目撃者たち
ひと気のない廊下の石畳に、コツコツという硬い足音が反響する。
足音の主は、急ぎ足で廊下を駆け抜けている壮年の男だ。
マントをひるがえす彼の顔には、焦燥の色が浮かんでいた。
彼が歩く廊下には、転々と背の高い窓が並んでいる。曇天の空から薄日が差し込んで、幽き光は彼の影を非人間的なまでに引き伸ばしていた。
「入るぞ。」
男はある部屋の前に立ち止まると、ノックも無しに扉に手をかける。
彼が部屋に入ると、扉がゆっくりと閉まる音が廊下に染みていく。
間もなく何か重大な出来事が起こる。
石畳を通り過ぎた残響は、不吉な予感をその場に残していった。
「目覚めたというのは本当か?」
壮年の男は、分厚いレンズを覗いていた老人に話しかける。
彼は上等なマントに身を包んだ男とは対照的な格好をしていた。
裾のほつれた粗末な※式服に、革製の粗雑なキャップ。
※式服=アカデミックガウン。長く広がった袖を持つローブのこと。
あまり身だしなみに気を使っていないのだろう。
学者然とした老人は浮浪者と見紛うみすぼらしさだ。
しかし、その瞳は残飯でなく、知性と真理を追い求める炎にあふれていた。
老人は軋むヒザにムチを打って腰をあげる。
そして、今しがた覗いていたレンズを壮年の男に指し示した。
「左様です。こちらを御覧ください閣下」
「どれ……」
壮年の男はマントをはらい、レンズをのぞき込む。
レンズの中にはシャーレに収められた小さな金属片があった。
それは闇のように黒く、いくつもの鋭角の棘が幾何的に配置されていた。一見すると人工物のようだが、棘の形は動物の角や亀の甲羅のように、大きさが変わっていても相似形を保っていて生物的だ。
金属片は、それを見る者にある種の数学的美しさを感じさせる。
が、それと同時に名状しがたい底知れなさも感じさせた。
「…………ッ!」
金属片をじっと観察していた男は息を呑んだ。
それはわずかに身動ぎし、シャーレの中で体をくねらせている。
「こいつは……生きているのか? だが……」
「200年前。『転災』が発生した際に採取された遺物です」
「しかし、こいつは死んでいたはずだ!」
「はい、その通りです。ですがつい先日、活動を再開しました」
「なんだと!? では……!!」
「間違いありません。――異界の門が開きました」
「なっ……ッ!」
「閣下、これは先日検出された異常な魔力波です」
老人は金属の筒を取り上げ、マントの男に手渡した。
男は筒をねじると、中に収められていたフィルム状の地図を広げた。
「む……」
地図を見た男は顔をしかめる。地図には赤、青、緑と、とりとめのない色の絵の具が不作為にぶちまけられたようになっていた。
「あらゆるエレメントが混乱した状態にあります。まさに宇宙の発生を目撃したと言ってもよいでしょう。もっとも、規模はかなり小さいですが」
「ひどい乱痴気騒ぎだ。これでは発生位置の判別もできん」
「門の存在自体が異常なのです。門にこの世界の理、エレメントは役に立ちません。別の統計を使って調査を進めているところです」
「なるほど。……ラバン教授、改めて調査の継続をお願いする」
「かしこまりましてございます」
男は地図を丸めて筒に収め、ラバン教授に突き返した。
教授は無愛想に筒を受け取ると、部屋を後にしようとする男に問いかけた。
「タイタス閣下はどうされますか?」
「知れたこと。私の役目はこの国と家族を守ることだ。そのためにできることなら、考えられる全ての手を尽くそう」
「では――」
「うむ、魔狩人に探索を命じる。まだ災いが小さいうちに焼き払うのだ」
「魔狩人……でしたら閣下、よろしいですかな?」
「なんだ?」
「学院から一人、探索に送り出したい者がおります」
「教授、異界に関係した事件で何が起きるか、知らぬわけではあるまい?」
「もちろんでございます。ただ――」
「ただ?」
「その者は200年前に何があったか、それを知り得ておりますゆえ」
「なるほど。長命種……エルフか。」
「左様です」
「ならば役にも立とう。よし、任せる」
「はっ」
「それと、このことは他言無用だ。民草に無用な混乱を与えたくない」
「閣下の仰せのままに。200年前は災いそのものより、人々の疑念と恐慌から起きた暴動のほうが、より多くの命を奪ったと聞き及んでおります」
「うむ。我が恐れているのはそれよ。すべては秘密裏に事を進める」
「これで終わりにしたいものですな」
「あぁ、そうだな」
タイタスは教授に後を任せ、部屋を後にした。方向だけでなく、時間まで見失ってしまいそうな仄暗い廊下を歩くタイタス。
ふと彼は、誰ともなしにつぶやいた。
「……きっとあちらもそう思っているだろうよ」
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この黒ウニの元ネタは遊星からの物体Xです。
その活躍は後ほど…