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第八章 隊長ですから

「先日の威勢はどうしたんですか?

口ほどにもないですね。」


そう言って涼しげな顔をする文清に、千影は少しほっとして力を抜いてしまった。それすら見透かしたような顔で、「敵前ですよ、気を抜かない」と文清は言い放った。

「でも、どうしてここに…」

「…俺が緋狩と遭遇した時点で緊急通報を入れた」

離れたところでうずくまるルイが、苦しげに顔を歪めながら、なお誇らしそうに口角を上げる。

「言っただろ、()()が負けるわけないって」


「…オヤ、今度は隊長さんかな?」

余裕そうな口ぶりだが、緋狩の顔色には今までになかった焦りが見える。

「初めまして、鳳蝶二番隊の隊長を務めております、仙水文清と申します。

…この度は僕の隊員が大変お世話になったようで」

声は優しそうに聞こえるが、口が、目が、笑っていない。細い目を開けて、その闇のような瞳で緋狩を睨みつけている。


「…穏便(オンビン)に済ませるルートはないみたいだね」

「ここでやられては、鳳蝶の面子というものがありますので」


文清が手を差し出すような形で構えると、その手から球体の水が生み出された。

「清水」

水の雫が四方八方に散らばり、緋狩を取り囲んだかと思うと、次の瞬間、水がロープのように伸びて緋狩の体を拘束した。

「うぐっ…」

緋狩は呻き声をあげる。

「速い…!」

千影は目を見開いて驚く。

「隊長ですからね」

そう言う文清は声こそ淡々としているものの、少し嬉しそうな目をしていた。

「とはいえ貴方達が彼の体力を削ってくれなければこうはいかなかった。…間に合ってよかったです」

文清の言葉を聞いて、千影は緋狩の弱点のことを思い出した。

「隊長、タコだ!タコの心臓のある場所がこいつの弱点…!」

緋狩は苦い顔をした後、千影を睨みつけた。

「随分とおしゃべりな()だ、少し黙って…」


ぐさっ。

水の槍が緋狩の脳の右側と左側を同時に攻撃した。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

緋狩が白眼を向き、苦痛に悶える。

「蛸は頭足類なので、3つの心臓は全て僕達が頭だと思っている部分の、胴と呼ばれるところにあります。今攻撃したサイドにある2つの心臓はエラ心臓、そして中央に人間と同じ働きをする基本の心臓があるんですよ」

文清はそう言って3つ目の心臓に狙いを定めた。


「目眩しスカーッシュ!」

辺りに突然白い煙が立ち込めたかと思うと、それは小さな炭酸の泡となって登っていく。

視界が遮られ文清の拘束が途切れる。それを見計らって、1つの人影が緋狩を連れて天高く舞い上がった。

泡が上り、目の前がクリアになってきた千影達が目にしたのは、髪の毛をポニーテールにまとめた背の高い女性だった。柑橘系の果物の柄が入った黄色の半被を羽織り、黒いパンツスタイルで明るい茶色の髪を揺らしながら、輪切りのオレンジのような形をした大きな足場を蹴って空中を進む。脇にぐったりとした緋狩を抱えてぴょんぴょんと軽やかに跳ねていった。

「あたじゃすみまっせん、鳳蝶のみなさん!

うちゃハイイロクマの第一郡長、大橘(おおたちばな)渡稀(とまれ)ばい!それじゃ!」

「あたじゃ…?」

千影が首を傾げる。

「熊本弁だろ、多分。俺のばあちゃんも言ってたのを聞いたことがある」

ルイがそう答えて立ち上がる。「文清さん、追わなくて良いのか?」

文清は静かに首を振った。「僕達の目的は彼らここから立ち退いてもらうことなので、深追いは吉ではないでしょう。それに、下手に大きな抗争になるのも良くない。ここはリリースしましょう」

