後編(エストリア)
月日は6年経って、ヘンリーは26歳になった。
あの後、カトリーナと婚約解消になり、慰謝料はこちらが払う事になった。
貴族の社交界ではカトリーナが言い触らしたせいで、ヘンリーは人形好きの変人と名が知れ渡り、いまだに結婚出来ていない。
ヘンリーも結婚する気が無かった。両親は婚約解消当時はさんざん小言を言ってきたが、今や呆れかえって、何も言わなくなってしまった。
それでも父から公爵位を受け継いで公爵になったけれども、未だに妻達を愛でる日々。
マリアーテは首から上が壊れてしまったので、作り直したが、元の顔とは少し違ってしまって…
悲しかったが、新しいその顔も愛してあげることにした。
人形は20体まで増えて、等身大がマリアーテ、レイラ、そして、アリスティア。他に17体の小さな妻達がいて。
妻達と過ごす時間がヘンリーにとって唯一の幸せな時間だった。
そんな彼であったが、ふと噂を耳にしたのだ。
エストリア・リストン公爵令嬢。歳は16歳。
ラピス王太子の婚約者であったが、酷い仕打ちをされて、心が病んでしまった令嬢。
アーレスと言う人形だけを大事にして、ラピス王太子の事が解らなくなったため、婚約破棄されたとの事。
彼女なら自分の妻達の事を解ってくれるかもしれない。
でも、女と言うものが怖かった。カトリーナで、懲り懲りしていた。
だから、白い結婚を持ち出す事にしたのである。
ヘンリーから、リストン公爵家へ婚約の打診をした。
リストン公爵家だって心を病んだ娘を貰ってくれるなんて、大歓迎だろう。断られる事はないはずだ。
「エストリア・リストン公爵令嬢でございます。」
ハーベリンゲン公爵家の客間でエストリアと会った。
16歳で、幼い印象のある金髪碧眼のエストリア。綺麗な令嬢だ。
王太子殿下の婚約者に選ばれた令嬢だ。心が病んでしまったとはいえ、さぞかし学業は優秀なのだろう。
「よくいらしてくれました。さぁ、ソファにかけて下さい。」
エストリアがソファに腰かければ、対面にヘンリーは腰かけて。
「私と白い結婚をしてくださいませんか?」
「白い結婚?」
「ええ。私も好きな人がいるのです。」
「まぁ…それじゃ、わたくしのアーレス様の事を。」
「貴方の父上から聞きました。私の好きな人と言うのも実は人形なのです。」
「そうなのですか。」
「お見せ致します。こちらへ。」
ヘンリーがエストリアをある一室へ案内する。
鍵を開けて、中へ入れば、20体にも及ぶ、大小様々な人形が並んでいて。
「この子たちが全て私の妻です。美しいでしょう。私が丹精込めて作り上げた人形です。」
「まぁ。公爵様が作られたのですか?」
「ええ。仕事の合間に少しずつ。どの子も愛しくて愛しくて。だから、結婚するなら、
この子達との触れ合う時間が減ってしまう。新しい子を作る時間も減ってしまう。
だから、結婚なんてしたくはなかった。だが…君も人形が愛しいと言う。
白い結婚をしてくれないか。私とて公爵。世間体と言うものがあるのだ。」
「解りましたわ。結婚承知致しました。わたくしもアーレス様と過ごしたい。
ですから、貴方様と結婚すれば互いの利益が一致するのですね。」
「そうだ。」
エストリアは納得したようだった。
ああ…自分は世間体の為、妻を手に入れる事が出来る。
エストリアも自分と言う夫を得る事によって、公爵夫人として生きる事も出来て、
互いに利あるのみであろう。
だが、まさか、ヘンリーはエストリアに愛情を感じるようになるとはこの時思いもしなかった。
エストリアは公爵家に嫁いできた。
早く結婚したいとこちらの要望で、学生ながら公爵夫人になったのだ。
この国は16歳から結婚する事が出来る。問題はなかった。
メイド長がエストリアの事を褒めちぎる。
「よく気が利く奥様です。私達の事を気遣って下さって。威張る事も無く、
良い奥様を貰いましたわ。お坊ちゃま。」
「そうか?」
白い結婚を持ち出したのはこちらだ。
食事の時くらいしか顔を合わせない。
最初、エストリアは緊張して、食事の時も黙々と食べているだけだった。
だから、ヘンリーの方から気を使った。質問をしてみる。
それでもなかなか話が弾まない。彼自身は自分の事をあまり話さない人なのだ。
しかし、日が経つに連れてエストリアは段々、学園の事を話し始め、ヘンリーはエストリアに興味を持ち、毎日の食事の時間が楽しみになっていった。
そんなとある日の夜の食事の時。いつもの如く今日の出来事を聞いてみる。
