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第二十六話「息吹は囁き 壁を超える」

 夜の路地を、冷たい風が音もなく通り抜けていく。

 今も、遠くで規則正しい足音が響いていた。


 レイディルとアリーシアスがじっとレイラを見つめ、次の言葉を待っていた。

 レイラは目を伏せ、わずかに逡巡してから口を開いた。



「わかっています……いえ、わかっていました。

この街の規模から、考えても……無理だということは」


 深い息を吐き、目を開け、目の前の二人を見据える。




「……それでは次の保険を打ちましょう」


 レイラの言葉に二人は黙って頷いた。



「本当は人知れず住民を逃がせれば……一番良かったんですが……」 


 次善の策にはどうしても、住民に怪我のリスクがつきまとう。


 隠密に脱出させる手段がない以上、交戦の余波は避けられない。

 

 その事実が、どうしても表情を曇らせた。



 しかし、それでも住民が人質にされる可能性は排除しておきたかった。





「では、レイディルさん……またお願いします」


「この街の衛兵、ですね?」


 レイディルの言葉に、レイラはこくりと頷いた。



 住民をすべて保護するには、どうしても人手が足りなかった。

 そこでまず、どこかに囚われているであろう、この街の衛兵たちを解放し、協力を得る必要があった。



 アリーシアスがそっと声をかける。


「レイディル、よければついでに増設された建物も調べてくれませんか?」


 レイディルは軽くうなずいた。



「ん? ああ、わかった」


 彼は素早く解析魔術を展開し、調べを進める。


 やがて、低く呟いた。



「結論から言うと、これは元ギガスの簡易建造物だ。

森で見た砦と、前に見た封鎖用の岩と同じだな。

帝国がよく使う手ってやつか……あと──」



 レイディルの言葉を受け、アリーシアスは微かに目を細めると、静かに言葉を選んだ。



「なるほど。罠もなさそうですし……これは、アレに利用できそうですね」



 納得したように頷くアリーシアスを横目に、レイディルは再び解析に集中し、本来の目的──衛兵の場所を探り始めた。







 北区の出入口。

 新たに建造された外壁の傍に、かつて街の治安を担っていた衛兵詰所が佇んでいる。


 今、その建物は皮肉にも、敵の手によって即席の牢獄へと姿を変えられていた。


 この牢に、捕虜となった衛兵たちが収監されている。



 その地下二階──

 いくつもの鉄格子が並ぶ一角に、今日も声が木霊していた。



「さん……びゃくっ!」


 各牢にはそれぞれ十人前後の兵が詰め込まれている。


 声を張っていた男は上半身裸だった。

 黒髪の間からは玉のような汗が滴り、腹筋を繰り返すたびに、その鍛え抜かれた肉体が軋むように動く。



「毎日毎日……飽きもせずにまぁ……」


 見張り役の牢番が、呆れ混じりに声をかける。



「ずっと牢屋に入れられっぱなしなんだ。やることと言ったら、筋トレくらいしか……ないっ!」


 男は返すと同時に、動きを止めることなく腹筋を再開する。



「なぁ、オルドさんよ。

あんたのその根性、オレは嫌いじゃないけどな……周りの部下があんたの汗臭さに参ってるぜ?」


 牢番はそう言って、槍を肩にかけケタケタと笑った。


 オルド──そう呼ばれた男は、周囲の部下を見やる。

 誰もが希望を失っているかのように、頭を垂れていた。

 それは、自分たちが街を守れなかったという自責の念ゆえだろうか、それとも諦めの気持ちだろうか。



「ちっ、ボケたのにノリが悪いねぇ……

まったく、アンタひとり鍛えたところでどうすんだか」


 牢番は肩をすくめ、呆れたようにぼやく。

だがそんな言葉にも耳を貸さず、オルドは今度は腕立てを始めた。




「やれやれ……そういや聞いたか?

