五二.反撃の狼煙
というわけで、ようやくですが第2部完結です。
アメリカ東部標準時7月4日午前5時 ホワイトハウス
ホワイトハウスはいくつかの棟から構成されるが、一般的にホワイトハウスと言われて思い浮かべるのはエグゼクティブ・レジデンスだろう。大統領の邸宅であり、条約締結などの重要な式典が催されるエグゼクティブ・レジデンスはまさにホワイトハウスの顔であった。
この日の朝、エグゼクティブ・レジデンスの前に広がる庭園サウス・ローンに大統領の演説台が組み立てられていた。その周りには既に報道陣が集まっている。
今日はアメリカの独立記念日である。1776年にアメリカ独立宣言が署名されてから239年目の日なのだ。アメリカでは独立記念日は毎年、盛大に祝われており、大統領がサウス・ローンで演説をするのも恒例のことであるが、今日の場合はいささか時間が早すぎた。
大統領は突然、報道各社に対して毎年恒例の演説とは別に、早朝に演説を行うことを通達してきたのだ。というわけで、早速、ホワイトハウスに駆けつけた取材班達であったが、一般市民の姿は疎らだった。取材班達はこれが独立記念日の大統領演説をやる場所なのかと思わずにはいられなかった。だが、今、演説をしなくてはならない理由については想像がついた。
すると大統領が姿を表した。厳かな表情をして演説台に向かって歩いてきた。取材班達は一斉にカメラのフラッシュを焚いた。激しいフラッシュの中、大統領は演説台の前に立った。大統領は集まった報道陣を見渡しながら言った。
「皆さん、こんな朝早くに集まっていただきありがとうございます。今日は独立記念日です。しかし、世界は相変わらず“素晴らしい”とは言いがたい状況です」
演説が始まった。最初の一言で記者達は演説の内容を十分に推測することができた。
「地球の裏側で我が国の同盟国である日本が軍事的な攻撃を受けています。アメリカは国際連合に働きかけ、戦闘状態の停止を求める決議案を可決させました。しかし日本を攻撃する高麗連邦は提案を跳ね除け、日本では現在も戦闘が続いています。そこで我々は同盟国に対して何ができるでしょうか?」
日本時間7月4日午後6時 首相官邸
首相官邸には烏丸首相を中心とした閣僚達と、それに統合幕僚長である神谷陸将を筆頭に陸海空の幕僚長が集まっていた。集まった理由は閣僚達が北九州有事の最新の状況説明を受ける為であるが、この時はみんなテレビで演説をする大統領に意識を向けていた。
『アメリカ合衆国は建国以来、1つの使命を背負ってきました。それは自由と民主主義の世界を守ることです。その為にアメリカは戦場に兵士を送り込み、多くの犠牲の上に使命を遂行してきたのです』
演説を聞き入る烏丸に橋本外務大臣が耳打ちした。
「先ほど、駐米大使がアメリカの国防長官から前線部隊に命令を発したことを説明されたと報告が入りました。アメリカ軍が行動を開始しました」
「いよいよ、始まったのか」
烏丸が感慨深げに漏らした。橋本に続いて菅井官房長官が烏丸に耳打ちした。
「総理。我々も会見を開く必要がありますね」
日本時間7月4日午後6時 熊本市内
桜井雄一の恋人、荻原里美は熊本市郊外にある友人の青野由紀夫の実家に身を寄せていた。彼女と友人たちはそれから今日まで青野家を家事を手伝いつつも、テレビやインターネットを頼りに戦況を見守っていた。
そして、この時はテレビでは大統領の演説が中継されていた。アメリカ大統領の演説なので、当然ながら英語で行われていたが、同時通訳が行われいたので内容を苦も無く把握できた。
『そして今、我々の同盟国が卑劣な攻撃を受けています。日本は第二次世界大戦以来の友好国であり、民主主義と自由の精神をアメリカと共有してきました。その日本が今、危機に瀕しているのです。我々がすべきことは1つしかありません』
「いよいよアメリカ軍がやって来るのか…」
青野が険しい表情で呟いた。
「激しい戦いのなるのかな?」
青野の隣に座る斉藤美緒も心配そうな表情で漏らす。一緒にテレビを見ていた荻原は2人の言葉を聞いて恋人の身を案じて居ても立ってもいられなくなったのか、立ち上がってそのまま部屋を出てしまった。