「今日は学園で何か面白い事でもあったかね?」
「え?いえ…別に…ただ、アーレス様のスケッチをするのに素敵な公園を馬車の中から見つけたので、今度のお休みにお出かけしたいと思っていますわ。」
アーレスとはエストリアの大事な人形である。
金髪碧眼の貴族服を着た男性の人形で、抱き上げて持ち運びできるくらいの大きさである。
エストリアは彼を庭に立たせてスケッチしたり、色々と楽しんでいるようで。
ヘンリーはふと、自分もその公園に一緒に出掛けたいと思った。
「私も一緒に行っていいかね?マリアーテのお誕生日に贈るアクセサリーを見に店に行きたくてね。そのついでになるが…」
「まぁマリアーテ様の?わたくしも一緒に選んでよろしいかしら。」
エストリアはニコニコして、
「マリアーテ様のアクセサリー。首飾り?それとも耳飾り?髪飾りもいいですわね。」
ああ…エストリアは妻達の事を大事にしてくれる。
ヘンリーはとても心が癒されるのを感じた。
「そうだな。髪飾りにしようと思う。」
「彼女は金髪ですから、それに似合う良い髪飾りがあるといいですわね。」
「それと…君にも髪飾りを買ってあげようと思うんだ。」
「いえ、わたくしはお誕生日ではないのでいりませんわ。」
「君も妻の一人で、それも…まだ何も君に買ってあげていないのは…」
「それなら、わたくしがお誕生日の時に買って下さいませ。約束ですわよ。ヘンリー様。」
ヘンリーはエストリアにとても愛しさを感じた。
お休みの日、二人で公園に出かけた。
薔薇がとても綺麗に咲いている公園で、エストリアは薔薇の花の前にアーレスを立たせて、
嬉しそうにスケッチしている。
ヘンリーは思わず口出しをしてしまう。
「あちらの薔薇の花の前はどうだ?噴水が遠目に入って、アーレスをスケッチするのにとても映えるのではないのか?」
「まぁ、そうですわね。アーレス様をあちらに立たせましょう。」
楽しかった。エストリアと過ごす時間はとても楽しかった。
それから、アクセサリーの店に二人で寄って、
「エメラルドの髪飾り、マリアーテに似合うと思うが、どう思う?」
エストリアに聞いてみる。
「ええ、とても似合うと思いますわ。マリアーテ様の金の髪に映えて。」
「君にも買ってあげたい。何か選んでくれていい。」
「いえ、わたくしはいりません。だって…申し訳ないですわ。」
「君も私の妻なのだから。頼む。何かプレゼントさせてくれ。」
「それなら、ヘンリー様が選んでくださいませ。ヘンリー様が選んでくださったらわたくし、とても嬉しいですわ。」
違ったデザインのエメラルドの髪飾りをエストリアにプレゼントした。
エストリアはとても嬉しそうに微笑んで。
そんな妻のエストリアの微笑みを見て、ヘンリーは心からエストリアに愛しさを感じた。
翌朝、エストリアが元気がないようだったので、訳を聞いてみると、
「アーレス様の顔が…その…」
「ん?私に見せてごらん。」
アーレスのメイクが薄くなってきているようで。
外へ連れ歩いているのだ。日に焼けて薄くなっているのであろう。
ヘンリーはエストリアに、
「私がメイクをし直してあげよう。勿論、元のイメージそのままに…」
「まぁ、ヘンリー様がっ。嬉しいですわ。」
ヘンリーはアーレスのメイクをし直してあげた。
元のイメージを壊さないように。細い筆を使っての繊細な作業であるが、数々の妻達を作って来たヘンリーにとっては簡単な作業である。
出来上がったアーレスのメイクにエストリアはヘンリーに抱き着いて、
「有難うございますっ。アーレス様が何だか前より綺麗になりましたわ。ああ…ヘンリー様って凄い。わたくし、ヘンリー様の事、もっと好きになりましたわ。」
「え?私の事が好きなのか?」
「え?そ、その…ごめんなさいっ。」
エストリアはそのままアーレスを抱き締めて、自分の部屋へ入ってしまった。
何とも言えぬ感じで眠れぬ夜を過ごすヘンリー。
翌日の朝は何とも言えぬ気まずい食事をして、エストリアは学園に行ってしまった。
悶々として一日を過ごす。
エストリアの事が頭から離れなかった。
エストリア…ああ…エストリア。
人形の妻たちも勿論愛しい。でも、彼女達は言葉をくれない。
でも、エストリアは微笑んでくれる。話しかけてくれる。
-わたくし、ヘンリー様の事、もっと好きになりましたわ。―
白い結婚を持ちかけたけれども私だってエストリアの事が…
