第三十二話「街は息をつき、好奇心はざわめく」
『工房が大変なことになっている、止めて欲しい』
疲労を顔に滲ませたアリーシアスの頼みを聞き、レイラは街の中央から北に建つ大工房へ足を運んだ。
街を解放してから、まだ数時間しか経っていない。
それでもやることは山のようにあり、これもその一つだろうレイラはそう思った。
アリーシアスの案内で大工房へと到着する。
重厚な鉄扉に手をかけ、横へと引き開いた。
鈍い金属音が工房全体に響き渡った。
内部はシン……と静まり返り、扉の音だけがまだ木霊していた。
工房の明かりに照らされ、レイディルが片手で額を押さえているのが見える。
「なにか……あったんですか……?」
レイラがそう呟いたとき、アリーシアスが工房の奥を指さした。
そこには──いつもの格好で跪くヴァルストルム。
その周囲には散らばる、死屍累々の山。
……いや、正確には死んでいるわけではない。
男女も年齢も問わず、様々な人間が床に倒れ伏していた。
レイラは何事かと身構える。
が、その背後から、どっと人の流れが工房へ雪崩れ込んでくる。
「へぇ! これが王国が作ったという機械の騎士か!」
若い職人らしき男が感嘆の声を上げる。
「素敵ね……一体どんな構造をしているのかしら!」
これまた職人風の女が、目を輝かせて叫んだ。
「え、え? な、なんです? これ……」
レイラは戸惑うばかりだ。
人々はこぞってヴァルストルムへ駆け寄り、止めようとしたレイディルもあっさりと弾き飛ばされた。
「ぐえっ!」
間の抜けた声が工房に響き渡る。
──そして。
職人の一人がヴァルストルムに触れた瞬間、糸が切れたように崩れ落ちた。
「……あ」
アリーシアスの短い声が漏れた。
それはなんとも不可思議な光景だった。
ヴァルストルムに触れては倒れる人。
それを気にせず、次から次へと繰り返される倒れる音。
工房に、不意に老人の声が落ちた。
「つまり……彼らは倒れてもヴァルストルムに解析魔術を掛けたい変わり者どもってわけじゃな」
工房の隅にいたマイス老人が、呆れたように言い放つ。
「あ、危ないから止めようと思ったんだけど……このザマで……」
鉄の棒を支えに立ち上がるレイディルがよろよろと入口までやってきた。
「あー……な、なるほど……」
レイラはようやく理解した、と言ったふうに気の抜けた声を出す。
ヴァルストルムは情報の塊だ。
不用意に解析魔術をかければ、術者の脳は処理しきれずに意識が途切れる。
……それでも彼らは挑んでいたのだ。
倒れるのを承知の上で。
「あ、あのー! みなさん、危ないので止めてくださーい!」
レイラが精一杯の大声を上げた。
しかし、人々のざわめきによって掻き消える。
「己が身を顧みず解析する……一体何が彼らを駆り立てるんだ……」
レイディルは真剣な顔で息を飲んだ。
「……あなたがそれ、言いますか」
冷ややかな目でアリーシアスが突っ込む。
ジト目だった。
「レイラさん、権力でもなんでも使って止めてくださいよ」
アリーシアスは、止め役としてレイラを呼んできたのだという。
「え、そ、そうですね……じゃあ……みんな気絶させましょう、か?」
レイラは腰の剣に手をかける。
「大隊長の命令があれば、凍結させることも可能です」
アリーシアスは魔力を収束させる。
「むちゃくちゃ言っとるのう……」
マイス老人がまたもや呆れた声を捻り出した。
「なんの騒ぎですか!」
突如、レイラの背後から声が轟く。
その声の迫力に流石の人々も振り返り入口を見やる。
そこに立っていたのはノーラだった。
ノーラは職人たちとヴァルストルムを交互に見やり、状況を理解した。
彼女は靴音を工房内に響かせながらつかつかとヴァルストルムに近づいていく。
それを見送るかのように見守るレイディルたち。
「確かにこの機械騎士の構造は知識欲を刺激するでしょう。
だからといってこのような騒ぎは看過できません」
ノーラはそう言うと、暫しヴァルストルムを見据える。
「……」
そして、おもむろにその装甲を手で撫でた。
次の瞬間──ノーラはその場に倒れた。
「すみません、あれを見ていたら、つい知りたくなりますね」
