1 今日もあなたに会いに行きたい
昔の小説と、今の小説。
その一番の違いは、「タイトルの長さ」じゃないだろうか。
口語体で書かれた小説は、今もう全然新しくない。
あ、今思い出した。会社で口語をメールに使うなと言われたことを。
まあどうでもいいけど。
ちなみに、このように脱線するのは、古くも新しくもない。
単に下手なのである。私の文章が。
さて、今の小説の題名を見ていると、もうそれだけで一章終わってんじゃね?ってくらい長く説明的でため息が出る。
なんだろう。
タイトル考えるのがめんどくさいの?
学校の国語の時間に「要約」とか習わなかった?
『こころ』とか『坊っちゃん』とか言われても何のことかわからない?
いやわかると思うけど・・・。その通りじゃないか?あの内容は。
例えば『こころ』の内容が伊豆の踊子だったらどうよ?
どうって・・・。案外行けるかもしれない・・・。
でも坊ちゃんの内容がセカチュウだったら・・・、「この人坊ちゃんなんだ」と余計な情報は加味されるが、男性が主人公という意味では間違っていないかも知れない。
いや・・・だめじゃん。要約の必要性が語れていない。
語れないだけにとどまらず、
『もしも小説の題名が「坊ちゃん」だったら、主役ヒロインの私はどう振舞えばよいのかしら』
みたいなタイトルまで頭に浮かんできてしまった。
やばい。
やばいよ長いタイトルの中毒性。引き込まれそうじゃ。
「だめ。引っ張られてはダメよ。あちらの世界から戻る方法は見つかっていないのよ!」
「そんなのわかんないじゃん。あちらの世界から戻ってこれるけど、姿や記憶が変わって戻ってきちゃうから誰も気が付いてないだけかもしれないし」
「普通、元に戻りたいって思うでしょ。別になれるなら元にも戻れるでしょ」
「そうかなあ。やったー!嫌な奴から逃れて心機一転スタートできる!って思うかもよ(少なくともキミの周囲はね)」
「そんなの許せないわ!みんなが元の場所に戻ってくるよう、私は毎日祈っているのよ!」
「なるほど。それで『転生したら嫌いな王子の母になっていました』って感じの身近転生が多いのか」
って。
まあとにかく、読むのが面倒なくらいに長い説明的なタイトルは、書いているうちに軸がどんどんずれていく私の文章には不向きと判断した結果が『My dear Benjamin』です。
最近は小学校から英語習うことだし、問題ないだろう。
洋書と間違えてペーパーバックで出版されたらそれはそれで本望だし。(絶対に無い。)