そして、エストリアが学園から帰って来た。待ちに待った夜の食事時間の時、
ふいにエストリアが、学園であった事を話し始めた。
「今日は学園で、模擬のダンスパーティがありましたのよ。わたくし、ダンスは得意ですから、先生に褒められてとても嬉しかったのですわ。」
「それは素晴らしい。今度、王宮で夜会があるのだ。社交界デビューをしてみないかね?」
「え?本当ですか?わたくしが社交界デビューを?」
「勿論。私がエスコートしてあげよう。夫として当然の事だ。」
「有難うございます。ドレスは作ってよろしいのかしら。ヘンリー様は何色が好みですか?」
ヘンリーは、エストリアはどういうドレスが似合うか考え込む。
「君の綺麗な金色の髪に映えるドレスは、桃色のドレスかな…私の好みとしてはね。
今まで愛しい人形である妻たちのドレスをデザインし、業者に作って貰ってきたが、君のドレスも私がデザインしてあげよう。」
「ヘンリー様のデザインのドレスが着られるだなんて…素敵ですわね。」
ヘンリーは忙しい仕事の合間を縫って、エストリアのドレスのデザインをした。
業者に注文し、美しい桃色のドレスを作らせた。
エストリアに喜んで欲しい。彼女はこのドレスを着てどんな反応を見せてくれるのだろう。
「エストリア。君のドレスが出来上がった。是非とも着てみてほしい。」
袖や胸元に繊細なレースが施されていて、ふわりとした美しい桃色のドレスをエストリアが身に纏い、それを見たヘンリーは思わずエストリアに見惚れた。
「なんて美しい。私は君のような妻をエスコート出来るなんて鼻が高い。」
「わたくしも、こんな素敵なドレスを着て、社交界デビューが出来るなんて…」
「エストリア…。」
ヘンリーはエストリアを背後から抱き締める。
ああ…愛しい想いが止まらない。
「白い結婚を君に提案したが、私は撤回したい。君の事が頭から離れない。君はどうなんだ?」
「アーレス様の事は今でも愛しくて愛しくて。でも、それ以上に貴方の事が頭から離れませんわ。貴方の奥様達もアーレス様も大事にしながら、一緒に生きていきませんか?わたくしは、貴方と素敵な家庭を築きたいと思っておりますわ。愛しております。ヘンリー様。」
ヘンリーは正面からエストリアをぎゅっと抱きしめて、その唇に貪るようなキスをした。
その夜、ヘンリーはエストリアを自分の部屋に呼んで、二人は初めて夫婦としての一夜を過ごしたのであった。
エストリアの社交界デビューも無事に済まして、ヘンリーはエストリアと夫婦として幸せな時間を過ごしていた。
そんなとある日の事、二人で王都の高級アクセサリー店で買い物をしていた。
「レイラ様のお誕生日のプレゼント、耳飾りがいいかしら…」
「燃えるようなルビーの耳飾りがレイラには似合うからな。」
二人で耳飾りを見ていると、声をかけられた。
「お久しぶりですわ。ヘンリー様。貴方、エストリアなんかと結婚したの?」
カトリーナだった。かつての婚約者だった女性である。
ラピス王太子殿下に婚約破棄されたエストリア。ラピス王太子がエストリアを無視していたからと言う事は知れ渡ってはいるけれども、心を病んだ令嬢としてエストリアも有名になってしまっていたから、馬鹿にしたようにカトリーナは、
「わたくしなんて、レゴディス公爵夫人で、今、本当に幸せだわ。貴方と結婚しないで良かったわ。ヘンリー様。エストリアとヘンリー、お似合いよ。」
ヘンリーはエストリアの手を取りながら、
「ああ、お似合いの夫婦だと思う。私達は。今、とても幸せだよ。エストリアは君と違って妻達をとても大事にしてくれるからね。」
エストリアもにっこり笑って、
「今日はレイラ様のお誕生日プレゼントを買いにきたのですわ。」
「まぁ、あの人形のっ??相変わらずね。馬鹿じゃないの。」
フンとドレスを翻し、カトリーナは歩いて行ってしまった。
噂ではレゴディス公爵夫人になったカトリーナ、しかし、彼には愛人が数人いて、夫婦仲もあまりよくないとの事。
ヘンリーはエストリアを抱き締めて、
「私は君と結婚出来て本当に良かった。とても幸せだよ。」
「わたくしもよ。有難うございます。ヘンリー様。」
世間では私の事を変人と言うかもしれない。
でも私は今、最高の妻に巡り合えて、とても幸せな生活を送っている。
こんな男がいる事を心の隅にでも覚えておいてくれるととても嬉しい。
ヘンリーはエストリアとの間に可愛い子にも恵まれ、愛しい妻達とアーレスを大事にしながら、生涯幸せに暮らしたと言う。