第二十三話「ちょうどいい所にちょうどいい人」
朝日が地平線を照らし始めた早朝。
一行は再び、カーネスに向けて出発した。
ほどなくして、地面は草の茂る草原から、岩がゴツゴツと顔を出す荒れ地へと変わっていく。
カーネスは、もう目と鼻の先だった。
「ま、まずは街の様子の確認を……」
レイラがそう提案する。
ベイルの情報と、現在の街の様子を照らし合わせるためだった。
帝国の警戒網にかからない、遠く離れたギリギリの位置から単眼鏡を手にしたレイラが、街の様子をじっと観察する。
街はその四方を、高く堅牢な外壁で囲まれていた。
壁に空いた門は兵士が何人も立ち厳重に守備をしている。
その姿は、訪れる者を寄せつけぬ威圧をまとい、まるで風にすら関心を持たぬかのように静かに佇んでいる。
外界との境界を明確に線引きするようなその壁は、何かを拒むというより、何かを内に閉じ込めているようにも見えた。
外側からでは街の様子はわかりそうもなかった。
一つ頷いたレイラは、予定通り旧通路を目指すよう、レイディルに手で合図を送った。
ヴァルストルムは西へと進む。
でこぼこが増えた道を慎重に歩き、目的地の旧通路からおよそ三キロほど離れた場所で停止した。
ここからは徒歩で向かう予定だ。
レイディルは機体を岩山の陰にしゃがませ、掌をゆっくりと下げて三人を降ろす。
一行は地上に降り立ち、揺られた身体を小一時間ほど休ませた。
やがて休息を終えると、レイディルがマリーに声をかける。
「本当に大丈夫……ですか?」
「ええ、ここならバッチリ隠れられそうよ!」
「いや、そうじゃなく……」
レイディルが気にしていたのは、マリーが一人でヴァルストルムを見張ることだった。
本来、マリーたちの護衛を務めるアリーシアスは、今回は潜入組として同行する。
万が一、という事態もある。
マリーは顎に指を当て、しばし考えると、にっこり笑って答えた。
「危険になったら一目散に逃げるから大丈夫よ」
頼もしい笑顔とともに、さらりとそう言った。
「日が落ちれば、この場所なら余程のことがないかぎりは見つからない……と、思います」
そういったのはマリーとは対照的に少々自信なさげなレイラ。
「今は旧通路が使用可能か調査に行くだけですから、なるべく早く戻ってきましょう」
と、アリーシアスが静かにまとめる。
かくしてマリーを一人残し、三人は旧通路へと向かうのだった。
ゴツゴツとした岩肌が剥き出しの山道を、一行は注意深く進んでいく。
先頭を行くレイラが岩の道を軽やかに登り、途中で立ち止まって後ろを振り返る。
レイディルが慎重に足場を選びながら登っており、そのさらに後ろから、アリーシアスがひょいひょいと身軽な足取りでついてくる。
「アリーシアスさんも、レイディルさんも……た、体力あるんですね」
レイラは少し息を整えながら呟く。
特にレイディルに関しては《整備士》と聞いていたため、こうした険しい道を難なく登る様子は意外だった。
「まぁ……これくらいは」
レイディルは足元をしっかりと確かめつつ、一歩一歩を丁寧に踏みしめながら言った。
その間も、アリーシアスは時折後ろを振り返り、周囲に敵兵の気配がないかを確認している。
最後尾にいるのは、その警戒のためだ。
「……地図的にはあと少しです……頑張りましょう……!」
レイラが両手を胸の前でグッと握り気を引き締めた。
やがて、足元がなだらかになった。
ほどなくして、三人は平坦な道に出くわす。
その道は人の手によって整備されたもののようだったが、今はもう長く使われていないようで、所々に草や小石が散らばっていた。
道の先に件の通路がぽっかりと口を開けていた。
「……やっぱり……」
レイラは眉をひそめた。
開いていたのは入口からわずか数メートルのところまで。
そこからは大きな岩で塞がれていた。
手を横に上げ、すかさずアリーシアスが注意を促す。
「通路にギガスを詰め込み術を解除する。簡易封鎖処理ですね。
一応、何が仕掛けられているか分からないので、近付かない方が得策かと思います」
アリーシアスは冷静に告げる。
「……そ、そうですね……とりあえず、ここで立ち止まっていても良いことは無さそうです……」
