第二十八話「鎧通し」
重々しい音を響かせて扉が閉じた。
背後には金属の軋みがなお残響している。
アリーシアスはすかさず氷で扉を封じ、乱入の芽を摘んだ。
「侵入者……か。
よくもまぁ、ここまであの警戒網をすり抜けてきたものだな」
男は椅子から立ち上がり、机の前へ進み出る。
右頬には短く深い傷が走り、冷たい鎧の下で浮かぶ肌には皺が刻まれていた。
兜から見える髪には白が少し混じる。
その足取りには焦りも驚きもなく、獣のような余裕が漂っていた。
だが、長く戦い続けた身体のわずかな硬さが、歳を重ねたことをさりげなく示していた。
「名乗らずともわかるだろうが、一応名乗っておこうか。
俺の名はバルゲイン。ここの指揮官だ」
言葉とともに、自らの首をトントンと叩く。
「欲しいのは……これだろう?」
「理解……していただいているのなら、話は早い、です」
レイラが一歩前に足を進める。
「でも、その前に……」
レイラの言葉に、バルゲインは眉をしかめる。
「……アルバンシアの将軍、バーグレイ・ロナドロイガーからの伝言です」
レイラは将軍から託された言葉を一語一句、そのまま口にする。
『バルゲイン。
お前ほどの男が、こんなところで命を落とす必要はない。
ワシは今でも、お前と肩を並べて戦った日々を覚えている。
だからこそ、命を捨てるな』
「……」
「あなたは、元々帝国兵の人ではない、ですよね……? だったら……」
バルゲインは暫し天井を見つめ、長い息を吐いた。
「……愚問だな」
低く吐き捨てると壁際に移動し、かけてあった片手斧と盾を取り外し、静かに構える。
片手とはいえ斧は常人では振るうことすら難しいほどの巨刃。
盾は身の丈の半分を覆う分厚い鉄壁で、並の攻撃では微塵も揺るがない威圧感を放っていた。
レイラは左腕を上げ二人に下がるよう促し、前に歩を進めた。
右手で腰の片手剣を引き抜き、続けて左手で短剣を抜き逆手に構える。
片手剣は刃が薄く、素早さを重視した造りだった。
「パリングダガーか……それで斧を防ぐつもりか?」
パリングダガー──細身の剣を受け流すための護身短剣。
レイラのそれは、刃を絡め取る仕掛けや刻みを一切排した、純粋に受け流すためだけに鍛えられた直刀だった。
長さ約三十センチ、幅はやや広めで、その刃は燭台の明かりを鈍く反射していた。
しかし、防御用の短剣とはいえ、斧を相手取る想定はなされていない。
(右の薄刃の剣で鎧の隙間を狙う算段か)
バルゲインが冷静に戦術を推し量る。
「最後の……確認です。
降伏してはくれませんか……?」
「愚問と言った」
レイラの言葉にバルゲインは冷たく言い放つ。
「もはや問答は無用、ただ始めるのみだ」
そう言い終えると、バルゲインは斧を床に突き刺し、盾を胸前に構えたまま、もう一方の手でバイザーをゆっくりと下げる。
重い金属が噛み合う音が、室内に冷たく、まるで鉄の壁が振動するかのように響いた。
鎧の奥の瞳がレイラを睨めつけた。
レイラは諦めの表情をし、左手人差し指に魔力を集める。
「風絶──」
レイラはかすかに、細く小さな声で魔術名を口にした。
魔術名の解放とともに、魔力が静かに部屋を覆う。
「風の魔術、サイレント・ドメインですね」
アリーシアスが、魔術をレイディルにポツリと説明する。
部屋を魔力で包み、外部に音を届けないだけの魔術だ。
室内という隔離空間でしか効果を発揮せず、内部にいる者には音が伝わる。
使い勝手はさほど良くないため、使用者は少ない。
(なるほど……ヤツらの狙いは見えた。
それがどう転ぶか──いや、どうでもいいことだ)
バルゲインは盾を押し上げ、斧を握り直す。
体勢は静かに半身に構える。
レイラは視線の端でアリーシアスとレイディルの位置を確認すると、二人を巻き込まぬよう、ゆっくりと右横に回り込む。
それに呼応するようにバルゲインも動く。
ジリ、ジリと互いが少しずつ円を描くように移動する。
部屋をおおよそ半周したころ、レイラは呼吸をひとつ整え、剣を握り直した。
その仕草が、激突を呼び込む。
──次の瞬間。
床を砕くような踏み込みとともに、巨体が矢のように突進した。
