五〇.アメリカの影
国道385号線 第22普通科連隊陣地
7月3日が終わろうとしていた。雨は止み、空には星が見える。その星空の下で第6施設大隊の部隊が第22普通科連隊の増援も得て、架橋作業を進めていた。
第19普通科連隊から南畑ダムの北、S字カーブの陣地を受け継いだ第22普通科連隊であったが、陣地の目の前にある国道の橋は破壊されたままで今後の作戦計画に支障が出そうだった。そこで親部隊である第6師団の師団工兵、第6施設大隊の助力を得て橋を再建しようというのだ。
再建と言っても鉄パイプの骨組みとパネルを組み合わせた仮設の橋で、その作業は急ピッチで進んでいた。
そんな最中、陣地の北へと進出して高麗軍の動向を警戒している前哨部隊から緊急の連絡が入った。
『不審な車輌が接近している』
南畑発電所の脇 前哨陣地
前哨陣地に詰めているのは連隊本部直属の斥候部隊である情報小隊であった。暗視装置を使って道を監視していると、こちらに向かってくる車を一台発見した。
「高麗軍ですかね?」
「単独で偵察か?」
近づいてくると車輌の輪郭がはっきり分かるようになった。
「まて!あれは高麗軍じゃない!」
そう言うと指揮官は赤外線を発する特殊なランプを手にして陣地を出て、近づいてくる車輌に向けてランプを照らした。すると問題の車輌が前哨陣地の前で停車し、助手席から長身の男が出てきた。
「海兵隊のワトソン少尉だ。君は自衛隊でいいのかな?」
自動車はアメリカ軍の新型軽装甲車両JLTVだった。ワトソンら偵察チームは約1週間の偵察任務を終えて帰途についていた。
「そういうわけで通行許可を頂きたいのだが?」
そう尋ねるワトソンに前哨陣地の自衛隊員は苦笑いした。
第22普通科連隊陣地
崩れた橋の復旧作業を前にしてワトソンらアメリカ海兵隊斥候チームは途方に暮れていた。仮設橋の準備は急ピッチで進んでいたが、まだ装甲車両が走れる状態では無かった。
「参ったなぁ」
「別ルートを探しますか?」
説明をしていた第22普通科連隊の2尉の提案に対してワトソンは首を振った。
「いや。急いでいるわけでもないし、このペースならそのうちに開通するだろうから、待たせてもらうよ」
それから再び落ち着いて作業の様子を眺めていると、自衛隊の工兵部隊のプロフェッショナルな動きにワトソンは感嘆した。ほとんど灯りの無い中で黙々と作業を続ける隊員達を頼れる存在だと感じていたのだ。
「もしよろしければだが。手伝えることはあるかな?」
ワトソンの提案に、対応する自衛隊員は目を白黒させた。困惑する隊員にワトソンは重ねて言った。
「私も彼らの役に立ちたいのだ」
作業をする施設隊の隊員達を指さして迫るワトソンの熱意に押されて、隊員は彼を作業を仕切る施設隊の指揮官のところへ案内した。その後ろではマルキーニ、トリガー、ヒューイットの3人が互いに目配せして笑顔で頷きあってから、無言で続いた。
熊本空港
熊本市街から北東20km、阿蘇山の麓に熊本空港があった。陸上自衛隊高遊原分屯地が併設されていることもあって、有事が始まってからは民間航路は全て封鎖され、専ら自衛隊の拠点として使われている。
そこにアメリカ空軍のマークをつけた大型機が次々と着陸しては去っていくようになった。機種はKC-10やKC-46といった空中給油機がほとんどだったが、チャーターした民間旅客機の姿もあった。
DC-10旅客機の軍用型であるKC-10にしろ、KC-767のアメリカ版であるKC-46にしろ給油用の油槽の他にも貨物、人員用のスペースがあり、そこに物資や兵員を載せることで輸送機としても活動することができた。
これらの機体が運んできたのは人員だった。ハワイのスコフィールド・バラックス基地から第25歩兵師団第2旅団の将兵達を運んできたのである。
彼らは3個歩兵大隊と1個騎兵大隊、1個砲兵大隊、1個支援大隊の合計6個大隊と諸々の部隊から編制される典型的なストライカー旅団で、彼らの装備は直線距離で40km離れている八代港にある。第1護衛隊群に護衛されていて船団に積まれているのだ。
移動の為の手段は自衛隊側が用意した。それは有事法制にもとづいて徴用した地元の観光バスであった。普段は観光客を乗せて阿蘇山巡りなどをしている運転手達は、完全武装の米軍兵士を乗せることになって面食らっているようだった。運転手だけで良かったのに、なぜかバスガイドまでついてきた会社もあったが、当然ながら観光案内などやる雰囲気ではなくガイドも終始黙ったままだったという。
