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第十六話「戦火は森を知らず」

 帝国の元帥が去った後、森は──

否、森と呼べる部分は激しい戦闘でその一部を失ってしまった。


木々は薙ぎ倒され、地面は抉れ、あちこちに黒く焦げた跡が残る。

もはやそれは、ただの「森の残骸」としか呼べなかった。


だが、それでも森だった荒地は、ようやく静けさを取り戻していた。

戦の余韻だけが、微かに空気に滲んでいる。


「む~ん、静かね。

 要塞には誰もいないのかしら?」


ジルベルトが呟きながら、焼けた枝を靴で軽く弾いた。


「どうやら大型ギガスに魔獣、一番素早く撤退できるあの人が時間を稼いでたみたいね。」


マリーがレイディルの具合を確かめながら答える。

 彼の額にはまだ汗が滲み、顔色も優れない。


「……だからといって……要塞内に敵が残っていないとは……限りません……」


レイディルが、地面に横たわったまま、かすれた声で言った。

その目は薄く開けられていたが、警戒心だけは消えていない。


「そりゃそうねぇ……」


ジルベルトは周囲に目を配りながら、軽く頷いた。

その顔は若干疲れを感じているようだった。


「ジルベルトさん、休むなら馬車の中に休憩場所がありますが……」


アリーシアスはその様子を感じ取り、そっと促した。


「魅力的な提案だけど……やっぱ、あたしはここで将軍達が来るまで見張りしとくわ。

万が一があったら嫌だしね~。」


ジルベルトはポケットから棒付きの飴を取り出し、口に咥えながら軽く笑った。

その態度は軽やかだが、目は疲労の色を写している。


「あ……それじゃあ私も……」


アリーシアスも謙虚に小さく手を挙げる。


「あー……動くのキツイんでオレもここにいていいですか……」


 レイディルは力なく手を振り、地面の冷たさを背に感じながら言う。


「ディル君の様子見なきゃだし、お姉ちゃんもここにいるわね。」


マリーが頬に手を当て、微笑を浮かべた。

その笑顔には、ほんの少しだけ疲れが滲んでいた。


──こうして結局、全員が外に残ることになった。

風に乗って、森の名残の香りがほんのわずかに漂っていた。





何時間経っただろうか。

実際にはそんなに経っていないかもしれない。


曖昧な感覚が場を支配する。


ヴァルストルムは馬車から少し離れた位置に跪き、その間の地面には横たわるレイディル。


夕暮れの赤みが空を薄く染め、遠くの地平線に星がちらほらと顔を出し始めていた。


レイディルのそばにはマリーが付き添い、

少し離れた対面に倒れた木を椅子がわりにしてアリーシアスが座っている。


ジルベルトは要塞の方を見つめ立っていた。


「色々気を使ってもらったみたいで……ありがとうございます。」


ジルベルトの背中にレイディルは少し落ち着いてきたのか、先ほどよりしっかりした声で話しかけた。



「ん~……いやぁ……あたしは単純にあのギガスが爆発しそうだってんで空に飛ばしただけよ。

空で爆発したなら、ほら……多少はマシかなって……ねぇ。

あと~、お嬢ちゃんに頼まれてたし~」


左手をパタパタして答える。


「諸々の事情とか知んないわ。」


ジルベルトは振り向かず続けた。


(この人はずっとこうだな……)


ジルベルトの反応がただの照れ隠しだということを、レイディルは昔から知っている。

照れた時は左手を振る癖があるのだ。


「……けど、ありがとうございます……助かりました……」


少し間を置いてから、レイディルはぽつりとそう言った。


それでもジルベルトは振り向かないまま、肩をすくめるように笑った。


その笑い声には、わずかな安堵がにじんでいた。


沈黙が戻る。



ただ、先ほどまで張り詰めていた空気は、どこかゆるんでいた。


アリーシアスはじっとレイディルの方を見つめていたが、レイディルが気付きアリーシアスの方を見るとふいに目をそらし、落ちた葉をつまむように拾って手遊びを始める。


マリーは、レイディルの顔を覗き込んで、安心したように小さく息をついた。



「それにしても、話に聞くよりもずっと凄い光でしたね……」


落ち葉を弄りながらアリーシアスがふいに呟き、

そして何かを考えるように顎に手を当て沈黙していた。


穏やかに時間が流れる。




……

…………

……………………


「……これはこれは……な……地……」


「……全く……茶しおって……」


誰かの会話が、ぼんやりと耳に届く。

ザワザワと周囲が騒がしくなっていた。


レイディルが目を開けると、魔道ランプが淡く光を放っていた。

空はすっかり夜の帳に包まれている。


冷たい風が頬を撫で、近くでは軍の多数の話し声が聞こえた。


遠くの空では星々が瞬き始め、戦場の残骸を静かに照らしていた。


(……いつの間にか眠ってたのか。)


どうやら、かなりの時間が経っていたらしい。

上体を起こしてあたりを見回すと、補給用の馬車から漏れる明かりと、兵士たちのざわめきが森の静寂を破っていた。

マリーの姿は見えない。


「あ、起きましたか。マリーさんが『下手に動かすと起きそうだから、そっとしておきましょう。冷たい地面なのは心苦しいけど』って言ってましたよ。」


アリーシアスは小さく首をかしげ、続ける。


「レイディルが眠ってから、もう四時間近く経ちましたかね?

