第三十四話「慌ただしさで街は染まる」
解放から一夜。人々は慌ただしく、再始動に向けて動き出していた。
大工房に足を踏み入れたレイディルは、街とは違う空気を感じ取る。
相も変わらずヴァルストルムの周りには人だかりができていた。
もっとも、市長から解析禁止命令が出たらしく、無謀な真似をする者はいない。
工房の雰囲気が街と違って見える理由──それはここに集まる者たちの関心にあった。
外の住人が家の片付きに追われている一方で、工房内では部品や機材、そしてヴァルストルムの話題に花が咲いていた。
「やあ、レイディル君。
ようやく来たのお」
元気よく声をかけてきたのはマイス老人だ。
彼は大工房の人間ではないが、職人たちと仲が良いため、解放されてからはここに入り浸っているらしい。
「市長が声をかけた職人たちも来とるぞ。
あの機械の騎士の部品について相談があるんじゃろ?」
マイスが人だかりに声をかけると、中から数人の男女が現れ、レイディルの前に整列した。
職人たちはすでに大まかなことは市長から聞いたようだった。
「アンタがあのデカブツを操縦してるらしいな。どうやって動いてるんだ?」
口の早い青年職人が真っ先に口を開いた。
「うーん……答えたいところですが、その辺りは守秘義務があって……ごめんなさい」
レイディルは苦笑しながら断る。
「まぁ、虎の子だろうからな。そりゃ仕方ないさ」
腕を組んだ壮年の職人が肩をすくめる。
「しかし、とんでもない技術の産物だな……王都で作られたものなのか?」
「王都には技術開発局があるだろう。それに天才クラウス博士もいる。あの人の発明なら不思議じゃない」
年長の職人が相槌を打った。
「それより、市長から伺いました。その部品を作ってほしいと。資料などはございますか?」
女性の職人が、丁寧に問いかける。
「ここに」
レイディルは博士から送られてきた手紙を差し出した。
「ほほお、こりゃまた細かい部品じゃのお……」
マイス老人は目を細め、図面を覗き込む。
四人の職人も眉をひそめながら見入った。
「実際には大きい部品もあるみたいだな……しかし、これは──」
青年の職人が思わず息をのむ。
彼の着る作業着はまだ新しく、ほとんど汚れもない。
資料を見つめる目が一瞬大きく見開かれ、眉をひそめる。
「寸分の狂いもなく作れって言うのか……?」
「精度が少しでも狂えば、全体が噛み合わなくなります。無茶を言っているのは承知ですが……」
そこに、レイディルが言葉を添えるように口を挟んだ。
「まぁ、そのために呼ばれた俺たちなんだろうさ」
壮年の職人が、腕まくりした作業着の袖を整えながら頷いた。
「腕の見せどころってわけだな」
年長の職人は腕を組み、少し遠くを見つめながら静かに続ける。
彼の目には、経験からくる慎重さを宿していた。
「……ただ、物が物だ。
少し時間は欲しいが──まぁクラウス博士がこの街に着くまでにはなんとか試作を用意しておこう」
さすがの職人たちも短い時間では無理があるというものだ。
年長の職人は、散乱する部品や工具を視線で追いながら、静かに息をついた。
「他の必要な部品は、なんとか街中から集めてみますね 」
女性は博士の書いた資料をじっと見つめ言葉を選ぶように告げた。
「よろしくお願いします」
レイディルは深々と頭を下げた。
大工房の空気が、会話の余韻を静かに包んでいた。
資料を職人たちに預けレイディルは大工房を後にした。
マイスはまだしばらく残るようだ。
大工房を離れしばらく歩いていると、アリーシアスが忙しなく走っている。
(んん? 特に用事はないって言ってたと思ったけど……)
レイディルは訝しげに思い、彼女を呼び止めた。
「なにやってんだ?」
「あぁ、レイディルですか……大工房の方はもういいみたいですね……」
どれくらい走っていたのかレイディルにはわからなかったが、息を切らし足踏みをしている。
「こっちはとりあえず終わったけど……」
「それはよかった、実は──」
アリーシアスが何かを言おうとした瞬間、離れた場所から大声が聞こえた。
「この岩壁硬ぇ!」
「結界魔術がかかってる! ハンマーでも剣でもなんでもいい! とにかく殴れ!」
どうやら、街の片付けをしている住人たちの声のようだ。
街の各所から似たような声が、慌ただしく断続的に響く。
レイディルがふとアリーシアスを見やると、バツの悪そうな顔をしていた。
「まぁ……なんです、わたしが凄かったということで……」
アリーシアスの言葉に、レイディルは昨夜のことを思い出した。
『そこは、わたし特性の結界魔術入りです。
ちょっとやそっとじゃ、崩せない』
脳裏には得意げに話す彼女の姿。