あっけらかんとした口調でそう言ったのは、近くの医術院のベッドに運び込まれたノーラだった。
病室には付き添いとしてレイディルとアリーシアスが立っている。
あの後──卒倒した市長の姿を見た人々はざわついた。
ノーラが解析魔術を使えることは住民皆が知っていたが、まさか市長本人がそんな真似をするとは誰も思っていなかった。
自分たちならまだしも、責任ある立場の市長が好奇心に負けてあっさり倒れる姿を見て、誰かが小さく「……バカな真似はやめとこう」と呟いた。
その一言をきっかけに、先程までの熱狂はすうっとしぼんでいく。
やがて倒れた者たちを運び出すと、人々は気まずそうに散り散りに去っていった。
(市長が知識欲に負けて倒れてんだもんなぁ……)
レイディルは窓の外に広がる空を、遠い目で見つめていた。
「なにか儚げな目をしてますが、レイディルは人のこと言えませんからね」
遠くを見つめる彼に、アリーシアスがピシャリと言い放つ。
レイディルは気まずそうに目を逸らした。
「しかし……解析魔術を掛けてみましたが、何ひとつわかりませんでしたね」
ベッドから起き上がり、縁に腰をかけたノーラが口を開く。
「まあ、初回は情報量に呑まれて終わりですよ」
「あれを二度も解析する人間がいるなら、よほどの変わり者か、狂人でしょう」
まだ脳が揺れる感覚が残っているのか、ノーラはこめかみを押さえ、ふらつく足取りで立ち上がる。
その仕草は自分は二度とごめんだと訴えているようだった。
その言葉を聞いてレイディは、またもや気まずそうな顔をした。
「危険ですので、市民全員に『解析禁止令』を出しておきます」
「そうしていただけると助かります」
アリーシアスはほっと息をついた。
これでようやく望んでいた結果に行き着いた。
「ところであの工房に何か用事でも?」
市長がわざわざ足を運んだからには、それ相応の理由があるのだろうとレイディルは推測した。
「工房ではなく、あなた方にですね。
先程、クラウスという人物から伝書が届いたので、それを渡しに来ました」
「博士から?」
思わずレイディルの声が上ずる。
カーネスを解放したのは、ほんの今朝のことだ。
博士は街が自由になるタイミングを読んで、伝書を送ってきたというのか。
その正確さに、レイディルは驚きを隠せなかった。
「未だ作戦行動中だったらどうしたんですかね?」
アリーシアスがふと疑問を口にする。
「……うーん、あの人のことだから、そんなヘマはしないんじゃないか?」
レイディルは小さく多分……と付け加えた。
封書を開くと、中には数枚の紙が入っていた。
レイディルは一枚目を手に取り、目を通す。
『疑問に思うかもしれないので、先に答えておこう。
しっかりと計算した上で手紙を送らせてもらっている。
なに、難しいことじゃない。移動速度や作戦行動の時間逆算──』
博士は誰かが疑問を抱くことを見越し、すでに伝書に理由をしたためていた。
レイディルは続きを読む。
『──あとはアリーシアス君が、ヴァルストルムの掌に乗った時の高さや揺れ、速度にどうしても弱いことを計算に入れれば、大体は導ける。
馬車が使えなくて本当に申し訳ない。
なにしろ、あの朝の悲鳴と言ったら──』
隣で覗き込んでいたアリーシアスがムッと眉をひそめ、冷たい目で手紙を見つめている。
レイディルはまずいと感じ、一枚目を慌てて閉じ、二枚目へ移った。
『さて、本題だけど、多分これを読んでいるのはレイディル君だと思う。
ということで、僕が着くまでに部品を用意しておいて欲しいんだ。
詳しくは別紙に書いてあるよ。
よろしくね』
残りの紙を広げると、細々とした部品がビッシリ、しかも図解付きで描かれていた。
「これは──ヴァルストルムの整備用の部品か……なになに……『カーネスにもない物は職人に作ってもらって欲しい』か」
レイディルは手紙を読みつつ、顎に手を当てる。
隣で覗き見ていたアリーシアスは、部品の細かさと量の多さに顔をしかめ、思わず小さく「うわっ」と呟いた。
その呟きにレイディルは思わず目を細める。
「……アリシアが作るわけでも用意するわけでもないのに」
「いえ、なんか……見てるだけで嫌になりません?