あんたらの移送の話、ナシになったらしいぜ」


 不意に口にされたその言葉に、オルドの動きがぴたりと止まる。

 鋭い視線が、牢番に向けられた。



「処刑に変わったか?」


 そう問う声には、焦りも恐れもなかった。



「いや、そうじゃねぇ。理由はよくわからんが、副司令の判断だとよ。

最近噂になってる《機械の騎士》の情報が欲しいのか──

あるいは別のなにかで手柄を立てたいらしい。ま、出世欲ってやつだな」


 牢番は再び肩をすくめて笑った。


 そのとき、どこかで小石が壁に当たったようなかすかな音が響いた。

 周囲は静まり返っている中での小さな音。

 オルドだけがその音に気づき、すっと顔を上げた。



「……なぜそんな話を、わざわざ俺に?」


 オルドの問いに、牢番は少し頭を下げ、鈍い鉄兜の影に目を隠しながら笑って答えた。



「それなりに長い付き合いなんだ。ちぃっとくらい会話してもバチは当たらねぇだろ」


 そう言うと、男は持っていた槍を軽く握り直し、無骨な足音を響かせながら牢の巡回に戻っていった。





「……さて」


 牢番が十分に離れたのを確認すると、オルドは壁に向き直った。



〈ガリコツコツ コツガリコツ ガリコツコツ〉


 壁の表面を指先で引っ掻き、その後拳で小刻みに叩く。

 そうした音の組み合わせによって、暗号のように意図を伝える──


 アルバンシア式の交信術だ。




 しばらくして、すぐさまコツコツと応答が返ってくる。

 オルドはその音の並びを慎重に聞き取った。



「むっ……レ・イ・ラ?」


 どこかで聞き覚えがある……

 無精髭の生えた顎に手を当てて心当たりを探る。



「だ、大隊──っ!」


 思わず声が漏れかけたが、慌てて拳で口を塞いだ。

 壁の向こうの『予想外の相手』に、危うく叫ぶところだった。



 声が届かない距離まで牢番が離れたのを見計らい、オルドは壁にそっと囁いた。



「大隊長殿……なぜここに……?」


 オルドは直接会ったことは無いが、名前は聞き及んでいる。


 わずか二十歳(ハタチ)で大隊長になったという彼女は有名人だ。


 遠く離れたこの街にもその名は届いており、実力は一目置かれている。


 オルドはこの街に所属する衛兵騎士長であり、騎士大隊長は直属の上官ではないものの、立派な上司である。




「す、すでにドゥルム砦で勝利を収め……グレナウ、トレルムも奪還しました……」


 オルドは目を丸くした。

 聞かされていたのは、帝国が砦へ攻め入り、アルバンシアは防戦一方という話だけだった。




(あの強力なギガス相手に、劣勢を覆した?)


 ──いや、心当たりがある。

 あの牢番が言っていた『機械の騎士』。

 近頃、この街の帝国兵たちの間でも、噂になっていた存在だ。



「長く話している時間は……ありませんね……」


 レイラが静かに囁く。

 カツ、カツ……と、牢番の足音が通路から近づいてくるのが聞こえた。



「壁から、少し離れていてください……」



 オルドはその指示に従い、一歩後ずさる。


 すると牢の隅、壁の一角に不自然な四角形が浮かび上がる。



 まるで元から切れ目があったかのように、石壁が静かに内側へ倒れた。


 音はない。刃も見えない。

 ただ、結果だけがそこにあった。



 穴は、鉄格子の向こうからは見えない死角にあり、周囲の陰に溶け込むように空いていた。


 誰かが前にでも座っていれば、外からは完全に視認できないだろう。



 その隙間から、二枚の紙が静かに差し出される。


 一枚は手書きの街の地図。

よく見ると、矢印が幾つか記されている。


 オルドはすぐに察した。


(──これは脱出ルート。そしてもう一枚は……指示か)



「覚えたら、その紙は……食べてください」



 牢の中で証拠を消す手段は限られている。

 レイラは申し訳なさそうに、しかしきっぱりとそう告げた。


 


 千載一遇──

 逆転の希望が、オルドの胸に灯る。


 


「可能性……でしょうか?」


 囁くようなレイラの声が、壁の向こうから届く。


 オルドは紙をすばやく目で追った。

 内容は大胆だ。

 相応のリスクもある。



(……可能だ……だが……)


 確かに厳しいが、不可能ではない。

勝機(しょうき)は、はっきりと見えている。


 


 ただ、唯一の気がかりは……


(オレは、まだ動ける。だが……他のみんなは……)



 オルド自身は、ここに囚われてからも可能な限り体を鍛えていた。

 出される食事は貧弱で、栄養とはほど遠い内容だったが、それでも動ける状態は維持している。

 

 だが、部下たちはどうだ?


 オルドは返答に迷う。



 ……とはいえ、悠長に悩んでいる時間は、もう残されていなかった。


 カツ、カツ……牢番の足音が、ゆっくりと近づいてくる。


 


 そのとき、オルドの傍に横たわっていた一人の部下が、細く、小さな声を発した。



「騎士長……オレたちなら大丈夫です……

まだ戦えます、それに魔術もある……」


 その声は頼りなく、今にも消えてしまいそうだった。

 だが不思議と、その一言が火種になった。


 

 項垂れていた男たちが、ゆっくりと顔を上げる。

 そして無言のまま、一様に頷いた。

 その目には力が宿っていた。



「大隊長殿、やれます!」


 オルドは小さな声だが、力強く返答した。







 

 詰所に隣接する倉庫──その地下二階に、レイラたちはいた。


 

