第二話「凍る夜」
太陽は地に落ち、静かな闇が空を覆う。
月明かりと馬車前方に備え付けられた魔道ランプが夜道を照らす。
「村まであと少しですね。」
アリーシアスが馬車の前方を見据えて言う。
「できれば、村に着いたらすぐに調査を始めたいですね。」
腕を組みレイディルが答える。
「わざわざ夜に、ですか?」
「執政官は急ぎだと言っていたし、なにより村人たちは不安な夜を過ごしている。早く安心させたいですからね。解析に時間はそんなに掛からないでしょうし。それにギガスだとしたら大問題だけど、もし違ったらソレはなんなのか、興味がある。」
アリーシアスは、父からよく聞かされた話を思い出した。
(そういえば、『あいつは機械が好きで、変わったものを見る時は目を輝かせる』って言ってたっけ。)
彼女は少し苦笑いを浮かべながら、レイディルの顔を見つめる。
村人をいち早く安心させたいのも本音なのだろう、しかしそれとは別に彼の瞳は輝いていた。
「少し興味の方が勝ってるみたいですね。」
少女に見透かされ、レイディルは思わず目を逸らした。
馬車は揺れながら、夜道を進んでいく。
木々のざわめきが静寂を埋め、魔道ランプの淡い光が、揺れる影を路面に落とす。
しばらく進むと村の輪郭が、月明かりの下にぼんやりと浮かび上がっている。
「村が見えてきましたよ。」
ロルフが手綱を引きながら告げる。
アリーシアスとレイディルは視線を交わし、馬車の速度が徐々に落ちていくのを感じながら、静かに息を整えた。
馬車を村の守衛所に預け、守衛に場所を聞いた後、三人は件の場所へと向かった。
途中、村の人達を何人か見かけたが、皆不安そうな顔をしていた。
しかし、レイディル達が調査に来た人間だとわかると、表情が幾分か和らいだ。
民家からは、子供の楽しげな笑い声が聞こえる。母親が優しく子供に話しかける声や、父親の低い笑い声も響き、穏やかな家族の団欒の様子が伝わってきた。
(なるほど、レイディルさんが早く安心させたいと言った気持ちもわかりますね)
少女は一人納得しながら、二人の後をついて行った。
しばらく歩き、村の外れの水車小屋が建てられた川沿いに着く。
その川を挟んで向こう側の崖に、それは鎮座していた。
「み、見たことも無い物ですね……これはギガス……なのでしょうか……?いや、でも、どこか違うようにも見えるな……」
遠目ではっきりと確認できないものの、ギガスとは異なる形状、しかし、異質な巨人のような存在に、ロルフは戸惑いを隠せない。
「月明かりと手持ちのランプだけでは心許ないけど、近づく必要がありそうですね。」
レイディルは未知のものへの好奇心をできるだけ抑えてはいるが、その顔は早く行きたくて仕方がない様子だった。
しかし、向こう側へ行くには橋を渡るしかない。だが、見当たらない以上、大きく迂回する必要がありそうだ。
それなら、いっそ川に入ってしまうか──。
レイディルがそんな考えを巡らせていると、アリーシアスがふぅ……と空気を吐き出し、人差し指をピンと立て川に向けた。
何やら一言呟くと、その途端、川周辺の温度が急激に下がり、水面がみるみるうちに凍りついていく。
やがて、一面の氷が橋となり、対岸へと続いていた。
「一応、川にはお魚さんがいない事を確認してから、凍結させました。
滑りますので気をつけて渡ってください。」
彼女なりの優しさだろうか、それはともかく、こともなにげに放った魔術は、素晴らしい精度と速度だった。
レイディルは目の前の氷橋を見つめながら、唖然とする。流れる川を一瞬で凍らせるだけでも難しいだろう。
「……これは凄い。」
思わず漏れた言葉に、彼女は涼しげな顔で微笑む。
王国では、市民でも魔術を学べば気軽に扱うことができる。
ただし、それは主に五級魔術──薪に火をつける程度に限られる。