コレ」
「たまにいるよな、そういう反応する人」
レイディルにそう返されて、アリーシアスは不服そうに口を尖らせた。
「あの騎士のための部品が必要なのですね。
わかりました、腕利きの職人を手配します」
まだ何も言っていないのに、ノーラは即座に答えた。
ポカンとしたままのレイディルに、彼女はさらに言葉を重ねる。
「即断即決が信条ですので……部品は先程の大工房へ運ぶよう伝えておきます」
そう言い残し、ノーラは足早に部屋を後にした。
──先程の大工房。
正確にはカーネス鉄機大工房という。
マイスに紹介されたその場所は、工場を除けばこの街で一番大きな工房だった。
通常ならば王都を走る機関車の部品や、各種の精密部品を製造している。
それ以外にも多数の職人を抱え、様々な物を作り出している場所だ。
ヴァルストルムを置くなら、高さも広さも備え、整備に必要な道具も揃うあの場所がちょうどいい。
一方の工場はというと、普段は日用品や大量生産品を扱っていたが、帝国軍の占領下では、ギガス用の装備を作らされていたらしい。
解放後、作りかけの兵装や部品はそのまま放置され、雑然と積まれていた。
とても機体を置けるような環境ではなかった。
「それじゃあ工房に戻ってみるか」
「いえ、ちょうど医術院にいることですし、レイディルはここで火傷の手当てを受けた方がいいと思います」
「そういえばマリーさんに軽く治癒術をかけてもらったきりで忘れてたな……」
「自分の身体のこと、すぐ忘れますよね……」
これにはさすがのアリーシアスも呆れ果てていた。
「わたしが工房と市長に今後の予定を聞いておくので、終わったら休みましょう。
さすがに夜通し動き続けて私も疲れました……」
アリーシアスはそう言うと、小さな口を開け珍しくあくびをした。
ふあぁ……と、気の抜けた声がこぼれる。
太陽が徐々に真上に登りはじめる午前。
レイディルは医術院を後にし、大通りを歩いていた。
街が解放されてからまだ数時間。
さすがに人々の往来は少なく、静けさが残っている。
彼は腕に巻かれた包帯を見つめ、数度手を握る。
カーネスの街には治癒術師がいないため、彼は医者に通常の治療を施してもらったのだった。
「後でマリーさんに余裕がある時に治してもらおう」
医者にも同じように勧められていた。
市長が用意してくれた宿へと向かいながら、レイディルは独りごちる。
しばらく道なりに歩くと、やがて宿が見えてきた。
解放されたばかりの街、本来なら宿屋の再開などしばらく先の話だろう。
だが寝床は必要だし、なにより街を救った立役者を野宿させるわけにもいかない、ということで市長の口添えもあり、その厚意から特別に宿を使わせてもらえることになったのだ。
もっとも、大変な時期に世話をかけるのも気が引けたため、宿の人には身の回りのことは最低限、自分たちで済ませると伝えてある。
宿の扉を開けると、木は軋んだ音を立てる。
(長い間、メンテナンスもしてないから、当たり前か)
レイディルはそんな思考をしながら、一階の食堂を見渡した。
再開などしているはずもなく、客はいない。
いるのはただ一人──椅子に腰掛け、ハーブティーを飲んでいるマリーだけだった。
「お疲れ様です、マリーさん。
治療の方は、もう終わったみたいですね」
レイディルが声をかけると、マリーは静かにカップをソーサーに置き、彼の方へ眼差しを向ける。
「レイラさんの作戦が上手くいったから、驚くほど怪我人は少なかったわ。
あとは……そうね、疲れている衛兵さんたちが多かったくらいかしら」
長く牢に入れられていた衛兵たちには、栄養を取り、ゆっくり休むように言ってある──と彼女は続けた。
「シアちゃんはさっき戻ってきて、すぐに眠ったみたい。
よく眠れるようにハーブティーを勧めようかと思ったけど……必要なさそうだったわ」
そう言って、マリーは苦笑する。
そして、レイディルの腕の包帯に視線を向け、手招きした。
「マリーさんも疲れてるでしょう?
