隠し事
それから季節は廻り、いよいよアルベルトとサクラの婚礼の儀が近づいてきた。
あれ以降、凛々子とは数度会う機会に恵まれたが、最近はめっきり見かけることがなくなった。アルベルトの執務室を訪れても、不在か、いたとしてもアルベルトに阻まれて言葉を交わすことは出来なかった。
そこまで大切ならば、本当に凛々子を妃として迎え入れればいいのに、とサクラは考えていた。
一度ならず父である公爵や、伯父である国王にも可能なのかとそれとなく聞いてみたのだが、何故か言葉を濁されてしまった。勿論自分の役目から逃げるつもりはないので、サクラとて王妃の責も仕事も全うするつもりではあるが、凛々子を日陰の身にはさせたくなかったのだ。
まさか結婚後、愛妾として囲うつもりなのだろうか?凛々子の稀人としての倫理観を把握していない為、サクラにはそれが彼女にとっていいことなのか判断がつかない。
悶々とする内にどんどん時間は流れ、城内は慌ただしくなってきていた。そして、何故かやや不穏な空気が漂っているような気がする。
サクラが王太子執務室に行くと今まで話していた話題が止まり、皆意識的に違う話を始めたり、部屋に入った途端何かを隠されたこともある。隠されている、と感じることはとても恐ろしく、サクラは段々と不安になってきていた。
「今日の分です」
メイドが3人がかりで書類を机の上に置いてくれる。
アルベルトの執務室には、今日は凛々子はいなかった。あの朗らかな笑顔を見ることが出来れば少しは心も落ち着くかと思ったサクラはアテが外れたことに意気消沈した。
珍しく執務机に着いて自分でも仕事をしていたアルベルトは、サクラのその様子を見て片眉を上げる。
「なんだ、今日は大人しいな」
「忙しくて怒る元気がないだけです」
実際、婚礼の儀に関することでサクラ自身も多忙であり、それはアルベルトも同じかそれ以上なのだろう。サクラは疲れていて、そして前述の件で少し疑心暗鬼になっていた。
「……花嫁がそんなシケた顔をしていては、国民を不安にさせる。今日はもう休め」
「……言われずとも、殿下に渡された仕事がなければとっくに休ませていただいておりましたわ」
シケた顔、などと言われて、もう今更傷つくこともないだろう、と思っていたサクラの心がぐしゃぐしゃになる。
誰の所為でこんなに忙しいのか。アルベルトと結婚する為だ。アルベルトの妃になるから、こんな風に仕事も押し付けられているのだ。
誰よりも幸せにする、と言ったくせに、サクラはアルベルトの所為でこんなにも辛い気持ちになっている。
それとも、あの幼い約束など、彼にはもうどうでもいいものなのだろうか?
「……なんだ、言いたいことがあるのならハッキリ言え」
アルベルトの、サクラと同じ色の瞳が剣呑な光を帯びる。一瞬彼女は怯んだが、どうせ結婚しなくてならないのだ、言いたいことはぶちまけよう、と口火を切った。
「言いたいことは何度も言ってますわ!ただ殿下がちっとも聞いてくださらないだけです!!」
サクラが声を荒げると、アルベルトは目を細める。
「なんだ急に。癇癪か、勘弁してくれ……」
「都合のいい時だけ利用して、何も教えてくださらないし……何も聞いてはくださらないのね!本当にひどい方」
サクラのアメジストの瞳から、涙が零れた。
気高く在れ、と育てられた公爵令嬢なのに、情けない。情緒不安定に陥っている自覚はあった。
本当にこの先、この男の伴侶となってしっかり支えていくことが出来るのか不安だったし、その役目はもっと相応しい人がいるのではないか、と考えれば考えるほど、では何故自分は仕事を押し付けられているのだ?という疑問に戻ってきた。
不安と不満。それをぶつけられる相手はアルベルトしかいないのに、彼は取り合ってはくれなかったのだ。
「……こんなことならあの時、エリオット殿下の手を取ればよかった」
つい当て擦りのつもりでサクラの口から零れた言葉に、アルベルトは異常に反応した。
「は?エリオット?お前、あいつと何かあるのか」
「……」
何もない。が、凛々子を囲い込んでいる男にとやかく言われたくなかったし、事実を言ってしまうのも嫌だった。
サクラが黙っていると、椅子を立ったアルベルトが彼女に詰め寄る。
「言え。エリオットと何があった」
「……言う必要ありますか?」
「命令だ」
パートナーだと思っていたのに、明らかに下位の扱いをされてサクラの矜持に火がつく。
「お忘れにならないで、王太子殿下。私は王位継承権を持つ公爵令嬢です、権力で捻じ伏せられる程この地位は低くはありません」
チッ、行儀悪く舌打ちをしたアルベルトに、ぐいっと腕を掴まれてサクラは慄いた。
アルベルトは背が高く、訓練も欠かさない為体格もいい。全力で抵抗しても、サクラの力ではびくともしないことがすぐに分かって恐ろしい。彼女の瞳に、恐怖と悲しみで涙が膜を張った。
それを見たアルベルトは思わず彼女の痩身を抱きしめる。
「離してください!」
「馬鹿が!離せるものならとっくに離している!」
怒鳴られて、その訳の分からなさにサクラは混乱する。
久しぶりに抱きしめられた彼の腕は温かく力強かったが、小さく震えているようだった。
それが怒りからなのか、なんなのか、サクラには推し量ることが出来ない。何も、教えられていないから。
「……ひどい王子様ですわ」
「だろうな」
「もう愛想も尽きました」
「……好きにしろ」
「っ……!」
そっと体を離すと、彼らは至近距離で見つめ合う。
驚いた所為で、サクラは不思議な程心が落ち着いているのを感じる。先程までぐちゃぐちゃだった心は、ぶちまけた所為なのか、随分とすっきりとしていた。
そして己と同じ色のきらめく瞳に、強い意志を感じ取ってサクラは溜息をつく。全く納得していないし、許していないけれど、どんな目に遭わされようと、アルベルトはサクラの婚約者であり、そして彼は王太子なのだ。
確実にアルベルトはサクラに何かを隠していて、それは王城の不穏な空気に関係している。
これほど感情を乱していても何も言わない、ということはそれが何であれ王太子としてサクラに言うことが出来ないのだと言うこと。
ただ彼女に不満があったり、凛々子と婚約を結びたいと思っていれば、アルベルトはさっさと口にしている筈だ。そんなことを遠慮する可愛らしい性格の男ではないことは、十二分に知っている。
それで何もかも不安が消えるわけではないが、幼い頃からの彼女の知っているアルベルトをもう一度信じてみよう、と決めた。
「……このクズ」
けれどどうしても何か悪態をつかずにはいられなくて、サクラが潤んだ瞳で睨みつけながらそう言う。
意図していなかったことだが、何故かひどく甘ったれた声が出てしまった。
それを見て、アルベルトは皮肉っぽく唇を吊り上げて哂う。
「やめろ、興奮するだろう」
「ヘンタイ!」
サクラは思いっきりアルベルトの体を押して、その拘束から逃れたのだった。