126. 肖像画家ベッセケス
画家のベッセケスは一日中、殿下のあとを追いかけて、時には正面から、時には隠れて、その姿を観察していた。美しいからビロードの服を着せたら、さぞ絵になるに違いないとは思ったが、まだ内側がよくわからない。
丁寧な挨拶はしてくれるし、簡単な会話くらいはあるものの、ニニンドという青年殿下がどんな人間なのか、つかめてはいなかった。
もうひとつ扉を押して、中にはいりたいのに、いれてはくれない。
夕方になると、ベッセケスはよくニニンド殿下の姿を見失った。しかし、その日は画家は彼を執拗に追いかけて、ついに屋根の上にいるところを発見した。
こんなところに、いらしたのか。
屋根の上とは想像しなかった。
ベッセケスがようやく辿りつくと、 ニニンドは豹のように腹這いになって、まるで屋根と同化するようにして、下を見ていた。
「殿下」
とベッセケスが声をかけた。「ここは眺めがよろしいですね」
「ここまで来てくださったのですか」
ニニンドは身体を起こして、瓦の上に座った。
「立っているのは危険ですから、どうぞ、ここへ座ってください」
とニニンドが手で座る場所を示した。
「殿下は、いつもここへ来られるのですか。」
「そんなところです」
「どうして、ここへ」
「高いものがあると登りたくなります。祖先はきっと虎か豹だったのでしょう」
その時、ベッセケスの頭の中で、豹が走った。
その時、ベッセケスの心臓がぱくぱくしてきた。何かが閃いた。
光だ。しばらく感じることがなかった感情だ。
遠い昔、画家をめざしていた頃、何度か感じたことがある。
「ニニンド殿下にお願いがございます」
と彼は早口で言った。
「何でしょうか」
「肖像画が完成いたしましたら、この屋根の上のそのお姿を、一枚、描かせていただけませんか」
「なぜでしょうか」
「描きたくてなりません。創作意欲が湧いてまいったのです」
「そうですか」
ニニンドが、すっくと立ち上がった。
ベッセケスの瞳が輝いていた。
「申し訳ないのですが、その姿は先生の記憶の中だけに留めていただけせんか」
とニニンドが言った。
「殿下、そうはおっしゃられずにお願いいたします。屋根の上に腹這いになり、豹のように下を伺っているお姿を、ぜひぜひ描かせてください」
「私は下を見て、何かを伺っているわけではありませんよ。私はただ、自分を自由にしているだけです」
しかし、画家にはその意味はわからない。ただ描きたいとだけ思う、切実に。
「末代まで残る名作になります」
「仕事が残っていますので、これで失礼致します」
とニニンドはひらりと翔んで、空で一回転して、ふわりと地上に降り立った。
なんという不思議なお方なのか。
ああっ、その時、ベッセケスは見たと思った。
言葉は丁寧だが、ニニンドの瞳の隅には、誰も侵すことのできない狷介で、高尚で、冷たい輝きがあった。
これだ、画家は捜していたものはこれだ。
ベッケセスは、自分の中の炎が燃え出したのを感じていた。
美しさの中の冷めたさ、それを描こう。それが他国の王や王太子と一線を画すところだ。
この炎が冷めてしまう前に、ニニンド殿下の肖像画を描こう。