四級以上──人を殺傷し得る威力のある戦闘用魔術を行使する場合、使用許可が必要となる。
本来なら、許可なしで使用すれば処罰の対象になるだろう。だが、今回は調査任務の一環として、使用許可が下りている。
そして彼女が使ったのは、おそらくその戦闘用の中でも最も下位に位置する四級辺りの氷結魔術だろう。
この威力で、この速度で川を凍らせるのは、並の魔術師では到底できない。
「ありがとうございます。さぁ行きましょう。」
そう言いながら彼女は先に氷の上へと足を踏み入れた。
「もしかしてロルフさんも、こんなに凄い魔術を?」
「いやいや、お嬢様だから出来たことです。
自分は防御魔術くらいしか自慢は出来ませんよ。」
と苦笑した。
攻撃と防御、どちらの魔術も上手くは無いレイディルにとって、一つでも自信を持てる技術があるのは羨ましい限りだった。
そう言葉を交わしながらも、二人はアリーシアスの後を追うように氷橋へと足を踏み入れる。
彼女はすでに数歩先を進んでいた。氷の上を歩いているはずなのに、その足取りにはまるで迷いがない。
ロルフは慎重に歩を進め、レイディルもまた、足元に意識を向けながらついていく。
氷橋を渡る冷たい風が頬をかすめたが、それ以上に、先を行く彼女の背中がどこか頼もしく見えた。
対岸に着き、目標の側まで歩を進める。
「さて、ここからはオレの仕事だな。」
レイディルは意気揚々と歩を進める。
アリーシアスとロルフは、巨人がいつ動き出してもすぐに対処できる位置で待機した。
改めてそばで見ると、その巨大さに圧倒された。
膝を折っているとはいえ、なお高くそびえる巨体。立てば10m程になるだろうか?
その足にそっと手を伸ばす。
氷結魔術の影響か、それとも夜の冷気のせいか
表面は驚くほどに冷たい。
硬質な感触が掌に伝わる。
(……!? これは金属か?
いや、しかしこんなに大きいものが作られたという話は聞いたことがないし、こんな精錬技術は知らないぞ……)
驚きつつも、解析魔術の準備に取りかかる。
(魔力を通して見れば、すぐにわかるだろう。)
いつもより慎重に、魔力をゆっくりと流し込んでいく……
その瞬間、彼の意識は途切れた。
「!?」
暗闇から一転、レイディルは目を覚まし、半身を起こす。
額には川で濡らしたハンカチが掛けられていたが、勢いよく起き上がった反動で手元に落ちてしまった。
「あ、気が付きましたか?」
アリーシアスが静かな表情で、けれども心配そうにこちらを見つめている。
このハンカチも彼女のものだろう。
よく見ると、可愛らしい刺繍が施されていた。
どうやら三十分ほど意識を失っていたらしい。
念の為巨人のいた場所から離れ、川の上流の平坦な土の上に丁寧に寝かせてもらっていたようだ。
周りは大きな岩が複数突き出ている。
頭の下には枕の代わりにアリーシアスの着ていたローブが包んで置いてあった。
「ロルフさんは、例の巨人の監視をしてくれています。
魔力が流れていくのは見えていましたが、なにか分かりましたか?」
傍には、膝を軽く曲げ、両手を膝に添えたアリーシアスが座っていた。
どうやら気を失ったレイディルを看病していたらしい。
「ん、あぁ……いや、しくじった。街にあるのとは違うって分かってたんだよな……。前に機関車をこっそりアナライズした時より慎重に深度を下げたつもりだったんだけど……」
頭が定まらず、独り言のように答える。
「深度? 解析魔術を使う方が似たような単語を言う時がありますね。よくブツブツ言ってて何だか分かりませんけど。」
深度とは、正式には解析深度という。
解析の段階を指す言葉で、一度に情報を引き出しすぎると脳に負荷が掛かるため、慎重に下げていく必要がある。
解析魔術を使う者たちの間でよく使われるが、人によって『段階』や『深さ』『掘り下げ』など言い方はさまざまだ。
