81. その前夜
宮廷に参上する前夜、ジェットとサディナーレは貯めておいたお金で、町外れの宿に泊まっていた。国王に会うのだから、身ぎれいにしておきたいと思ったのだ。
部屋のテーブルの上にはピンクの花冠が置かれていて、壁には鶯色の可憐な服がかけられていた。
花冠はジェットが腕相撲大会で優勝してもらったもの。その賞金で、サディナーレが好みのドレスを買うことができた。
サディナーレがそれを着てみると、それはとてもよく似合った。
「やっぱり姫様だね」
サディナーレは顔を赤らめながら、ここまで連れてきてくれたみとのお礼を言って、久しぶりの寝台に横になった。ジェットはその下に、敷物を広げた。
「おやすみなさい、ジェットさん」
サディナーレは小さなため息をついたが、さいごの部分が震えた。
彼女は涙ぐみながら、その白い手を伸ばしてジェットの手を掴もうとしたけれど、やはり諦めた。
これがふたりで過ごす最後の夜だと思うと、どうしても眠られない。
ここまで無事に来られてうれしいはずなのに、悲しくてならない。
サディナーレの手がゆっくりと戻っていった時、ジェットがむっくと起き上がった。
「サディナーレ、本当にこれでよいのですか。国王と結婚して王妃になれば、前のような窮屈な生活が待っているかもしれないのですよ」
サディナーレも、寝るのをやめて起き上がった。このまま朝を迎えたくしなかったから、ジェットが声をかけてくれてうれしかった。
「サディナーレ、宮廷に行くことはありません。市場で噂を聞いたでしょう。みんなはあなたが死んだものだと思っています。このまま死んだことにして、別の人生を生きてみてはどうですか」
「別の人生を生きる?考えたことがなかったけれど」
「できますよ、やろうと思えば」
「私、やりたいです。別の人生を生きてみたいです」
「うん。姫の足だとここからは二日くらいかかるかもしれませんが、そこにアカイ村というぼくの故郷があります。そこには弟のリクイがいますから、事情を話して、そこで待っていてください。リクイはきっと力になってくれます」
「リクイさん」
「村に行けば、すぐにわかります。リクイとなら、市場ですれ違ったとしても、わかります」
「どうして」
「リクイは緑色の目をしています」
「みどり」
サディナーレはジェットがしている首飾りの石を指さした。
「この石よりもっと澄んだ緑ですよ。リクイの心はそれよりもっと澄んでいますから、信じてよい人間です」
「はい。でも、ジェットさんはどうするのですか」
「おれは兵士たちの現状を国王に直訴して、それが聞いてもらえたら、また国境に戻り、兵役を全うし、それから村に戻ります。でも、前線を離れた罪で、牢屋に入れられることも覚悟しています。たとえどんなことがあっても必ず帰りますから、村で待っていてください。あとのことは、それから考えましょう」
「はい。でも、いいえ」
とサディナーレが首を振った。
「それはだめです。ジェットさんがひとりで出かけて行っても、国王は会ってはくださらないでしょう。私が行って、説明します。ちゃんと訴えを聴いてもらいます。決して、あなたを牢屋になんかいれさせません」
「ぼくのために、国王に会われるつもりなのですか」
「私自身のためでもあります。どうしてあんなことが起こり、たくさんの家来たちが犠牲になったのか、このまま目をつぶることはできません。私には真実を調べてもらう責任があります」
「でも、国王に会われたら生きていることがわかってしまいますから、結婚することになるのですよ」
「それは、どうにかするつもり。私はもう彼の王妃になるつもりはありません」
「どうにかって」
「私には考えがあります。私の気持ちを言葉でしっかりと伝えます。王様はきっとわかってくださるでしょう」
サディナーレは自信に満ちた表情を浮かべた。
「前にも言いましたが、私ね、これまでこんな楽しい日々を過ごしたことはありませんでした。このまま、ずうっとずうっと続くとよいのにと、毎晩思っていました。そんな事態ではないのに、のんきすぎますか」
サディナーレがうれしそうに言うと、ジェットが笑った。またえくぼが見えた。
「ずいぶん、話せるようになったね、サディナーレ」
サディナーレは耳まで赤くして頷いた。このままが続けばいい。明日がこなければいいとジェットも思った、しかし、そういうわけにはいかないのだ。




