第二章 幽霊
翌朝、切尾千影は自室のベッドで目を覚まし、目覚まし時計を見た瞬間、慌ててリビングへとかけ出した。
「おはよう、千影」
千影の父が朝ごはんであるトーストをちょうどテーブルに運んできた最中で、待っていたといった顔で千影を見て笑った。
「起きたのか」
そう言ってケラケラと笑うのは、同居人であり幼馴染の皮を被った天神殺女。彼女は千影の幼馴染と違いおしゃれに対する関心が全くないのか、手入れすれば美しく靡くであろう長い髪が、ボサボサになって本来の輝きを失っている。
千影は渋々棚に置いてあった櫛を取り出して殺女の髪の毛をとかし始めた。
「殺女、髪くらい自分でとかしとけ」
「髪が絡まっとりたいぎかったんじゃもん」
「はいはい」
殺女はいつも広島弁で喋る。奏恵は千影と同じ様に話すため、奏恵に植え付けられた殺女の人格の元のの持ち主は、広島の人間だったのだろうか。
結局昨日は一番隊への加入だけが千影の意思そっちのけで決まり、そのままあっさり家へ帰されてしまた。来週末にある次の集会に顔を出せば良い、と一番隊副隊長である鵺野には言われたものの、これで事態が収まるとは千影は微塵も思っていなかった。
「行ってきまーす」
今日は朝の当番が早い、とかそんな適当な理由をつけて殺女より早く家を出て、千影は学校へと走った。
千影や殺女が通う国立華乱高校は、ヒーローパワー、若しくはダークパワーという超能力を持つごく一部のものだけが入学できる高校で、一応エリート高校ということになっている。正確にはこの学校は東京にある都立秀良高校の九州分校である。
そんな華乱高校に通う千影達は当然ヒーローパワーを持っている。千影の能力は「蜥蜴」。名前のままで、蜥蜴の様な目と、先が二つに割れた舌、壁や天井に張り付くことができる能力を持っている。ただこれが喧嘩や学校での能力を使った実践授業はおろか、実生活ですら役に立ったことはない為、千影はあまりこの能力を好きではなかった。
パワーを持っている人間は基本的に強い為、各々の信念を掲げ様々なグループに加入し、時には抗争を行ったりもする。今までフリーで喧嘩をしてきた千影には無縁の話であったが、現在無理矢理加入させられた「鳳蝶」のせいで、学校生活での勢力図が変わってしまうであろうことを千影は危惧していた。
現在学校に在籍している鳳蝶のメンバーは千影を除き1人。
1人だけなら気にしなくても生きていけると思うだろうが、その1人が問題なのだ。
校門を素早く通り抜け、周りの目も気にせず廊下を走る。一年生の教室がある4階まで行くためには、2階で東階段から西階段へと移らなくてはいけない。
そして東階段から西階段へと移動する廊下には、3年生の教室がある。
華乱高校3年生に在籍するとある人物に遭遇しないように千影は走っていたのだが、その願いも虚しく彼・は千影の背後に音もなく忍び寄っていた。
「廊下が騒がしいと思ったら、昨日のじゃん。」
後ろからぽんと肩を叩かれたかと思ったら、そのまま世界が一回転したかと思うと、千影は床へ倒れ込んだ。
ぼんやりする視界の中で、千影が捉えたのは、栗色の髪の毛をツーブロックにし、首から肩にかけて蝶のタトゥーを入れた男。
「高蝶…」
苦虫を噛み潰したような顔をして千影はその男の名を呼んだ。高蝶玄斗、鳳蝶の創設者にして総長である、齢18歳の少年。そして、自分を鳳蝶へと勧誘した張本人。
「何の様だ!だいたい俺は一番隊への加入を了承した覚えはないぞ、高蝶…!」
「先輩、ね」
サッと起き上がり体制を整えて怒鳴る千影などものともせず、玄斗は千影の額をピン、と親指で弾いた。
「痛ッ…そもそも何で俺を鳳蝶なんかに勧誘したんだよ、てかお前らダークサイドの組だろ、今までヒーローサイドの隊員いたことあるのか?」
「ねぇよ」
「じゃあ尚更何で勧誘した!?!?」
