80. 黒煙
翌朝、ニニンドはハヤッタの部屋に行った。
「カヌン兄弟からの報告は届きましたか」
とニニンドが訊いた。
「いや、まだですが、そろそろ届くころです」
「帳簿はいかがでしたか」
「数字の上では、おかしなところはないのだが、実際の国庫と照らし合わせる必要があります。しかし、そちらの管理はマグナカリ殿下がなさっておられるので、・・・・」
「それをどうやって、頼むかということですよね」
十時を過ぎた頃、黒い煙が見えたとの報告があった。いくつの師団を経て、カヌンからの伝言が届いたのだ。
白い煙なら、国境の師団にジェットはいる。黒い煙なら、いない。上がったのは、黒煙だった。
「ジェットは駐屯地にはいない」
とハヤッタの声が心なしか震えていた。
「やはり姫といたのはリクイのお兄さんのようですね。何があったというのでしょうか」
「行って、訊いてくるしかない」
「現地に行って、という意味ですか」
「そうです」
「その役目は、私にやらせてください。行かせてください」
「いや」
ハヤッタは自らが国境の第七師団まで行くことを決め、部下を呼んで、馬車の準備を命令した。
「私も行きます。馬は得意です」
「いいや」
とハヤッタが首を振った。
「殿下はここに残り、鬼ヶ岳捜索のほうの指揮をとってください」
「わかりました。でも、殿下ではなくて、ニニンドと呼んでください」
「それはできません。ニニンド様はもう王太子なのですから、殿下と呼ばせていただきます」
「わかりました。では、指示をお願いします」
ニニンドはハヤッタの判断力、決断力、そして優秀な部下を育て抱えていることをそばで見て、学ぶことばかりである。
ニニンドは国王から王太子になってほしいと懇願されているが、実のところ、何をどうすればよいのかわからない。
しかし、ハヤッタの行動を見ていると、自分の混沌としている意識に、たとえばどんよりしている池に、石が投げられ、その石が水面の水苔を引き連れて沈み、澄んだ水になったような感じがするのだった。
彼を指針にすればよいのだ。自分も、彼のようになりたい。ならなくてはならないのだ。できるのだろうか。
リクイが報告を聞いて、部屋にやって来た。いつもよりも小さく見える。
リクイも兄の駐屯地に行きたいのだが、言い出すことができない。リクイは昨日も、崖から二度も滑り落ちて、捜索の手足まといになったことを恥じていた。
「リクイくん、きみは私と来るんだ」
とハヤッタが言った。
「いいえ。馬は得意ではないから、ぼくはここで待ちます。谷で、兄さんが見つかるかもしれませんから」
「そのことは殿下にまかせるんだ。兄さんが二年間過ごした場所を見たくはないのかい。馬車で行くのだから、心配はいらない」
「兄の駐屯地は見たいです。ぜひ連れて行ってください」
「ハヤッタ様は全然、休んでおられません。大丈夫なのですか」
とニニンドが言った。
「馬車の中で眠っていくから、私の心配はいらない。これはどうしても、私がやらなければないないことなのだから」