目の前には視線を逸らす彼女の姿。
「あぁー……たしかに優秀過ぎたな……」
レイディルはすぐに察して苦笑した。
一応、魔術であるかぎり永続ではないのだが、街の人の苦労を見て、アリーシアスは急ぎ解呪に走っているのだろう。
「そ、それじゃあ、急いでますので!」
右手をシュッと上げ、彼女は再び走り出した。
レイディルはその後ろ姿を黙って見送った。
ふと、どこからか芳醇な香りが漂ってくる。
世間では三時のおやつと呼ばれる時間だ。
街の片付けに追われていた人々も、今は小休止を挟んでいる。
ある者は家の中で、またある者は軒下で談笑しながら。
「もうそんな時間か……」
大工房にいたのは短い時間のはずなのに、あっという間に過ぎてしまった。
「マリーさんを待たせるわけにはいかないな……戻るか」
レイディルは腕の治療のため、余計な寄り道をせず、真っ直ぐマリーの待つ宿へ戻った。
そうして何事もない日々が過ぎ、三日後──
宿の食堂で続いた治療も、この日で終わった。
レイディルは左腕を軽く動かしてみる。
問題なし。
マリーの治療がしっかり効いた証拠だ。
治療のたび、腕を包み込むような温もりが広がり、不思議と心まで安らいだ。
あの心地よさがもう味わえないと思うと、些か残念でもある。
……また怪我してみるか、なんて馬鹿げた考えが一瞬よぎり、自分で自分に呆れた。
宿の扉を開け、外へ。
宿の前の通りに出て、人通りの邪魔にならない場所で、レイディルは足を止める。
「……よし」
一呼吸置き、掌を突き出し、防御壁を構築する。
手のひらほどの大きさの、淡い小さな壁が展開された。
「……ちゃんと出来る!」
あの夜がきっかけとなり、連日の訓練でも確かに発動するようになった。
壁を消すと同時に、レイディルは手を握りしめた。
今の自分は確かに前へ進んでいる。
「しっかりと展開できるようになりましたね」
後ろからパチパチと拍手が響いた。
振り返れば、目の下にうっすら影を浮かべたアリーシアスが立っていた。
ここのところ毎日、街の岩壁除去に走り回っているようだ。
疲れて見えるのはそのせいだろう。
レイディルが「なにか手伝えることはあるか?」と聞いても、彼女は「仕掛けたのは私です、なので片すのも私です」と言って譲らなかった。
そんな彼女も一段落着いたようだった。
「慣れればある程度、好きな大きさに出来ますし、好きな場所に展開できますよ──たとえばヴァルストルムさんに乗ったままでも」
(ああ──なるほど、だからまずは防御壁を教えたのか)
その理由が、ようやくわかった。
アーヴィング戦で攻撃を喰らいすぎたこと。
森での戦闘で氷結魔術を必死に躱していたこと。
ヴァルストルムの修理が困難なこと。
防御壁が使えれば、似たような状況にあっても幾分かマシになる。
アリーシアスはそれらを見越していたようだ。
こうして防御術の基礎が、ひとまず身についたのだった。
二人が他愛もない雑談を交わしていると、大通りの奥──街の入口の方角が、にわかにざわめき始めた。
遠目にもはっきりわかる大きな影。
機動馬車だ。
機械仕掛けの馬車は珍しいのだろう。
住人たちが好奇心に駆られ、道の両脇に釘付けになっていく。
機動馬車はガタガタと揺れながら、通りを真っ直ぐに進んでくる。
もっとも、その速度は人の小走りほどに過ぎない。
かつての機動馬車と比べれば、見る影もなかった。
ゆったりとした歩みに合わせるように、興味を持った街の職人たちが後を付いて歩いていく。
馬車はレイディルたちの前でピタリと止まり、御者台に座る博士が声をかけた。
「ごめんごめん、遅くなったみたいで。
いやしかし、なんだね……この街。
知らない間に壁と門なんて出来てたんだね。
門のところで足止め食っちゃってさ……あはは」
「なんだか、久しぶりな感じですね」
博士のおしゃべりとアリーシアスの反応に、レイディルはただ、愛想笑いでやり過ごすしかなかった。
「とりあえず、ヴァルストルム君の置いてある場所に案内してもらえるかな?」
もし良ければ乗るかい──と博士は続けたが、乗り心地が良くなさそうなので二人はやんわりと断った。
大工房へ向かう道すがら、博士は苦労話を止めなかった。
「大変だったよ。あんまり速度が出ないし、ガタガタだからさ……少し進んでは応急処置の繰り返しさ。今もギリギリ走ってる感じだね」
レイディルとアリーシアスが無理なく馬車と並んで歩けるのを見る限り、それも誇張ではなさそうだった。
話は変わり博士は昔のカーネスの話を始めた。
その饒舌さは留まるところを知らない。
いつもの倍といった感じだ。
(博士、単に一人旅で寂しかったのか?)