千影はムッと顔を膨らませて「次来たら覚えてろよーーー!」と叫んだ。


「千影君、1人で歩けますか?僕はルイ君を背負わないといけないので、肩を貸せないのですが…」

心配そうに眉を下げ、そっとルイをおんぶする文清を見て、千影は思わず笑ってしまった。

「なんか、隊長って思ったてたより怖くないな」

その様子を見てきょとんとする文清に、ルイが呆れたような顔で口を開いた。

「そりゃ怖いのはお前があんな風に暴れたからだろ。確かにルール守らないと怖いけど、別にいつも怒ってるわけじゃねぇよ。…多分」

「そう言うルイ君にはきちんとルールを守って欲しいですね」と澄ました顔でいう文清に背中の上でルイがビクッと体を震わせるものの、千影は最初に出会った頃の恐ろしさを文清に全くと言っていいほど感じられず、ただ部下と戯れる優しい上司の様に見えた。



次の日。千影が学校へ行くと教室の方が何やら騒がしい。ざわざわとどよめきあっていて、なんとも言えない空気が流れている。1学年上の殺女を引き連れ人混みを押し分けて教室の中を覗き込むと、玄斗が千影の机に座っているのが見えた。周りの生徒は怯えているのか教室の端で遠巻きにその様子を眺めている。問題の玄斗本人はというと、悠々自適と本まで読んでいるので千影は怒りを通り越して呆れてしまった。

「…お前、こんなとこで何してんの」

「おはよ、千影。昨日は散々暴れたって聞いたけど、大丈夫?」

別に、と言って千影は鞄を床に放り投げ、玄斗に席を代われと催促した。「ルイが大怪我だからちゃんと面倒見てやれよ。あと、こんなとこにお前がいると他のやつビビるだろ、用があんなら呼び出せ」

「怖がらせちまったか」玄斗は少し寂しそうな顔をしてぴょんと軽やかに席を立った。「じゃあ、今日の昼休み屋上で待ってるから、弁当持って来い」

「カツアゲか?」

「いいや、お誘い」

そういって玄斗はスタスタと教室の扉へと向かって歩く。途端に人の波がさーっとはけていく。「お騒がせして悪かったな」と誰にいうでもなく呟いて、玄斗は教室を出て行った。


次の瞬間。ドン、と何かが叩きつけられる様な音がした。


「最近あたしの千影をたぶらかしとるのぁわれじゃのぉ、高蝶玄斗ぉ!!」


聞き覚えのある広島弁に千影が急いで教室を飛び出すと、玄斗を壁際に打ち付けシャツの襟元をつかみ、持っている鎖鎌を振り下ろさんばかりの殺女がそこに立っていた。

「ちょ、何やってんだよ…!」

慌てて引き剥がそうと近寄ると、玄斗は済ました顔で殺女の手首を掴むと軽く捻った。殺女は一回転して地面に音もなく倒される。

何が起こったのかわからないといった顔でしばらく膝をついて呆然としていた殺女だが、やがて我に帰って「お、おのれぇ!」と焦って立ち上がる。

「悪いけど、もうすぐホームルーム始まるから。文句はまた後で聞くわ」

暴れ足りないといった顔の殺女を軽く静止して、ひらひらと手を振って下の階にある自分の教室へと行ってしまった。

「なんなんじゃ、あいつは!」

「ナンナンジャーはこっちの台詞だ。いきなり学校で暴れようとするなよ、殺女」

怒られて反省するそぶりでも見せるのかと思ったが、殺女はカッと目を見開いて千影の襟を掴んだ。

「われはあいつらが憎うはないのか?奴等はわれの幼馴染を奪い、あたしの人生を奪うた敵じゃ…!」

眼光はいつにも増して鋭くギラギラとしているが、瞳の奥底は今にも泣き出しそうに潤んでいる。

「…殺女、あのさ」

切尾千影にとってダークサイドは憎むべき対象である。確かにそう思っていた。今も尚、心の奥底で沸る怒りが、彼らの存在を深く拒絶している。

でも。

一緒に戦った時に感じた彼らの暖かみ、絆、強さ。それらは千影とその周りの仲間たちが持つものと遜色ないと分かったのだ。

…ダークサイドは、れっきとした人間なのだと。

「俺はもっとアイツら(ダークサイド)のことを知ろうと思うんだ」

ポカンとする殺女を横目に、千影は教室へと戻っていった。



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