機関車のような機械の塊は、細心の注意を払う必要があった。
当時も慎重に深度を調整しながら解析したはずだ。それなのに、今回は……
レイディルは一通り説明したあと、情報をまとめるため、意識をしっかりさせるため、頭を振った。
「解析した瞬間、凄い量の情報が流れ込んできました……これは……」
アリーシアスは次の言葉を待つ。
「これは、人が作り出した機械です……それも既存の技術を遥かに凌駕する……外殻すらも情報の塊、内部の機械部は更に精密ですね……」
「…………」
アリーシアスは手を顎に当て考えている。
「メタフロー……ですか。」
メタフロー……有史以来、この世界には数度、どこからか既存の技術を超える物が現れてきた。
それらは時として文明に多大な影響を与え、技術革新をもたらした。
例えば、時計は約千年前に現れ、人々は初めて『時間』という知識と、それに基づく技術を得た。
その誕生は、御伽噺として語られることもあり、神からの贈り物とされることもあった。
だが、それが一体どこから来たのかは、未だに謎のままである。
アリーシアスが静かに続けた言葉に、レイディルは深く頷きながらも、心の中でさらに考えを巡らせる。
長い歴史の中で数度しかない、この現象を実際に目にしたもう人はいないだろう。
「童話の中での話かと思っていたが……」
目の前の機械の巨人の存在が、レイディルに否定の気持ちを捨てさせた。
その二人の会話を、離れた茂みの奥で聞いていたもう一人の人物がいた。
そして茂みから強烈な魔力の光が立ち上り、影を形作る。
影はやがて人の数倍もの大きさに膨れ上がり、
レイディル達の前に立ち塞がった。
ゴツゴツとした岩を肌に、巨大な四肢を持ち、無機質で顔を持たぬモノ。
「これは、ギガス!」
アリーシアスは素早く立ち上がり、戦闘態勢に入る。
その瞬間、さらにもう一体。
「小型ギガスが二体!?
レイディルさん、村の方々の避難を!
間違いなく中型のギガスも出てくるはずです!」
情報によれば、中型ギガスを創成できるギガス使いでしか、小型ギガスを二体同時に作り出すことはできない。逆に言うと、小型ギガスが二体いるのであれば、中型ギガスを創成できる使い手がいるはずだ。
そして、自分では役に立たないと判断し、一瞬苦々しい表情を浮かべたが、レイディルはすぐさま村の方へ走り出した。
レイディルとすれ違う形で、異変を察知したロルフが到着する。
「お待たせしましたお嬢様!」
背負っていた盾を構え、アリーシアスの前に位置を取る。
「自分が削ります、戦術通りに!」
「慌てず村の外へ! 緊急事態です!
村の入口から外へ向かってください!」
警鐘が鳴り響く中、守衛と共にレイディルは村人の避難を急ぐ。
「こんな夜になんだ?」
「あっちから煙が!」
「あんた調査に来た人だよな!? なにが起こってるんだよ!」
村人は混乱で次々に騒ぎ出す。
レイディルは村人の声に立ち止まることなく、冷静に叫んだ。
「すぐに避難を! 詳しいことは後で説明しますから、まずは安全な場所に!」
説明する時間は無い。目の前の現実は一刻も急を要している。ギガスがこちらに向かって来るかもしれない、そんな危機感が背中を押す。
(アリーシアスさん、ロルフさん頼んだ……)
彼は無力さを感じながらも、村人たちをひたすら誘導していく。周囲の騒がしさに耳を塞ぎ、ただ前を向いて進む。少しでも遅れれば、それが命取りになる可能性があるのだ。
幾度目かの爆炎、強烈な熱と爆発が岩石の人ならざるものを焼く。
しかし、その激しい炎の中で、ギガスは一切の躊躇なく、巨大な剛腕を振り下ろす。
アリーシアスの目の前で、ロルフが盾を構え防御魔術を展開する。
彼の防御壁が魔術と盾の二重の防御となり、ギガスの剛腕を防ぎ切った。更に隙を突き手持ちの剣で数度切り付ける。