「里美さん!」
一緒に大統領の演説を見ていた水谷知世も立ち上がって荻原の後を追った。
部屋を飛び出した荻原里美は廊下の窓の前に立ち止まり、外を見つめていた。
「里美さん?」
知世が声をかけると、荻原は外を眺めたまま口を開いた。
「雄一は戦っているのよね」
震えた声で口にする荻原。その目から涙の雫が零れていた。それを見た知世はそっと荻原の背後にまわり、彼女の身体を後ろから抱きしめた。
「大丈夫だよ。雄一さんは死なない」
日本時間7月4日午後6時 東京都内
深海真は名古屋の弟のアパートを離れ、東京の自宅に戻っていた。軍事系雑誌の製作に関わっている真は東京に戻ってきてから大忙しだった。なにしろ取材すべき対象がいくらでも存在している状態なのだから。
というわけで、深海真は土曜日にも関わらず職場で大統領の演説を見ることになった。
『我々は祖国が課せられた使命の為に戦わなくてはなりません。それがアメリカの背負った運命なのです!かつて先人達が歴史に刻んだように、我々も自由の庇護者として戦わなくてはならないのです!』
「すげえ自画自賛」
深海真は大統領の演説を聞いてそんな感想を抱いた。国内向けの演説とは言え、よくもまあ自国の歴史をここまで美化できるものである。まぁ日本が謙虚すぎるだけかもしれないが。そんなことを考えつつも、真は大統領の演説に見入っていた。
いよいよ米軍が介入する!それを思うと真は焦燥感を抱いた。彼は現地に行って取材をしたい、と考えていた。名古屋で日韓開戦以来、それを上司に訴え続けてきて、しばらく名古屋に留まっていたのもそれが理由であった。しかし、危険だからと上司にやんわりと拒否され東京に戻ったわけであるが、それでも実際に現場へと赴きたいという思いは消えなかった。
日本時間7月4日午後6時 北九州市郊外 皿倉山中
緒戦で壊滅した陸上自衛隊第40普通科連隊の生き残りである平坂2等陸曹は、相変わらず孤独な戦いを続けていた。地元市民の援助を受けつつ、高麗軍の追撃から逃げ続け、市内を見下ろす皿倉山の中腹に拠点を築いていた。
この時、平坂は巧妙に擬装された塹壕の中で横になり、ラジオに耳を傾けていた。ラジオは私服―市民からの援助の1つ―を着て市内の偵察へと向かった時に、略奪を受けて無人になっていた家電量販店で見つけたものであった。
彼は今後の方針を決めあぐねていた。高麗軍の後方警備が厳重とは言えなかったが、それでも友軍の援助を受けられない中で単独行動を続けるのは危険である。しかし、前線を突破して友軍と合流するという選択もなかなか危険が伴うものである。前線の状況が分からず、友軍の現在位置も分からないという状況が脱出という選択を選ぶことを平坂に躊躇させていた。
するとラジオからアメリカ大統領の演説が聞こえてきた。同時通訳が行われていて、演説の内容を瞬時に把握することができた。
『私は日米安全保障条約に基づき、軍に対して日本の安全を守るためのあらゆる手段を行使することを命じました。現在、アメリカ軍が行動を開始しています』
アメリカ軍が来るのか…そう思うと、なぜか楽観的な気分になってきた。
「戦うか」
アメリカ軍が介入したとなれば、遠くない将来に自衛隊とともにここまでやって来る。だとすれば、ここに留まって戦闘を続け、高麗軍の背後を脅かすのが彼のやるべき事のように平坂は感じた。
日本時間7月4日午後6時 壱岐空港
高麗に占領された壱岐と対馬は高麗空軍の活動拠点になり、壱岐空港には常時、F-15Kの部隊が待機していた。
自衛隊との戦闘を通じて高麗空軍は損害を積み重ねていた。航空自衛隊が反撃に備えて戦力の温存を図って積極的な攻撃を加えてこなかったこともあり空中戦での被害は少なかったが、その代わりに自衛隊の防空ミサイルの猛威が高麗空軍を襲った。F-15Kもこれまで2機が撃墜され、2機が大破して戦線から離脱した。
F-15Kのパイロットであるシン・フンス大尉と、兵装士官のオ・ラクスン少尉も戦闘の緊張で憔悴していた。そこに入ってきたのが米軍介入のニュースだった。
『既に陸海空軍の部隊が日本へ展開し、高麗軍との戦闘状態に入っています』