通路が使えないことは、ある程度予想されていた。
三人はひとまずその場を離れ、近くの岩場に身を隠して次の行動を相談することにした。
「そういえば、地の術で別の場所に通路を作るってできないのか?」
レイディルが疑問を口にすると、アリーシアスは一瞬キョトンとした顔を見せた。
すぐにその表情を引き締める。
「結論から言うと、現実的ではありません。
トンネルを掘るとなれば強度の計算や補強も必要になります……。
正直、二、三メートルも掘れたら良いほうです」
アリーシアスは腰に手を当て、淡々と説明を始める。
「またの機会に講釈する予定でしたが……簡単に言うと、地術は『変換』ではなく『操作』なんです」
「操作?」
レイディルが疑問を返す。
「はい。他の術が『魔力変換による事象の再現』なのに対し、地術は『魔力で物質を生成する』になってしまうので──それは出来ません」
物質の創造は、人の領域を超えている。
そうアリーシアスは断じた。
「端的に言うなら、火も水も掴めるようで掴めない。
どちらも『流動的』で、『一時的』で、その場で生まれては消えていく『現象』だから、魔術で再現できるんです」
アリーシアスの説明に二人は黙って耳を傾けた。
「でも、岩や土は違います。
あれは『そこにある』もの──
すでに形と重みを持った『物質そのもの』です。
変えることも、創り出すこともできない。
だから、動かすしかないんです」
言葉を続けながらアリーシアスは、地面の石を手で掴み、水平に動かしてみせた。
「それに、自然物というのは、もともと微弱ながら魔力を帯びていて……
それが魔術に対する『抵抗』になるんです。
つまり、術者の命令に従おうとしない。
だから地術を使うには、それをものともしないくらいの、強い魔力が必要になる──」
つまり、ひどく燃費が悪いということだ。
「要するに、他の術とは段違いに難しいんですよ」
向こう側まで通じるような、人が通れる『綺麗な穴』を開けるのはほぼ不可能だ。
だが説明し終えると、何かが引っかかったのかアリーシアスは目を細め、思案に沈む。
「んー……そういえばゴーレム創成術……岩を操るわりに燃費が悪そうにも見えませんでしたね……
つまりこれは、岩を操るというより……自然物の魔力をねじ伏せる、隷属化……でしょうか?」
アリーシアスは小さく呟きながく。
「もしかしたら、あの術……まだ上があるのかも……」
その声はレイディルとレイラに届かないほど小さく、風に紛れるような独り言だった。
彼女は何かを考え込むでもなく、ただ淡く浮かんだ予感を胸の内に留め、視線を伏せた。
そんな様子のアリーシアスをしりめに、レイラは代替案を出す。
「……旧通路が塞がれていた場合ですが……
一応、さらに西側の断層跡から回り込める可能性はあります……ただし徒歩では数日、ヴァルストルムは途中トンネルのようになった岩場のせいで通れないと思います……」
レイラが用意していた地図に指を滑らせながら言う。
「あくまで可能性……ですよね」
通れなければ時間も体力も無駄にすることになる。
三人が岩陰で身を潜め、通路封鎖の状況を整理していたときだった。
思案にふけっていたアリーシアスが、ふと視線を上げる。
「……誰か、います」
彼女の目線の先、旧通路の奥。
岩で塞がれた通路の前に、一人の老人の姿があった。
身なりは粗末な作業着。
手には魔道ランプを持ち、何やら岩壁をじっと見つめている。
こちらには気付いていない様子だった。
「……あの距離なら、こちらには気づいていないでしょう。……けど、どうしてこんな場所に……?」
レイラが眉をひそめて呟く。
「見張り……といった感じでもないですね……」
アリーシアスの声に、レイディルは小さく首を縦に振る。
「ああ。武器も装備もない。ただの作業者だと思う。 老人か……だとすると──」
言葉を濁したレイディルの横顔を、レイラがちらと見る。
「……ち、近づいてみましょう……!」
彼女はそっと地図を畳み、気配を消すように立ち上がった。
老人は、塞がれた通路の前に立ち、岩の表面をなぞるようにじっと見つめていた。