その速さは間合いを一瞬で詰める。
重い全身鎧など意に介さない速度だ。
盾と鎧が擦れ合い、鉄塊そのものが襲いかかるような迫力。
斧が、唸りを上げて振り下ろされる。
レイラはそれを最小限の動きで横に躱す。
直後、背後の壁に斧が叩きつけられた。
石壁は易々と砕け、衝撃はさらに隣室へ突き抜け、調度品をまとめて吹き飛ばした。
続けざまに、斧が横薙ぎに変わる。
標的を逃すまいと、暴風のように薙ぎ払う一撃。
レイラはダガーを斧の刃に合わせ、力をいなすように滑らせた。
刃筋がわずかに逸れ、勢いはやや上方へと流れる。
壁から天井へ、斜めに石が裂け飛ぶ。
「な、なんて力だ……それに速い!」
バルゲインのあまりの威力にレイディルが驚きの声をあげた。
「魔術をかけたとはいえ、この騒音だと周りに気付かれるのも時間の問題ですね……」
アリーシアスはそちらの方に気を取られていた。
その刹那、レイラの右手が走る。
しかし──神速の刃はバルゲインの盾に阻まれた。
上下左右、跳躍を交えた多角的な斬撃も、すべてが鉄壁に吸い込まれるように弾かれていく。
(これが守り上手といわれた鉄壁……)
尽く攻撃を防がれながらも、レイラは冷静に次の一手を思考する。
「本当に援護はいらないのか、コレ」
今なお有効打が出ない戦況にレイディルが焦りを覚える。
「作戦開始前に言われたでしょう。手出しは無用、手を出した場合、相手の攻撃対象がわたしたちに向く可能性があると」
バルゲインがレイディルたちを狙えば、レイラは二人の守りを強いられることになる。
「わたしたちの役目は半分は済みました。あとは黙って見ているしかないでしょう」
司令室へレイラを届けるための連携こそが二人の役目だ。
「それにこの後まだ役割あるんですからね。
気をつけないと」
アリーシアスにそう言われレイディルは唸るしかなかった。
数度、繰り出される斧を受け流し、レイラは一度、後ろに距離をとる。
「……ならば」
軽くその場で三度跳躍。
トントン──と二度、微かなブーツの音が響き、そして三度目で音が消えた。
直後、レイラの姿が視界から消えた。
瞬間、バルゲインの背後上空で防御壁を展開。
レイラはそれを足場に三角飛びを敢行し、背後からすり抜けるように刃を振る。
予想外の位置取りに、バルゲインの反応が一瞬遅れる。
閃く刃が、バルゲインの右肘を薙ぎ払った。
風の魔術による歩行音の制御と防御壁による起動変化。
レイラの対鎧剣術《鎧通し》だ。
意表を突いた一撃は、バルゲインの利き腕を切り裂いた──かに見えた。
レイラが右手を振る。
「……器用……ですね」
「互いに、な」
近接武器で全身鎧を攻略する場合、通常は鎧ごとメイスなどで叩き潰すか、装甲の薄い関節を狙うしかない。
バルゲインはその関節部それぞれに小さな防御壁を纏っていた。
「わざわざ利き腕を狙うとはな……説得をまだ諦めていないと見える」
「……ダメ、ですか」
「何を言われようと、心変わりは有り得んよ」
バルゲインは構えをわずかに崩した。
息遣いがわずかに荒くなる。
「アルバンシアに英雄がいようとも、強力な騎士が何人いようとも意味はない」
重い声が、室内の金属音にかき消されぬよう低く響く。
「俺の国は……帝国によって滅ぼされた」
「!」
バルゲインの言葉にレイラの眉が僅かに動いた。
「滑稽か、滑稽だろう。
自分の国を滅ぼした国に頭を垂れる男は」
憤りも怒りも、悲しみすらもない声。
淡々としたその口調の奥に、冷徹な諦観だけがあった。
「皇帝一人によって滅ぼされたと言った方が正確か……? いや、あの男こそが帝国だ。ならば意味は違えてはいないか」
まるで独り言のように呟く。
「一人で一国を……? そんな──」
「バカな、か。確かに信じられんだろうさ。
目の前で見ぬ限りはな!」
レイディルの言葉を遮り、バルゲインが語気を強める。
「クク……我が国の兵、その数三万をあの男は蹂躙してのけたのだ。
お前たちの機械の騎士とやらは、どうだろうな?」
バルゲインのその言葉はさしたる興味も無さそうだった。