「アメリカ軍が来るのか!」
大統領の演説を見てシンの表情はますます険しくなった。自衛隊も手強い敵であるというのに、アメリカ軍まで来るとなると一体戦いはどうなるというのか?シンは絶望的な気分になっていた。
「なぁに、きっと何とかなるさ!」
ラクスンは楽観論を言って見たが、内心ではシンと同じように絶望的な気分になっていた。
日本時間7月4日午後6時 北九州市内高麗軍拠点
高麗軍上陸部隊の主力が南下して自衛隊と激突している中、開戦時に先陣を切って上陸した空中襲撃旅団と特殊部隊は後方警備の任務についていた。開戦から今に至るまで両軍は激突を繰り返しているが、空中襲撃旅団の1個大隊が6月27日の攻勢に参加したぐらいで戦闘にはほとんど関われなかった。それが彼らの不満となっていた。
どうも司令部は特殊部隊や空中襲撃旅団の活用に熱心ではないようだった。やはり機甲部隊出身者を中心に構成されている故に特殊部隊を軽視しているのか、それとも軽歩兵部隊に北朝鮮出身者の多いからだろうか。
フラストレーションが溜まっている軍人の1人に、北朝鮮出身の特殊部隊指揮官ドン・テヒョン少尉が居た。このとき彼は野営地のテントの中でテレビを点け、大統領の演説を見ていた。
『彼らが同盟国の平和を回復し、自由主義世界を脅かす膨張主義を世界から一掃してくれる筈です』
周りの特殊部隊隊員たちが米軍参戦のニュースに顔を険しくさせる中で、ドン・テヒョンは微笑んでいた。
「これで奴と戦うチャンスができるな」
米軍が介入するとなれば、いよいよ戦線は崩壊して彼ら特殊部隊も前線で戦うことになるだろう。そうなれば腹心の部下を殺した敵の狙撃手に報復をするチャンスが生まれるかもしれない。後方で部下の復讐もできずに不満を溜めていた彼の心は今、踊っていた。
アメリカ中部夏時間7月4日午前4時 テキサス州フォート・フッド
メキシコ湾に面するテキサス州の中央部、ベル郡キリーン市にアメリカ陸軍最大の基地であるフォート・フッドがある。その面積は佐渡島の総面積を上回る880平方キロメートルで、その広大な土地にアメリカ陸軍最大にして最強の機甲部隊である第3軍団の司令部が置かれているのだ。
その基地の一角に朝早いにも関わらず兵士達が整列していた。彼らの前には巨大なスクリーンが広げられていて、そこに大統領の演説の様子が映されていた。
『戦場で戦う我が国の将兵達に神の加護があらんことを!以上です』
演説が終わるまで将兵達は微動だにすることなく見入っていた。数日に渡る演習の最後を飾った夜間戦闘訓練の後にも関わらずだ。
演説が終わると、映像の中継が止まり、スクリーンを照らすプロジェクターの電源が切られた。代わって基地の照明が燈され、早朝の薄暗い中で将兵達を明るく照らす。
「諸君。聞いての通りだ。我が連隊はこれより戦場に向かうことになる。覚悟は出来ているか!」
スクリーンの前に部隊の指揮官であるジョン・ガーナー大佐が現れて将兵に向かって怒鳴った。将兵達は揃って“サー、イエッサー”と返した。
「よろしい。装備は既に日本に到着しつつある。後は我々が向かうだけだ!続け!」
将兵の近くに軍のバスが停まっていた。将兵達を日本に向かう飛行機の待つ飛行場まで連れて行くバスの群れである。その群れの先頭にはハンヴィーが停まっていて、ガーナー大佐は迷わずそのハンヴィーに乗り込んだ。
「連隊旗を掲げよ!」
ガーナー大佐が命じると、ハンヴィーの助手席で待機していた兵士が車を降りてボンネット横に括りつけたポールに1枚の旗を結びつけた。第3機甲騎兵連隊の連隊旗だ。
「ブレイブ・ライフルズ!前進!」
ガーナー大佐の号令と同時に、第3機甲騎兵連隊の将兵達を乗せたバスが次々と発進していった。アメリカ陸軍第3の旅団がいよいよ戦場に向けて出撃していった。
2015年7月4日、いよいよ反撃の時が来たのである。
次回より第3部、反攻の章が始まります。第2部は第1部とは独立した小説として連載を開始しましたが、以降は新たな小説として投稿するのではなくて章管理機能を使っていきたいと思います。それでは第3部もよろしくおねがいします。