第一話「静かな出発」
緑豊かなアルバンシア王国。
王都の喧騒とは違う、穏やかな空気が流れるカリオン村。
星明かりだけが頼りの静寂の中で、しっとりと夜を満喫していた。
水車が流れる川の水を受けて軋む音が、遠くからかすかに響く。家々の窓から漏れる明かりはなく、人々は皆、眠りに身を委ねていた。
しかし──。
まだ日も昇らぬ、暗く沈んだ夜の闇。その静寂を、突如として眩い光が切り裂いた。
それはまるで、地面から立ち上る柱のように村一面を白く染め上げ、水車の影が川面に鋭いコントラストを刻む。家々の窓枠が光を反射して煌めき、夜の闇がまるで何かに飲み込まれたかのように消え去った。
だが、その光は雷鳴のような轟音を伴うでもなく、不気味なほど静かだった。
あまりにも一瞬の出来事──。
村の眠りに沈む人々の多くは、その異変に気づくこともなく、ただ風だけが、僅かにその名残をさらっていった。
遠くの山際に、その光の残響がゆらめいていた。
村はまだ眠ったまま──ただ一人を除いて。
冷たい朝靄が王都アルディアスを包む頃、工房の片隅でレイディル・フォードウェルは目を覚ました。
昨日の作業で散らかった机の上には、まだ真新しい歯車や部品が積み重なっている。
魔力を電源として灯る魔道ランプが机の端で淡い光を放っていた。
だがその光も、昨夜の長い修理作業でほとんど消耗し、今は微かに揺れる残り火のような輝きを残すのみだった。
「もう朝か……」
レイディルは重い体を引きずるように起き上がり、窓を開け外を見た。
街の門が静かに開く音が聞こえた。かつて賑やかだった行商人たちの声はまばらで、人々の足取りもどこか慎重だ。活気に欠ける朝の空気が、街全体に薄く張り詰めていた。
彼は寝ぼけ眼を擦りながら部屋の奥の洗面台へと進み、顔を洗い、髪を整える。
眠気が残る目元とは裏腹に、19歳にして鍛え上げられた身体が目を引く。
背丈も、同年代と比べて少し高めだ。
彼はそっと工具箱を閉じ、上着を羽織った。
家を出ると、朝の爽やかな風が彼の黒毛混じりのダークブロンドの髪を揺らした。
以前は隣国との交易にも使われていた蒸気機関車も今は動いておらず商人達の姿も随分と減っている、見かけるのは数台の荷馬車と、街の防備に関わる兵士たちだけだ。
静かな街並みを歩きながら、レイディルは今日の予定を頭の中で反芻した。
城下町の門、水車、街灯や機械類などの点検整備──
それが彼の日々であり、唯一の役割だった。
修理したての時計を依頼主に返し、レイディルは次の仕事へと向かう。午前中最後の街灯の点検だ。
街灯はクリスタル厶と呼ばれる魔力電池によって明かりを灯す。
街灯の金属部分に、青白く透き通ったクリスタルムの結晶体が斜めに突き出ている。 突き出た結晶体は整然とした無機質な街並みを少し不思議な雰囲気へと包み込んでいる。
街の整備師は定期的にクリスタルムの魔力の残量を確認し、交換を行っている。
大体半月に一度の頻度だ。
(魔力の残量はまだ残ってるはずなんだけど……)
しかし、この街灯は灯りがつかなかった。
レイディルは慎重に街灯を調べ、その内部で一本の配線が断線していることを突き止めた。
レイディルは線と線の間に魔力で代わりの線を一時的に作り、しっかり通電するか確認をした。
「原因はここだけか……よし、ここを直せば元通りだ。」
彼は素早く工具を取り出し、断線部分を修復していく。手際よく作業を終え、点検を終わらせた。
ふと往来に目を向けると、鎧をまとった騎士の姿があった。巡回中なのだろう。
かつての自分を思い出す。幼き日の自分は、騎士であった父と母に憧れ、剣を振るう真似事をしていた。
