20. 乳母の抵抗
翌朝、ニニンドのもとから座員のひとりが、情けない顔をしてやってきた。
断られたな。
やっぱりそうか。冷静に考えたら、あんなおかしな提案をあっさりと承諾できるはずがないとハヤッタは思った。
しかし、座員の話を聞いてみるとニニンドが決心を変えたとかそういうことではなくて、乳母のナガノが断固としてJ国にはいかないと言って、部屋から出てこないのだという。
「座長を困らせていますから、一緒に来てください」
ああ、そういうことなのか。
「わかりました」
ハヤッタがそれはどういうことなのか。まだ望みはあるらしいと、靴をはき違えるほど急いで駆けつけた。
宿では、腹がすきすぎてようやく部屋から出てきた小太りの老婆を、ニニンドが慰めていた。
「ナガノ、J国に行って手当をしてもらったら、目が見えるようになるんだよ」
「いやです、私は行きません」
「毎日、痛くて眠れていないではないかい。その痛みを治してもらえるんだよ」
「私は若さまが生まれてからこの方、おそばを離れたことがありません。若さまが一緒でなくては行きません。目など治らなくても、かまいません。どんなに痛くとも、かまいません」
ニニンドは一緒に行きたくても、これからニヵ月は契約で埋まっている。これを反故にするわけにはいかないのはわかるだろうと乳母の膝に手を置いて、説得した。
この青年は乳母に向かってはなんと優しい話し方をするのだろう。ハヤッタには胸に響くものがあった。
何度も同じことを繰り返しているうちに、どうやら乳母が折れたようだ。
「私のために行ってほしい」という言葉が効いたらしく、乳母が頷いて大声で泣き、ニニンドがその背中を撫でた。
「ナガノのこと、よろしくお願いたします」
とニニンドが頭を下げた。
「わかりました。こちらもできる限りのことをさせていただきます」
「今は一緒には参れませんが、ニヵ月しましたら、私がそちらに伺います。みんなを迎えに参ります」
「二ヵ月したら」
ハヤッタは驚いた。
「ニニンド様が来てくださるというのですか」
「はい。ナガノに、そう約束いたしましたから」
この青年は絶対にJ国にはいくことはないと言っていたのに、乳母のためには意志を変えた。
「ニヵ月したら、必ず参ります。それに、グレトタリム王やハヤッタ様にはお礼を申しあげなければはなりません。ナガノ、ちゃんと治してもらうんだよ」
ナガノは頷きながら、ニニンドの手をしっかりと握っている。
ニヵ月すれば、ニニンド様がやってこられて、グレトタリム王と会ってくださる。彼は将来生まれる男子をくださる件も、約束してくだされた。
ハヤッタは戻ってきた冬が突然終わって、春が訪れたような心境になった。
本当に、人生という道には、先に何が待っているのか、わからないものだ。
ハヤッタはこれまで国王の一番の側近として、誠心誠意仕えてきたつもりだけれど、心が満たされる日はなかった。しかし、将来、ニニンド様の子息が王子になられる日が来たら、この重い責務から解き放たれ、心安らかになり、あの故郷の家に戻ることができるかもしれない。
ナガノ ニニンドの乳母




