波乱の婚礼
そしてようやく迎えた婚礼の儀。
王城内の教会で、王族と一部の者だけで儀式は厳かに取り行われる。
その後、広場に集まった国民の前で夫婦となった二人をお披露目、祝宴はまた後日城を挙げて盛大に開催される流れとなっていた。
この日の為だけにお針子達が精魂込めて作り上げてくれたドレスは、溜息が出るほど美しかった。
光沢のある白い生地に、小粒の真珠がたくさん縫い付けられ、ほんの少しだけ金の混ざった白い糸で細かな刺繍が施されている。
デコルテ部分や腕の部分は少しだけ透ける生地を使われているが、肌は直接はほとんど露出しておらず、花嫁の貞淑さを表現していた。
だがこれまでのアルベルトの行いを思えば、サクラだけが貞淑であることは不公平に思えて皮肉だ。
教会の扉の前で相対したアルベルトは、成人の王族が着る礼服に身を包んでいた。濃紺をベースにアクセントカラーに金飾り。いくつか功績を認められて授与された勲章や、普段は使っていない彼の持つ公爵位の紋章を象った飾りも付けられている。
「……とてもよくお似合いです」
サクラがお世辞というわけでもなくそう言うと、アルベルトはじろじろと彼女を見て頷いた。
「…………それだけですか?」
彼女は顔を顰める。
絶賛とまではいかずとも、己の為に着飾った花嫁に褒める言葉一つ掛けても罰は当たるまいに。
「お前はいつも美しい。それは純然たる事実だろう」
「……そんな言い方で、喜ぶ女性はいませんわ」
「俺は女を悦ばせることは得意な方なんだが」
「……本当に、どうしようもない方ですね」
サクラが胡乱な瞳で見上げると、何故かアルベルトはいつもの悪態が飛んで来ない。不気味な気持ちになって、彼女は首を傾げた。
「……何か、気になることでも?」
「ああ……長かったな、と思ってな」
小声で喋る内に、祭壇の方の準備が整ったのか合図が送られる。両側に控えていた侍従が扉のノブに手を掛け、大きく開いた。
その所為で、彼が何を長く感じていたのか聞きそびれた。
開かれた中から厳かな音楽が流れ、参列している人々は皆席を立った。サクラはアルベルトに手を引かれ、ゆっくりと祭壇へと向かう。
二人が幼い頃から知っている老司祭が正装に身を包み、祭壇の上で経典片手に待っているのが見えた。その向こうには国宝になっているステンドグラス。
天気の良い日で、ステンドグラスから差し込む光は七色に祭壇を彩っている。
乾いた木造の床を歩きながら、片手をアルベルトに引かれ、もう片方の手には大輪の花束を抱えてサクラはまた一歩、祭壇へと進んだ。
祭壇に辿り着くと、もう何度も練習させられた誓いの儀式を取り行う。
難しいものではないので、難なく終えると祝福するように老司祭が二人を見て頷いた。
「では、この婚姻に異議のある者はいませんか?」
司祭が定型文を口にすると、参列者は誰もが首を横に振る。筈だった。
「異議あり」
そう言って席を立ったのは、真っ赤なドレスに身を包んだ女性。
サクラは驚いて目を丸くした。本来、司祭が異議のある者がいないかどうかを確認するのは、形だけだ。けれど、古式ゆかしい儀式に則って、異議ありと言われた場合は婚姻が成立しない。
こんなクズ男と、だとか、国の為に、だとか様々な気持ちが溢れるが、それでも一番に浮かぶのは、アルベルトと結婚することが出来なくなった、という絶望だ。
真っ青になったサクラが身を震わせると、意外な程しっかりとアルベルトが彼女の痩身を支える。
「……殿下」
ハッとして彼の方を見れば、アルベルトは厳しい表情を浮かべていた。強い光の入った紫電の瞳は、赤いドレスの女性を具に観察している。
「……異議があるという、あなたは何者ですか?」
さすがに落ち着いている老司祭の声が、女性に掛かる。彼女は堂々と進み出ると、胸を反らして答えた。
「司祭様。わたくしは故マリソル男爵夫人、ターシャ・コーディと申します」
ターシャの名乗りを聞いて、サクラは驚いて再びアルベルトを見遣った。見覚えのある顔だと思ったら、この男の愛人の一人ではないか。
「……ではマリソル男爵夫人。本来ならば異議を申し立てた者にこの場で理由を問うことはせぬが、この婚姻は王命である。異議に値する理由が、あるのであろうな?」
