第二十七話「閉ざす氷壁」
「実に単純。実に簡単な事でした」
そう言って、アリーシアスは魔力を込める。
目標は大通りに据えられた人間の胴体ほどの監視装置。
距離は五十数メートル。
感知範囲には、ギリギリかからない位置だ。
アリーシアスは静かに実行言語を紡ぐ。
──冷気よ集え
極冠の息吹を宿せ
古の静寂に応じて
凍てつく蒼白を紡ぐ
氷壁、輝きを形作り
堅氷をここに築け──
術を解き放つ。
放たれた魔力は地を伝い、遠方の空気を急速に冷却していく。
監視装置の周囲が、分厚い氷の壁に覆われた。
術が発動し終えると、アリーシアスは一歩前に出る。
レイディルが一瞬慌てるも、彼女は何食わぬ顔でスタスタと歩を進めた。
「《アイス・アセンブル》──氷で様々な造形物を作り出す、四級魔術です」
彼女は作られた氷の前まで歩み寄り、左手を添えて、振り返り二人に質問した。
「とりあえず説明、いります?」
その目はチラチラと二人を見て、説明したくてウズウズしているようだった。
「……是非頼む」
アリーシアスが説明したそうにしているのを見て、レイディルは仕方なく頷きながらも、どうして監視装置を無力化できたのか気になり、話を聞くことにした。
隣でレイラも頷いているのが目に入った。
「では……まず、ギガスの監視装置についてです。
射程は五十メートル。これは事前にもらった情報ですね」
検証はしてませんがと続ける。
「その能力は、おそらく範囲に入った人間大の魔力を感知します。
そうでなければ、自然物の細かな魔力にも反応してしまいますから」
アリーシアスは空いた手の指で街路樹を指さす。
「あー、そういえば地の術の説明で『自然物には魔力が宿る』って言ってたな」
「さらに、感知範囲は壁に遮られる性質もあるようです」
レイラが小さく「あっ」と声を上げた。
「街を駆け回っている最中、曲がり角に監視装置がありましたが反応はしませんでした。つまり、そういうことです。
もっとも、もし壁も透過する仕様なら、逃げ場はありませんでしたね」
アリーシアスはひんやりとした氷の塊から手を離した。
「直接凍結すると、監視装置が停止して術者に気づかれる可能性があります。
そこで、微量な魔力で発動する術を使い、周囲を覆う氷壁を設置しました。これで感知範囲を切れます」
アリーシアスは氷の表面を手の甲でコツンと叩き、その硬さを確かめる。
「氷の厚さは三十センチ。民家の壁よりは厚く、作戦中に溶けないでしょう」
「な、なるほど……装置を破壊するのではなく、間接的に機能を制限したわけですね……」
監視装置の仕様を逆手に取った方法だ。
「地面にも魔力は宿っているので、感知範囲は水平より下には及ばないと判断しました。
地の術で地面ごと装置を持ち上げる案も考えたんですけど、燃費が悪すぎてボツです。
次々に上にあがる監視装置の光景を想像すると、面白そうではあったんですけどね。
残念」
アリーシアスは何やらよくわからないことを残念がっていた。
その様子を見ながら、レイラは説明の内容を反芻し、小さく頷いた。
「この氷の壁……対ギガス戦術にも使えそうかも……」
と、独り言のようにブツブツ呟いていた。
「さて、悠長に話しているよりも、そろそろ館に潜入と行きましょう」
一通り説明し終えて満足したのか、アリーシアスは足早に駆け出した。
通りがかりに目につく監視装置を、同じ手法で氷の殻に閉じ込めながら、この街一番の館へ進路をとる。
『監視装置がある』という事実が、帝国兵に過信を植え付けていた。
誰かが近づけば必ず反応する──そう信じ切っているが故に、点検など不要と考え、巡回網にほころびを生む。
だが現実には、その装置は分厚い氷の向こうで、光も音も届かぬ世界に閉じ込められていた。
おかげでレイディル達は、障害らしい障害もなく館の敷地へ辿り着く。
しかし、正面から乗り込むのは得策ではない。
館を囲む塀の影を伝い、外側から裏手へと慎重に回り込む。
夜風が低い枝葉を揺らし、乾いた葉の音が耳に触れるたび、三人の足取りは自然と遅くなった。
魔力から生み出された岩のギガスの頭部が、無言で侵入者を見張っている。
岩肌には微かな魔力の脈動が走り、生き物のような気配を帯びていた。
物言わぬ怪物の頭は、何度見ても無機質で不気味だ。
だが、アリーシアスによってその仕組みはとうに看破され、今の彼らにとってはもはや障害ではなかった。
静かに、そして素早く塀を越え、裏口へと進む。
レイラは用心深く音を立てないよう、ノブを回す。
しかし、当然鍵がかかっていた。