軍も、やっと到着して、ずいぶん賑やかになりました。」


すぐ隣にちょこんと座っていたアリーシアスが、柔らかい声で状況を説明してくれる。

彼女の手には、待ちくたびれたように落ち葉がいくつか積もっていた。


「今、マリーさんはクラウス博士に謝りに行ってますね。」


「謝りに?」


何を? と訊こうとした瞬間、機動馬車の方から嘆き声が聞こえた。



視線を向けると、マリーとクラウス博士の姿があった。

博士は頭を抱えている。


「ごめんなさいね……森を突っ切ったり……すごく飛ばしたら、こう……」


マリーは申し訳なさそうに両手を前に重ね、しゅんとしている。

よく見ると、車輪は見事に歪んでいた。


「いや……いいんだ……いいんだよマリーくん……

これは僕の技術不足が招いた結果だ……」


博士は悲しみを抑え込み、無理にでも冷静を装うように声を絞り出している。


「あの衝撃吸収機構も、無茶な走行には耐えられなかったか……まだまだだなあ……」


と、博士は悲しげに呟いていた。



「マリーさんがあそこまでしてくれたおかげで助かったんですけどね……」


「後で博士に教えてあげてくれ……馬車は素晴らしい働きをしたって……」


レイディルとアリーシアスは、気まずそうな二人のやりとりからそっと目を逸らし、賑やかな方へと視線を移した。




「遅い出勤でございますね~」


「ぬぅ……これでも急いで進軍してきたのだ。無茶を言うな……」


ジルベルトがバーグレイ将軍と話しているようだった。

どうやら、森の惨状を見た将軍にたしなめられ、それを皮肉で返しているらしい。



(……ほとんど大型ギガスのせいなんだけど……)


