第八話「グレナウ奪還戦(後編)」
響き渡る声と同時に街の入口から猛烈な勢いで馬車が走り込む。
キャビンの上には杖を携え低く構えるアリーシアスの姿があった。
風の影響を受け、ローブをはためかせながらそれでも姿勢を崩さず、しっかりと立っている。
走る馬車目掛け、帝国兵達は咄嗟に魔術や矢を放つ。
鋼鉄で出来た荷台は矢をいとも容易く弾き返し、迫る火球はアリーシアスの後方に立つマリーの防御壁が弾く。
時計塔までおよそ二キロ。
目標は遥か小さい。
張り詰めた緊張の中、アリーシアスは目を凛と見開く。
アリーシアスは深呼吸を一つ。
揺れる馬車の上、風切る音と敵の叫び声を遮るように、脳内は凍るように静かだ。
──氷よ、静かに息づけ
冷気、深淵の抱擁となりて
動きを縛り、熱を奪え──
彼女の持つ杖には淡い青白い光が集まり始めた。
──鋭利な刃は求めず
ただ凍てつく楔となれ
静寂の霜を降ろし──
周囲の空気が凍るようにひんやりと感じられ、光を切り裂く音が響く。
──氷槍、刹那の静止を刻め──
杖に集まった力が開放される。
魔力が形を成し、すべての音が遠のいたような静寂の中、氷槍がその輪郭を現す。
一閃。
放たれた氷の槍が太陽の光を反射して輝きながら上空を横切る。
槍は時計塔を貫き、瞬く間に凍結させた。
氷は時計塔のみならず、一区画の地面全てを凍らせた。
殺傷力を無くし、代わりに凍結範囲を広げた術だ。
氷は時計塔の内部にいた人質や捕虜もろとも帝国兵の足を凍らせ身動きを封じる。
氷漬けにされた帝国兵たちは、足を凍り付かせられたまま呆然と立ち尽くしていた。
その隙を逃さず、機動馬車が車輪で氷を削りながら爆進する。
だが、馬車は大通りを曲がりきれず、車輪が横滑りをし、アリーシアスは投げ出された。
しかし、彼女は勢いをそのままに凍結した地面を滑走する。
途中途中の氷漬けにされ混乱している帝国兵を
小規模の火魔術で気絶させながら、時計塔に到達し瞬く間に人質を解放した。
「なっ……なに!?」
氷漬けになった時計塔を見て呆然とする敵指揮官。
ヴァルストルムは、何が起こったのか未だ理解していない彼を慎重に手に掴んだ。
その手は力強く、しかし指揮官を潰さぬように気をつけている。
「離せ!」という声が、必死にヴァルストルムへと向けられた。
「ふぅ、上手くいったみたいだな」
レイディルは額の汗を拭う。
だが安心するのも束の間、残ったギガスがヴァルストルムに襲いかかってきた。
「おいおい」
襲いかかるギガスに戸惑いながら距離を測る。
『あんた! このギガスを止めろ!!』
レイディルの拡声された声が敵指揮官の耳をつんざく。
「待て、違う! こいつは俺のギガスじゃない! 俺には止められん!」
手のひらの中でもがきながら、敵指揮官は必死に訴える。
「 誰のギガスだ!? 俺ごと殺す気か!」
敵指揮官は必死に叫び、顔をひきつらせながらその場で身をよじった。
(きっと嫌われてるんだなこの人……)
レイディルはその反応を見て、必死に叫ぶ敵指揮官が少し可哀想だと思った。
しかし、戦場だし仕方ないかと思うことにした。
そうこうしているうちに、接敵され人を握ったまま戦わざるを得なくなってしまった。
ギガスの攻撃を避ける度、「ぐえー!」だの「うごぁ!」だのうめき声が聞こえる。
(早くギガスを倒した方がいいな、こりゃ……)
敵とはいえ、振り回し続けるのも申し訳ない。
建物と手のひらの中を気にしながら、中型ギガスを袈裟斬りに切り裂いた。