手にした魔道ランプの灯りが、岩肌をぼんやりと照らしている。
長い沈黙ののち、彼は小さく息を吐き、ぽつりと呟いた。
「……こっちは完全に潰されちまってるか……何度来ても同じだな」
声はかすれて、岩壁にかろうじて吸い込まれるように響く。
その目はただ諦めているのではない。
どこかに、まだ何かを繋げようとする光があった。
「せめて代わりになる物はないかと思ったが……」
辺りを見回し呟いたその言葉に、老いた手がぎゅっとランプを握る。
「あ、あの~……」
老人の丸まった背中に声がかかる。
振り返った先には、やや警戒の色を残しつつも落ち着いた様子の三人組──
先頭に立つ金髪の女性と、彼女を挟むように立つ青年と少女がいた。
「ふむ……ああ、だいぶ前に街から逃がした、あの青年か……
だとすると……あんたら、アルバンシア軍か?」
レイラは、目の前の老人に簡潔に状況を説明した。
遠い記憶をたぐるように目を細める老人の顔に、微かな安堵の色が差した。
「だが、残念じゃったな。
見ての通りあんたらお目当ての通路はこのザマじゃよ」
老人が背の封鎖された通路を親指で指す。
「に、西側の断層……そこは通れないでしょうか……?」
「あそこか……やめといた方がいい。
慣れた人間でも手こずる道じゃ」
レイラは少しガッカリした様子を見せたが、すぐに気を取り直し、次の案を練りはじめる。
老人はその様子を見、しばし考えてから切り出した。
「ここで立ち話も何じゃ、三人ともワシの家に来い」
「こりゃ……デカいな。なんちゅう機械じゃ……」
老人の家の前。
運ばれてきたヴァルストルムを見上げ、老人は驚き混じりに声を上げた。
「とりあえず、納屋の傍にしゃがませといてくれ」
レイディルにそう頼むと、老人は目を細め、しばらくのあいだ黙ってヴァルストルムを見上げ続けた。
この辺りは街から遠く離れ、滅多に人の通らぬ山中にあるという。
岩場に無理に隠すよりも安全と判断し、ヴァルストルムはこの場に待機させることにした。
マリーを含めた四人は、改めて老人に自己紹介をする。
「ワシの名前はマイスじゃ。
……今じゃ、呼ぶ人間もこの辺りにはおらんがの」
物理的に人がいないという意味だ、とマイス老人は苦笑しながら言った。
「外じゃなんだ。中に入んなさい」
マイス老人はそう言いレイディルを家の中に招いた。
そう言って、マイスはレイディルたちを家の中へと招き入れる。
家──というよりは、小屋。
中には簡素なテーブルと椅子、奥には寝台がひとつ。
流しの台の上のまな板には干し肉が無造作に置かれ、壁には年季の入った削岩用の工具が立てかけられていた。
老人は四人をテーブルの椅子に座らせた。
マイス老人は、キッチンの流し台のそばにある古びた椅子に腰を下ろしていた。
その目の前には簡素な木の机。
そして、机の斜め向かい──ちょうど老人の視線の角をかすめる位置に、レイラが控えめに座っている。
さらに、机の横並びの面には三人。
左からアリーシアス、レイディル、マリーが並び、それぞれ椅子に腰かけていた。
「人がいない、というわりには……椅子は多いんですね」
アリーシアスが、小声でぽつりと漏らす。
その声を聞き逃さず、マイス老人はふと笑って答えた。
「多めに椅子を置いといたらの……一人じゃないと、自分に言い聞かせられる気がしてな」
マイスは椅子のひとつをじっと見つめ、少し寂しげに目を細めた。
しばしの静けさのあと──
「ところで、あなたはここで何をしているんですか?」
レイディルが、率直な疑問を口にした。
街から遠く離れたこんな山奥に、ただ一人でいる理由が気になっていた。
「ワシは、街からうまく逃げおおせた人間じゃ。
青年……ベイルじゃったか。
彼を逃がしたあと、他の者も助けられんかと思ってな。
何度か旧通路を通ってチャンスをうかがっとったんじゃが……」
マイスは言葉を切り、ため息と共に視線を落とす。
「……見ての通り、通路はあのザマじゃ。封鎖されちまった……」
「そ、それで……街の人たちは……?」
レイラが、思わず身を乗り出して問いかける。
マイスは小さくうなずき、重い口を開いた。
