68. 明日がある
ある夜、サディナーレが焚火をじっと見つめていると、ジェットが隣りに座り、しばらく並んで暗闇に踊る火を見ていた。
「サディナーレは王と結婚するのが、うれしくないのかい」
ジェットが折った膝の上に顎を乗せながら、顔を向けた。
「えっ、いいえ」
サディナーレは心が読まれてしまったのかと驚いて、どきどきした。
「そんなことはないです」
この結婚は物語のようなわくわくするものではないけれど、H国で斎王を続けるよりはよい。結局のところ、自分が選択したものだったし。
「どうして、そんなことを尋ねるのですか」
ジェットはあの医院のやさしいお姉さんのことを思い出したのだった。お姉さんはジェットをとてもかわいがってくれたけれど、ある時、どこかに嫁いでいった。
「お姉さんはすごく明るくておもしろい人だったのに、結婚する頃は悲しい顔をして、よく床の一点を見つめていた。今夜のサディナーレみたいにね。きっと、結婚したくなかったんじゃないかと思ったんだ」
「そのお姉さんはどうなったんですか」
「わからない。今はどうしているんだろう。幸せなんだろうか。幸せならいいけど。生きている間に、もう一度、会えることがあるのだろうか」
サディナーレは寝床に入る時、ジェットが語ったお姉さんが、幸せではないようん気がした。お姉さんはきっと望まない結婚をしたのだろう。
サディナーレは幸せになりたいと思った。幸せとはどういうものか。自分がどんな時に幸せを感じるのか、最近、わかってきたように思う。
どうしても、今、言わねばならないことがあると思った。文章を少し頭の中で整理して、まだ焚火のそばにいるジェットのところに行った。
「眠れないのかい」
「いいえ、そうじゃなくて。ジェットさん、さっきの続きですけれど」
「どうしたの。そんな深刻な顔をして。お姉さんはきっと大丈夫だから」
「そうじゃなくて。あのう、もし私が結婚したくないと言ったら、どうしますか。私、幸せになりたいんです」
えっと、姫は何を言っているの、とジェットは彼女を見上げた。
サディナーレがジェットのすぐ横に座った。前よりも、近い場所に。
「私がもし王のところに嫁ぎたくないと言ったら、ジェットさんのところに行ってもいいのですか」
サディナーレの白磁の頬は赤く染まり、心臓が熱湯のように湧いていた。
「何を言っているんだい。意味がわからないから、もう一度、ゆっくり言ってみて」
「だめですよね、ジェットさんにはサララさんがいますから」
「ちょっと待って」
ジェットは手を開いて、ストップをかけた。
「サララはただの友達で、好きだけれど、結婚するとは言ってないよ。サララはおれのことなんか、嫌いなのかもしれないし。でもね、それとこれとは別の問題だよ。きみがおれのところに来られるわけがない」
「どうして。どこがいけないの」
「そうじゃなくて、きみはお姫さまだからね」
「結婚がだめなら、ジェットさんの村に行くだけでも、だめですか」
「サディナーレの発想には驚かされるなぁ」
「ジェットさんの家のそばに住むだけでも、だめですか」
「きみはおれがどんなに貧乏なのか、知らないんだよ。おれは兵役を終えたら、村に帰って懸命に働き、お金を貯めないと嫁さんなんか、もらえないんだ」
「お金がなかったら、ふたりで働けば」
「仕事といってもね、ラクダの仕事はもう他の人がやっていると思うから、新しい仕事を始めなければならないんだ。幸いもうちには水があるから、畑をやろうかと考えている」
「私も畑をします」
「きみは、土にも触ったことがないだろう人だから、できるはずがない。ここに来る途中、いろんな市場で見たこともない野菜や果物を見たから、あの種を買って、育ててみるのはどうだろうかと思っている。結婚はそれからの話だから、先の先なんだよ」
「それまで、待ったら」
「どこで、どうやって待つの?」
とジェットが笑った。
「では、国王に嫁いで、先の先まで待って、野菜の畑が成功したら、ジェットさんのところに行ってよいですか」
「姫は何を言っているんだい。現実は物語の世界とは違うんだからね。さあ、もう寝たほうがいい。明朝はまた市場に行って、稼がないとならないからね」
サディナーレはしぶしぶ寝床に戻りながら、どのあたりから話がおかしくなってしまったのかと考えた。でも、言いたいことは言えたみたいだから、自信のようなものが湧き出て、気分は悪くない。それに、また明日がある。
明日がくれば、またチャンスがある。
幸せをつかむチャンスはあるはず。