オレの治療は後でいいですよ」
「何言ってるの。治療は早い方がいいんだから。
遠慮せず、早くこっちへ」
レイディルはマリーの横の椅子に腰を下ろし、彼女の方へ身体を向けた。
マリーは慣れた手つきで包帯を解き、赤く残る火傷の跡をじっと観察する。
「シアちゃんの応急処置が良かったわね。
跡は残らなさそう。
でも、低出力とはいえ魔力で冷やしたから、ちょっとだけ魔力負荷がかかってるわね……
しばらく腕がだるいかもしれないけど、大丈夫。心配はいらないわ」
そう言って、彼女は治癒魔術を患部に流し込んだ。
じんわりとした温もりが火傷に染みわたり、まるで寒い日に湯船へ浸かったような感覚が広がっていく。
「……ふぅ」
レイディルの口から思わず吐息が漏れる。
その様子を見て、マリーはにこりと柔らかく微笑んだ。
「治療の後は体力を使うから、眠くなってくるはずよ。たっぷり休んでね」
(あー……たしかに……もう眠い……)
徹夜明けのだるさも重なり、意識がどんどん沈んでいく。
「今日はここまでね。
数日かけて、少しずつ治していきましょう」
レイディルはハッとし、危うく眠り込むところで意識を引き戻した。
「そ、それじゃ部屋に戻ります……」
船を漕ぎかけた気恥ずかしさを誤魔化すように、階段を駆け上がって自室へ飛び込む。
その背中を、マリーはくすくす笑いながら見送っていた。
部屋に入るなり、ベッドへと身を投げ出す。
意識が微睡みに引きずられていく。
昼前に眠ってしまって、夜は眠れるのだろうか。
そんな考えが頭をかすめるが、圧倒的な眠気が思考を蹂躙した。
そして──意識は音もなく沈んでいった。
………………
目が覚めたとき、窓の外にはもう光はなかった。
街は黒いベールに包まれ、静寂だけが漂っている。
気だるげに身体を起こし、壁にかけられた時計へ視線をやる。
時刻は二十時を少し回っていた。
「八時間くらい寝てたか……」
レイディルは小さく呟き、重い身体をベッドから引きはがす。
そしてお手洗いへ向かうため、部屋を出た。
廊下に出た途端、隣の部屋の扉が開く。
アリーシアスが眠い目を擦りながら部屋をでてきた。
同じくお手洗いに用事があるのだろう。
レイディルはぼんやりしたまま視線を向ける。
(オレなんかそのまま寝たのに……アリシアはちゃんと着替えてたんだな)
見ると彼女は少し大きめのダボッとした可愛らしいパジャマに着替えていた。
「ふあぁ……あ、レイディル……お手洗いですか? すいませんが先に行きます……」
そう言って、彼女はふらふらと廊下を歩き、突き当たりのお手洗いへ消えていった。
「……?」
レイディルはぼんやりした頭で、その違和感を探す。
「ああ……そういえばお手洗いは男女別であったな……」
それなのに、彼女はなぜか「先に」と言ったのだ。
「アリシアも寝ぼけてるんだな……」
そんなことを考えていると、一階の入り口が音を立てて開いた。
吹き抜けになった食堂の方から、夜気をまとった影が入ってくる。
「あー、レイラさん……おかえりなさい」
二階の廊下から、レイディルは手すり越しに声をかけた。
レイディルに気づいたレイラは、顔を上げにこやかに答える。
「た、ただいま、です。
今後の街のこと、とか、市長さんとの話し合いとか……してたら、遅くなっちゃいました」
幾度も剣を振るい、囮として街を駆け回り、そのうえ大隊長として会議までこなす。
さすがに肩で息をしていたが、レイラは笑顔さえ崩さない。
(うーん……なんてタフなんだ)
レイディルはその底知れぬ体力に、ただ感嘆するばかりだった。
大隊長ともなれば、こんなにも逞しいものなのか。
それともこの逞しさだからこそ、大隊長になれたのか。
どちらかはわからないが、ともかくレイラは疲れを滲ませていなかった。
(ん?)
そんな考えを巡らせていると、レイラの頬がほんのり上気し、スッキリとした表情をしているのに気づく。
思わず手すりから身を乗り出し、マジマジと見つめてしまうレイディル。
「あら、レイラさんおかえりなさい。
簡単なものだけど、夕食にサンドイッチはいかがかしら?」
「あ、ありがとうございます!
マリーさんのパン、美味しくて……す、好きです」
朗らかにやり取りする二人を、レイディルは身を乗り出したまま見つめ続けた。
レイラがふと顔を手で覆い、視線を逸らす。
「あ、あの……マジマジと見られると……恥ずかしいです」
その反応に、マリーがいたずらっぽく笑い、口を尖らせて拗ねるような表情を見せる。
「あらあら、妬けちゃうわね」
冗談混じりのマリーの言葉に、レイディルは頭を掻きながら答える。
「いえ、すみません……なんか顔が赤いなーって……」
レイディルの言葉にレイラは、一瞬きょとんとした顔を見せる。
「あ、これ……ですか?
市長さんとの話が終わったあと、街をぐるっとジョギングしてたもので……」
そう言いにこやかに笑うレイラの言葉に、レイディルは衝撃を受けたまま固まった。
(なんて……なんて体力だ……恐ろしい)
その驚嘆の背後で、アリーシアスは無言のまま、のそのそと部屋の中へ入っていった。
その後、レイディルも用を足して部屋に戻り再びベッドに倒れ込む。
昼前に寝たから眠くならないかもしれない、という懸念はどこへやら。
適度に柔らかい寝床によって徐々に睡魔をもたらしていった。
(明日は──工房へ行って……部品のこととか話をしないとな……あと、なんかあったっけ……レイラさんに報告……?)
静かな宿の空気が、眠りかけの頭をさらにぼんやりとさせる。
(あー……そういえばアリシアに説教されるのか……なに言われんだろ……)
そんなことをつらつらと考えているうちに、やがて闇が思考に覆いかぶさり、レイディルは深い深い眠りについた。