 壁一枚を隔てた向こう側は、牢屋だった。

 もちろん、牢屋と倉庫が直通しているわけではない。


 だが、レイディルが建物の構造を綿密に調査した結果、倉庫の地下と牢屋が構造上きわめて近接していることが判明した。



「この向こうが牢屋ですね」


 レイディルが声を潜める。



「ここまできたなら、手段は……明快です」


 そう言うとレイラは壁の前に立つ。

  腰から幅広の剣を抜き、静かに振る。

 その瞬間、手応えもなく石壁が裂け、欠片がわずかに舞った。


 レイラの剣技を、見るのはこれが初めてだ。

 レイディルは至近距離で見ていたが、剣の動きがあまりにも滑らかで、はっきりとは捉えられなかった。



(薄暗いからかよくわからなかった……いや、暗さのせいじゃないか)


 レイディルは思わず息を飲んだ。

 彼女の剣技に戸惑いを覚えつつ、ふと壁の向こうへ視線をやる。


 そこには固く締まった土が静かに顔を出していた。



「この条件なら……崩れることなく牢屋側の壁まで掘れそうです」


 アリーシアスが掌をかざし、土の感触を確かめるように呟いた。

 

 手に魔力を込めると、壁が小さく震えわずかに湿った土が粒となって弾け飛んだ。

 やがて人間大の穴がゆっくりと空き、向こう側の牢屋の壁が姿を現した。



 あとは、牢の中の人間と話をするだけだ。



……

…………



 レイラは壁越しに、囁くようなやり取りを静かに交わしていた。



 そして腰を少し落とし壁の下に対し、再び剣を振るう。



 レイディルは、今度は見落とさぬようじっと剣を凝視した。

 しかし至近距離で見ていたというのに、剣閃はおろか、腕の振りすら目に映らなかった。



(この腕で……この人、なんでいつも自信なさげなんだ?)


 大隊長という立派な立場、その実力に見合うだけの剣技を持ちながらも、いつもオドオドしている。

 その存在が、レイディルには不思議でならなかった。



 ふいにアリーシアスが、そっとレイディルの肩を叩く。



「何を考えてるか、わかります……でも、人には……いろんな事情があるんですよ」


 彼女はレイディルの心を見透かしたように、そう呟いた。



「……多分」


「いい加減な……」



 レイディルは呆れたように返す。

 どうやらアリーシアスも、事情を知っているわけではないらしい。



 そんなやり取りをしている間に、目的はどうやら果たされたようだ。




「連絡は完了……です。

次に行きましょう。」



 この牢屋に全ての兵がいる訳ではない。

 他の場所に囚われている者たちにも、作戦への協力を仰ぐ必要があった。


 そのため、あらかじめ効率的に回れるルートが割り出されていた。


 


 巡回兵や監視装置をかいくぐり、東へ西へ。

同じことを何度も繰り返す。



 移動の途中、ふとアリーシアスが立ち止まった。


 六十メートルほど先には監視装置が見えていた。


 街路に強い風が吹き抜ける。

 強風が地面に散らばった葉を舞わせた。

 彼女の視線が、それをじっと追っていた。


 

「……ふーん」


 小さく息を吐いたアリーシアスは、しばらく無言でその様子を見ていたが、やがて走り出す。


 その背中にレイディルが怪訝そうな視線を向けるも、彼女は何も言わなかった。




 さらにその後、別の地点。

 レイディルが二人に呼びかける。



「この建物の角を曲がったところに監視装置があります。慎重に!」



 三人は監視装置の射程に入らぬよう、細心の注意を払い遠回りに駆け抜けた。


 アリーシアスは再び、ほんのわずかに眉をひそめた。

 だが、やはり何も口にはしない。ただ、内心で何かを考えているようだった。







 やがて解析魔術(アナライズ)で割り出した、兵が捕まっている場所全てを周り終える。


 すべてのアルバンシア兵が快く応じたわけではない。

 中には、すでに戦える状態にない者も多くいた。



 しかしそれでも、作戦を実行するには十分な人手が確保できたはずだ。


 


 街を駆け回る道すがら、アリーシアスが帝国によって増設された壁に手を付き、魔力を込める。


「ふぅ……OKです。

少々キツイですが、いいカンジにできたと思います」


「……ごめんなさい。

で、でも……アリーシアスさんの魔術も作戦のキモなんです」


 レイラは、アリーシアスに無理をさせていることに、負い目を感じていた。




「いえ、大丈夫です。まだ余裕ですよ。

せっかくなんで鬱陶しい、監視装置も黙らせちゃいましょう」


 アリーシアスは事もなげに言い放った。





 街の大通り。

 本来なら、活気ある店々が軒を連ねていたであろう、まさに街の中心とも言える道だ。


 そんな通りも、今では人影ひとつなく、不気味に鎮座するギガスの監視装置だけが存在を主張している。



「作戦の大詰めには、ここを通る必要がありますよね」


「……ですけど、監視装置を一体どうやって……?」



 その問いに、アリーシアスは一瞬だけ視線を遠くへ向け、ゆっくりと振り返る。

 珍しく、わずかに口角を上げた。


 そして魔術を持って、答えを示した。

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