たちまちギガスは崩れ、元の岩と成り果てた。
残る中型の一体は左前方、少し離れた場所からアリーシアス達に向かって行こうとしていた。
レイディルはすかさずヴァルストルムが右手に持っていた片手剣を投げつけ突き刺す。
と、同時に跳躍しそのまま持ち手を掴んで縦一文字に切り落とした。
今しがた倒したギガスの近くには、ローブを着た男が身構え立っていた。
(あれが最後のギガスを作り出した術者か)
その男はすぐさま隠れるように裏路地へと身を投げ出そうとした。
だが男が走り出すよりも早く、炎の塊が男に直撃し、軽く爆発した。
男は吹っ飛び壁に叩きつけられ、そのまま倒れる。
死んではいないようだ。
離れた場所には、先端に青い宝石がはめ込まれた黒い杖を真っ直ぐ構えたアリーシアスが立っていた。
杖は金の装飾が施されており、どこか少女らしい繊細な趣が漂う──お洒落に気を使った杖だ。
「なるほど、あれが杖か」
レイディルは、初めて杖を目にした。
杖は魔術の射程を伸ばすためだけに存在するものだと彼は聞いていた。
街中で意味も無く杖を携帯している者はいない。
「しかし、この距離をよく命中させたな」
レイディルが関心する。
緻密なコントロールのなせる技だ。
作戦開始前に相談した遠距離からの時計塔狙撃も杖のおかげのようだ。
指揮官が捕まり、ギガスの術師が倒れたことを知ると、残った帝国兵と、敵わないと悟った他の術師たちは次々に投降し始めた。
ヴァルストルムの手のひらを見ると、敵指揮官は泡を吹いて気絶していた。
「おつかれさま。上手くいってよかったわ」
街の広場で合流したレイディル達。
ニコニコとしたマリーが手を合わせ、レイディルやアリーシアスを労う。
「くそっ……こんな少数に、してやられたというのか……」
目を覚ました敵指揮官が、悔しそうにうなだれた。
その手足は縛られている。
牢から解放されたアルバンシアの兵の中でも、動ける者は、帝国兵を縛り監視する事に協力してくれていた。
「救援ありがとうございます。
あなた達が来なければ我々もどうなっていたか……」
年長の騎士がレイディル達に礼を言うため、疲弊した身体を引きずりやってきた。
所々、傷を負っている。
「あなたがここの隊長さんですか?」
「いえ、衛兵騎士長は帝国の侵略により命を落としました。なので私が代理を……」
マリーの問いに帰ってきた答えを聞いてレイディルとアリーシアスは、一瞬顔を曇らせた。
人が死んだ。
命のやり取りをしているのだ。
不思議ではない。
遅れて街の市長が杖をついて、ヨタヨタとやってきた。
人質生活で足腰が弱っているのだろう。
「……なんだか、凍らせてしまったことを申し訳なく思います……」
アリーシアスは一人バツの悪そうな顔をした。
(無理しなくても、落ち着いてからこちらから挨拶に出向いたのに……)
頼りない足取りで近づく市長を見て、レイディルは内心でそう思った。
しかし、その心配はよそに、市長は大きな身振り手振りで喜びを表していた。
「ありがとうございます。まさか助けが来るなんて! 地面と下半身が凍った時は、何が起こったのかと思いましたが、見張りの帝国兵の足止めをする為とは……目から鱗ですな! しかし、いやぁ、冷たかった!」
その言葉を聞き、アリーシアスは「うっ!」と小さくうめいた。
市長はたっぷりと蓄えられたお腹を揺らしながら、喜びを身体で表現する。
「皆様もお疲れでしょう!
