第7話〇レム
お待たせ致しました。世知視点で進む衝撃展開です。
ふと、目が醒めてしまった。
別に嫌な夢を見たわけではない。普通の取り留めのない夢だった。
自分でもよくわからないが、元々眠りが浅い方なので、こういうことはたまにあった。
その目覚める寸前まで見ていた夢も、次第に淡い忘却の彼方へと去ってしまい、もはやどんな夢だったかあまり思い出せなくなっていた。
カーテンの隙間も闇が零れており、まだ深夜のようだった。
俺は時刻を確認しようと、手元の充電器に繋がれたスマホを立ち上げた。
03:16
夜明けは遠かった。
そういえば少し、喉が渇いたかもしれない。
俺ベッドの枕元の棚に置いてあった、まだ水の入ったグラスを口にした。
いつもならこんなところに水など置いていないのだが、今夜はそういう夜だった。
そのグラスは、互いを愛した口内をそれで濯ぐためのものだった。
俺は特に気にしないのだが、彼女がそれなしで唇を重ねることをとても嫌がっていたため、そういう時は用意するようになった。
俺は、スマホの灯りに照らされた静流姉を見た。
穏やかな寝息を立てている彼女は、やはりとても美しかった。
―――いつから、こうなってしまったのだろう……
自分の身体の調子に振り回され、思い通りにいくことなど何ひとつなかったあの頃。
静流姉だけは、俺を見ていてくれた。
たとえ、俺が父さんの代わりだったとしてもーーー
まだ小学生の頃、身体の調子も悪くなくて、両親と3人で住んでいた頃。
静流姉はよく、家に来てくれていた。
そして母さんが席を外している時、父さんが何かの折に視線を外している時。
静流姉が父さんに注いでいた熱い視線ーーー
まだ幼かった俺は、妹が自分の兄を愛するのは自然だと思っていたし、そういった相手がいることを兄弟姉妹のいない自分は羨ましい気持ちで見ていた。
やがて俺が伏せる日が多くなった頃。
父さんに大事な出向の話が来ていた頃。
静流姉は両親の代わりに俺の面倒を見ることを望んだ。
愛する兄からの大きな感謝を手にするために。
もちろん、これは俺の想像の範囲内でしかない。
そして彼女も初めから、俺をそういう目で見ていたわけではない。
それはわかっていた。
しかし、彼女の俺を見る目が、月日を追うごとに変化していくのを感じていた。
今夜のような、静かな夜だっただろうか。
静流姉が独り言のように零した。
『世知、貴方どんどん兄さんに似ていくのねーーー』
それは、いつもの可愛い甥っ子に向けていたものとはまったく違っていた。
彼女の瞳の奥になにか妖しいものを見たような気がした、そんな夜だった。
ーーその日を境に、彼女の俺に向ける視線が明らかに、今までとは異質なものになった。
そしてその時、静流姉が俺をまっすぐ見つめるその視線を受け止めた時。
彼女が父さんに向けていた熱い眼差しの正体を理解してしまったのだ。
静流姉が父さんに注いでいた熱い視線ーーー
それが、自分自身に注がれていたのだーーー
思春期を迎えた男子にとって、ひと回りほど歳上の美しい女性と四六時中ひとつ屋根の下にいれば、彼女の誘惑に抗うという選択肢を選ぶことは不可能だった。
また、生きる希望を失くしていた俺は、なすがまま自然と静流姉の所有物になっていたのだ。
病弱で出来損ないな俺を、壊れ物を扱うかのように大事に大切に慈しんでくれた静流姉。
そんな無力で矮小な俺でも、誰かと、
大事で大切な人と繋がることが出来るのだという自己肯定感を満たしてくれた静流姉。
また、静流姉自身も埋めることが出来なかったはずのなにかを、俺で穴埋めしようすることで、きっと満たされていたのだろう。
互いが、互いのための、共依存ーーー
それは、俺の生命の灯火が尽きるまで続くと思っていた。
しかし、である。
少なくとも自分はそう思っているのだが、大変幸運なことに、どうやら俺の人生はまだまだ続くらしい。
視界を、世界を極端に狭めていたもやが晴れた今。
今まで見えなかったものや、
今まで見ようとしなかったもの、
今までその一部しか姿を見せてなかったものが
透き通って煌めく世界とともに、
一面に広がっていた。
正しい価値観や倫理観。
そんなものは昔から知っていた。
しかし、『知っている』ことと
『理解』していることは、似てはいるものの
根本から大きく違っていた。
ーーーこれは、正しくない。
ーーーこのままでは、いけない。
わかっていたつもりでいたが
今、彼女とこうしている事が
道を外していることを
俺は理解してしまったのだ。
「ーーー静流姉……。」
無意識に名前を呼ぶ。
彼女はうっすら微笑みを浮かべながら、生まれたままの姿で俺に寄り添って眠っていた。
正直言って、愛してると思う。
愛おしいと思う。
しかしながら、それは
母親に向ける愛なのか
恋人に向ける愛なのか
俺にはわからなかった。
静流姉には感謝してる。
彼女がいなければ、俺はどうなっていたかわからない。
両親の元で過ごし、今とは違ったかたちで違う人生を生きていただろう。
でも俺は、俺にとっての今までは、静流姉なしでは語れなかった。
例えこれが『共依存』だとしてもーーー
だからこそ、俺は静流姉の手を振りほどくことは出来ない。
むしろ、このぬるま湯のような生活をこれからも続けて行きたいとさえ思っている。
間違った道でも。
俺は静流姉の頬を撫でた。
心に、じんわりと暖かいなにかを感じながら。
と、同時に、仮にこの気持ちが偽物だと突きつけられて、
ーーーもし、本当の愛を知ってしまったら、
俺は、いったい、どうなるのだろうーーー
酷く非現実的と思われる思考が頭に降って湧いたが、俺は気づかないふりをした。
「おやすみ、静流姉ーーーー」
俺は目を閉じた。
再び心地よい微睡みが、俺の心を包んでくれた。
今回のお話は人によってはすごい抵抗あるかもしれません。ごめんなさい。