落ち着いた嗄れた声が、言外にそうでないならば今すぐ異議を取り消すように促す。
ターシャはその意味が分かっていて尚、無視するつもりのようで、淑女の礼を取ると姿勢良くその場に立った。
「ええ。理由はございます。ラグドル公爵令嬢は王子妃に相応しくありません、何故なら稀人であるリリコ様に危害を加えたからです」
予想もしていなかったことを言われて、サクラは激しく動揺する。
凛々子に何があったのだろうか?この式には出席していないようで、視線を巡らせた限りでは彼女の姿を確認出来ない。
アルベルトにしっかりと抱えられながらも、サクラは眩暈を感じる。そうでなくとも多忙な日々、心身ともに疲弊していたというのに、さして難しい筈もない婚姻の儀式でこのような騒ぎになっていて、もういっそ気絶したい気分なのだ。
「リリコがどうかしたのか?」
アルベルトが問うと、ターシャは我が意を得たり、とばかりに話を続ける。
「サクラ様は、アルベルト殿下と親しいリリコ様に嫉妬していて、影で執拗な嫌がらせを行っていたのですわ」
言われた言葉に、ぽかん、とサクラは呆れた。
「……今更殿下が誰と親しくしたところで嫉妬などするものですか」
忌々し気にサクラが小声で悪態をつくと、それが聞こえたアルベルトは一瞬何とも言えない複雑な表情を浮かべる。
が、ターシャが再び喋り始めた為、すぐに真剣な表情に切り替えた。
「稀人であるリリコ様は丁重に扱われるべきお方なのに、会えば冷たい態度をとったり、こちらの風習に慣れないリリコ様がお困りなのを見て見ぬフリをしたり、時にはお茶会に招いて何も知らないリリコ様を笑いものにしたりしていたのです!証拠は、それぞれその場に居合わせたメイドや令嬢の目撃情報がありますわ!」
よくもまあ、見て来たかのように嘘を並べたてるものだと、サクラは呆れる。
誓って、彼女は凛々子に嫌がらせなどしていない、だというのに嘘の証言者まで用意しているのならば冤罪の捏造、王位継承権を持つサクラに対してならば立派に国家反逆罪だ。
「万が一嫉妬で誰かに嫌がらせをすることがあるとしたら、小物のマリソル男爵夫人から潰すに違いないでしょうに………潰しやすいところから潰す、効率の鉄則ですわ」
サクラは小声で呪詛を呟き続ける。
大勢の人の手と、国民の税金をかけて取り行われる儀式の邪魔をしたターシャに対して、彼女は怒り心頭だ。この話がどういう結末を迎えようと、サクラの矜持と公爵家の家名に賭けて、ターシャを潰すことを心に決めた。
ざわざわと空気が乱れる。
参列者達は互いに顔を見合わせて、ターシャの言い分が正しいのか、はたまた間違っているのか判断がつかなくて困惑しているのだ。公爵令嬢であるサクラが嫉妬により嫌がらせをしたとしても、一般の令嬢に対してならば醜聞にはなるかもしれないが大した罪にはならない。立場が違うからだ。
だが、相手が稀人の場合は別だ。
件の魔王を倒した聖女のこともあり、この世界の者にとって未知の存在である稀人に仇なす場合は、国に大きな被害を与えることも視野に入れなければならない。今回の稀人である凛々子は特段そういったこととは無縁の存在に見えているが、何が起こるかは誰にも予想がつかない。
「その稀人はこの場にいないようだが?」
参列者の声に、ターシャは芝居がかって頷く。
「ええ。きっとサクラ様がどこかに閉じ込めているのですわ、恐れ多い……」
そんなことを出来るわけがない。サクラは咄嗟にそう思ったが、それをこの場にいる者がどれほど分かってくれるだろうか。
サクラ自身は冤罪だと分かっているが、ターシャの用意した捏造の証拠や証言者を今から精査していくとすれば、その間サクラは容疑者であり続ける。
調べる事柄が多ければ多い程調べる時間はかかり、やがて長引けば誰もが知ることととなり事実であろうとなかろうと、確実に醜聞にまで育つのだろう。
人の噂の恐ろしさの根幹は、事実ではなくとも大多数が“そう”と認識することにある。
想像してサクラは眩暈を感じる。この婚姻を潰すには十分な理由になるだろう。
が、
「リリコ様ならば、こちらにおられますよ」