「だから……あなたは諦めたんですか……?」
「ああ、そうだ。抵抗し国を滅ぼされるよりも、もっと早くに降参していれば良かったと後悔したさ」
そうすれば国は支配されるが、残っただろうと付け加える。
「守る国もない、帰る場所もない……ならば最早、生きるも死ぬもどうだっていい。ただの成り行きだ」
帝国にいることすら、あの男に力を買われたにすぎない。
仇を前に、バルゲインは跪くのみだった。
そう諦めを語る男の眼は未だ鋭い。
しかしその瞳に光は無く、奥の心はとうの昔に折れていた。
「では……」
「説得には応じんと言った。
何をしても無駄なのだ、結局はな」
「……」
レイラは無言で一度目を閉じ、深呼吸する。
普通なら、敵を目の前にこのような所作は自殺行為だ。
しかしレイラはあえてそうした。
目の前の男がその隙に仕掛けてくるようなことはないと知っているかのように。
「わかりました……もう、何も言いません……ただ全力全開でお相手します……」
レイラは『全力』と言った。
「先程まで手を抜いていた、と?」
バルゲインの言葉には応じず、レイラはダガーーを仕舞う。
そして足の感覚を確かめるように、つま先だけの軽い跳躍を繰り返す。
レイラの肩や腰に走る緊張が、呼吸にまで伝わる。
つま先で軽く跳ねるたび、筋肉がぴりりと震えた。
部屋に張り詰めた緊張の空気。
アリーシアスとレイディルは無言で、それを見守っていた。
壁に掛けられた時計の針の音だけが、冷たく部屋に響く。
その場にいる全員に空気が重くのしかかるかのような錯覚を覚える。
対峙するバルゲインは盾を構え直し、防御態勢を整えた。
自身の周囲を防御壁で囲う。
バルゲインの防御は、まるで厚さ十センチの鋼の壁をその身にまとったかのようだった。
鉄壁と謳われた、何者にも崩せぬ至高の護りだ。
やがてレイラは跳躍をやめ、姿勢を低く取った。
切っ先は前へ。
片手剣は胸元に沿うように引き寄せられ、腕や肩に力をためる。
まるで剣ごと自分の胸を包み込み、体中に力を集中させるかのようだ。
その構えは、今にも放たれる一撃の重さを予感させ、周囲の空気までも張りつめさせる。
「正面から、いきます……」
その言葉とともに、部屋の空気すら裂けるように、風が疾った。
無音。
後に残されたものは、斬撃もなく残響もない。
レイラは神速でバルゲインをすり抜け、両足で勢いを殺すように床を滑る。
「かはっ……!」
その瞬間、吐血したバルゲインの身体がわずかに震え、全身鎧の隙間から血が滴り落ちる。
「アーマーキラー──フルスラスト……」
レイラの必殺剣は、並行への跳躍のごとき走行に風の魔術による加速を加え、勢いのまま、周囲の防御壁を剣先で砕きながら、一気に関節を穿った。
足首と膝、左腕、右腕、手首から肩まで、すべての関節を順に突き、力の伝達を封じ、最後に首を突いた。
フルスラスト──すべての突きが瞬時に放たれ、防御壁を鎧ごと貫き、バルゲインの身体に深く傷を刻んだ。
レイラは手にした剣の感触を確かめ、在りし日の自分を思い返していた。
貴族の娘として生まれ、物心つくころには
様々な習い事をさせられていた。
だがしかし、母はレイラを優秀な兄と比べ「できない子」「役に立たない」と常に罵り続け、二言目には「お前の兄さんは優秀なのに」と非難していた。
なのでせめてレイラは唯一手に馴染んだ剣の稽古に励んだ。
母はその姿を疎ましく思った。
「お前に剣の才能はないのにいつまでもしがみついて! なんて浅ましい!」
母は剣技の知識もないのに、レイラを否定し続けた。
罵倒され続ける日々。
自身は才能が無いとコンプレックスを抱えながらも日々鍛え続ける毎日だった。
いくら鍛えても自信は持てなかった。
しかし彼女は自覚なしの天才であった。
天才が鍛え続けた結果──
その剣は全てを置き去りにした。
「ごめん……なさい。やっぱり私は下手みたい、です」
勝者が謝罪の言葉を口にする。
「ハッ……下手なものか……俺の防御を抜くとはな……」
バルゲインは血に濡れた口元で苦笑した。
「しかし、俺も所詮は……老兵であったか……」
口から血とともにヒューヒューと息を漏らす。