「……昔はな。」
小さく呟いて、レイディルは首を振る。思いに浸っている場合ではない。
先週の強風の影響もあり、古い風車が気になった。
「予定外だけど、ちょっと見ておくか。」
そう呟き、踵を返して門の方へと足を向けた。
街の東門を抜け橋を渡ると、広大な畑といくつもの風車が視界に広がる。
風に揺れる作物の葉音が微かに響き、時折、風車の回転音が静かな大地に溶け込んでいた。
風車に着くと、レイディルはその根元に近づき指を当てた。
古びた歯車や軸が、年季を感じさせる音を立てていた。
風車は何事も無しに静かにゆっくりとその羽を回している。
風車に意識を軽く集中する。
慣れた手つきで魔力を通し、風車の内部を透視するように情報を確認した。
解析魔術……術者が対象に魔力を通すことで、その内部構造や詳細な情報を可視化する解析魔術。透視図や設計図のように対象を視認できるだけでなく、部品ごとの耐久度や消耗度、製造からの経過年数など、細かい状態を術者によってイメージするものは異なるが、数値や目盛り、または別の形で確認することが可能である。術者の意図に応じて、異なる視点や詳細度で対象を解析できる。
部品を一つ一つ確認する。
魔力の加減を間違うと危険だ。
魔力で部品を痛めることになるし、何より多数の情報を処理するため、脳に負担が掛かる。
それゆえに、王国では現在解析魔術は使用に資格が必要となっている。
遠くで鐘の音が鳴り響く。
昼食の時間の終わりを音が告げる、日差しは真上から少しずれ始め、じわりと空気に午後の気配が漂い始めていた。
「やっぱり思ったより主軸の消耗が大きいな……。
これじゃ整備や応急処置じゃ追いつかない、ちゃんとした修理を手配しておくか。」
整備士としての腕には自信があるレイディルだが、本格的な修理となると話は別だ。
こういうときは専門家に任せるのが一番だろう。
レイディルが風車を後にし、市街地へ続く東門前の橋に差し掛かる頃、一人の男の姿を目にした。
「げっ! ダイレル執政官……!」
いつもは目上の者には礼儀正しくを心がけているレイディルも珍しく唸り声を上げてしまう。
「久しぶりだな、レイディル君。」
長身で細長く、髪を綺麗に後ろに撫で、鋭い目付きに常に険しい顔つきの、壮年期に差し掛かるであろう執政官は、じっと彼を見下ろすようにして言葉を続けた。
「先月、君が修理した城門、確認したが……少々詰めが甘かったようだな。開閉の度僅かに軋む音がする。」
特に誰も気にしてはいないようだが……と付け加え、言い過ぎたかとハッとする。
「うむ……今日は天気も良い。たまには机を離れて外に出てみるものだな。……そう嫌そうな顔をするな。」
思い切り顔に出ていたらしい。
「流石にそんな顔をされたら傷付くというものだ。
しかし、なんだ……君の解析魔術はいつ見ても見事な物だな。先程の風車の解析をしている姿を見たが、見事だった。
あの規模の機構を一瞬で把握し、摩耗箇所を特定するとは大したものだ。」
そんな頃から見ていたのなら、さっさと声をかければいいのに……と思いつつ、その取り繕った態度に相変わらずとも思った。
この人は昔からそうだ。
(オレに対してズバズバ物を言うくせに、
後になってから、取り繕ってくる……)
両親の親友である目の前の細い男とは、自分が幼少期からの付き合いだった。
しかし、子供の頃からずっとこんな感じで接されたため、レイディルは彼が少し苦手だった。
他の人には一応、空気が読めるらしくまだマシらしいが……
「わざわざ執務室を離れてまで、オレと世間話をしに来た訳では無いでしょう?