かくして日付が変わるころには兵士達が続々と八代港に到着していった。そこでは第1護衛隊群によって護衛されてきた船団が停泊し、載せていた装備品が次々と下ろされていた。その主要なものは8輪の装輪装甲車ストライカーであった。
21世紀のアメリカ軍の展開能力を支える新兵器として導入されたストライカー装甲車は、各地の紛争に初動展開する軽歩兵部隊に装甲防御と機動力を与える目的で開発され、戦闘部隊を構成する様々な兵科の為に多くの派生型がある。
基本型である装甲兵員輸送車型M1126ストライカーICVをはじめ、指揮車M1130ストライカーCV、偵察車M1127ストライカーRV、自走迫撃砲M1129ストライカーMC、そして自走歩兵砲であるM1128ストライカーMGSなどだ。将兵達はこうした装甲車に次々と乗り込んでいった。
7月4日未明、アメリカ陸軍2番目の旅団が日本に展開を完了した。
青森県三沢飛行場
本州最北の軍用飛行場である三沢基地は航空自衛隊の他、アメリカ空軍が使用しており、第35戦闘航空団が常駐していた。
第35戦闘航空団はF-16を装備する部隊で、F-15を装備する嘉手納の部隊が制空、防空を担当するのに対して第35戦闘航空団はソ連に対する攻撃任務を担当した。特に重要な任務とされているのがSEAD、すなわち防空網制圧任務だ。
敵防空網制圧とは、こちらの攻撃機部隊を狙う敵の地対空ミサイルやレーダー網を無力化する任務のことであり、空軍の受け持つあらゆる任務の中で最も危険が大きく、それ故にヒーローミッションの異名を与えられている。
7月4日の早朝、その第35戦闘航空団を構成する2つの飛行隊のうちの1つ、第13戦闘飛行隊に召集がかかった。
三沢基地のパイロット達は当然ながら日本と高麗との間の戦争について知っていたので、近いうちに戦場へ向かうであろうと皆が考えていた。訓練の時間が増やされ、また誰もがいつも以上に身を入れて訓練に励むようになっていた。その訓練の多くがSEAD任務の訓練に費やされていた。
そして早朝の召集に第13戦闘飛行隊のパイロット達は、待ってましたとばかりに集まった。集結したパイロットの中にウィリアム・ソンダーク大尉とシンシア・オルゴット中尉の姿があった。2人とも飛行隊で1、2位を争う優秀なパイロットで、特に後者は飛行隊の紅一点ということもあって将兵から人気が高かった。
「ウィル、いよいよ出番みたいね」
集まったパイロット達の中にウィリアムを見つけたシンシアが話しかけた。
「あぁ。第14飛行隊の連中が悔しそうだったな」
第14戦闘飛行隊は第13飛行隊とともに第35戦闘航空団を構成する部隊で、第13飛行隊同様にSEAD任務の為の特別な訓練を受けた部隊である。だが、今回、召集されたのは第13飛行隊であった。第14飛行隊は引き続き三沢で待機することになった。
「まったくだわ。本当にお気の毒さま」
そこへ航空団司令官がやってきた。パイロット達は姿勢を正し、一斉に敬礼をした。些か不満げな表情の司令官は答礼をしてから、説明を始めた。
「諸君。既に知っていると思うが、同盟国日本が高麗と戦争状態にある。アメリカは日米安全保障条約に基づき、日本の防衛の為に行動を開始することを決定した。君達の飛行隊はこれより第366航空団の指揮下に入り、行動することになる」
第35航空団の指揮下を離れての行動、それが司令官の不満の原因か、とウィリアムは考えた。自らの手で育て上げた部下を奪われたくないのだ。
東京都 横田基地
第13飛行隊に召集がかかっている頃、東京の横田基地に次々と大型機が着陸していた。それは普段、この基地に来訪するアメリカ空軍の輸送機とはまったく異なる外観をしている。
輸送機が多くの荷物を積載する為に太い胴体をしているのに対し、その飛行機は細くスマートな外見をしていて、色も黒かった。なにより特徴的なのは状況に応じて翼の後退角度を変更できる可変翼を採用していることだった。
その飛行機群こそアメリカ空軍が対高麗戦の切り札として投入する兵力であり、北九州有事への介入が事実上決まったので待機していたグアムから日本へ前進してきた第34爆撃飛行隊に所属するB-1Bランサー重爆撃機であった。