107. ハヤッタとの会話
リクイはニニンドを捜していた。
朝には宮殿で仕事をしていたはずなのに、その後から姿が見えなくなった。
お付きには出かけるとは告げて行ったということだが、どこへ行くとも、いつ帰るとも言ってはいないという。
こんな大事な時に、自分に一言も告げないで、どこへ行ってしまったのだろうか。
待つというのは辛い。悪いことばかり、考えて、腹の底が焦げていく気がする。待つ人の気持ちを考えてはいないのかと怒りさえこみ上げてくる。
心配と怒りの繰り返し、ニニンドはもう子供ではないんだし、無事ならそれでいいことにしよう、と決めてみても、それは長くは続かない。打ち寄せる心の波の抑え方がわからない。じっとしていられない。
リクイは日が暗くなると、得意ではないのにひとりで屋根に上り、ニニンドの帰りを待った。しかし、その夜は、いつもで待っても、戻ってくる気配がなかった。
もしかして、とリクイはあることをふと思った。サララのところへ行ったのだろうか、まさか。
ハヤッタの宮殿の書斎には、まだ灯がついていた。リクイはハヤッタのところに、茶を運んで行った。
「リクイです」
ドアの前で名前を名乗るとちょっと待たされた後で、扉が開き、ハヤッタは眼鏡を外して、出迎えた。
「まだお仕事でしたか」
「何かありましたか」
「お疲れかと思って、お茶をもってきました」
「それはありがたい」
リクイが茶碗に茶を注ぐ音が部屋に響き、お茶の香りが漂ってきた。
「ニニンドから何か聞いていますか。まだ帰って来ていないのですが」
「今夜は遅くなるかもしれないと言われていました。きみには言っていかなかったのですか」
「いいえ、何も」
「それはいけませんね。何かとても重要なことだと言っていましたが」
ニニンドはハヤッタには伝えて行ったのだとわかり、心が震えて唇を噛んた。
「殿下のことは、心配はいりませんよ」
とハヤッタが微笑んだ。「しっかりと、つけさせていますから」
「殿下は特には狙われてはいませんから、大丈夫です。それより、リクイくん、きみのほうは気をつけてください」
「ぼくが、ですか。どうして」
「そのうちに、お話しします」
「ぼくのことなら、気にしないでください。ハヤッタ様は、ずうっと寝ておられないのではないですか」
「大丈夫ですよ。では、せっかくリクイくんが茶を入れてくれたのだから、一服させてもらおうか」
ハヤッタが茶碗をゆっくりと口に運んだ。
「美味しい、美味しいなぁ。こんな美味しいお茶は飲んだことがない」
ハヤッタは仕事に戻り、腰を曲げたまま、広い机上の設計図を舐めるように見ながら考え込んでいたが、リクイのほうを見て微笑んだ。
「話したいことがたくさんあるのですが、すまない。今は、この機を逸したくしないからね」
「わかっていますから、気になさらないでください」
ハヤッタは近く、スノピオニがマグナカリ王弟に会いにくるだろうと確信している。たぶん、カイリ ンを連れてくるだろう。
カイリンが弟王の跡を継ぐ王子だということを、グレトタリム王に宣言しに来るはずなのだ。
その時が絶好のチャンス、ハヤッタは精鋭隊を動員して、スノピオニのヒマラヤ御殿に踏み入る。
地下室には、宮廷から運ばれた財宝が隠されていると読んでいる。
しかし屋敷には入れたとしても、地下室にはどんな工夫がされているのかはわからないのだ。
それにブルフログがどこかにいて、どんな画策を練っているのかもわからない。
「リクイくん、お茶をもう一杯お願いできますか」
「はい。もちろんです」
茶を注ぎながら、リクイが振り返った。
「この仕事が一段落したらですが、ぼくはハヤッタ様にお話したいことがあります」
「そうかい。それはうれしい」
「お訊きしたいこともあります」
「何でも全部話します。リクイくん、きみには、すべてを話したいと思っているのですよ」
ハヤッタは茶碗を受け取ると、再び愛おしそうに、飲んだ。リクイは机上の白地に赤い花が描かれている小皿を見つめた。
「きれいですね」
ハヤッタはその磁器を手に取り、リクイに渡した。
「リクイくんは、この小皿をどう思いますか」
「誰かの贈り物ですか。もしかして、女性からの」
その答えに、ハヤッタがはははと愉快そうに笑った。
「きみがそんなことを言うなんて思わなかった。そうだよ、女性からの贈り物だよ」
「大切なものなんですね」
「そうなのだよ。きみにこれをきみにあげよう」
「ありがとうございます。これは大事なものなのでしょう。うれしいのですが、そのうちに遠くに行くことになるかもしれませんので、帰ってきたらいただきたいと思います」
「リクイくんはずっとここにいてくれるのだと思っていました」
「ぼくは西の国に行って、医学を勉強するつもりなのです」
「やはり医者ですか。諦めたと思っていました」
「一度は諦めまたのですが。ぼくの尊敬する先生が、西の国で勉強されたのです。その先生が推薦してくださって、今朝、合格通知が届いたところなのです。だから、いいえ、その詳しい話は、ハヤッタ様にお時間ができました時に」
ハヤッタは片手で口を覆った後、そうなのか、うんうんと頷いた。
「ニニンド様は、そのことをご存知なのですか」
「いいえ。だから、そのことを伝えたいと思っているのですが、朝から姿が見えなくて」
「今夜遅くか、明日には戻りますよ」
「明日ですか」
「彼も忙しいですから」
「ではぼくは帰りますが、最近のハヤッタ様は。時にご自分の生命のことなどを、省みていらっしゃらないようにお見受けします。どうぞ、お身体にはお気をつけてください」
「ありがとう。気をつけることにするよ。生命をなくしたら、きみと話すことができなくなるからね」




