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恋に盲目な若者たちへ。  作者: あまもり たつき
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オリーブの木

暖かい風が窓から吹き込み、僕の肌を撫でる。

陽の光が瞼越しに差し込んでいるのが分かった。


少し寝すぎてしまった。

昼をすぎた頃だろう。

活気で溢れた街の音がそう感じさせた。


ベッドに横になったまま天井を見つめる。


ほのかに香る珈琲の匂い。

体を起こして台所に目を向ける。


エプロンをかけて昼ごはんを作る千里の後ろ姿がぼんやりと見えた。

ただそれも、瞬きをした次の瞬間には消えていた。

そこに千里の姿はない。

驚きはしなかった。


ベッドから鉛のように重くなった腰をあげて立ち上がる。

僕は無気力なまま台所に置かれた冷めきった珈琲を見つめた。

カップを手に取り、ゴクリと飲み干した。

いつもより少し苦く感じた。


タバコが吸いたくなってベランダに出た。

雲ひとつない青空の中を飛行機が泳いでいる。

ベランダの隅に置かれたオリーブの木。二年ほど前に千里と買ったものだ。

水やりをしていたのが千里だったこともあって、こんなに大きくなっていたことを知らなかった。


「……いなくなっちゃったんだね」


僕はなぜかオリーブに話しかけた。

それは、確かにここには千里が”いた“という事の証のように感じたからだ。


オリーブは太陽の光を少しも逃さぬようにと、一生懸命空に向かって葉を伸ばしていた。

きっとこの木は千里がいなくなってもスクスクと育って行くのだろう。

誇らしく真っ直ぐ伸びるこの木が羨ましく思えた。


一人取り残されているのは僕だけみたいだ。



タバコに火をつける。


一面に立ちこめる煙が昨日の出来事を走馬灯のように空に描き出す。



こうなることなどとっくに決まっていたのだ。

僕は昨夜の千里の異変に気づことができなかったんだ。いや、気付かないふりをしていた。


ここ最近の話だ。

僕がタバコを吸う時、その煙を見つめる千里はあの日の夜と同じ表情をするようになった。


理由はわからない。今も。


その気になれば千里本人に聞くことなど容易いだろう。でも、僕は逃げてしまった。

僕の勘違いであって、時間と共に何事も無かったかのように幸せな日々が続けばいいと、そう願った。


でも昨夜、千里に口づけをした時僕は現実を突きつけられてしまった。

ほのかに香るタバコの匂い。

僕の吸ってるものとは違うものだとすぐわかった。

そして、その香りには覚えがあった。千里と初めて出会った時の記憶だ。


タバコを吸わないと言っていたあの時の千里からは確かにそのタバコの匂いがした。

ここまで分かればあとは簡単だ。


でも、気づいてしまっては終わりだと思った。

二人の関係も、これから先の未来も。


だから僕は現実から目を逸らした。


僕の匂いで上書きするように、何事もなかったと勘違いできるように、千里の唇に優しくキスをした。



今も昔も変わらない。

僕は嫌なことは心の奥底にしまいこんで、不都合な現実から逃げてきた。

目の前の幸せにしがみついて、幸せを演じていた。そうやって生きてきた。


それも今日終わってしまった。

いつかは、その現実とも向き合う時が来てしまう。

それが今日だった。それだけだ。



そう割り切って全て忘れさろう。



気持ちの整理は着いたはず。

なのに涙がこぼれ落ちる。

一度出た涙は止まることは無かった。



それから数年の時が経ち、僕は二十六歳になった。


あの日、僕はタバコを吸うことを辞めた。

未練がある訳では無い。

最後に吸ったタバコの煙は千里との思い出を乗せて空に消えていったからだ。



「今日は暑いなぁ。水ほしいよな」


台所に向かい蛇口から出る水がコップの中を満たす。

コップいっぱいになった水を上からこれでもかとかけた。




オリーブの木の葉が水滴でキラキラと輝いた。





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