「帝国と戦う限り、いずれ……皇帝の恐ろしさを……知ることになるだろう……クク、お前たちがどうなろうと……どうでもいい事だが、な」
その言葉にはさしたる興味のなさが滲み出ていた。
おそらくは自分の死さえもどうでもいいと感じているのかもしれない。
息も絶え絶えにバルゲインは続ける。
「そうそう……若き騎士よ……バーグレイに伝えろ……説得したいのなら……伝言でなく……自身が来い、とな……それもわらんとは……ア……ホが……」
吐き出される言葉は弱々しく次第に小さくなる。
かすかな苦笑を残し、鎧に身を包んだ男は静かに事切れた。
物言わぬ男を前に、レイラは立ち尽くす。
「……ダメ、ですね……本当はすぐに絶命させたかったのに……」
「え?」
その言葉にレイディルは口を開け戸惑った。
「えっと、苦しまないように……ってことですかね」
「あっ! そ、それですそれ! 狙ったんですけど、上手くいきませんでした……この方の防御、凄かったです」
アリーシアスのフォローを受け、レイラは言葉をつなぐ。
気が少し緩んだのか、どうにも言葉選びが上手くいっていないようだ。
レイディルが横たわるバルゲインに目をやると、あの重厚な鎧は見るも無惨にズタズタになっていた。
「防御壁に……切っ先を少し逸らされて……上手く突けませんでした……」
バルゲインの防御が高く、完全に決まるはずだったフルスラストはわずかにズレた。
「……全てちゃんと決まれば……痛みは麻痺し、感じないはず、だったんですけど……」
レイラはそう言い悔やむ。
そして再度小さく「下手だ……」と呟いた。
「さて……さすがにもうすぐ、ほかの兵も来る、と思います……」
バルゲインが倒れたことによってそのまま降伏か、あるいは──
「レイディルさん、アリーシアスさん……後は任せます、ね」
レイラの言葉を受け取り、アリーシアスは指をひとつパチンと鳴らす。
氷の封鎖が解かれる。
「それじゃあ無理しないでくださいね」
と、レイディルは一言発し、二人は見つかる前に、素早く窓から屋根伝いに下へ飛び降りた。
「あんまり……火の魔術は得意じゃないけど……」
レイラは一息つきそう言うと、左手を窓から空に掲げ、火の魔術を放つ。
さしたる威力は無い術だが、轟音とともに火花が四散し、夜空に大輪の花が咲いた。
その音を聞きつけたのか先程の戦闘音が届いていたのか、下の階の兵士が司令官室になだれ込んできた。
「なっ! バルゲイン司令が!」
兵士の一人が慌てふためく。
「むだです! 何しても! ……あ、その……司令官はもう……動いてなくて……だから……降伏を……」
レイラの言葉に帝国兵が呟いた。
「なんて、言葉の下手な女なんだ……」
呆れ返る兵たち。
「……えっと」
レイラは気を引き締めるように、左手で軽く自分の頬を叩いた。
「司令官は討ち取りました……
これ以上の抵抗は無意味です。武器を捨てて、降伏してください」
今度ははっきりとした声音だった。
わざわざ言い直したことに兵たちはざわめき、先ほどまでの嘲りは消えている。
そしてその傍らには、血に伏したバルゲインの姿。
動かぬ司令官が何よりの証拠となり、室内の空気は一変した。
集まった兵たちに一気に動揺が広がった。
しかし──
「ハ、ハハ! それがどうした! お前たち! 司令の仇を討つのだ! あの女を殺せ!」
兵をかき分けてやってきた副司令が叫んだ。
その声を受け、帝国兵がレイラに襲いかかる。
「あぁ……やっぱり……ダメだった」
レイラはそう呟くと、ひらりと窓から外へ踊りでた。
三階という高さをものともせず、砂埃一つたてず華麗に地面に着地する。
「追え! 逃がすな!」
副司令が叫び、兵士たちが一斉に駆け出す。
レイラは館を出ると軽やかに建物の角を曲がり、路地を縫うように走った。北西へと進むと、対面から増援の兵が迫ってくる。
踵を返すたび、兵士たちの攻撃は寸分の狂いもなく襲いかかるが、レイラは宙を舞うように躱す。
距離は一定に保つ──近すぎず、遠すぎず。
わざと足音を立て、兵たちを引きつけながら街を駆け巡る。