「まだ削り足りませんかッ…!」
ギガスの身体はただの岩のように見えるが、創成時に術者による防御結界が張られる。
その結界が魔術を防ぎ、魔術が有効打にならないため、近接武器で結界を削り取る必要があるのだ。
「いえ、これで十分です。」
静かな呪文の詠唱と共に、アリーシアスの背後から生まれた氷の槍がギガスを貫いた。
貫かれた部分から一気に凍結が進む。ギガスはバラバラに崩れ落ちた。
「残り一体、迅速に片付けましょう。
本命はこの後です……」
アリーシアスは冷静に次の目標に目を向けながら言葉を続ける。
もう一体のギガスが爆発で粉々になった頃、
次の魔力光が闇を照らした。
先程とは比べ物にならない地響きを携え、天を覆い尽くす程の巨体が現れる。
その大きさは小型の数倍……あの機械の巨人よりも大きい。
ギガスを作り出した事により、茂みの奥の崖が抉れていた。
その巨大な姿に、一瞬息を呑む。だが大きさが違ってもやることは変わらない。
前衛が削り攻撃を防ぎ、後衛がダメージを与える。
それが、王国の英雄リオルド・アルドヴァレアが生み出した対ギガス戦術だ。
しかし、この戦術は通常、四人一組で行われる。
防御役一名、削り役一名、魔術師の護衛一名、魔術師一名。
(中型相手では……手が足りていませんね……これは予想外だ……)
ロルフが内心焦るが、アリーシアスは彼の方を見て告げる。
「ロルフさんは、相手の攻撃に集中して防御をお願いします。」
『防御をお願いします』という事は、削りも彼女がするという事、しかしあの才女ならばやってのけるだろう……ロルフは盾に意識を集中した。
ロルフは、あまりにも巨大なギガスの拳と足を、何度も受け止めた。
しかし、その全てを完全に防ぐことは難しく、どうにか逸らすのが精一杯だった。
逸らされた衝撃が地面を抉り、砕けた石片が弾け飛ぶ
破片がロルフの頬をかすめ、アリーシアスの足を打つ。
彼女は一瞬だけ苦痛に顔を歪めたが、痛みを振り払うようにその場に踏みとどまった。
「岩を操るという事だけだったら、わたしにも出来る……!」
地に手をかざし、魔力を注ぐ。すると、大地が低くうなりを上げ、無数の岩が震え始めた。小さなものから人の背丈ほどもある巨岩までが次々と浮かび上がり、まるで嵐に巻き上げられたかのように宙を舞う。そして、一つ、また一つと彼女の左右に展開していく。
「魔力を防ぐ結界ならっ!」
岩は豪雨のごとくギガスへと降り注いだ。
だが、それほどの猛攻を受けても、ギガスの肌には浅い傷がつく程度。
しかし──
「あくまで岩は魔力で操っただけ。
けれど、岩そのものは物理。ならば、結界を削れるのは道理でしょう。」
砦ではギガスに対し、大砲で削ることもある。
彼女は、それを教師から聞かされていた。
だが、この方法が戦場で使われることはほとんどない。
理由は単純だ。
炎や氷は魔力を変換して作り出すが、この魔術はその場にある岩を大量に使うため、地面がえぐれ、戦場が荒れる。
さらに、本来魔力の宿る自然物を操るには膨大な魔力消費が伴い、効率が悪すぎる。
それでも、今の彼女にとっては
『この場を切り抜けるための最適解』だった。
大量の魔力を消費し、肩で息をする。
(呼吸が荒い、息が苦しい……でもあと1歩!)
目の前の眼前の岩石の兵を砕くため、最後の術を放つ。
手から放たれた熱線は、帯となって闇を駆け抜けた。
後に残るのは、右上半身を穿たれた岩の塊だけだった。
制御を失ったそれは轟音と共に崩れ落ちていく。
少女は、その光景を見届けると、安堵と疲労に膝をつく。
重い頭を持ち上げると、ロルフも座り込んでいた。彼も、限界だ。
住民の避難を終えた、レイディルの声が遠くから聞こえてくる。
(あぁ……早くみんなを安心させないと──)
少女の目に再度、創成の光が目に焼き付いた。