そんな考えがレイディルの頭によぎるが、相槌を打ち話を合わせることにした。
──が。
「もしかして寂しかったんですか?」
ドストレートにアリーシアスが核心を突く。
(言わなくていいことを……)
レイディルがグッと我慢したことを、この娘はこともなげに切り出したのだ。
「……やだなぁ、僕は大人だよ? 寂しかったなんてわけないじゃないか……」
言葉の先に僅かな間と含みを持たせ、博士は答えた。
その表情は、眼鏡の奥に隠れて読み取れなかった。
レイディルは気にしないことにした。
それが彼の優しさだ。
やがて二人と並走した馬車は大工房へと着く。
重厚な扉を開き、機動馬車を中へ。
広々とした入口は余裕で馬車を受け入れる。
馬車を見た職人たちがその物珍しさからざわめきはじめる。
ざわめきの中に「あの人ら、また面白いもん持ってきたな」といった声が聞こえる。
それもそのはず、彼らはいつだって住民の想像を超える物を連れてくる。
この街の人々が飽きる暇はないだろう。
「あんたがクラウス博士かい?」
馬車から降りた博士に声がかかる。
数日前に部品を頼んだ壮年の職人だ。
「どうもどうも、はじめまして。
もしかしてあなたが部品を作ってくれている職人さんですか? 」
「俺以外にもいるが、来たのは俺だけらしいな。
今朝、試作品が出来たんだ。
一度見てくれ」
そういい部品が収められた箱を差し出す。
中は区切られており、部品の周りを丁寧に緩衝材で覆ってある。
博士は部品をひとつ取り掲げ、じっくりと見定めた。
しばしの沈黙。
「うーん……申し訳ないですが、これ精度足りてませんね」
博士はじっと目を細めたままそう告げた。
箱の中の一つひとつを軽く手で転がし、角度を変えながら光に透かすように掲げる。
部品を精査する彼の眉間には皺が寄っていた。
「解析魔術も使わずわかるのか……凄いなあんた……」
職人は思わず小さく息を呑み、手を止めたまま視線を部品から博士へ移す。
魔術を使わず、肉眼と経験だけで精度を判別してしまうその技量に、感嘆の声を漏らしていた。
「失礼、一度解析してみてもいいですか?」
レイディルは軽く身を乗り出しつつ、真剣な眼差しで部品を見つめ、言葉を添える。
「ああ、あんたはあのデカブツも解析できるんだったか。
俺の解析魔術より確かだな……頼む」
あのデカブツ──ヴァルストルムを解析出来るレイディルの腕ならば並の者より術の精度が高い。
職人は改めて試作品の出来を解析してもらうことにした。
レイディルが部品を手に取り魔力を通す。
「ヴァルストルムの部品との比較になりますが──えーっと……精度83%、強度は50%と言ったところですね……」
レイディルの解析結果を聞き、職人はガクりと肩を落とした。
「強度も足りないか……一応この街にある一番良い合金使ってるんだが……まるで歯が立たんなぁ……」
「僕が資料に書いた物より良い素材を使ってくれたみたいなのに……すいません」
職人の言葉にクラウス博士は頭をポリポリと掻いた。
「うーん……せめて強度70%は欲しいところだね」
「精度の方は詰められるとして、そうだなぁ……」
博士と職人はヴァルストルムを見やり、頭を悩ませた。
その時。
「この街にアラゴニウムはあるかしら?
アレなら強度は十分だと思うのだけれど」
工房の入口からマリーの声が響いた。
街を散策していた彼女は機動馬車を見つけ、そのままついてきたらしい。
「アラゴニウム……あるにはあるが……」
職人は言葉を濁し、顔をしかめる。
「アレは加工が難しくて、重い……」
アラゴニウム──アルバンシアが作り出した合金で、鉄の比重率7.8を優に超え、実にその5倍、39という常識外れの比重を誇る。
本来、重さと硬さは別の性質だ。
重ければ重いほど硬いというものでもない。
だがアラゴニウムはその重さに加えて、刃も通さぬ硬度と、打撃にも砕けぬ強度を兼ね備えている。
しかしその性質は同時に、最大の欠点をも抱えていた。
あまりにも硬く重すぎて、並の機械や炉では加工すらままならないのだ。
精度が出せないのならば本末転倒だろう。
壮年の職人に案内され、保管場所へと移動する一行。
誰にも扱えぬまま、ただ重く沈む金属の塊。
それは大工房の倉庫で、ひっそりと眠り続けていた。