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恋に盲目な若者たちへ。  作者: あまもり たつき
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肺を満たす

前に君に聞いたことがあった。


「タバコの匂い平気なの?」


「平気だよ〜? なんなら好きだよ。その匂い」


その時は変わってるなと思った。



君はクシャクシャになったシーツの上で気持ちよさそうに寝ている。


愛おしいその寝顔に僕はいつも癒されているんだよ。


起こさないようにそっと口付けした。



月明かりに照らされた薄暗い部屋で、夜風を感じながらタバコに火をつける。

煙と少し冷たい空気と幸福感が肺を満たす。


いつまでもこの幸せが続いて欲しい。

そう願いを込めて、幸せだけは肺に残したまま煙を吐いた。


目を覚ました君は、夜に溶けて消えていく煙を少し寂しそうな顔で見つめていた。


ふと、君と初めて出会った日を思い出した。


あの日の君も同じ表情をしていた気がする。




同級生と駅前の居酒屋で呑み終えた帰り道。

みんなと解散して一人になった僕は、終電を待っていた。

終電までしばらく時間があり、近場の喫煙所まで行くことにした。


あー、気持ち悪い。

少し呑みすぎた。

普段酒なんて呑まないけど、その場の”ノリ“というやつのせいで完全にキャパオーバーだ。

大学生の低俗な会話も、”ノリ“も全部嫌いだ。


ただの人数合わせで呼ばれた呑み会。

何も楽しいことなんてない。


ただ、羨ましかった。


充実した毎日に、悩むことなど知らない人間たち。

しょうもない会話で大口開けて笑い合える友。

何もかもが羨ましくて、僕を否定してるようで悔しかった。




喫煙所にたどり着き、タバコを吸う。



タバコは気持ちのリセット。


自分にとって都合のいいことだけを煙と一緒に吸い込む。

それを自分の中にしまい込んで無理矢理納得させる。

嫌なことは煙と一緒に吐き出せばいい。

そうすれば空気に溶けてなくなってしまうからだ。


今日の出来事も煙と共にさようならだ。


短くなったタバコを灰皿に押し付ける。


リセット完了。



駅へ戻ろうとしたその時、女の声がした。


「何か嫌なことでもあった?」


振り返ると小綺麗な若い女が立っていた。


感傷に浸っている姿を見られていた。しかも女に。

最悪だ。

恥ずかしさのあまり無視して立ち去ろうとした。


「話し、聞いてあげようか?」


女は真剣な眼差しで意味のわからないことを言い出した。

僕を真っ直ぐ見つめる瞳に吸い込まれそうになった。

よく見ると、女の目元は赤く腫れていた。

さっきまで泣いていたのだろうか。


その姿に同情してしまった。


この人も僕と同じだ。

頭がいっぱいなんだろう。

そういう時は同じ境遇の者に縋り付きたくなるものだ。


終電までまだ時間はあるし、少しだけ話してみることにした。


日頃の不満。今日の出来事。全てを吐き出した。


女は何も言わず、相槌だけ打って僕の話を聞いている。


一通り話し終えた時、女は初めて口を開いた。


「世の中不公平だよね。真面目に生きている人ほど損をする。君もその一人だよ」


「あなたも、なにか嫌なことあったの?その目、泣いてたんでしょ?」


「“あなた”じゃなくて、ちさと」


ちさとは僕の手をとり、指で何かを描き始めた。

白くてスッとした綺麗な指が手のひらを走る。


「千に里。んで、千里」

「私ね、好きな人とお別れをしてきたの。自分から別れを告げたのにさ、涙が止まらなくてさ」


そう言った千里は切なく笑った。


「ねぇ、それ吸ってよ煙が消えていくところ見たいの」


そう言って、僕が手に握っていたタバコを指さした。


さっきまで悲しげな表情を浮かべていたくせに、今は好奇心で溢れた顔をしてる。

まるで、新しいおもちゃを見つけた子供のようだ。

全く感情が読めない。


千里に促されるまま、タバコに火をつけた。


煙は瞬く間に空へ消えていく。


煙を見つめる千里の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。

寂しそうな表情で煙を追う千里は、どこか儚く消え入りそうで正直僕は見とれてしまった。



「一緒に吸う?」


タバコとライターを差し出してみる。


「ううん、私自分では吸わないの」


「タバコの匂い平気なの?」


「平気だよ〜?なんなら好きだよ。その匂い」


変わった子だ。

そう思った。


そこからは、タバコを吸い終えるまでお互い言葉を交わすことは無かった。


微かに感じる人集り。

遠くから聞こえる人の声が、まだ眠ることの無い夜の街を彩っていた。

けれど、僕と千里のいるこの空間だけは賑わう夜の街から切り取られたように静けさだけが広がっていた。


ふと、腕時計の時間を確認する。

時計の針は午後十一時を指していた。

終電が近いことに気づき、帰ることを千里に伝えた。


また会いたいと千里は僕の携帯に電話番号を打ち込んだ。

期待していた訳ではない。

ただ、その言葉に僕は、ほっとしてしまった。


「またね」


そう言い残して千里は駅とは逆の方向へ歩き出した。

夜の闇に消えてゆく千里の後ろ姿を最後まで見送った。



刺激的な夜だった。

今でも鮮明に覚えている。


そんな君は、今僕の隣でまた静かな寝息を立てて眠っている。

千里の唇にキスをして目を閉じた。



僕も眠ろう。




僕の肺が幸せで満ちているうちに。
















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