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続 日韓大戦  作者: 独楽犬
第三部 反攻の章
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一.情勢は徐ら好転せり(前)

 と言うわけで、新年第1弾は日韓大戦です。長ったらしい説明回で、しかも前後編という有様ですよ(苦笑)

熊本市郊外 健軍駐屯地

 九州一帯の防備を担う西部方面隊。その司令部は熊本市内にある健軍駐屯地に置かれている。その司令部は今、人が溢れて人口密度が普段以上に高いようだ。それもその筈で、健軍駐屯地には西部方面隊の司令部だけでなくアメリカ陸軍第1軍団と同じく海兵隊の第3遠征軍司令部が同居しているのだ。北九州有事勃発から12日目の夜、自衛隊は米軍と共に反攻の準備を整えつつあった。

 その司令部の会議室には日米両軍の主要な指揮官が集まっていた。

 自衛隊からは統合幕僚長である神谷陸将、陸上幕僚長である剣持陸将、西部方面隊総監、航空自衛隊から西部航空方面隊司令官、海上自衛隊からは自衛艦隊司令官の富田海将の5人。

 アメリカ軍からは在日米軍司令官であり在日米空軍を統括する第5空軍の司令官であるチャールズ・アトリー中将に、第1軍団司令官、第7艦隊司令官、第3海兵遠征軍司令官の4人が集まった。

 勿論、その目的は反攻作戦の計画を練ることにあった。

「日本時間において明日未明、第3機甲騎兵連隊の集結をもちましてアメリカ陸軍の準備は整います」

 第1軍団司令官が自分の配下の部隊の準備状況について説明をしていた。アメリカ陸軍は3個の旅団級部隊をもって高麗軍との戦闘に臨むつもりであった。



 第25歩兵師団第2“ウォリアー”旅団はストライカー旅団戦闘群で、3個の歩兵大隊を基幹とする戦闘団でありストライカー装甲車を装備する。現在は熊本市内各地に分散して待機しており、出撃命令を待っている。

 対して第25歩兵師団第3“ブロンコ”旅団は歩兵旅団戦闘群であり、2個歩兵大隊を基幹として諸兵科連合部隊となっていて、砲兵大隊の榴弾砲以外にこれといった重装備を保有していない軽歩兵部隊である。現在は海兵隊部隊とともに佐世保基地の警備についていて、既に背振山地の戦いに一部部隊を参加させて高麗軍との戦闘を経験している。

 そして最後の部隊として派遣されるのが第3機甲騎兵連隊“ブレイブライフルズ”だ。これは現在のアメリカ陸軍において重旅団戦闘群に分類される。しかし他の重旅団戦闘群が戦車と機械化歩兵から成る2個機械化大隊と1個偵察大隊を基幹とするのに対して、ブレイブライフルズは機械化諸兵科連合部隊である騎兵大隊3個から成り、さらに第4大隊として航空大隊を保有する。航空大隊はAH‐64Dロングボウ・アパッチを装備し、強力な打撃力を連隊に与えている。

 第3機甲騎兵連隊は元々は冷戦時代に強力なソ連軍部隊と渡り合う為に編制された部隊で、今でもその当時のままの打撃力を維持している。現在のアメリカ陸軍において最強の機甲部隊なのだ。

 そして、これらの3個部隊はすべて戦場データリンクシステムFBCB2に対応したハイテク部隊であり、最小限の兵力ながら高い戦闘能力を発揮することが期待された。



「それで作戦地域の分担は昨日、話し合ったとおりでいいのですかな?」

 説明を終えた第1軍団司令官が西部方面総監である平泉陸将に尋ねた。分担とは、この健軍駐屯地に集まった3つの司令部がそれぞれどの地域を担当するかについてである。

 現在の案では九州新幹線の路線より西側が第3海兵遠征軍の担当で、背振山地の防衛と唐津方面からの攻撃を指揮する。西部方面隊は九州新幹線と三郡山地の間、大宰府正面から福岡方面へ北上する。第1軍団は三郡山地の東側を担当し、これまで激戦の舞台となった飯塚市や周防灘に面する行橋市を起点にして北九州市の解放を目指すというものである。各司令部は担当地域にある部隊は全て指揮する、自衛隊か米陸軍か海兵隊か所属は関係なくにである。