簡単なものですが、食事を用意させていただきました。腹を満たすくらいはできますぞ。
何しろ、食べ物には困らん街ですからな。
さぁさぁ、遠慮せずに! こちらへ!」
長くなかった戦闘だったとはいえ、疲弊はしている。
休むことも大切だと、市長の厚意に甘えることにした。
案内された食卓の上には、豪華な食事が所狭しと並べられていた。
腹を満たすどころか、十分すぎるご馳走だ
レイディルは普段食べられない料理に感動し、
アリーシアスは慣れた手つきで上品に食事を口に運ぶ。
マリーは高級なワインに舌鼓を打ち、クラウス博士はグリーンピースを避けていた。
レイディルはスプーンですくったポタージュを口に運び、驚いたように目を見開いた。
「……すごくなめらかだ」
アリーシアスが微笑む。
「グレナウ産の野菜と生クリームを使っていますから。
どちらも質がいい上に、丁寧に下ごしらえされているので、舌触りも滑らかですね」
レイディルはもう一口味わい、しみじみと呟く。
「贅沢ってこういうことなんだな……」
その隣では、マリーが満足げにワインを傾けている。
「このワインもそうよ。
グレナウのものは、一つ一つの味がしっかりしてるわ。土が良いのね。そしてこのチーズ……はぁ……」
ワインとチーズを交互に楽しみ、溜息をつく。
レイディルがふと視線を向けると、クラウス博士が皿の端に追いやったグリーンピースと目を合わせないようにしながら、黙々と肉を切っていた。
「クラウス博士、グリーンピース嫌いなんですか?」
レイディルが興味本位で尋ねると、博士は微妙な間を置いて、何気ない風を装いながら答えた。
「いや、別に嫌いというわけではないんだよ。
ただね、なんだかこう……舌に残る感じがね……うん」
それでも、グリーンピースの方向だけは決して見ようとしない。
一方、アリーシアスは上品な仕草でフォークを使い、静かに食事を進めていた。
ナイフとフォークを流れるように動かし、余裕のある動作が自然と身についているのが分かる。
「レイディル、そんなに驚いた顔をしなくてもいいでしょう?」
「いや、食べるのが上手いなって思って」
「……失礼な言い方ですね」
ムスッとしながらも、アリーシアスは気を悪くした様子はない。
「それにしても、どれも絶品ねぇ。
この豊穣都市の名は伊達じゃないわ」
マリーがワインを味わいながらしみじみと呟く。
「食材がいいんでしょうね。
特にこの魚、身がふっくらしていて香草の香りも絶妙だ」
レイディルが香草焼きを頬張る。
「グレナウ魚は湖の底で育つので、肉質が締まっていて旨味が強いんです。
香草と一緒に焼くと、より風味が引き立つんですよ」
アリーシアスの解説に、レイディルは感心しながら頷き呟く。
「なるほど、勉強になります……」
その横で、クラウス博士はそっとフォークを置き、グリーンピースの存在を無かったことにするように、静かに水を飲んだ。
食事に舌鼓を打った後、レイディルとクラウス博士は宿の裏に停めてある機動馬車とヴァルストルムの整備をしに、外へ出た。
少し日が傾きはじめる。
ざっと様子を見るが、馬車もヴァルストルムも共に問題はなさそうだった。
内部に異常はないか、調べてみたがこちらも大丈夫だ。
「あんな動きをして、消耗している部分がないなんてね。
まぁ、やれることはあんまりないから、消耗しないに越したことはないけど」
「オレたちでも交換できるような簡単なものならいいんですけど、どこか部品が一つ壊れたらお手上げですからね」
少しでも壊れたらおしまいという事を念頭に置いて、戦闘をしなければならない。
レイディルは気を引き締めた。
その夜は市長が用意してくれた、宿に泊まる。
明日はこのまま東に、ガルダ平原北を抜ける形で進軍する予定だ。
果たしてこのまま、何事もなく上手くいくのだろうか?
不安はあるが今は気にしても仕方がない、と自分に言い聞かせ、レイディルは眠りについた。
◆設定的なよもやま話◆
〇氷槍 フロスト・インペイル(氷の術三級)
氷槍 フロスト・インペイル
・通常実行言語
氷よ、静かに息づけ
冷気、深淵の刃となりて
動きを穿ち、力を奪え
鋭利な氷晶凍てつく裁きを
ただ貫く氷の楔となれ
静寂の霜を冷やかな帳に
氷槍、刹那の静寂を刻め
・凍結優先版
氷よ、静かに息づけ
冷気、深淵の抱擁となりて
動きを縛り、熱を奪え
鋭利な刃は求めず
ただ凍てつく楔となれ
静寂の霜を降ろし
氷槍、刹那の静止を刻め
このように、魔術の実行言語を変えることで、同じ術でも効果が大きく異なる。
魔術師たちは平時から言葉の組み合わせを研究し、より強力で使いやすい魔術の完成を目指している。
〇杖
杖は魔術の射程を伸ばす道具である。
だが街での術の使用は基本禁止されているため、街中で持ち歩く者はいない。




