53. ニニンドを王太子に
グレトタリム王が世継ぎのことを焦らなくなったのは、ニニンドの存在があったからだった。王はもう結婚しなくてもよいという気分にさえなっていたが、サディナーレの意志と、ハヤッタの骨折りで、ようやく話が合意に達したのだった。
しかし、結婚したところで、男子が生まれ、丈夫に育つとはかぎらない。王はニニンドのことを王位継承者として、広く世間に公表したいと考えていた。ニニンドがJ国に来てからは二年になる。今がその時だ。
J国に立派な後継者がいるとわかると、周囲の国々も、そう簡単には攻撃してこなくなるのだと彼はニニンドに話した。
どうか、形だけでも、王太子になってほしい。どうか助けてほしい。そんな国王のたっての頼みを、ニニンドは引き受けるとは言わなかったが、断りはしなかった。
ニニンドは以前はよく逃げ出すことを考え、絶好の機会を狙っていたのだが、今はそういう考えはなくなった。いつもでもいようとは思わないが、しばらくはここにいるつもりだ。少なくとも、学校が終わるまでは。
ある夜、ニニンドがリクイの部屋を急に訪れたことがあった。ニニンドが詩を作ったので、見せに来たのだった。
その時、リクイは給料の銀貨を部屋に並べて、腕を組んで眺めていた。
「どうしたの?」
「これはぼくがここに来てから、貯めたお金です。すごいでしょ」
「うん。ずいぶん貯めたね」
「ぼくはこれまで、こんなにたくさんのお金を貯めたことがないんです。大体、見たことがないです」
「貯めてどうするの?」
「やりたいことがあるんです。お金って、すごいよね」
リクイがものすごくうれしそうな顔をしていた。
その時、ニニンドは、少なくとも、リクイが三年間の務めを終えるまでは、ここにいようと決めたのだった。
国王はその第一歩として、久しぶりに内輪の夕食会を開くことにし、王弟、ニニンド、ハヤッタ、それにリクイが招かれた。
王弟は声は出ないが聞き取ることはできたので、こういう会にはたいていひとりで参加していたが、その夜は手話通訳士のブルフログを連れてきた。ブルフログは長い間、王弟の通訳士をしており、彼の声はマグナカリの声なのだった。
ブルフログは本名をクマシンアオルべといい、オルべという貧しい村の出身だった。十歳を過ぎた頃、酷使されていた親戚の家を逃げ出し、都にやって来た。雇ってももらえるならどんな仕事でもこなしたが、いつも人間関係がうまくいかなかった。
長身で青白い肌のブルフログには、無表情のその目で、人を斜めに見下す癖あり、人々は圧を感じて、近寄らなかった。しかし、体格がよく、運動神経が抜群だったので、十五歳で兵隊に志願すると、三年間兵士として訓練を受けた後、クリオリネ姫の捜索に参加した後、王弟殿下の二等護衛に配置されたのだった。
当時、王弟の通訳はふたりいたが、的確に伝えることをしなかったので、マグナカリは内心、いら立っていた。そのことを告げるには小心すぎたし、問題を起こすのも面倒だった。
その王弟の蓄積している不満を感知したブルフログは手話を学び、やがて護衛兼通訳になった。
王弟との距離は年々縮まり、王弟にとってブルフログはなくてはならない存在になっていた。
夕食後、グレトタリム王は立ち上がり、ニニンドを王太子にしたい旨を告げた。
その時、待っていたかのように、「申しあげたいことがございます」とブルフログが代弁し、王弟が椅子の肘に手をついてゆっくりと立ち上がった。
「兄王に、ひとつ質問したいことがあります」
もちろん話しているのは、王弟の声、ブルフログである。
「なんなりと」
「跡継ぎの話でございますが、そのことになりますと、いつも思うことがございます。
「何かな」
「なぜ私の名前が出てこないのでしょうか」
国王は弟の口からそういう言葉が出るとは露ほども思っていなかったので、非常に驚いて息を飲んだ。