「その方針で結構だ。海兵隊ないしアメリカ陸軍の担当地域にある自衛隊部隊は両司令部の指揮下に入ることに合意する」

 剣持陸幕長が頷いて返事をした。配下の部隊の指揮を他国軍に委ねることに抵抗はあったが、指揮系統の統一の為にはやむをえないことであった。

 現在、陸上自衛隊は元より九州に配置されていた第4師団、第8師団も含めて5個師団、2個旅団、1個空挺団を戦場に投入している。



 まず第4師団は緒戦で第40普通科連隊を失い、第41普通科連隊が戦闘団を組んだ状態で師団とは独立して行動しており、事実上2個連隊編制の旅団となっていた。しかも第19普通科連隊は開戦以来の相次ぐ激闘で多くの戦力を喪失しており、戦力として期待できるのは第16普通科連隊くらいのものであった。

 その第4師団は2個連隊ともに唐津付近に配置されて、高麗軍の西進を阻止するとともに福岡奪還の機会を窺っていた。第4特科連隊の主力と10式戦車を14輌配備する第4戦車大隊第2中隊という強力な打撃力を配下に持っており、兵力は少ないけれども強力な戦力を維持していた。

 一方、東北方面隊から来援した第6師団は第19普通科連隊から背振山地の防備を引き継いでいた。

 第6師団は3個の普通科連隊を基幹とする部隊で、そのうち第22普通科連隊と第20普通科連隊は戦車中隊や施設中隊などの支援部隊の配属を受け、戦闘団を編成していた。そして第22普通科連隊戦闘団は第19普通科連隊が守っていた国道385号線が通る坂本峠を、第20普通科連隊戦闘団は西部方面普通科連隊が守っていた国道263号線の通る三瀬峠の防備を引き継いでいた。

 一方、師団司令部は佐賀市郊外に布陣して、第6特科連隊の全部隊を統一指揮して前線を守る2個連隊戦闘団に火力支援を提供すると共に、予備戦力として第44普通科連隊を手元に置いてた。

 かくして前よりはるかに強固な防御を背振山地に敷いた第6師団であるが、第6戦車大隊が2個中隊編制で両中隊とも前線の戦闘団に配属してしまって、予備の戦車が存在しないことが頭痛の種だった。

 第4師団と第6師団は第3海兵遠征軍の指揮下に入ることになる。



 一方、西部方面隊の担当地域では第8師団が戦っていた。第8師団は高麗軍の第三次攻勢を退け、元の防御陣地に戻っていた。ただ敵の突撃を真正面から受け止め、連隊本部が潰走するなど大きな被害を受けた第42普通科連隊は第43普通科連隊の陣地を交代して、太宰府市と宇美町の境界一帯の守りについた。代わって第43普通科連隊が第24普通科連隊とともに大宰府正面の守りについた。そして第12普通科連隊は引き続き筑紫野市の防衛線を守っていた。

 今のところ西部方面隊の担当地域で戦う部隊は第8師団のみであるが、西部方面隊は総予備となっている第7師団を福岡奪還作戦の主力として投入するつもりであった。



 その東の第1軍団担当地域では第10師団、第41普通科連隊戦闘団、第14旅団が配置されている。

 第1空挺団から飯塚の防備を引き継いだ第10師団は3個の普通科連隊を基幹とする師団で、第14普通科連隊が飯塚市の北方に、第35普通科連隊が西方にそれぞれ配置されて守りについた。第33普通科連隊は飯塚市中心部で予備戦力となっている。

 本州の中央、中部東海地方に本拠地を構える第10師団は有事の際に各地へと来援に向かう戦略機動部隊として戦力を整え、高い戦闘能力を保持している。砲兵は4個大隊40門の155ミリ榴弾砲を保有する特科連隊、戦車大隊は74式戦車3個中隊を配備する。今回はそれに加え、第4師団から配属された第4戦車大隊第1中隊の残存戦車、10式戦車9輌も戦列に加わっている。

 飯塚市中心部から小高い山々を挟んだ東側にある田川市。そこには第41普通科連隊戦闘団が配置されていた。この戦闘団は第4師団の第41普通科連隊に、第4戦車大隊第3中隊の74式戦車や第4特科連隊の1個大隊などの支援部隊を配属したもので、高麗軍の第二次攻勢では見事に飯塚市を守ってみせた。

 そして今は田川市の中心部に配置され、高麗軍が直方市方面から彦山川に沿って南下してきた場合、もしくは小倉から国道322号線を南下してきた場合に対処し、東の行橋市と西の飯塚市を結ぶ国道201号を守ることを任務としている。