執政官殿がお越しくださったということは何かがあったんでしょう?」
少し嫌味混じりで聞いてしまった。
「いかん、そうだった。雑談で盛り上がっている場合ではなかったな。」
執政官はゴホンと咳払いを一つ。
いや、アレで盛り上がってたのか……とレイディルはツッコミたい所を我慢した。
「レイディル・フォードウェル。任務を伝える。
カリオン村に突如として現れたギガスらしき巨人の解析を頼みたい。」
ギガス、その名前が出ると二人の間の空気が僅かにヒリついた。
「現在、全く動く気配はないと、報告が上がっているが……重大さはわかっているな?」
ギガス……このアルバンシア王国より海を渡って遙か北東に位置するドラウゼン帝国。
その帝国の皇帝ガンディール・ヴァルディウスが蘇らせた古代の秘術。
その秘術、ゴーレム創成術によって生み出される魔術兵の総称だ。
岩や土を素材とし、自律する巨人を作り出せるという。
この術の最も優れている所は、一定の条件はあるがその場での兵士の増産が容易なことである。
そして皇帝は、その術をもって瞬く間に三つの国を落とし、現在王国が侵攻に遭っている。
今はまだ難攻不落と呼ばれるドゥルム砦で食い止めているようだが、それもいつまで持つかはわからない。
国外からは商人も旅人も今は入ることが出来ないよう各関所で止められている。
街に活気がなかったのはその所為なのだ。
そしてギガスらしき巨人が、もしカリオン村にいるとすれば、それは砦が知らぬ間に越えられた事に他ならない。
早急に調査と対策が必要だろう。
「万が一それがギガスで、動き出した場合どうするんですか?
恐らくオレ程度の力じゃ小型のタイプも倒せない……」
レイディルは悔しそうな表情を浮かべるが、執政官はふっと目を逸らした。
また余計なことを言いそうだと思ったのか、黙っていた。
「一応だが、護衛を二名つける。
一人は防御魔術に優れ剣術も優秀だ。頼りになるだろう。
もう一人は……優秀ではあるのだが、如何せん君よりも更に若い……」
なにやら言いにくそうに口篭る。
「ともかく時間が惜しい。すぐにでも出発してもらうぞ。北門に馬車を用意してある。」
急ぐなら馬車でなく馬単体の方が速いのではないか、と思ったが、レイディルはその疑問を口にすることなく、ダイレル執政官と共に北門へと向かうのだった。
道すがら、慌てて急いでいるレイディルが珍しいのか、何人もの住人に声をかけられた。
「なんだなんだ、今日は随分慌ててるな?」
「面白い機械が店に入ったんだ、暇がある時来てくれよ。」
「せっかくの昼だ。うちの店で飯食ってけよ!」
急ぎ足で歩くレイディルに次々と声がかかる。
その一人は、徹夜で修理した時計を手に持ちながら、にこやかに声をかけてきた。
「いつもありがとう、助かるよ。」
レイディルは軽く頷き、笑顔を返しながらも、足の速い執政官を見失わないように急ぐ。
「あの時計……また仕事外でサービスしたな?」
執政官は一瞬、感心したような表情を浮かべたが、すぐに眉をひそめ、
「まぁ、そのおかげか人気者のようだが……食事と睡眠はちゃんと取れ。」
執政官は低く言いながら、歩を緩めることなく前を向いた。
ほどなくして北門が近づき馬車が見えてくる。
馬車の前には二人の人影が見えた。
一人は軽鎧を着込んだ騎士だ。
もう一人は随分と小さい。
「待たせたな。彼が例の整備士だ。」
執政官が二人にレイディルを紹介する。
軽く会釈をし答えた。
「はじめまして自分は御者兼、整備士殿の護衛を任されたロルフ・カーグです。」
ガッチリとした大柄の騎士の男が、ビシッと姿勢を正し丁寧に挨拶をする。
隣の少女は大柄のロルフが並んでいるせいで、余計に小さく見えた。
肩上で整えられた銀の髪が、太陽の光を浴びてキラキラ光っているようだった。
煌びやかだが、決して派手では無い装飾の付いた、少し大きめのローブを纏っている。
「わたしは──」
小柄な少女が挨拶をしようとすると、
「すまんが………挨拶ならば道すがら馬車の中で頼みたい。急ぎなのでな……」
