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第九章 待ち惚け

三時間目の終業の鐘が鳴り、千影は教室を出る。不自然さがないように、ただ教科書か何かを取りに行くといった顔で千影は、教師の目をくぐり抜け最上階へと続く階段を登った。

目的は高蝶玄斗の生態を知ること…を口実に授業をサボるためでもあるが。今日は時間割が悪く屋上付近の教室に体育科の教師陣が集まっていたため、サボり魔の千影でも抜け出すのには少々苦労した。

今時の学校にしては珍しく、鍵のかかっていない屋上への鉄くさい扉をゆっくりと開けて、千影は侵入に成功した。

「授業でやってた()()()()()、ってのがもっと普及してればすぐにバレちまうのかな」

千影の生きる25世紀は、200年前に起こった大戦によって一度科学技術や文明が殆ど失われてしまい、今尚復興と発展を続ける時代だ。技術の復元はそう時間がかからなかったものの、戦争によって資源が失われてしまった今、貴重な資源の代替品を探し求め科学者達は日々奮闘している。そのため都市のインフラなどの技術は大戦以前より格段に進歩しているが、金額の問題で個人の持てる最新の科学製品は限られている。かくいう千影もつい先日高校生になって初めてスマホを手にしたばかりだ。そんな時代の治安最悪地域、九州において監視カメラは最早「教科書や図鑑でしかみたことがない空想上の物」なのだ。

「お、あったあった。2年の先輩達が教えてくれた屋上から下の階に行く抜け道だ。」

マンホールのような丸い蓋を開けると、中には梯子が穴のずっと奥深くまで続いていた。中には電気配線やらなんやらが通っているらしく、最早どこに繋がっているのか分からないような管が大量に通っている。千影は手すりをしっかり掴み、ゆっくりと音を立てないように梯子を降りていった。


梯子から手を離しぴょんと身軽に2階の床へ飛び移ると、千影は先輩が言っていた()()()()を探し始めた。

「正門の向きがこっちだから…3年の教室はあの辺りか。」

音が響かないよう慎重に進むと、壁一枚隔てた向こうから段々と教師の黒板を軽やかに叩く音が聞こえてくる。教室の後方は騒がしく、授業は前方の3分の1ほどの生徒のためにしか機能していない。

()()()()()()()

千影は教室の前方の壁に、片目でちょうど覗けるくらいの大きさの穴を見つけた。ここが先輩から教わった例の場所である。他クラスの様子を覗くにはうってつけの場所であるが、あまり面白くない上に授業が欠席扱いになってしまうため彼らも飽きてこの場所を活用するのはやめてしまったらしい。だが、千影にとってこの状況は限りなく好都合なものであった。


「1番前の席に座ってんの、高蝶だ」

今回のターゲット、高蝶玄斗は澄ました顔で授業を聞いている。意外と真面目なのだろうか、黙々と目線を黒板とノートに行き来させながらシャーペンを動かしている。

「…であるため、大戦以前にあった技術の復興が行われているが、戦争による資源の枯渇のために私達の生活は未だ23世紀レベルの文明には到達していないのが現状だ。ここまでは前回やったな。では、九州地方の生活は平均してだいたい西暦何年のものに近いだろうか?…よし、今日は6月13日だから、13番の高蝶、どうだ?」

教師が玄斗を当てる。高蝶は教科書に目もくれず、淡々と答えた。

「2010年代」

玄斗が言葉を発した瞬間、教室内の時が止まった。

先程まで品性のかけらもなくぎゃあぎゃあと騒いでいた教室の後方も。いそいそとペンを走らせていた前方も。その一瞬、全ては静寂(しじま)の中にあった。玄斗の方を目を見開いて凝視する者。反対に、何も無かったような顔をしながら顔は硬直している者。人によって反応は様々だが、皆顔に畏怖の表情が浮かんでいる。

「そうだな、まだスマートフォンや携帯電話などの連絡機器は子供にまで普及していなかった点や、個人のセキュリティがまだ強固なものではない点において、我々の生活は2010年代の日本のものに近いと言える。」

教師が黒板に視線を移すと同時に、生徒は一斉に玄斗から視線を外す。それはダークサイド差別の意思表示などではなく、彼らが玄斗に対して恐れを抱いていることを示していた。

教室に、玄斗のペンを動かす音だけが響く。段々とペンを動かす音は増えて、ゆっくりと時間をかけて先程までと変わらない教室へ戻っていく。ただ、どこか張り詰めたような空気が抜けることはなかった。


昼休みを告げる鐘が鳴る。その鐘の音に呼応するように生徒達は立ち上がり、やがて散り散りになっていく。千影が相変わらず穴をじっと覗いていると、不意に視界が真っ暗になった。

「わっ…!!」

思わず驚いて、千影は声を出してのけぞった。落ち着いて穴の方を見ると、穴を塞いでいたのは誰かの掌だったことがわかった。穴から細く折られた紙が入ってきて、訳もわからず受け取って開いてみると

「千影へ バレてるよ

屋上で集合な 待ってる 玄斗より」

丁寧で大人のような筆跡で、そう書いてあった。名前の横にはかわいらしい蝶のマークまで入っている。この場で文句の一つでも言いたくなる気持ちを抑えながら、千影が穴の中を再度覗くと、玄斗が少し悪戯っぽい笑みをしてこちらを見ながらその場を去っていくのが見えた。


千影が屋上へ上がると、待ち構えていたかのように玄斗がマンホールの前に立っていた。

「こんな抜け道あったのか、知らなかった」

そう言ってまた笑う。

「弁当持ってきた?」「やっべ、教室だ」「取りに行ってこいよ、待ってるから」


「待ってる」


千影はふと、玄斗がこの単語を多用することに気づいた。幹部会議の時も。今朝も。先ほどの手紙にだって書いてあった。

「どうした、千影」


「待つ」ことは、苦しみを伴う行為だと、千影は知っている。奏恵がいなくなったあの日も、待っていたって彼女は戻ってこなかった。だから千影は、待っているくらいなら自分から行動する。


目の前の男は、その逆なのではないだろうか。

自分から近づくことを許されない。「待つ」という手段にしか縋れない。せめてもの抵抗として相手に自分が待っていることを告げることしかできないのではないか。


「千影、大丈夫?」

少し眉の端を下げて、不安そうに玄斗は尋ねる。幼い頃熱を出した時に見た母親のような表情を想起させるような顔が、何故だか昔の自分に重なって、千影は彼をどうしてもぞんざいに扱うことはできない気がしてしまった。

「へーき。すぐ戻ってくるから、待ってろよ」

そう言って立ち上がり、玄斗の頭をくしゃくしゃと撫でて、千影は屋上を出て行った。


「何なんだ、あいつ…」

扉の閉まる鈍い音を聞きながら、玄斗は混乱していた。

喧嘩を売られて、何となくその姿が自分に重なって気に入ったから鳳蝶に引き入れた。ただそれだけだった。別に千影に同情してほしかった訳でも、慰めが欲しかったわけでもない。


…でも。

単純に、玄斗はその優しさが嬉しかった。

妹の様なダークサイドを守る為の鳳蝶が快進撃を続けていくたび、玄斗の元から1人、また1人と人が消えていく。声を発した時の怯えた様な周りの空気。考えただけで心臓がさぁっと冷えていく様な心地がする。そんな自分に、経緯は何であれ、「待っていて」と言ってくれる後輩ができたことが、玄斗は何よりも嬉しかったのだ。


「切尾千影、ね」

玄斗はそっと目を閉じて、体にかかる全ての力を抜いて、ペンキをこぼした様な、嫌なくらいに青い空を見上げた。



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