四八.甑島沖海戦7
海中 <孫元一>
先ほどの潜望鏡観測で遠くに貨物船らしき船の影を確認した。艦長はそれを次の目標に定めた。
潜望鏡を下ろして目標に艦首を向け、速力を上げた。攪拌された海水は相変わらず不安定でソナーは使い物にならない。だから攻撃には再度、潜望鏡観測を行い精密な発射諸元を得る必要がある。
護衛艦<ひゅうが>
先ほど、高麗潜水艦の潜望鏡を発見したSH-60Kは<ひゅうが>の甲板に降り立ち、無事に重傷者を引き渡した。それから敵捜索の為に飛び立とうとしたが、相田艦長からストップがかかった。
乗組員達は甲板で何事かと考えながら待機していると、機体を甲板下まで運ぶ為のエレベーターが上がってきた。そこには爆弾を運ぶ整備士が乗っていた。整備士達は爆弾をSH-60Kの脇まで持ってくると、まずパイロンに装着されている97式短魚雷を取り外し始めた。
そこへ相田艦長もかけつけた。
「君達には迎撃の主役を担ってもらう」
機長が応じた。彼は整備士達が今まさに愛機に取り付けようとしている対潜爆弾を指した。
「それで爆雷を搭載するんですね」
相田は頷いた。
「水中は攪拌され、ソナーは役立たずだ。今は爆雷の方が確実だ」
するとセンサーマンが指摘した。
「しかし、爆雷は浅い深度でなくては効果が薄いです。敵が深層まで逃げたら?」
「敵は貨物船団を狙っている。ソナーを使えないなら潜望鏡を使うしかない。貨物船を狙うなら、確実に浅い深度に居る筈だ」
すこし間を置いて相田艦長は続けた。
「もし敵が深い海に逃げたのなら、船団を無事に九州に送り込めるのだから任務は成功だ。問題は無い」
相田艦長とパイロットらが言葉を交わしている間に、97式短魚雷の取り外しが終わり、代わりに対潜爆雷の装着が始められた。こうした多種多様な兵器を搭載できるのも、SH-60KのJ型からの改良点の1つである。
その様子を示して相田は言った。
「そういうわけで、君達は昔ながらのやり方で戦ってもらう」
10分後、重傷者を運んできたSH-60Kは対潜爆弾を装備して<ひゅうが>の甲板を飛び立った。甲板では別の複数のSH-60Kが兵装の換装を受けているが、それらが飛び立つまでにはしばらく時間がかかる。それまでは今飛び立ったSH-60Kが第1護衛隊群の唯一の矛ということになる。
既に高麗潜水艦の予想針路上では護衛艦と哨戒ヘリコプターが集まり、高麗潜水艦を借り出すべく動いていた。雨の為に相変わらず視界は悪かったが、レーダーとESM、赤外線監視装置などの観測機器を駆使して、海面を舐めるように高麗艦の潜望鏡を探し続けていた。
<孫元一>
そろそろ2回目の潜望鏡観測をする時間が近づいていた。まだソナーの能力は十分に回復していなかったが、海上の護衛艦の動きが活発になりつつある様子をおぼろげながらに捉えることはできた。
「艦長。どうしますか?」
副長の声には彼の感じている不安が表れていた。一方、艦長は断固たる口調で言った。
「攻撃を続行する」
「しかし、艦長。日本の艦艇が集結しつつあるように感じます」
「そうだな。次の一撃は迅速な攻撃が必要だ」
艦長の言葉に副長は頷いて同意した。
「観測に時間をかけるのは危険です。次は観測とほぼ同時に攻撃をかけられるようにしておくべきです」
デジタルカメラを使う非貫通型潜望鏡は外界の様子を撮影してしまえば、後は潜望鏡を下ろして撮影した映像を基に詳しい計測を行うこともできるが、副長には潜望鏡を上げた後に悠長に計算をしていることさえ危険に思えた。観測から攻撃の間に、潜望鏡を見つけた敵から攻撃を受ける危険性を考えたのである。それなら観測とほぼ同時に攻撃を行って、相手を混乱させたままにして離脱するべきだ、それが副長の考えだった。
「事前に大まかな発射諸元を算出しておきましょう。それで潜望鏡を上げると同時にレーダー観測を行うのです。レーダーは瞬時に精密な測距ができますから、それを基に発射諸元に修正を加えれば僅かな時間で魚雷発射が行えます」
副長の提案を艦長は熟慮した。それからすぐに決断した。
「よろしい。君の案を採用する。すぐに発射諸元を求めよ。潜望鏡準備」
<孫元一>の水雷員達は現状の大まかなデータから仮の発射諸元の計算を始めた。目標となる船の針路、速力、距離などから未来位置を割り出し、魚雷をどの角度で発射すれば命中するのかを算出するのだ。といっても、どのデータも曖昧かつ不明瞭で、当然ながら発射諸元も大まかなものに過ぎなかった。だから、それを完成するにはレーダー観測で精密なデータを得る必要がある。