 その東側は四国から増援として派遣された第14旅団が守っている。行橋市内に司令部を構えた第14旅団はもともと2個連隊編制であったが、中央即応連隊を配属されて3個連隊体制となっていた。旅団司令部は配下の第15連隊と第50連隊を行橋市の北へ進出させて陣を構えさせた。

 主力である第15普通科連隊は国道10号線などの街道の通る海沿いを担当する。行橋の北に隣接する苅田町に第14戦車中隊とともに防衛線を敷き、南下してくる敵を阻止する。市街地を見下ろせる高城山―自衛隊内では作戦の都合により標高から406高地と呼称―を確保しており、有利に戦えると見られていた。

 一方、第50普通科連隊は苅田町と北九州市の境の山々を確保に向かっていた。標高531メートルの水晶山、標高582メートルの塔ヶ峰、そして標高712メートルの貫山。こうした山々の向こうから高麗軍が攻めてくるとは考えられなかったが、山頂からは北九州の一帯を一望できる戦略的な要衝であり、自衛隊として絶対に確保しておきたい場所であった。

 そして第14旅団に配属されている中央即応連隊は行橋市内で予備戦力として待機中であった。しかし、彼らに与えられた役割はただと予備兵力に留まらない。海外派遣の先遣や対テロ・ゲリラ戦に用いる精鋭として組織され、軽装備であるものの最新の装備を備え、基幹連隊指揮統制システムReCsまで備えた彼らを陸上自衛隊は北九州における市街戦に投入する計画であった。中央即応連隊はそのときに備えて、訓練に励んでいた。



 そして西部方面隊は予備戦力として第7師団、第12旅団、第1空挺団、西部方面普通科連隊などの部隊を待機させていた。

 第7師団は90式戦車の4個中隊から成る第71、第72、第73の3つの戦車連隊と、陸上自衛隊で唯一の完全機械化歩兵部隊である第11普通科連隊を基幹戦力とする機甲師団であり、対高麗戦の切り札として九州に投入されている。既に一部の部隊が高麗戦に投入され、その打撃力を示した。

 第12旅団は3個連隊編制から成る空中機動旅団に分類され、戦車のような重装備は持たないが、ヘリコプターが他の部隊に比べて厚く配備されている。ただ予算不足の為にヘリコプターの配備が十分に進まず、本格的なヘリボーン作戦に投入するには増援が必要だが、陸上自衛隊の中では特にヘリボーン作戦に秀でた部隊であることは間違いない。

 第2普通科連隊は高麗軍の第3次攻勢において敵の進撃を阻止する為に、久留米を背にして陣を敷いて激闘し、少なくない損害を負ったが、残る第13普通科連隊、第30普通科連隊は無傷である何時でも投入することが可能になっていた。島嶼防衛の為に編制された西部方面普通科連隊とともに対馬や壱岐など占領された島嶼部の奪還作戦に投入されることが計画されている。

 飯塚市防衛を第10師団に託して予備にまわった第1空挺団も高麗軍の第2次攻勢での戦いで幾らか被害を受けたが、こちらも配下の3個大隊は何れも戦場に投入できる状態である。



 これらが戦場における陸上自衛隊の現状であるが、更なる増援部隊の派遣も進められている。第二次増援計画の対象となっているのは北部方面隊の第2師団、中部方面隊の第3師団で、どちらとも中央即応連隊と同様にReCsシステムの配備が完了しているハイテク部隊だ。ただ増援部隊の到着を待たずに奪還作戦の開始する手筈になっている。

「なるほど。陸上自衛隊は準備を完了しているという事ですね」

 剣持の説明を聞いたアトリー中将が尋ねると、剣持は頷いて肯定した。

「それでは海空の準備はどうなっていますか?」

 感想欄でご指摘がありました、前話の誤字を訂正させていただきました。

 ちなみに本文中に登場する各部隊は現実の状態と異なる場合があります。

 英語版wikiによれば第3機甲騎兵連隊の航空大隊は2006年に廃止され、一昨年にストライカー装甲車を装備する偵察大隊に再編されたそうですが、それだとつまらないので航空大隊のままに。

 それに第4師団特科連隊の大砲数であるとか、第7師団戦車連隊の戦車中隊数とか、実際の自衛隊より少なく設定しております。これは今後の陸上自衛隊の軍備縮小を織り込んだものです。



 自民党の政権奪還で防衛費増額への期待が増しておりますが、陸上自衛隊が重視されるか否か不明確な状況です。海空重視で劇中の陸自のようにならなければ良いのですが…

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