『私たちの距離』
「おはようございます、ひかる殿。今朝はなにを食べましたか?」
「さすがひかる殿! 今回のバトルもいい動きでした!」
「危ないひかる殿! 敵の攻撃で小石が!」
「ひかる殿ひかる殿」
「ちょっとストーーップ!」
瞳の桜がきれいに見えていたのだが、素早く遠ざかってしまった。
「どうされたのですか、ひかる殿。なにかトラブルでも」
「今まさにトラブルだよ! カタナちゃん昨日と違って朝からおかしいよ! 近い!」
「たしかに。いつも以上にベッタリでしたわね」
「キスすんのかと思ったわ」
バトル帰りの二人にも言われ、少し恥ずかしくなった。
そんなつもりはない……が、べつの下心はあるのだ。
「急にどうしたの? こっちにだって心の準備があるといいますか、なんといいますか」
「えっと、その、ひかる殿。ひとつお聞きしたいのですが、スタンプの販売ってしてますよね? メンバーシップ用ではなく通信ツール用の」
「ぐはぁ!」
特に問題のない質問だったと思うが、ひかる殿は胸を押さえて植え込みに隠れた。
「ど、どうされました?」
「なんで知ってるの……デビューしてすぐに調子に乗って作った黒歴史なのに」
聞けば手書きのイラストが改めて見ると痛々しく、ここ二年ほどは宣伝もしていないらしい。
「あら、可愛らしいじゃないですか。種類もお値段のわりに多いですし」
「ギャハハハハ! たまに添えてるこのポエムなんだよ!」
「ぎゃーっ! なんで早速見てるの! 契約上まだ販売ページは残ってるけど、あんまり広めたくないんだってぇ~!」
二人が注意を引いてくれてる隙に私も購入したのは秘密だ。
「そ、それで! このスタンプがどうかしたの?」
「はい、実は……」
次の言葉の前に思案の壁が立ち塞がった。
説明するべきだろうか。
恩人が古参さくらメイトなのだと。
カラフル・ミラクルのリスナーたちがこぞって買い始めたおかげで、闇に葬られていたスタンプは広く知れ渡った。だが、昨日確認した販売実績は五件のみ。この中にお姉さんがいる。そして今も私を見てくれているかもしれない。
だから、いつもよりひかる殿の近くにいた。
少しでもあの人の目に留まるように。
「……知り合いがこのスタンプを使ってまして。三年ほど前に購入したとか」
「えぇ!」
嘘は言っていない。が、一部に留めることにした。
今はまだ、恩人のことまで伝えるのは得策ではない気がした。
せっかく掴んだ糸口なんだ。落ち着け、私!
「ちょっとだれ! カタナちゃんの知り合いって! 買った人覚えてるよわたし。そんな初期に買ってくれたのなんて、片手の指で足りるもんねぇ?」
「苦労したんですわね……」
「立派になったな」
「だれの目線で見てるの!」
まだ出会って数か月。
ひかる殿が昔からの推しだというのなら、彼女のチームメイトである私はある程度好意的に見られているだろう。
でも海月カタナが月島海だと知られれば、そのかぎりではない。
もっと本質的なところで、ひかる殿とリスナーから信頼を得なければならない。
Vテイナーのコメント欄には、本人はもちろんリスナーたちが作る空気感のようなものがある。ある程度の秩序と配信ごとのノリを生む見えない力は、けっして無視できるものではない。
お姉さんにコンタクトを取るなら、サクラサクチャンネルの全面協力をお願いしたい。
そのためにはもっともっと絆を深め、だれが見ても良好な関係を築く必要がある。
例えばイベントで上位に残る、とか。
「だからですね、いいところを見せたいと言いますか。今回のイベントに俄然やる気が出たので、ひかる殿ともっと仲良くなりたくて」
なんて口下手なんだ。
もっと言い方というものがあるだろう、私!
「カタナちゃん」
ほら見ろ。
あれでは、知り合いを理由にしないと仲良くできないみたいじゃないか!
「こちらこそだよ! イベントがんばろうね!」
あぁ、よかった。私の心配は杞憂だった。
さすがあの人が応援するVテイナー。まぶしくて、まっすぐだ。
「そ、そしたらさ、上位特典のタキシードとウエディングドレス着てさ、新婚旅行とか……うへっうへへへへ」
「ヨダレが出てますわよ、はしたない」
こちらとしても二人きりのコラボは嬉しい。
ルナ殿に口を拭いてもらう姿はほぼ幼児だが、この人となら一位だって狙える。
「おっ? カタナ今、一位になれるかもって思っただろ?」
「むっ……顔に出ていましたか。修業が足りませんね」
「そうだなぁ。少なくともルーたちがいるのに、ちょっと安直すぎだなぁ」
チームとはいえ、ジューンブライド・マッチはペアでの戦い。
目の前の子犬少女と薔薇の女王もライバルなのだ。
「失念していたわけではありません。お二人を踏まえても、可能性は十分かと」
「言ってくれるじゃねぇか。イベント最終日のラストバトルは予約済みなんだ。そっちだけランク外とか笑えねぇぞ?」
「そちらこそ。パフォーマンスなしで我々に勝てるとは、思わないでいただきたい」
可愛らしいひかる殿も恩人のことも、私を駆り立てる大事な理由。
しかし剣士にとって戦いの滾りはなんとも甘美だ。
「さてと。そろそろ夜の分、バトり始めるぞー」
「えぇ、よろしくってよ」
世話焼きと宣戦布告が終わったチームメイトが、悠々と並び立った。
「我々もいきますか。では、ひかる殿。お願いします」
「ま、毎回やんなきゃダメかな?」
ひかる殿は恥ずかしそうに見回したが、三人の視線と催促するコメントの弾幕に、早々に観念した。
「カラフル・ミラクルーッ! ファイ!」
「応っ!」
「オー!」
「おーですわ!」
私たちは今夜も過激な共同作業を競い合っていく。
今日の結果は八勝二敗。ルー殿とルナ殿もなかなかの戦績だった。
その後も連携を高め新たな戦法を編み出し。イベント中盤、私たち四人はイベントランキングの上位へ名を連ねた。
この熱と雨は期間いっぱい続いていくと思っていた。信じて、疑わなかった。
なのに、ジューンブライド・マッチの日数が残り五日に迫ったとき。
なんの前触れも相談もなく。
――――Vテイナー桜色ひかるは引退を発表した。