「うむ、ワシの知っとることを順番に話そう。 ……あんたらでどうにかできるかはわからんが、それでもええなら聞いてくれ」
老人は、記憶をたどりながら、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「まず、街に残された者たちじゃが……工場で、大砲やら、でかい盾や武器を作らされとる」
「……森で見たギガスの……装備の類ですね」
レイラが、苦々しげに呟く。
「他は炭鉱で鉱石を掘らされとる。 掘ったもんは運搬係に回されて、街へ送られる仕組みじゃ。
その後、炉で加工され工場か街の外へ送られとった」
老人はそこで一息つき、顔をしかめる。
「作業が終わった後が、また妙なんじゃ。
寝かされる場所は日によって変わる。
誰と寝るか毎回違う。
家族でも、顔なじみでも、決して同じ組にはならんように組まれとる。 女子供も同じく、何人かずつに分けられて、それぞれ隔離されとる」
「……共謀を防ぐための措置、ね」
マリーが低く呟く。
──謀反、反乱、脱走。
それらすべてを未然に防ぐための、徹底した『分断』
「他には……街の中じゃ、あの岩のバケモン──ギガスによって、妙な建物が増えとるな。
それと、不気味なことにあちこちにそのギガスの『頭』が据えられとる」
「頭……?」
レイディルが顔をしかめる。
何のために、と口には出さずとも表情に出ていた。
その沈黙の隙間を縫って、アリーシアスが静かに言葉を発した。
「ギガスには、人の魔力を探知する能力があるようです。
……頭部だけが使われているのなら、その機能だけを残して転用されたもの。
つまり『監視装置』みたいなものかと……」
「そういえば、あいつら敵と味方をちゃんと見分けてたな」
レイディルが腕を組み、低く唸る。
「……上手いことやれば、そういう使い方も可能ってわけか」
「まるで──フィオルーナのようね」
聞き慣れない名に、レイディルは首をかしげる。
「フィオルーナ……別名、《導花鳥》っていうんだけど、いまでは百羽ほどしか残っていない、魔力を記憶し追跡できる鳥よ。
魔力を操るから、この鳥も『魔獣』に分類されているわ。
伝書鳩と違って『動いている人間』に伝書を届けられるの」
マリーは少し間を置いて、静かに続けた。
「今では、本当に重要なときにしか使われないわ」
その言葉を聞いて、レイディルはふと一つの記憶を思い出した。
──いつだったか、博士のもとに届いた伝書。あれを運んできた鳥。
「ああ……あれか」
彼は小さく頷くと、横目でアリーシアスの顔を見た。
いつもなら真っ先に魔術関連の知識を語ってくれる彼女が、今回に限って黙っていたことが、少し意外だったのだ。
アリーシアスはその視線に気づいたのか、頬をわずかに膨らませて口を開いた。
「……魔獣のことは、別に詳しくないです」
少し拗ねたような声に、場の空気がわずかに和らいだ。
だが、すぐにアリーシアスは気を取り直し、思考の糸をつなぎ直す。
「……もしかしたらギガスには、その鳥さんの能力が模倣されているか、何らかの形で解析・転用された可能性もありますね。
出来れば──ギガス創成時に使われるあの魔力球を直接解析したいところです」
その冷静な目は僅かながら好奇心で光っていた。
「と、まぁ、鳥さんのことは置いておいて……
街へどうやって入るかですが──」
アリーシアスは、話題を元に戻した。
「ふむ、実はな……いま、新しい横穴を掘っとるんじゃ」
潰された旧通路の代わりとなる新たな道。
マイス老人は自信たっぷりにそう答えた──
──ような気がした。
気がしただけだった。
老人は、すぐに肩を落として続ける。
「なんじゃがの……掘っとる途中で、削岩機が壊れてしもうてな。
さっきも代わりになる道具を探しに行っとったんじゃが──そう都合よくはいかんのぉ……」
その言葉を聞いた途端、両隣に座っていたマリーとアリーシアスが、同時にレイディルの両肩をがっちりと掴んだ。
二人は顔を見合わせ、そして声を揃えて告げる。
『おじいさん、ちょうどいい所に、ちょうどいい人が──』
「います」
「いるわ」
と。