少女の言葉を遮り、執政官が馬車に乗るよう促した。
一瞬だが、執政官が申し訳なさそうな表情をしたように見えた。
馬車は簡素で素っ気ない作りだが雨風が防げるよう幌を張られている。
ロルフが手網を引き、残った二人は荷台に据え付けられたベンチシートに向かい合って座っている。
ベンチシートは馬車の外見とは裏腹に、柔らかいクッションが効いている。しかし、車輪が石を踏むたびに馬車が小さく跳ね、ベンチシートがわずかに軋むと、衝撃がじわりと腰に響いた。
自己紹介を中断されたからか、それともレイディルが用意されていたパンをかじっていたからか、乗り込んでからは、しばらく無言が続いたが、少女が口を開いた。
「改めまして、わたしの名前はアリーシアス…
アリーシアス・エングラムです。
今年で15になります。」
「レイディル・フォードウェルです。
しかし、アリーシアスさんは随分しっかりしてますね。オレの15歳の時とは大違いだ。」
アリーシアスは少し考えてから答えた。
「自分の行いで自分がどう評価されても自業自得ですが、その所為で父の顔に泥を塗ることがあってはなりません。
いつも父の足を引っ張らないよう努めています。」
レイディルはその言葉に感嘆した。
それにしても、エングラム……執政官と同じ苗字だ。
つまり──
「意外だな……あの人、娘がいたのか……」
長い付き合いだがあの堅物に、家庭の匂いがするとは思っていなかったのだ。
コホン、と小さくアリーシアスは咳払いをする。
娘の前で失礼な事を言ってしまった。
「あ、申し訳ない。」
「いえ、父とは長い間離れて暮らしているので……。と言っても、そこまで悪い事情ではありません。
わたしの母は少々体が弱く、10年ほど前から王都を離れ、実家で療養しています。
わたしは母に付き添う形で一緒に暮らしていましたが、3年前から魔術学院に入学して、学院の寮で生活しています。
だから、父とはたまにしか顔を合わせていないんです。」
(なるほど、それなら自分が知らなくても仕方ない……か?)
と、一度は納得しかけたが
(いや、それにしても、娘がいるなら一言くらい話題に出してもいいだろうに。ほんと、あの堅物は……)
レイディルは心の中でぼやきつつ、表情には出さなかった。
そんな不満の空気を感じてか、ロルフが御者台から声をかけてきた。
「あー、でもダイレル執政官、いつもお嬢様のこと気にかけてますよ。
公私を分けろって口癖のように言ってますけど、
机の引き出しに家族の写真を入れて、時折眺めてるの、城内の人間みんな知ってますよ。
それに、学院にこっそり様子を見に行こうとしたみたいです。
仕事が理由なら堂々と行けばいいのに、『監査のついで』とか言い訳しながら……
結局、スケジュールに組み込めずに終わっちゃいましたけどね。
この馬車だって急遽用意したものですが、座り心地は悪くないでしょう?」
「わたしが馬に乗れないばかりに……」
不器用な親バカっぷりに、レイディルは苦笑し、アリーシアスは俯いて「もう……」と小さく呟き、頬を赤らめた。
その反応にレイディルは、年相応の少女の顔を垣間見た気がした。
馬車に揺られ続け、日が傾き始めた頃、
レイディルはふと考える。
「……しかし、なんでオレみたいなただの整備士に、こんな任務が回ってきたんだろうか?」
その独り言にアリーシアスが答えてくれた。
「父……執政官はわたしに会う度に貴方のことを話してくれました。
なんでも『解析魔術の腕は王国に比肩する者無し』だとか…ただ整備は時々詰めが甘いとも。」
アリーシアスは、言ってから慌てて口を押さえた。
「言わなくても良いことまで言ってしまいました。」
「それも言わなくても良いのでは?」
と、ロルフが笑いながらツッコんでくれた。
あの執政官に評価されているのは悪くない。
他にどんな話をされているのか、聞きたい気もしたが辞めておこう。
そう思いながらレイディルは地平線に落ちる夕日を眺めていた。
村までまだもう少し時間はかかるだろう。
本番は村に着いてからだ。
彼は気を引き締めなおした。