レイディルはそう思ったが、口を挟むタイミングがなかった。





「しかし、まるで天変地異があったかのようだな。」


荒れ果てた森を見てバーグレイは呟く。

ジルベルトは「疲れた」とだけ言い残して、すでにその場を離れていた。


「元は美しい森だったそうで──」


背後から聞こえたその声に、バーグレイが振り向く。

軽い足取りで近づいてくるのは、中肉中背の男だった。ライトグレーの髪をきっちりと分け、銀細工の装飾をあしらった上着を着ている。


「グレオール、戻ったか。」


「部隊を分けて要塞内を調べさせましたが……がらんどうですねぇ。帝国兵の影も形もありませんよ。」


「ジルベルトが言っとった大型ギガスの臨界か。

敵将は兵を先に逃がしたわけだな。」


「ですねぇ。剣や槍、食料箱、運搬用の荷車……

そこら中に置き去りです。

一応罠の可能性もあるので残された物には手をつけていませんけど。」


バーグレイはうなるように顎に手を添えた。


「して、トレルムの街は?」


「そちらも一通り確認しました。……が、妙なことに、占拠の痕跡すらありませんでしたよ。」


「……ふむ。」


グレオールは肩をすくめ、少し口調を軽くする。


「誰かが滞在していた形跡もなし。街道沿いに陣を張ったわけでもなく、物資もそのまま。住民は不安そうでしたが、帝国に何かされた様子もなかったですね。

面倒臭い連戦の手間が省けてラッキーですね。」


バーグレイは視線を遠くにやり、唇をわずかに歪める。


「あの街は地形も開けすぎて、防衛線としては脆弱だからな。あれを守ろうとしたら、兵がいくらいても足りんだろう。」


「後で防壁でも築くように言っときますか。」



グレオールは周囲を見渡し、深く息を付く。


「ヴァルストルムの操縦士君が初手で『光の大砲』撃ってくれれば、もっと楽に終わるんでしょうけどねぇ……」


少々呆れたように、言葉を吐き出す。

その声に反応するように、背後から足音が近づいてきた。


「おいおい、無茶言ってやるなよ。」


男は小指で耳をほじりながら、肩を揺らすように歩いてくる。

リオルドだ。


「あんな強大な力があったら、それを適切に使って欲しいというのは当然でしょう?」


グレオールは軽く眉を上げ、無茶でも何でもないと言わんばかりに反論する。


「まぁ戦いなんて早く終わるに越したことは無いけどよ……全部背負わせるなんて土台無理な話だ。

なんでもかんでも万全って訳にゃいかねぇよ。」


「まぁ……元々は無かった物ですからねぇ……

少しでも我が軍にとって益になれば幸い……ですかね。」


グレオールの声には、どこか諦めが滲んでいた。



「ふむ、やはり小僧は人は撃てんか。」


将軍が淡々と口を挟む。

博士は「苛烈な敵の攻撃に、撃つ隙が無い」と言っていたが、その前の僅かな沈黙が答えだろう、と将軍は考えた。



「本人に聞いた訳じゃねぇけどな。

まぁ大体そんなトコだろ……

オレ達のように常に戦いに身を置いてきた訳じゃねぇからな。

そうそう簡単に撃てねぇだろうよ。」



リオルドの言葉に、グレオールは腕を組み、目を閉じて息を吐いた。


「僕としては無理にでも撃ってもらいたいもんですけどね。」


その方が、味方の命が減らずに済む、と付け加える。


「お前なぁ……」


リオルドが呆れたように眉をひそめた。


「いや、戦場で命を奪い、潰れた兵士など幾人も見てきた……そうなられちゃ困る。」


バーグレイ将軍は口髭に指を添え撫でると、リオルドに向き直る。


「というわけでだ、お前ちょっと小僧の所に行け。」


「言われなくてもそのつもりだったよ!」


リオルドは舌を出し、踵を返し歩き出した。


「いやはや、英雄も身内には甘いですねぇ。」


グレオールは肩をすくめ、やれやれといった表情を浮かべた。

将軍はその言葉に、ほんの少しだけ口の端を持ち上げる。


「なんだ、知らんかったのか。アイツはゲロ甘だ。」





「おっす!」


弾けるような声が、静まり返った夜気を破る。

魔道ランプの光がぽうっと灯るその傍らへ、リオルドが軽い足取りで現れた。

彼の顔には、いつも通りの飄々とした笑みが浮かんでいる。


腰を下ろしていたレイディルが顔を上げると、リオルドの影が魔道ランプの光に長く伸びていた。


「あっ、わたし、お水貰ってきますね。」


アリーシアスはリオルドの表情を見た瞬間、何かを察したように声を出す。


無理に明るく装ったその声と動作は、少しだけぎこちない。

立ち上がると、足早に補給係の方へと歩いていく。

その背を、魔道ランプの柔らかな光がほのかに照らしていた。


「おっ、気でも効かせてくれたか?」


ニヤッと笑いリオルドはレイディルの横に腰掛ける。


リオルド・アルドヴァレア。

レイディルが両親を亡くしてから、しばらくの間、従兄弟のリオルドが保護者となった。

とはいえ、リオルド自身は西へ東へと忙しく飛び回っており、帝国の侵攻が始まる頃には、とうとうレイディルの元を離れることになった。


共に過ごした時間は決して長くはなかったが、レイディルにとってリオルドは、まるで実の兄のような存在だった。

そんな兄は、数年ぶりに会ってもジルベルト同様あまり変わっていないように見えた。


リオルドが口を開く。


「よぉ、調子はどうだ?」


「まだ疲労が残るけど、大丈夫。

でも、わざわざ体調を確認しに来た訳じゃないんだろ?」


ズバリ言い当てられ、リオルドは頬をポリポリとかいた。


「まぁ、そういうこった。

一応聞くけどお前、人を殺す事に戸惑ってんな?」


リオルドは単刀直入に話を切り出す。

レイディルは少し沈黙した。


「ああ、そうだな……なんていうか、圧倒的な力を使うってのがさ、蹂躙するみたいで──」


どう表現したらいいか、迷いながら言葉を出した。


「人殺ししたくねぇってのは普通だ。

心配すんな。

しかも、使ってるのが超兵器だしなぁ……」


リオルドはどう言ったものかと考えながら続ける。


「まぁなんだ……お前が撃てないってんなら、それでいいんじゃねぇかな?」


レイディルは意外な言葉にキョトンとした。


「別に万事全てお前が上手くやる必要はねぇし、背負い込む必要もねぇ。

出来ないことはやれるやつがやりゃあいいんだよ。

オレとかジルベルトとかがな。」


レイディルは「でも」と言おうとしたが、リオルドの言葉が先んじる。


「お前が躊躇うのは、悪いことじゃねぇ。むしろ人間らしいってことだ。」


リオルドは腕を組み、うんうんと頷いた。


「つーかよ、お前のヴァルストルムのおかげで随分助かってるんだ。

それだけでも十分なんだぜ?」


リオルドはそう締めくくり、レイディルの肩を軽く叩いた。


「ってわけで、あんまり気負いすぎんなよ。」


何かが解決した訳ではない。

しかし、それでもレイディルは少し心が楽になった気がした。


「そうですね、人には人の領分というものがありますからね。」


背後から突然声がかかる。

両手に水の入ったコップを持ったアリーシアスが戻ってきた。


「ずいぶん難しい言葉使うな、嬢ちゃん。」


リオルドは上半身で振り返りハハハと笑う。


「足りない分は補い合いましょう。

それが仲間というものです。」


クールな目をしつつコップをレイディルに渡す。


「……うーん、ちょっとクサイですかね……?」


そう言いつつ、目線を上にして首をかしげ、持っていたコップを揺らした。


「最後が無ければ良い言葉だったな……」


レイディルがポツリと、つっこむ。


「いや いや、実に良いと思うぜ、嬢ちゃん!」


リオルドがガハハと豪快に笑いう。


先程までの真面目な空気はどこ吹く風。

少女の一言が、夜の空気を少し軽やかにした。



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