レイラが腰の剣に手をかけたが、レイディルが静止する。
「ここはオレが……」
小声でそう伝え、腰のポーチからいくつかの道具を取り出した。
二本の細い棒を鍵穴に差し込み、慎重に動かしてみる。
数秒の試行の末、手応えはまったくない。
「……無理だな」
「ふざけてる場合じゃないです」
アリーシアスの目がジトッとレイディルを見つめる。
「冗談だ冗談」
軽く笑ってごまかす。
本当は、解析魔術を使わず開けられると思っていたが、予想以上に難しかったのだ。
レイディルは気を取り直し、鍵穴へ魔力を流し込む。
解析魔術を交えて細やかに動かすと、やがて金属が外れる小さな音が響く。
「よし」
カチリ、と乾いた音が響いた。
「泥棒に向いてますね」
「冗談はよしてくれ」
小声でそんなやり取りを交わしつつ、三人は気を引き締め直した。
「敵司令官はおそらく三階奥です」
レイディルが短く告げる。
解析魔術で鍵を解くと同時に館内を探り、司令官の位置を確認していた。
息を殺し、身を低くして、三人はそっと館内へ足を踏み入れた。
壁に備え付けられた燭台の炎がわずかに揺れ、壁に影を伸ばしていた。
廊下に敷かれた絨毯は薄く、歩みを覆い隠すには心許ない。
布越しに響く靴音が、静まり返った館内にじわりと溶け込む。
等間隔に並ぶ扉。その前には鎧姿の兵が立ち、無言で廊を塞ぐ。
かすかな鎧の軋みや、息づかいさえ耳に障った。
兵が立つのは、おそらく重要な部屋の前なのだろう。
近づけば即座に見咎められるに違いない。
三人は壁に映る自らの影にさえ気を配り、ひたひたと迂回を繰り返す。
明かりに照らされぬ死角を縫い、息を詰めて進んでいった。
本来なら、館に入った時点で廊下を塞ぐ見張りなど気絶させ、倒れた兵に気付かれる前に司令官を倒してしまえば、事は済む。
だが、あえて隠密に徹するのは、司令官が知らぬ間に討たれる衝撃で、敵軍を動揺させるのが狙いだ。
そうなれば軍は頭を失い、瓦解する可能性が高くなる。
三人はなおも影に潜み、静かに歩を進めていた。
一階のいくつかの兵をやり過ごし、三人は上へと続く階段にたどり着いた。
その階段の向かい側、角部屋の中から大きな声が響いてくる。
聞き耳を立てると、中から声が響いてきた。
捕虜の処遇について議論しているらしい。
「お前たちの意見は分かった。
しかしだ、どうすれば一番の手柄になりうるか……」
荒々しい声には焦燥が滲んでいた。
会話の内容から声の主は副司令とその取り巻きと推測できた。
「バルゲインめ……ヤツが来てから何もかも上手くいかん」
声は苛立ちを増し、指を机に叩きつける。取り巻きの小声がそれに応じる。
「……それでも、捕虜や資源の管理くらいは、なんとか……」
「もっとだ……もっと大きな手柄が必要だ……オレが再び司令の座に返り咲くには……」
副司令の野心が、部屋の中に満ちていた。
「敵は……一枚岩ではない……ようですね」
レイラが小声で囁く。
その顔には事態の深刻さを悟ったような表情が浮かんでいた。
「まずいな……これじゃ敵司令官を倒しても、全軍降伏はしないかも……」
レイディルが危惧を言葉にする。その事実にレイラも頷いた。
最初は捕虜や資源の管理といった現実的な議題に沿っていたが、次第に話題はバルゲインへの不満や些細な不便に移っていった。
副司令が声を荒げれば、取り巻きもつられて苛立ちを口にする。
やがて会議は愚痴の応酬となり、具体的な意見は誰も示さず、不満だけが部屋に渦巻いた。
その部屋内の様子を聞いたレイラは、微かに唇を緩め、表情を再び変えた。
「作戦はこのまま……行きましょう」
レイラの言葉とともに、三人は静かに部屋を離れた。
二階は下よりも重要なものはないのか、見張りをする兵の数は減っていた。
三人は難なく二階を通り過ぎる。
三階はさらに静かだった。
警戒しつつ階段を登りきるも、敵兵の姿はどこにも見えない。
廊下は一直線に伸び、その突き当たりには重厚な扉が鎮座していた。
不自然なほどの静けさに、三人は互いに視線を交わす。
──待ち伏せか、それとも罠か。
それでも進むしかない。
慎重に足を運ぶと、呆気なく大扉まで辿り着く。
鍵は、かかっていなかった。
レイラが取っ手を掴む。
冷たい金属が、わずかに震える指先に触れる。
重い音を立てて扉がゆっくりと開いた。
広い室内。
その奥の執務机に、一人の男が腰かけていた。
男は重厚な全身鎧に身を包み、静かに三人を見据えていた。
まるで、最初から彼らを待ち構えていたかのように。