わあわあと喚き散らす千影を他所に、玄斗は顎に手を置き嬉しそうに何かを企んでいた。
「…何だよ、言いたいことあるなら言え」
ムスッとした顔で千影が尋ねると、玄斗は一瞬ぽかんとして、その後意地悪そうに言った。
「よし決めた、今日の幹部会議にお前も連れてく」
「放課後に校舎裏で待ってる」と勝手に約束を取り付けて満足したのか、玄斗は千影を解放し教室へ戻っていった。
訳がわからない。その日の千影の脳のエネルギーは玄斗と鳳蝶に全て行き渡り、他のことなど考える余裕などなかった。考えすぎてズキズキする頭を押さえつつふらふらと歩いていると、前を見ていなかったせいで正面から至近距離へ迫る女子生徒に気づかなかった。
ぶつかる、そう思ったのも束の間女子生徒は自分の目の前から姿を消していた。
自分の幻覚かと思ったが、さっきの記憶を思い返してみて、千影はとある違和感に気づいた。
「…あの人、脚あったっけ?」
一気に寒気に襲われる。まさかあの人は実は幽霊で、だから当たり判定もなく俺を通り抜けていった、とか?俺はついに見える様になってしまったのか?そんなことを思って頭を抱えていると、後ろから声をかけられた。
「あなたの仰る通りよ?」
「え…」
振り返るとそこには、顔の位置こそ自分より上にあるものの、小学生の様な体型とサイズで宙にふよふよと浮かぶ少女の姿があった。
「私は幽霊。足がない様に見えるのは仕方がないけれど、小さいだけでしっかり脚はあるわ。」
そう言って何食わぬ顔で足をピンと伸ばす少女は、千影を見て怪訝な顔をした。
「あなた、私のこと知らないの?」
「知ってるかって言われても…あっ」
千影の脳裏にクラスメートの他愛もない噂話がよぎった。
幽霊の少女が他のクラスにいるらしいとか何とかで、その少女の名前は確か…。
「私の名前は高蝶あげは。よろしくね」
そうだった。
高蝶あげは、幽霊の能力を持つ少女で、
…高蝶玄斗の妹だ。
目の前にいる幽霊少女が玄斗の妹だと信じたくはないが、人を寄せ付けなそうなシュッとした目が玄斗にそっくりで、千影も疑うことを諦めた。
「なぁ…お前が高蝶の妹ってことは、お前も鳳蝶のメンバーだったりするのか?」
キョトンとして、高蝶あげははゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。一応、私は入ってないわ。
…鳳蝶は、私のために作られた組織なのですもの」
「お前のために作られた?…どういう事だ」
あげはは、長いまつ毛を伏せて、語り出した。
あげはは9歳の頃に既にこの世を去っており、自分のダークパワーにより蘇って幽霊として生活している状態らしい。だから物や人に触れることはできず、いつも半透明の姿で浮いている。といっても、持たなくても物を動かすことは出来るらしく、本人曰く生活にはそこまで困っていないらしい。
幼いながら、ヒーローサイドにあまりにも無惨な殺され方をしたため、妹の様な被害者を出さない様にと設立したのが鳳蝶であり、基本的にヒーローサイド側が何か事件を起こさなければ動くことはない、らしい。
「鳳蝶は正確には愚連隊というより弱きダークサイドを護るための組織なの。どんな感じなのかは見てもらったほうが早いわね。」
あげはの話を聞いて、今までずっと引っかかっていた玄斗の言動の違和感の正体がわかった気がした。
「お前の兄…高蝶玄斗は、ダークサイドを憎んでる、って訳じゃないのか?」
あげははふふっ、と自慢げな笑みを浮かべた。
「お兄ちゃん、ああ見えてすごく優しい人なのよ」
玄斗からは千影を単純に後輩として揶揄う悪意の様なものは見えても、恨み憎しみといった強い負の感情を感じなかった。
少し、玄斗と話がしてみたい。
単純に千影は、高蝶玄斗という人物に、興味を持ったのだった。