やることは山積みだが、アリーシアスの表情にはどこか楽しげな色があった。
「そちらは?」
そう問われ、レイディルはキョロキョロと辺りを見渡した。
博士がまだ帰っていないことを確認してから、問いに答える。
「うーん、博士の方──大型クリスタルムはどうなったか、まだわからないな。
オレの用事の方は完了だ」
アリーシアスが小さく「ふむ……」と相槌を打つ。
「結局、レイラさんになんの用事があったんです?」
彼女には詳しい話をしていなかった。
そのため、改めてアリーシアスに問われた。
ちょうどその時、マリーは昼食をトレイに乗せて戻ってきた。
チーズとハム、そして野菜を卵で包んだオムレツ。
香ばしい匂いのオニオンスープ、そして湯気の立つコーヒーを、レイディルの前に並べていった。
香ばしい匂いが鼻をくすぐり、思わず彼の胃が鳴る。
料理を置き終えたマリーに、レイディルは軽く頭を下げる。
マリーは微笑むと、再びアリーシアスの隣に腰かけ、話の続きを聞く体勢をとった。
「あぁ、実は──」
レイディルはことのあらましを、アリーシアスとマリーに説明しはじめた。
「……はあ……」
話を聞き終えたアリーシアスは、呆れたような、呆気にとられたような声を漏らす。
「ディル君、今のスケジュールでそれを?」
街の手伝いを差し引いたとしても、忙しいと言っていい。
さすがのマリーも呆然としている。
「はい、頑張ります」
当のレイディルはやる気満々だ。
その様子を見て、アリーシアスは一言零した。
「やっぱり、この人アホなんじゃないですかね……」
「あ、あはは」
食堂には、アリーシアスの溜息とマリーの苦笑だけが静かに響いた。