「発射諸元、得られました!」
「よし!潜望鏡上げ!」
護衛艦<ひゅうが>
<ひゅうが>はFCS‐3のフェイズド・アレイ・レーダーで海面を舐めるように走査していたが、しかしFCS‐3は<孫元一>の潜望鏡を捉えることはできなかった。いや、正確にはFCS‐3のレーダーアンテナは潜望鏡を捉え、それをディスプレイにも表示していたのだが、悪天候の為にクラッターが多く、その中に紛れてしまったので観測員が見逃してしまったのだ。
その点、ESMは高麗軍の使う様々なレーダー波がデータベースに登録されており、それに合致する電波を捉えると自動的に警告を発するようになっていた。
「ESMに感。高麗海軍214型潜水艦の対水上レーダーを感知。方位は3-5-0!」
その情報はデータリンクを通じてSH-60Kにも送られた。
上空 SH-60K
データリンクを通じて送られてきた情報にSH-60Kのクルー達は迅速に対応した。情報は<ひゅうが>からの方位と大まかな距離だけだが、それで十分だった。だいたいの位置さえ分かればMADセンサーを使って目標を見つけられる。
「降下する!」
機長は機体を水面近くの低空まで一気に降下させた。
「MADセンサー!」
機長の号令と同時にセンサーマンがMADを起動させる。もしESMの測定結果が正しいのであれば、すぐにでも反応がある筈である。しかし反応はなかなか無かった。
誤報だったのか?それとも、すでにどこかへ行ってしまったのか?そんな不安がクルーの頭に浮かんだ。数秒間がまるで数時間であるかのように感じる。
その時、MADセンサーの計器が警報を発した。
「感あり!真下です!」
上空を一度通り過ぎてから、機長はSH-60Kを急旋回させて攻撃態勢に入った。高度をさらに下げて、海面に突っ込むかのように敵潜水艦目掛けて飛んでいく。
「爆雷、投下用意!」
「MAD、再探知!」
「投下!投下!」
SH-60Kの胴体側面に張り出したパイロンから左右それぞれ1発ずつ、時間を置いて2発の対潜爆弾が投下された。
海中 潜水艦<孫元一>
レーダー探索の結果、目標である貨物船団の精密なデータが得られ、それを基にすぐに仮の発射諸元に修正が加えられた。修正は最小限の時間で完了した。仮の発射諸元も大まかなデータで算出したにしては、それなりに正確であったのが主な理由だ。それに水雷士が鼻を高くしていた。
「魚雷管注水完了!」
それと併行して魚雷の発射シークエンスが進められていた。
「よし。発射諸元、入力。魚雷管前扉、開け!」
そう命じた艦長は勝利を確信していた。後は“発射”と命じれば魚雷は目標へと向かっていき、<孫元一>はまだまだソナー探知が難しい海の中を混乱に乗じて離脱するだけである。ただ近距離探知ならソナーも回復しつつあるので、油断はできない。
「魚雷管5番から8番、前扉開きました!」
報告を聞いて艦長はすぐに“発射!”と命じようとしたが、それはソナーマンによって遮られてしまった。
「ソナー感!艦直上で突発音!」
突然のことに発令所の乗員はみな言葉を失っていた。しかし、続くソナーマンの報告が彼らを現実に引き戻した。
「爆雷です!」
それからの艦長の行動はこれまでの訓練によって身体が覚えていた反射的なものであった。
「魚雷発射中止!前進全速!回避行動!」
それを聞いて乗員達が慌てて動き出したが、些か行動が遅かった。<孫元一>の船体が動き出した直後に、艦のすぐ後ろで爆雷が爆発した。
爆発する深度は爆雷をSH-60Kに搭載した時に調整したもので、高麗潜水艦が潜望鏡深度で航行しているという推定を基に深度30メートルで爆発するようにされていた。<孫元一>の深度は20メートルで、艦尾が下からの衝撃で激しく揺さぶられた。
しかし致命的だったのは2発目の爆雷だった。それは<孫元一>の艦首真下で爆発した。それも<孫元一>の船体を激しく揺さぶったが、より重要なのは爆発によって強烈な圧力が生じたこと。そして<孫元一>の魚雷管5番から8番の前扉が完全に閉じきっていなかったことだ。
閉じきっていない魚雷管扉から高圧の海水が魚雷管の中に入り込み、発射態勢にあった魚雷を襲った。安全装置がかかっていたので爆発こそしなかったが、強烈な水圧が魚雷を魚雷管の後ろへと押していった。水圧と魚雷の重量を受けた魚雷管の後扉は耐え切れず歪んでしまった。そして、大量の海水は魚雷室へと侵入していったのだ。
本当は今回で敵を撃沈するつもりでしたが、思った以上に長くなったので分割しました。




